160 愛してる
肉体をもった精霊は、人神となる。
人の肉体を器とし、精霊の力は爆発的に増幅し、文字通り、神のような存在へ。
リーフは『癒し』の力を最大限に発揮して、セイヨウトネリコを癒すことに成功した。
ただ、セイヨウトネリコを癒し終えるまでに10分間ほどの時間が過ぎていた。
しかし、セイヨウトネリコは完全に回復したのだ。
精霊界の救済という意味では、それは完全なる成功といえるだろう。
セイヨウトネリコは輝きを取り戻し、瞬く間に緑の葉に覆われていった。
気付けば皆既日食は既に終わっていて、いつもと変わらない明るい空を取り戻していた。
だが、リーフの依り代を取り込んだテラの肉体は、全身から血を流し、その姿はとても神とは思えぬ壮絶さを物語っていた。
◇ ◇ ◇
リーフの霊力が肉体に完全に馴染むには、人の精神が消滅する必要があった。
肉体がただの器と成り果てた暁に、肉体を得た精霊、人神が完成する。
だけれど、リーフはそんなことを望んでいなかった。
望むわけがなかった。
だからこそ、彼は肉体に馴染む前に無理矢理にでも力を使ったのだ。
ヘリックスが話していた、わずかな可能性。
テラの『だめだよ』の言葉も――。
テラが依り代を口に含んだ瞬間。
リーフは依り代の中に引き戻され、精霊としての身体を消し去り、精霊の本体である霊核が、それが霊核の本能であるかのように、肉体の乗っ取りを開始する。
霊核はまるで生き物のように肉体の心臓を呑み込み、血管に沿うようにして全身に霊的エネルギーを行き渡らせる。
リーフがセイヨウトネリコを癒し切るのに要した、その10分間――。
不死のテラは、毎秒『死ぬほどの痛み』を受け続けた。
10分間で600回、内側から削り取られるような容赦ない痛みが全身を襲った。
再生途中にもかかわらず、肉体の限界を超えて霊力が噴出し続け、そのループは止まらない。
痛覚がある限り、終わりのない苦痛に耐えるしかない。
不死であるために、死ぬほどの痛みを感じ続けるという絶望。
時間の感覚は消え、思考が崩れ落ちる。
痛みだけが現実として残る。
通常ならば、痛みの後には回復がある。
しかし、今回は違う。
回復は妨害され、再生の瞬間にも霊圧が際限なく拡張し続ける。
休む間もなく、意識は痛みに囚われた。
不死は解放ではなく拷問だった。
死ねない。
終われない。
ただ、痛みを受け続けた。
ただ、立ち尽くしていた。
痛みに耐えることで、精神はどう変化するのか。
死なないことは、どれほどの負荷なのか。
死は、ある意味では安息ともいえる。
しかし、不老不死のテラはそれを許されない。
痛みの果てに何もない。
目の前に、青々と生い茂る復活したセイヨウトネリコ。
そして、皆既日食が終わり眩しく輝く日の光。
けれど、もはやテラの"緑"の瞳は何も見てはいなかった。
意識が白く霞んでいく中で、テラは最期に、心から願った。
……リーフ…………私、あなたと結ばれたかった……
その瞬間、テラの口からリーフの依り代が吐き出された。
彼女はその場に崩れ落ちるように倒れ込んだ。
依り代が吐き出されたことで、テラとリーフは別々の存在となった。
テラが最期に望んだ、願いだった。
リーフはすぐさま依り代から顕現し、テラに駆け寄り抱き上げる。
「テラ、テラ!!!!」
うっすらと目をあけた"空の青"の瞳に、泣いているリーフが映っていた。
テラにはずっと気になっていたことがあった。
リーフと再契約をした日に見た夢は、なんだったのかと。
よく思い出せないけれど
悲しそうに涙をいっぱい溜めた緑の瞳が
私を覗き込むようにして……
それがフラッシュバックのように思い浮かんでいた。
なぜだろう?
ずっと気になっていた光景。
それを今、ようやく思い出した。
この瞬間の光景だったのだと。
「思い出した……私がすべて、忘れても……そばにいて……」
「そばにいるからっ!」
「……リーフ……愛してる」
感覚を保つことができないほどに細胞ひとつひとつにまで、死の痛みが蓄積されていた。
初めての『愛してる』を残して――
テラは、意識を保つことを、止めた。
◇ ◇ ◇
こういうことだったのね。
あの時見た未来は――。
アンリムはひとり、精霊界の中心で思いに沈んでいた。
予知で見たセイヨウトネリコを癒す姿は、間違いなく人の姿をしていた。
だから私は、人神になったと推測した。
初めてテラを見た時、間違いないと確信した。
私がリーフにもテラにも、フラクシスにすら言わなかったこと。
それは、予知で泣き続けていたリーフの姿。
泣いていたどんぐり精霊は、人の姿ではなかった。
なぜ人神の姿ではないのか、ずっと引っ掛かりを感じていた。
しかし、ようやく謎が解けた。
やはり、人神は最初から完成していなかった。
けれども、精霊界は崩壊せず精霊は消滅していなかった。
どのような方法で、人神から精霊に戻ったのか。
私はそれが知りたかった。
アマランサスの精霊を追い詰めた『人神』から
彼を救う方法があったのではないかと
私は今でも、後悔している。
だから、リーフ。
私はあなたを羨ましく思う。
テラという『特別な存在』が、人の愛が、
あなたをこの世界に繋ぎ止めてくれたことを――。




