14 旅客馬車
ブライトウッド・トレイルの2日目。
朝から冷たい秋雨がシトシトと降り、町全体を静かに包み込んでいた。
「薬屋さん、近くにあるみたいでよかったわ」
「雨も強くなくてよかったね。でも、薬屋さん開いてるかな」
まだ朝7時過ぎ。さすがに開いていないだろうと思いながら歩いていると、開店準備中の薬屋が目に入った。
「朝早いから、やっぱりまだ開いてないみたいね」
「店主さんはいるようだし、声かけてみる?せっかく来たし、ね、テラ?」
宿主から聞いていた宿の近くの薬屋は、案の定まだ開いていなかった。それでも店主の姿が見えたため、テラは思い切って声をかけた。
「おはようございます。準備中にすみません。こちらでは薬草の買い取りをしていますか?」
「旅の人かい? 新鮮な薬草なら買い取りできるよ」
「はい、これから発つので寄ってみました。この薬草ですが、どうですか?」
テラは事前に依り代から出しておいた薬草1把を店主に差し出した。リーフの依り代は鮮度を保つので、薬草は常に摘みたてのように新鮮だ。
「これはかなり質がいいね! これだけ新鮮ならぜひ買い取らせてもらうよ。どれくらい持ってるんだい?」
「もうちょっとあるので、すみません。ちょっと待っててください」
テラは一旦店の外に出て、リーフに相談した。
「私のバッグの中にいつも使ってる薬草を入れる麻袋があるの。4把~5把くらい入るけど、依り代の中にどれくらい薬草あったかな」
「依り代の中には、今は20把くらいあるよ」
「じゃあ……あと4把出せるかな。難しい?」
守り人しか見えないリーフが持つ物を受け取ると、テラが持った瞬間に誰でも見えるようになる。傍から見れば『テラの手に突然現れた!』となって、まるで手品だ。それがテラには気がかりだった。
「大丈夫。テラは麻袋をバッグから出して、麻袋を開いて中に手を入れておいて」
リーフは依り代の中に消えて、薬草4把を持ってテラと同じ背丈で現れると、その4把の薬草をテラが持っている麻袋の中に入れた。
「これで大丈夫かな? 手品みたいに見えたりはしてないと思うけど」
「うん、自然だったと思う! ありがとう!」
店内に戻ったテラは、5把の薬草すべてを想定の1.5倍もの価格で買い取ってもらえた。そのおかげで、旅の資金は順調に補充され、大満足の結果となった。
薬屋を出たふたりは、シトシトと降る弱い秋雨の中を、旅客馬車の発着場へ向かった。
今日の旅客馬車は大型の15人乗りで、乗客はテラを含めて10人ほど。ブライトウッド・トレイル2日目、次の町まで約100kmの道のりの旅が再び始まる。
旅客馬車は約2時間ごとに休憩を挟む。3度目の休憩時、休憩所の建物の陰で、テラは疲れた様子でリーフに小声で話しかけた。
「ブライトウッドを出てから、フォークスエンドまでが長いよ……」
「そうだね。まだノーサンロードにも入ってないもの」
「旅客馬車は長距離進めるけど、ノーサンロードに入ったらしばらく徒歩にしようか。馬車はもう疲れちゃって……」
「ぼくはいいけど、テラはいいの?」
「馬車に乗っていると周りが気になって、リーフとも話しにくいの。それに、休憩所でもこうやって隠れて話さないといけないじゃない? 急ぎの旅でもないし、ふたりで薬草を採りながら景色を楽しんで、のんびり歩いて行きたいな。気が向いたらまた馬車に乗ればいいかなって思ってる」
「ぼくはそっちのほうが楽しそうで嬉しいよ」
「ね! そうしよう! ちょっと気分が滅入ってたけど、なんだか元気が出て来たわ」
ブライトウッド・トレイル2泊目の町に到着したテラたちは、翌日の馬車を予約し、その後宿を探し始めた。
明日はようやく、ブライトウッド・トレイルとノーサンロードの分岐点になっている町、フォークスエンド。旅客馬車での道中は、馬車に慣れていないことに加えてリーフと自由に話せないこともあり、テラには少し辛い旅になってしまった。
ブライトウッド・トレイル3日目の朝。ノーサンロードとの分岐点にある町、フォークスエンドへ向かう旅客馬車の発着場は、多くの人でごった返していた。
今日は12人乗りの大型旅客馬車が5台用意されており、連なって旅をする形になるようだ。
テラは周囲に気を配りながら小声でリーフに話しかけた。
「フォークスエンドに向かう人たちって、こんなに多いのね」
「ノルデン地方の中心の町、ブリズベールにも繋がってるからね」
「フォークスエンドはとても栄えてるらしいから、ちょっと楽しみよ。それにしても…5台ってすごいね。昨日も一昨日も1台だけだったのにね」
「今日は特に、独り言しないほうがいいね。人が多いもの」
「そうよね……気を付けるわ……」
旅客馬車は定刻どおりに発車し、2時間ほどで最初の休憩を挟んだ。その後再び走り出したところで、隣に座っていた上品な雰囲気の50代ほどの女性が、テラに話しかけてきた。
「これ、食べない?」
突然のことで驚いたテラだったが、おばさんがニッコリと笑いながらキャンディを差し出してきたため、彼女もつられて微笑み返した。
「ありがとうございます。いただきます」
テラはおばさんが手にした包みからキャンディをひとつ取って口に運んだ。それは、胡桃をハチミツで固めた甘いキャンディだった。
「あなた、一人旅なの?」
「はい、一人旅です。おばさんもお一人なのですか?」
「ええ。孫が産まれたのでね、ブリズベールまで会いに行くところなのよ」
「それはおめでとうございます。会えるの、楽しみですね!」
「ふふっ、初めての孫なの。嬉しくてたまらないのよ」
そんな会話をしていると、向かいの席に座っていた40代くらいの女性が会話の輪に入ってきた。
40代の女性「お孫さん、おめでとうございます。私は主人と娘の結婚式に行く途中なんです。私も孫の顔が見られる日が待ち遠しいわ」
50代の女性「まあ、結婚式だなんて素敵ね! おめでとうございます。お嬢さん、おいくつなの?」
40代の女性「娘は25歳なんですよ。しばらくお相手もいないのかしらって心配していたんですが、ついに結婚が決まったんです」
50代の女性「あら、うちの娘も25歳で結婚したのよ。もう34歳だけどね。だからこそ、初孫の誕生が本当に嬉しくてね」
テラは笑顔を浮かべながら、おばさんたちの会話を聞いていた。けれど、内心では『どうか私には話を振らないで』と祈るような気持ちでいた。そして案の定、その祈りは届かなかった。
50代の女性「ところで、あなたには婚約者や好きな人はいるの?」
テラ「いえ、私まだ15歳ですし、そんなの全然……」
50代の女性「まあ、15歳なの。とてもしっかりしているように見えたし、一人旅っていうから18歳くらいなのかと思ったわ」
40代の女性「いまは全然でも、いつどこで運命的な出会いがあるか分からないわよ。それは明日かもしれないし」
テラ「運命的な出会い……あるといいんですけど……ははは」
恋愛も結婚も諦めていたテラは、話題をそらそうと笑ってみせたが、その笑顔はどこか引き攣ったようになってしまった。
40代女性の夫「おいおい、15歳なんてまだ子どもじゃないか。ほら、困ってるみたいだぞ」
引き攣った笑いを浮かべていたテラを察したのか、おばさんの隣に座っていたご主人が助け船を出してくれた。
40代女性「あら、ごめんなさいね。でも、出会いに年齢なんて関係ないのよ。早いか遅いか、それだけのことだもの」
50代女性「そうね。出会いはいつかきっとあるわ。早いかもしれないし遅いかもしれない。もしかするとすでに出会っていて気付いてないだけ、ってこともあるわね!」
そう言われて、テラはふと考えた。もし自分に運命的な出会いがあったとしたら、それはきっとリーフだろう。
でも、それは恋愛や結婚とは全く別のもの。それでも、リーフとの出会いは間違いなく特別で運命的なものだ。そう思うと、自然にフフッと笑みがこぼれた。
40代の女性「もしかして、すでに出会っている人がいるかしら?」
テラが微笑むのを見逃さなかったおばさんは、すかさずテラに問いかけた。
テラ「あの、恋愛の話ではないんですけど、運命的な出会いならありました! その出会いで、私の人生は全てが変わったんです。こうして旅をしているのも、そのおかげなんです!」
そう話すテラの表情は生き生きとしていて、優しげな青い瞳の奥から力強い輝きが溢れ出ていた。
50代の女性「そう。それはきっと素晴らしい出会いだったのね。あなたの顔を見ればわかるわ。とてもいい目をしているもの」
いい目をしているなんて初めて言われたけれど、リーフの存在を受け入れてもらえたように思えて、テラはとても嬉しくなった。
『たとえ誰もリーフを見ることができなくても、私を通じてリーフの存在を感じてもらえるんだわ』
リーフに恥じないよう、しっかりしなければ──そう思うと、自然に背筋が伸びた。