156 白い予言者の囁き
霊力が完全に切れるギリギリまで『癒し』の力を使い、精霊界の自身の家『リーフ・ヴァーダンシア』に戻って霊力を回復させる。
人間界で眠るよりも速く回復できる"回復施設"としての家の役割を活かし、リーフは一日で三度の『癒し』を実行した。
これは、昨夜の一度だけでは効果が長く続かなかったため、やむを得ずの決断だった。
「さすがに一日に三度は……キツいけど……」
テラの元に帰るのは夜遅くになり、いくらリーフとはいえ、一日に三度の『癒し』は、容易ではなかった。
一日目よりも二日目。
二日目よりも三日目。
三日目よりも四日目。
日を追うごとに、霊力の回復に要する時間が少しずつ増していた。
しかし、その甲斐あってセイヨウトネリコの落葉が止まったのは確かで、ほんの僅かだけれど緑の葉も増えていた。
それだけが、救いだった。
「このまま続けると、霊力の回復が遅れに遅れる日がくる。一日で三回分の回復が出来なくなる……それだけは避けたいのに……」
人間界に帰らなければ、まだ余裕はある。
けれど、帰らないという選択は、リーフにとって困難なものだった。
「テラが待ってる。数時間でも帰らないと。それにぼくは、テラがいなければ力を使い続けることすら難しくなる……」
リーフが『もてなし』、与え続ける存在であるなら、テラはリーフを『もてなす』唯一の存在。
一日に三度も力を使い果たし、それを毎日続けているのだから、その消耗は力だけの問題ではなかった。
たとえ自身の家にテラを連れて来たとしても、積み重なる消耗を一日で回復できなければ意味がない。
今はまだよくても、長続きはしない、長期的には失敗しかないのは明白だった。
けれど、それ以外に出来ることは何も無いのもまた、分かりきっていることだった。
◇ ◇ ◇
リーフが早朝から出掛けるようになって、5日目の朝。
テラは麦畑に天日干ししてある穂を確認するために、家を出た。
テラはふと、セイヨウトネリコを見上げた。
「セイヨウトネリコ、色付くのが遅くなったかしら? それに、なんだか少し、緑の葉が増えたような?」
テラは毎朝、セイヨウトネリコが美しく色付いてゆく姿を楽しみにしていた。
まさかリーフが『癒し』の力を使い、セイヨウトネリコが落葉するのを懸命に防いでいるなど、想像すらしていないのは言うまでもないことだった。
「それにしても、リーフ……毎晩遅くまで何してるのかな……。すごく疲れてるみたいで、帰ってきたらすぐに寝ちゃうし……朝は早くにいなくなるし、大丈夫なのかな……」
9月も半ば過ぎて、リーフに相談したいこともあった。
ゆっくり話す時間が持てたら、出会って一年のお祝いがしたいと、リーフに持ち掛けようと思っていた。
リーフと出会って、もうすぐ一年が経つわ。
去年の9月末日に出会ったのよね!
あの頃のリーフはすごく可愛くて。
今はとってもカッコよくて……
優しくて……
そんなリーフと結婚だなんて!
きゃ〜!
なんてひとりで勝手に盛り上がっていると、背後から静かに声がかけられた。
「こんにちは。リーフの守り人さん」
テラが驚いて振り返ると、そこに立っていたのは、白いキンギョソウの精霊、アンリムだった。
「あなたは? 私のことを知ってるの?」
「ええ。もちろん知ってるわ。私は白いキンギョソウの精霊、アンリム。よろしくね?」
「白い、キンギョソウの精霊……アンリム……。白いキンギョソウ……」
テラは花言葉を思い出した。
白いキンギョソウは、『清純な心』『予知』『予言』などで、キンギョソウそのものには『おしゃべり』『おせっかい』という花言葉がある。
「私、あなたにお話があって、出てきたのよ」
セイヨウトネリコの傍の池のほとりには、多年草のキンギョソウが生い茂る一帯があった。
白いキンギョソウの精霊は、この場所に宿っていた。
「私にお話……?」
「あなたは精霊界の伝承は知っている?」
「……知らない、かな。聞いたことはないと思うわ。精霊界には伝承があるの?」
「そう。リーフは話さなかったのね。まあ、そうだろうと思っていたけど、精霊界の伝承、聞いてもらえるかしら」
「え、ええと……どんな伝承なの?」
相手は精霊。
テラは無下には出来ないと思い、話を聞くことにした。
「遠い昔の話なのだけど、かつて、セイヨウトネリコが枯れかけたことがあったわ」
「セイヨウトネリコが枯れる? 落葉樹だから、葉は落ちるわよね?」
テラは目の前のセイヨウトネリコに目を移し、応えた。
「精霊界の中心部にあるセイヨウトネリコは、精霊の力で枯れないの」
「そうなのね。フラクシスの力ね?」
テラはセイヨウトネリコの精霊には会ったことは無いけれど、名前は記憶していた。
「そう。その枯れかけたセイヨウトネリコを癒すには、膨大な力が必要だったの。何しろ、セイヨウトネリコは精霊界の根幹であり、全てを支えている木だから」
「……精霊界の中心部ということなら……何となくわかるわ。枯れると、大変なことになるのかしら……」
テラは引き込まれるようにアンリムの話を聞いていた。
「そうして、ある一人の精霊が膨大な力を得て、セイヨウトネリコを癒したの」
「セイヨウトネリコを救ったのね?」
「ええ。その精霊は膨大な力を得るために、人神になったの」
「人神!?」
聞いたこともない存在の名前に、テラは驚きが隠せなかった。
「人神になれば、精霊は力を増幅させる。精霊は霊体だけれど、肉体を持つことで力を増幅できるの」
「精霊が肉体を持つ!? それで力が……」
「肉体と言っても、どんな肉体でもいいわけじゃないのよ。普通の人間の肉体は、精霊のエネルギーに耐えられない。耐えられるのは、死なない肉体だけなの」
「死なない、肉体……!?」
テラはその言葉を聞いて、ビクッと体が動いた。
一瞬にして、全身が凍りついたように強張った。
「そう。例えばあなた。不老不死でしょう?」
「…………!」
テラは目を見開き、心底驚いたような表情で、アンリムを見た。
「精霊に肉体を差し出し、肉体は精霊が宿る器になる。霊核が肉体に馴染み、人の精神が消滅したとき、人神が完成するわ」
「肉体を差し出す、器……? しょ、消滅……!?」
恐怖で自分の顔が引きつるのが分かる。
この精霊は私に何が言いたいのか――
テラは息が止まるような苦しさを感じた。
「ええ。精霊の依り代を呑み込むことで、人は器となるわ」
「な、なぜ、それを私に話すの……?」
テラは震える声でアンリムに問いかけた。
「今、セイヨウトネリコが枯れかけているわ」
アンリムは目の前の樹を見上げ、声を落として深刻そうな面持ちで話した。
「このセイヨウトネリコも、本当は枯れないということなの?」
「ええ。この落葉は、秋だからじゃないのよ。本来なら、このセイヨウトネリコも枯れない。精霊界の中心部にあるセイヨウトネリコと同一の樹なの。この樹は、一年中緑の葉に覆われているはずだったわ。今は、歪みのために枯れかけているけど」
「ゆ、歪み……」
「枯れ始めたのは2月下旬頃だったわ。あなたに思い当たることは無いかしら」
「…………私!?」
いきなりの指摘に、テラは仰天した。
「リーフの契約は、ただ一人の守り人を選び、永遠を誓うの。守り人を絶対に必要とするリーフだけに許された、道理を超えた力よ。だけれど……リーフは道理を超えた力を使い、道理に背いたわ」
「!!」
「気付いたかしら?」
「まさか……まさか、私がリーフにお願いしたから……っ!? 私が、ファルを助けてって言ったから……っ!? リーフが、ファルと契約したからだって言うのっ!?」
「ええ。その通りよ」
「っ……!!」
アンリムの声はどこまでも穏やかだった。
そのことが、テラにとってさらに恐怖を感じさせた。
しかし、それ以上に、自分の責任、置かれている立場、状況があまりに絶望的であることに、彼女は言葉を失うしかなかった。
体の芯からガタガタと湧き上がる震えに、テラは今にも足元から崩れ落ちそうで、その場に真っ直ぐ立っていることさえ、もうままならなかった。




