155 祈りの指先
精霊界ヴェルデシアでの会合を終え、リーフたちは人間界、エルナス森林地帯のセイヨウトネリコの元に戻った。
人間界はすでに日が傾き始める時間帯。
果樹園にテラとファルの気配は感じられず、ふたりはすでに家に戻っているようだった。
「そうだ、ぼくがどうにかしないと……」
項垂れたリーフの小さなつぶやきに、ヘリックスとリモは不安げに顔を見合わせた。
「リーフ? 何をする気なの?」
リモがリーフの顔を覗き込むようにして、問いかけた。
「ぼくが……っ」
「ちょっと、リーフ?」
ヘリックスはリーフの両肩を掴み、その体を揺さぶった。
「ぼくは……伝承なんか信じない……信じたくない……ぼくの力でどうにかする。伝承なんて、テラに話せるわけがない。ぼくは絶対に、テラには言わない……っ」
言葉を詰まらせたリーフの緑の瞳が、大きく揺らいだ。
「……もしもそれで……精霊界が消滅したとしても……!」
溢れそうな涙を溜めた瞳には、強い決意が満ちていた。
そんなリーフを見つめ、リモは言葉よりも先に体が動いて、彼をグッと強く抱きしめた。
「ごめんね、リーフ。ファラムンドを救った、そして私を救ったせいで、こんなことになったのに。……私はリーフの選択に反対はしない。あなたの思うままに……」
「ぼくは……テラを……犠牲にしたくない……」
「私がリーフの立場だったら、同じことを思うわ。当然よ」
リモはリーフの想いを否定しなかった。
しかし、予知が外れることはない。
リーフがテラに伝承の話をせずとも、予知通りになる。
アンリムが伝承のことを口にし、それを予知したと言ったからには、伝承と同じことが起こる。
それは避けられない。
リーフがテラに打ち明けようとも、打ち明けずとも、起こるのだ。
ヘリックスは必死に思考を巡らせていた。
アンリムは何と言っていた?
『どんぐり精霊が、人神の姿でセイヨウトネリコを癒す姿。見たのはそれだけ』
ならば。
どうすれば、伝承とは違う未来へ進めるのだろう、と。
「人神が人神として完全に完成するまでには、時間がかかるわ。そもそも、そう簡単に肉体に馴染むわけがないのよ。だから、人神が完成する前に力を使い、セイヨウトネリコを癒せたなら……あるいは……」
ヘリックスは思案しながらも、さらに言葉を繋いだ。
「ただ、それで癒せたとしても、それからどうすればいいかなんて分からないし……全く想像もつかない……。人神が完成すれば精霊には戻れない。……もしも可能性があるなら……完成前に……」
ヘリックスの話をリーフは黙って聞いていた。
肯定も否定もない。
ただ、予知された未来が来たときの、ひとつのわずかな可能性だった。
「ぼくはテラに話すことは出来ないから……これから毎日セイヨウトネリコを癒して、崩壊を遅らせる。無駄かもしれないけど、それしか……」
「……わかったわ。リーフ……」
リモはリーフの手に手を重ねた。
「私たちはいつも通りに過ごすしかないけど……リーフ、あなたにすべてを背負わせることになって、私はどうしようもなく、腹が立っているの。1,000年前に予知だなんて……」
ヘリックスは言葉にするのを止めた。
1,000年前の予知。
それならば、今までの積み重ねた日々は、一体何だったのか、と。
1,000年前から、この日が来るのを待っていたのか、と。
リーフが最初に契約した守り人を失い、傷つき800年も隠れてしまったことも、テラと出会い愛を知ったことも、それを失う恐怖に再び深く傷つく結果になるかもしれないということも、すべてが、決まっていたとでもいうのか。
それを、ただ、待っていた、と。
「……家に、戻りましょうか」
ヘリックスは思考を振り払い、項垂れるリーフの手を取った。
◇ ◇ ◇
リモとヘリックスは、リーフの家まで彼を送り届けた。
「リーフ、大丈夫? そんな様子だと、テラに心配されるわ」
「テラには言わないのでしょう? それなら……」
「大丈夫。外で落ち着いてから家に入るから……。二人はもう家に戻って。ありがと……ちょっとだけ一人になりたいから、ごめんね」
「……わかったわ……また明日、話しましょう、リーフ……」
リモとヘリックスと別れ一人になったリーフは、二人が見えなくなったのと同時に言葉を口にした。
「……ヴェルデシアへ」
リーフは精霊界の中心部へ転移した。
セイヨウトネリコの浮島、精霊界の中心。
秋のような移ろいを感じさせる巨木が、リーフの目の前にあった。
さきほどまで集まっていた精霊たちは皆、すでに去っていた。
セイヨウトネリコの精霊もいない。
リーフは精霊王の両翼を出現させると、精霊王としての力を使った。
かつて王都でテラを失いそうになった時、疫病に対して使った『癒し』の力だ。
歴代最強と称されるリーフの力は膨大で、精霊界全体を震わせるほど。
だが今回は、セイヨウトネリコ一点に集中させる。
空から降り注ぐプラチナのような白銀のきらめきは、巨木を覆いつくし、癒していく。
癒されているはずの巨木は、一瞬、蘇ったかのように見えたけれど、それは本当に一瞬だけだった。
「足りないのか……!」
リーフは全身から放つ光をさらに強め、すべての力を出し切った時、その体は強制的にリーフ・ヴァーダンシアに戻された。
戻される瞬間に見たセイヨウトネリコは、ほんの少しだけ時間が巻き戻ったかのように、わずかに回復していた。
◇ ◇ ◇
精霊界の自身の家、リーフ・ヴァーダンシアに戻ってしまったリーフは、霊力回復のために、ここで休む選択しかなくなっていた。
「力を全部使っても、ほんの少しだけだった……。使いすぎると家に戻ってしまうし、そうなったらある程度回復するまで人間界に戻れない……でも……」
リーフは可能な限り、時間を稼ぎたいと思っていた。
可能ならば、予知など無かったかのように、そんな日は決して訪れないように、癒しの力で永遠に先延ばしに出来ないかと考えた。
「ほんの少しの回復でも、それを繰り返せば……」
リーフにとって、セイヨウトネリコのほんの少しの回復が唯一の望みに思えた。
◇ ◇ ◇
リーフは『リーフ・ヴァーダンシア』で霊力を回復させ、人間界での依り代がある場所、すなわち、テラの元に帰った。
人間界はすでに真夜中になっており、テラはひとり、ベッドですやすやと眠っていた。
「ただいま、テラ。ごめんね……」
リーフはそっとテラの頬に触れた。
張り詰めていた糸がプツンと切れたかのように、涙が溢れ出した。
「……リーフ、おかえり。どうしたの?」
テラの柔らかな優しい声が、リーフの想いをさらに締め付けた。
「テラを……離したくない……」
リーフはテラを強く抱きしめると、彼女の肩に顔を埋めた。
「リーフ……?」
「どこにも行かないで……傍にいて……」
「どこにも行かないよ?」
テラの温かな腕が、リーフの背中をぎゅっと包み込んだ。
「…………うん……」
リーフはその温もりと抱き締める腕の強さに、ホッとするような幸せを感じていた。
「ねぇ、リーフ? 何か、あった?」
「ううん……」
「そう?」
リーフを見つめるテラの空の青の瞳が、暗く沈んだ霊核を優しく包んで、癒していく。
「……明日から……精霊界に行かないといけなくて……でも、必ず戻るから……」
「わかった。待ってるね?」
「でも、遅くなったら、先に寝てて?」
「そんなに遅くなるの?」
「分からないけど、遅くならないようにする。でも、遅くなったら……」
「わかったわ。リーフに心配させちゃうものね。でも、リーフこそ、あまり無理しないでね?」
「うん。ありがと……テラ……」
二人は抱き合ったまま、穏やかな眠りに落ちた。
リーフとテラの絡み合う指が、これからもずっと離れないようにと、祈りを捧げているかのようにも見えた。
そうして、翌朝。
リーフはセイヨウトネリコを癒すため、テラが起きる前に、音も立てずに静かに精霊界へと転移した。




