136 ヒイラギの精霊
テラが作っていた野菜スープも完成し、リーフの依り代からはパンや果物、リモの依り代からはチーズや干し肉が出され、野宿といいつつも豪華な夕食が用意された。
焚火がパチパチと音をたて、時折吹く風に炎が燃え盛り、オレンジ色の光は蔓の壁に揺れる影を幾重にも作り出していた。
雨音は頭上の厚い葉と蔓の屋根に遮られ、遠くで聞こえるように響いている。
水滴が地面に落ちる音だけが、控えめな音色を奏でていた。
「さてと。スープが出来たし、夕食にしよう!」
「なんだか久しぶりで懐かしいな。野宿は何カ月ぶりだ? 半年ぶりくらいか」
「ふふっ、そうね。アレクもたくさん食べてね。はい、どうぞ」
テラは野菜スープを取り分け、アレクにスープの入った器を渡した。
「ありがとうございます。頂きます」
アレクは両手で器を受け取ると、ペコリと頭を下げた。
湿った草木の青い匂いが、温かいスープの湯気とともにふわりと漂っていた。
「パンもチーズもあるからな! どんどん食ってくれ」
「はい、ありがとうございます……」
アレクはこの状況に、かなり面食らっていた。
そもそも、10日間も貸切で移動するのに、彼らの荷物が手荷物のみだったのも驚きだった。
そして今日は急な野宿にしっかり対応して、あれやこれやと荷物をどこからか出してきて、ささっと火を起こしたかと思えば野菜スープを作り、パンや果物、チーズに干し肉まで、十分なほどの量の食べ物を提供してくれている。
「……あの、ちょっと伺っていいですか? 荷物は依り代から出したのですか?」
「ああ、依り代に何でも入れてもらってるからな。食料から旅の荷物まで、なんでも入れられるんだ」
ファルの説明に、アレクは目を丸くした。
「どおりで皆さんの荷物が無いわけです……。僕は依り代にそのような使い方があるとは知らなかったもので……とても、驚きました」
「俺も最初は驚いたもんだ。これはリーフが教えてくれたんだ」
「そうなんですね。リーフさんはこんな屋根を作って、寝所も作って。依り代の使い方まで。すごいのですね」
アレクは天井を見上げ、周囲に目を移し、それから手元のスープに視線を落とした。
スープはランタンの明かりを反射して、キラキラと輝いていた。
すると、突如として光の渦がアレクの周囲に発生し、精霊が姿を現した。
ヒイラギの精霊フィリスが顕現したのだ。
「フィリス! 急にどうしたの!?」
「アレク。依り代の使い方、私、知らなかった。ごめんなさい……黙ってたとかじゃないのよ」
「それを言うために出てきたの?」
「それに、私がアレクを守るべきなのに……何も出来なくて……」
「そんなこと、フィリスが気にしなくて良かったのに」
フィリスは少しばかりバツが悪いと感じていて、俯いていた。
「こんばんわ、フィリス? はじめまして。挨拶したいんだけど、いいかしら?」
フィリスに声をかけたのは、彼女に会えたらと望んでいたリモだった。
「あっ! ご、ごめんなさい……私、急に出てきて……」
フィリスは依り代の中で外の会話を聞いており、それで居てもたってもいられずに現れたのだけれど、彼女はうっかりしていた。
ここには精霊が3人もいる。
「ふふっ、私はリモ。スターチスの精霊よ。彼、ファラムンドは夫なの。どうぞよろしくね」
リモはファルを指しながら、自己紹介をした。
「私も挨拶するわ。私はユズリハの精霊、ヘリックスよ」
ヘリックスはいつものように、優雅に微笑んでいた。
「それじゃ、ぼくも。ぼくはリーフ。どんぐりの精霊で、彼女、テラはぼくの恋人なの。よろしくね」
リーフも張り切って自己紹介をした。
初めてテラを恋人として紹介する機会を得て、リーフは満足げに小さく拳を握ったけれど、幸いなのか、誰にも気付かれてはいなかった。
「よ……よろしく……」
やってしまったわ。
現れるつもりなんて無かったのに。
フィリスはこの状況で依り代に戻るわけにもいかず、アレクの陰に隠れるように彼の背後から半分だけ顔を出していた。
そんなフィリスに、リモがにこにこと微笑みながら、話しかけた。
「良かったわ、あなたに会えて。会いたかったのよ」
「私に?」
「ええ。フィリスはヒイラギの精霊でしょう? ヒイラギの力を持つあなたに、ちょっと聞きたいことがあるの」
思わぬチャンス到来で、リモは待ってましたとばかりに問いかけた。
「私に何を聞きたいの?」
「例えばだけれど、ヒイラギを入口に植えて、その先へ行ける人、行けない人、それを分けることは可能かしら?」
「歓迎したい人だけを通して、それ以外の人は認識させないようには……」
「認識させないというのは、どういう?」
「その向こうへ意識を向けさせないというか……通り過ぎる、引き返す、そんな感じに……」
フィリスの説明に、リモはにっこりと微笑んだ。
「フィリス、あなたに是非、協力してもらいたくて」
「リモ、ちょっと待って。協力って、何の話?」
協力、と聞いて、リーフが口を挟んだ。
この協力というのは、間違いなく今後の事だと思ったからだ。
「エルナス森林地帯の入口、私たちが入る所にヒイラギを植えたらどうかと思っていたのよ」
「入口に、ヒイラギ?」
リーフは首を傾げた。
「フィリスの話の通りなら、普通の人には分からない、特別な入口が作れるわよね」
リモの説明に、しばしの沈黙が流れた。
ヒイラギの力を借りれば、リモの言う『特別な入口』は実現する。
リーフも、確かにいい案だと思った。
「エルナス森林地帯の入口? あなたたち、エルナス森林地帯に入るの?」
フィリスは不思議に思い、リモをじっと見つめて、問いかけた。
「ええ。私たちが向かっているのは、エルナス森林地帯なの。ね、リーフ?」
「そう、だけど……」
リーフは言及することに迷いを感じていた。
「リモの気持ちは分かるけど、ちょっと唐突すぎない?」
ヘリックスはリモの発言が不意すぎることに疑問を抱いた。
なぜエルナス森林地帯なのかも、目的も、何も言っていない。
唐突に入口にヒイラギを植えたいと持ち掛け、入口まで付いて来てほしいと誘ったところで、来てくれる可能性は低いと思ったからだ。
「だけど、のんびりしていたらイーストゲートに着いて、すぐにサヨナラよ?」
アレクの駅馬車の契約はイーストゲートまでで、以降はサヨナラではある。
10日間の旅も、今日で5日目が終わる。
「うん……わかった。フィリス、この後、ぼくと二人で話せない?」
少しばかり強引なリモのやり方だったけれど、日にちが無いと急ぐ気持ちも分かる。
リモの提案には賛成もする。
ただし、話はアレクが居ない場所でするべきとリーフは考えた。
「リーフがそう言うなら……いいけど」
「ありがとう、フィリス。リモ、ぼくに任せてもらえる?」
「わかった。リーフに任せるわ。お願いね、リーフ」
リモは期待した眼差しで、リーフを見つめた。
アレクは、『リーフがそう言うなら』と、会ったばかりのリーフと二人きりで話すことを承諾したフィリスに驚いていた。
普段はどんな時でも用心深いのに、精霊にはそうでもないらしいことが分かり、何となく安心もした。
そしてテラとファルも、精霊たちのやり取りをただじっと見て、聞いていた。
リモが珍しく率先して強引な様子で話していたのも驚いたし、何より初めて会ったヒイラギの精霊に協力を仰いだのは予想外だった。
精霊たちには精霊たちの繋がりがあり、精霊独自の結びつきがあるのだと今更ながら気付いた、テラとファルとアレクだった。
◇ ◇ ◇
夕食が終わり、片付けをして、リーフが作ったそれぞれの即席の部屋、もとい、寝所に入った。
周囲はすでに暗くなり、森は闇に包まれていた。
その中で、寝所を照らすランタンの明かりだけがゆらゆらと揺れていた。
リーフとテラの寝所では、リーフがテラに相談を持ち掛けていた。
雨の音が遠くに響く中で、リーフは静かな声で話し始めた。
「ぼくはこのあとフィリスと今後の話をするけど、フィリスには協力をしてもらいたい。だから、旅の目的、計画を話すよ。ただ、フィリスはアレクと共にいるから、アレクにも話が伝わるかもしれない。そのことをテラに了承してもらいたくて……」
テラはリーフの目をまっすぐに見つめ、一瞬の迷いの後、ゆっくりと頷いた。
「リモが言っていた協力って、特別な入口の話よね。この間、リーフが話してくれた……南側にあるエルナス森林地帯の入口に、ということね?」
「ぼくもリモから聞いていなかったけど、リモの考えは分かるよ。リモは、その特別な入口で、守り人と精霊しか入れないような仕掛けをしたい。正しい入口を準備して、迷子にならないようにしたいんだと思う」
「そうね……仮に、人がどこからか森に入ってしまっても、方位磁石は効かないから進むのは難しいわ。それは守り人も同じよね。正しい入口から入れば、守り人は進める。普通の人はその入口が認識できない……」
テラは顎に手を当てて、考え込むように話した。
「もちろん、森の中で迷わずに進むためには目印が必要だけど、リモの提案は良いと思うし、ぼくも、フィリスに協力してもらえたらと思ってる」
「うん、すごくいいと思うわ! それなら、フィリスにはイーストゲートまでじゃなくて、入口まで一緒に来てもらわないとだよね?」
「フィリスに来てもらうには、アレクも一緒にってなるはずだけど……駅馬車はイーストゲートまでだし、その先もずっと一緒に来てもらうなら、やっぱり御者として来てもらうのがいいのかなって」
リーフの話を聞き、テラは何が必要なのか、すぐに理解した。
「わかったわ! イーストゲートから先も馬車で移動すればいいのよ。馬車は借りたりできるのかしら。もちろん、アレクに御者として来てもらって、お金も払うわ。そしたら、フィリスにも来てもらえるでしょう?」
「それが一番いいのかなって思ったんだけど……」
「大丈夫よ。フィリスの協力は必要だものね」
テラの空色の瞳には、強い決意が込められていた。
そして、彼女はさらに言葉を重ねた。
「それに、お金も大丈夫よ! イーストゲートについたら、公伝館に寄ってお金を引き出してくるわ。5カ月分のお給料と特別報酬があるもの!」
テラは自信満々に胸を張って応えた。
「ごめんね……テラが頑張ったお金なのに」
「全然いいのよ。エルナス森林地帯に村を作るんだもの。私だって出来る限りの協力をしなくちゃ。私たちの村だもの!」
テラの揺るぎない眼差しに、リーフは感謝と愛情を込めて微笑んだ。
「ありがとう、テラ。それじゃ、フィリスと話してくるから」
「ええ、行ってらっしゃい」
リーフが寝所を出ようとしたところで、テラがリーフの手を取った。
「待って」
リーフが振り返ると、テラがちゅっとキスをした。
それは、久しぶりの『行ってらっしゃいのキス』だった。




