135 大雨での野宿
イーストロード駅馬車の旅は順調に進み、5日目を迎えていた。
今日は朝からどんよりとした曇り空で、今にも雨が降り出しそうだけれどなかなか降らない、蒸し暑い日だった。
昼食後の休憩をとり、午後6時頃に駅馬の宿場町に到着する予定で、アレクは今日の宿へと馬車を走らせていた。
山間部を走っていると、緩い曲道が続く道の先に、不自然に止まっている馬車が見えた。
御者と思わしき男性が馬車の外で何やらウロウロと動いている。
「なんだろう? 故障? こんなところで……」
アレクは馬車の速度を落とし、その横を慎重に通り過ぎた。
一瞬、止まる選択が頭をよぎったけれど、客を乗せての運行中に勝手なことは出来ない。
到着時間の予定もある。
悪いな、と思いながらの通過だった。
「アレク、ちょっと止まってくれるか?」
すぐに声をかけたのはファルだった。
御者台の背中側、車体の前面に連絡用の小窓があり、アレクに直接話しかけることか出来る。
馬車の窓から外の様子を見ていたファルが、不自然に止まっている馬車に気付き、アレクに馬車を止めるよう頼んだのだ。
アレクは馬車を止め、ファルに声をかけた。
「ファルさん、どうされましたか?」
「あの馬車、こんな山道で故障してるようだし、ちょっと見てくる」
「ええっ、ちょっと!」
馬車をサッと降りて、ファルは立ち往生している馬車へと駆け寄って行った。
「アレク、ごめんなさい。ファルはこういう時、放っておけないから」
テラがファルの代わりに謝罪した。
「いえ、大丈夫です。こんな山道ですから、あの馬車の御者も大変でしょう」
アレクは、本当は自分も『止まりたい』と思っていたことは隠しつつ、ファルの行動にこっそりと感謝していた。
「おーい、どうした!?」
「ああっ! 止まってくれてありがとうございます! 故障してしまって困っていたんです!」
返事をしたのはこの馬車の御者で、中年くらいの男性だった。
「これは……車軸が折れてるのか」
「はい。そのようで、どうしようかと……荷を運んだあとに客を乗せることになっているのに……」
立ち往生していた馬車は、故障で動けなくなっていたようだった。
そこに、アレクが駆け寄ってきた。
「故障ですか?」
「ああ、車軸だな」
「車軸……ちょっと待っていてください。確認しますので」
アレクは馬車の下に潜り込み、故障箇所を確認していた。
5分ほど待っているとアレクが馬車の下から出てきて、御者の中年男性に話しかけた。
「車軸は交換がいいと思います。見たところ、駅馬車でよく使われている部品ですし、幸い、車輪部分の金具も僕の馬車と同じようです。僕の予備の車軸が使えそうです」
「なんと! ありがとうございます! 助かります! 荷はすぐに降ろしますので!」
車軸の交換となると、馬車をジャッキで持ち上げる必要がある。
中年男性は馬車の荷を一旦下すことにした。
「アレクは車軸の予備なんて乗せてるのか! 準備がいいんだな。気付かなかったよ」
ファルは感心したように、アレクに声をかけ、彼の肩にポンっと手を置いた。
「今回は10日間の旅程で貸切ですので、積んでいました。万が一に備えてです」
アレクは当然です、と言わんばかりににっこりと微笑んだ。
「ファルさん、ちょっと待っててください。馬車を移動させますので」
アレクは一旦自分の馬車に戻ると、故障した馬車のそばに着けた。
馬車に乗っているテラたち4人……テラとリーフ、ヘリックスとリモは馬車の中から様子を見学していた。
「外に出ても邪魔になるだろうし、ここで見てていいよね?」
「いいんじゃないかな。この場で出来ることも無いし」
「ふふっ。確かにね。こんな力仕事は出来ないわ」
「ごめんね。ファラムンドったらすぐ勝手に動いちゃって」
中年の男性は普通の人、守り人ではないため、精霊は見えない。
馬車に乗っているのはテラだけにしか見えないので、女の子が馬車に残っているという状況は、特に不思議でも何でもなかった。
アレクは、車体の屋根の上に固定していた予備の車軸を地面に下ろした。
「僕も御者ですから、ある程度は修理も出来ますが、車軸の交換は一人では厳しいです。ファルさんと、あなたも手伝えるなら……」
「ああ、俺は手伝えるぞ! 何をすればいい?」
「も、もちろん私も手伝います! 私の馬車ですから!」
腕まくりをした二人は、やる気満々、なのはもちろん当然の流れだった。
「それじゃ、こちらの壊れた車軸を外しましょう。車体を持ち上げておかないといけませんが、ジャッキは2個ありますので」
「ジャッキも2個あるのか! アレクはさすがだな! それじゃ、一つは俺が回すよ」
「では、もう一つは私がやります! えっと、アレクさん? はご指示ください」
ねじ式ジャッキのハンドルを回し、少しずつ、車体が持ち上げられていった。
車輪と折れた車軸を外し、車体との接続部を確認する。
接続部の金具は壊れておらず、そのまま使えそうだった。
「これなら問題なく接続出来そうですね」
折れた車軸から金具を外し、予備の車軸に付け替えられた。
予備の車軸は車体にぴったりと適合し、車体、車輪に順調にテキパキと接続された。
しかし、ようやく修理が完了した頃には、時刻はすでに3時間ほどが経過していた。
「ありがとうございました、本当に助かりました! アレクさん、王立駅務院を通して、お礼は必ず!」
先を急いでいた中年の御者は、何度も礼を言って、走り出した。
アレクとファルは馬車が無事に走っていく光景を見送ると、ファルは馬車に乗り込み、アレクは御者台に腰かけた。
「皆、済まない。ずいぶん待たせてしまって」
「ふふっ。いいよ、ファル。そのまま知らぬふりで行っても、ファルは気になって仕方ないでしょ?」
テラはそんなファルの性格を分かって、笑っていた。
どんよりとした空から、雨がポツリポツリと降り始めていた。
「雨が降り始めました。我々も急ぎましょう」
ファルとテラ、リーフたちを乗せて走り出した馬車は、予定時刻を3時間もオーバーしていたけれど、行く手を阻むかのように雨は次第に雨脚を強め、馬車は速度を緩めるしかなかった。
「ずいぶん降ってきたな。アレクは大丈夫なのか?」
「アレクは御者台でずぶ濡れよね? 雨も酷いし、暗くなってきたわ。これ以上は危なくない? ねぇ、リーフ?」
「そうだね。真っ暗闇になる前に、野宿する場所を決めたほうがいいね」
そうと決まると、御者台に座るアレクにファルが声をかけた。
車体前面の連絡用の小窓は非常に便利だ。
「アレク! ちょっといいか? 暗くなってきたし雨も酷い。ちょっと止めてくれ!」
「ファルさん、どうしましたか?」
アレクは降りしきる雨の中、馬車を止めた。
「皆で話したんだ。今日はこれ以上は危ないから、野宿しようってな」
「野宿ですか!? 遠くの空が少し明るいので、もう少し走ればと思っていたのですが……」
西の遠くの空が、少しオレンジ色に見えていた。
しかし、宿まであと3時間は走らなければならない。
到着予定は午後9時を回る見込みだった。
「いや、アレクはそのままだと風邪を引くぞ? それに、暗くなってしまう前に決めたほうがいい」
「確かに、そうですね……決断は、早いほうがいいです。しかし、客人に野宿をさせてしまうとは……」
ユリアンに破格の代金をもらっているのに野宿だなんて、とアレクは責任を感じていた。
「遅くなったのは俺のせいだ。アレクが気にすることじゃない」
ファルの言葉にアレクは気持ちをスッパリと切り替えた。
野宿は避けたいけれど、客人の安全が一番であり、判断は早いほうがいいのだ。
「……わかりました。では、野宿の場所を決めましょう。どこか、良い場所があればいいのですが」
すると、リーフが横から声をかけた。
「それだけど、すぐそこの脇道に入れる? 分かりにくいけど、木々の間を縫うように脇道があるから」
「承知しました。では、その脇道に入ります。そのあとはどうしますか?」
「50メートルくらい進んだら止めて。その付近に、ぼくがテントを作るから」
「テントを作る!? わ、わかりました。では、出発します」
アレクはリーフに言われた通りに馬車を脇道に進めた。
木々が生い茂り、ギリギリ、車体に当たるか当たらないかくらいの狭さだ。
「リーフさん、この辺りでよいですか?」
「うん、ありがとう! それじゃ、そのままちょっと待ってね」
リーフの瞳が眩いばかりに煌めくと、周囲の蔦や蔓がぐんぐん伸びて絡まり、頭上の木々の隙間を幾重にも重なり、埋めて、屋根のようになった。
つい今まで馬車を叩いていた雨の音が消え、雨音が遠ざかったように感じられた。
すると、リーフが馬車を降りて、頭上を見上げた。
「とりあえず屋根を作ったから、これで雨はしのげたよね」
地面から3メートルほどの位置に作られた切妻の屋根は、広さも十分にあり、テントというより平屋のようだった。
木の幹がまるで家の柱のように、いくつも立っている感じだ。
「木の幹の間に壁を作って、お部屋みたいにするよ」
その言葉通り、木の幹は家の柱のように蔦や蔓で作られた壁で繋がり、三つの寝所が出来上がった。
「わーお! リーフ、すげえな! これはテントじゃなくて、家だな!」
一つ一つの寝所そのものはそれほど広くはないけれど、畳でいえば3畳くらいの広さがあった。
野宿でテントと思えば、十分な広さだ。
「蔓で床も作ってくれたのね! これなら濡れた地面も関係ないわね」
ファルとテラは馬車から降りて、久しぶりのリーフの緑のテント、改め、リーフの『緑の山小屋』に大感激の様子だった。
リモとヘリックスも馬車から降り、リーフが作った緑の山小屋を眺めていた。
「リーフったら、こんなことに力を使いたい放題ね」
「ふふっ。でも、おかげでゆっくり休めるわ」
アレクも御者台から降りて2頭の馬を馬車から離すと、作られた屋根の下に繋いだ。
馬も屋根の下に入り、雨をしのげるのは有難い。
「ねぇ、テラ? 火を起こすよね? 早いほうがいいかも」
「そうね! リーフ、道具を出してもらえるかな? 火を起こすのもすごく久しぶりよね」
テラは火を起こす道具を依り代から出してもらい、さっそく焚火の準備を始めた。
「アレクは着替えたほうがいいんじゃないか? 濡れた服は焚火の近くで乾かそう」
「すごいですね……こんなことが出来るなんて」
アレクはしばし、呆然としていた。
こんな力がある精霊もいるのか、と驚きつつも感動を覚えていた。
「ははは。リーフはすごいんだ。アレク、好きな寝所を使ってくれ」
「では、お言葉に甘えて……こちらの寝所を使わせてもらいます」
アレクは端の寝所を選び、荷物を置いた。
草の匂いに包まれた、まさに自然の中の寝室だ。
「焚火、できたわ! 久しぶりだったけど、うまくいって良かったわ!」
「おお、ありがとう、テラ。何か作るのか?」
焚火には大きめの鍋がかけられ、鍋には水が入っていた。
ファルは、テラが何か作るのかと思い、聞いてみた。
「特に考えてはいなかったけど……スープなら作れるかなぁ。前に作った料理の材料の残りがあったわね」
「うん。依り代の中にあるからね。出そうか?」
「そうね。じゃ、お願い、リーフ」
料理というのはユリアンの誕生会の時に作った野菜スープで、余った材料を依り代に保管していた。
「野菜スープを作るから、あとは……果物とかパンとか。食べられるものを出しておいてもらってもいいかな?」
「わかった。すぐに出すよ」
リーフはご機嫌な様子で依り代から食料を出して並べた。
三人で食べる量としては十分な量だった。
そこへ、着替えを済ませたアレクが焚火のそばにやって来た。
手には濡れた服を持っている。
「リーフ、服を干せるような感じのものを、何か作れないか?」
「いいよ。蔓を伸ばして、物干しにすればいいね」
しゅるしゅるっと蔓を伸ばし、あっという間に物干しが出来た。
「すみません。色々とお世話になってしまって……」
アレクは焚火の傍に腰を下ろすと、ふぅ、と息をついた。
全身の力が抜け、ようやく一息つくことができた。
ここは山の中で、当然野外なのだけど、リーフが作った屋根のおかげで雨は全く感じられない。
しかし、屋根の外側は、夏の雨がザーザーと降り続いていた。




