132 王城生活34 別れ
「ん……? あれ? まさか、朝!?」
昨夜、慣れない酒に酔っていたテラは、部屋に戻るとすぐに寝てしまっていた。
窓の外はすでに明るく、朝であることは間違いなかった。
「わーー!!」
思わず声をあげて飛び起きると、隣で寝ていたリーフも起こされてしまった。
「テラ? どうしたの? まだ早い……」
「ごめんね! 昨日寝てしまって、おまじないのキスしてない!……しかも、血も飲んでないよね!? ほんとにごめんなさいっ!」
再契約をして、再び毎日の血の摂取が日課になるはずが、僅か3日目にして、酔っていたとはいえ失念して寝てしまい、テラは申し訳なさでいっぱいだった。
「気にしないで。精霊王になって、力は十分あるから」
以前の契約中に毎日血を摂取していたのは、どんぐり精霊としての力を高めるためだった。
しかし、精霊王に覚醒してからのリーフは、桁違いの精霊王の力が溢れている。
「ううん。私が嫌なの。ちゃんとしたいの。もう、お酒は飲まないっ!」
テラの禁酒宣言にリーフはクスッと笑って、彼女をぎゅっと抱きしめた。
血の摂取の意味が薄れてしまったこと、
テラに説明しなくちゃ。
でも、テラはそれでも毎日、くれるんだろうね。
「ありがとう、テラ。もうちょっと寝てていいよ?」
「ごめんね……リーフ……」
テラは申し訳ないと思いつつも、リーフの胸に顔を埋め、穏やかな幸せに浸っていた。
7月27日。
今日はいよいよ、王都を発つ日。
5カ月間の王城生活と、すっかり馴染んだこの部屋に別れを告げて、目的地であるエルナス森林地帯へと向かう。
少し早めにベッドから出たテラは、支度を済ませ、ベッドもきちんと整え、最後に部屋をきれいに片付けた。
「テラ、忘れ物はない?」
「ええ。大丈夫よ。忘れ物は無いわ」
部屋の中央にある、木彫りの葉模様が美しいテーブル上には、ユリアンに宛てた手紙と、サネカズラの小ぶりな鉢植えを置いた。
サネカズラは可憐な黄白色の小さな花を咲かせ、『また逢える』と再会を願うテラの心を映しているかのようだった。
部屋を出て、そっと扉を閉めると、二人は振り返ることなく、歩み出した。
◇ ◇ ◇
玄関ロビーでは、すでにファルとリモ、ヘリックスがリーフたちを待っていた。
「おう、来た来た! おはよう、テラ!」
「おはよう、ファル! ごめんね、待たせたかな」
「いや、俺たちもさっき降りてきたばかりだ」
「ユリアンとカリスはいないの?」
「二人は外にいるよ」
ファルが玄関のほうに目を移した。
「外?」
テラもファルの目線を追うように、玄関に目を向けた。
「ああ、見送りの人たちがたくさんいるんだ。ソランと騎士団長も来てたぞ」
「伯父さんも来てくれたのね。伯父さんにもお別れの挨拶しなきゃ」
「それじゃ、行くか」
「……うん。行こう」
セオドア宮の重厚な扉を開けると、ズラリと並ぶ見送りの人々が目に飛び込んだ。
ユリアンが用意した馬車に続く僅かな道のりは、見送りの人たちで埋め尽くされていた。
セオドア宮専属の給仕や侍女、使用人、騎士たちをはじめ、装飾工房と薬草研究棟の人たち。
そして、ソラン、騎士団長である伯父、伯父の横には娘のシェリーもいた。
テラとファルは、それぞれ世話になった人たちと握手をして、抱き合い、別れの挨拶を交わす。
リーフ、リモ、ヘリックスは、二人よりも先に馬車のほうへと進み、人と人の別れの挨拶を見守るように、笑みを浮かべて眺めていた。
テラは伯父の前で立ち止まると、抱き合いながら言葉を交わした。
「伯父さん、お世話になりました。どうかお元気で」
「テラもどうか元気で。リーフと幸せになるんだよ?」
「はい、ありがとうございます。伯父さんも」
「あのっ、テラさん。初めてお話しますよね。従姉妹のシェリーです」
「シェリーさんとは話をしてみたかったです。ありがとうございます。見送りに来てくださって」
「私、父にテラさんのことを聞いて、私も薬草の勉強をしたくて、侍女見習いは辞めて、薬草の勉強を始めました! テラさんみたいになりたくて!」
「そうだったんですね! シェリーさん、いないみたいだなって思っていたんです。勉強、頑張ってください! 応援してます!」
「ありがとうございます! テラさん、また王都に来てください! 待ってますから」
「はい、また来ますね!」
不老不死のことは伯父には言っていないし、ユリアンもそれについては伯父に話さないだろうと思った。
嘘が、ズウンと心にのしかかる気がした。
それぞれの別れの挨拶を終えたテラとファルは、ゆっくりと馬車へと歩を進めた。
その視線の先には、馬車のそばで微笑むユリアンとカリスの姿があった。
「ユリアン! カリス!」
「テラ、ファル、いよいよだね」
「ユリアン、今までありがとう。どんなにお礼を言っても足りないくらい、感謝してるの。本当にありがとう」
「それから、カリスも。こんな私と友達になってくれて、すごく嬉しかった。ありがとう、カリス 」
テラは、ユリアンとカリスそれぞれと抱擁を交わした。
「俺も、本当に感謝している。ここでのことは一生、忘れない。何年経っても、俺たちがユリアンのことをずっと覚えているからな」
「カリスも、本当にありがとう。指輪の恩は、生涯忘れないよ」
ファルも、二人それぞれと抱擁を交わした。
「僕は、これが別れだとは思ってないからね。約束した通りに、必ず、会いに行く。今は少しだけ離れるけど、必ず会いに行くから、待っていてほしい。そして、カリスも一緒に行くから」
「ええ、必ず、私もユリアンと一緒に会いに行くわ。だから、待ってて」
ユリアンとカリスの真剣な眼差しには、絶対的な決意が宿っているようだった。
「ありがとう、ユリアン、カリス。そうね。これは永遠の別れじゃない。きっとまた会えるわ」
「そうだな。必ず、遊びに来てくれ。二人が一緒に来るのを楽しみにしてるからな! 絶対だぞ?」
ファルはいつものように、ニカッと笑った。
テラとファルが馬車に乗り込むと、リーフ、リモ、ヘリックスも続けて馬車に乗り込んだ。
いよいよ、出発の時だ。
ちょうどその時、午前8時を告げる時計塔の鐘がゴーン、ゴーンと鳴り響いた。
5カ月前、ソランが抱いた子犬が飛び出したタイミングだった。
今は、ソランが抱きかかえるのは不可能なほど大きな子犬になったリーフ君は、ソランの横できちんとおすわりをして、見送りをしている。
「それでは、出発します」
御者が馬の手綱を引いて、合図をした。
「皆、元気で、体に気を付けてね! 必ず会いに行くから!」
駅馬車はセオドア宮の正面の庭園をぐるりと一周すると、西の正門へと向きを変えた。
馬車はそのまま西門をくぐり、王城をあとにした。
◇ ◇ ◇
ユリアンは、馬車の姿が見えなくなるまで、動かずに立っていた。
その肩には、カリスが顔を埋めていた。
泣いていたカリスを自室に送り届けると、ユリアンは一人、誰もいなくなった、リーフの部屋に足を運んだ。
部屋は綺麗に整えられ、まるで誰もいなかったかのように、5カ月間の生活の気配は、綺麗に拭い去られていた。
部屋の中央にある木彫りのテーブル上には、サネカズラの鉢植えが置かれていた。
その鉢の横に、一通の封筒があった。
濃い緑の蝋に可憐なニチニチソウで封印された封蝋は、オークの葉とどんぐりの印璽が押されていた。
ユリアンはその封筒を手に取ると、そっと封印を解いた。
それはテラからの手紙だった。
◇ ◇ ◇
親愛なるユリアンへ
ユリアン、5カ月間、どうもありがとう。
ユリアンにはとてもお世話になって、申し訳ないほどです。
最初は、イーストゲートでの出会いから始まりましたね。
あの時、ユリアンが話しかけてくれなければ、
私たちは見知らぬ他人のままでした。
私の誕生日を祝ってくれて、本当に嬉しかった。
王都に来てからは、ユリアンはこんなに素晴らしいお部屋を用意してくれて、とても過ごしやすくて、リーフもとても気に入って、リーフは毎日部屋でぐうたらするほどでした。
私は、不老不死になったことを
後悔したことはないけれど
故郷の人たちに
『また会える』『また来ます』
と嘘をついて、別れてきました。
二度と会うことはないのに、そんな嘘をつく。
それがとても苦しかった。
みんな良い人ばかりで、親切にしてくれる。
心配してくれる。
なのに、私は嘘をついてきました。
リーフ以外では、ファルとリモ、
そしてヘリックスしか知らない私の秘密を
初めて打ち明けたのが、ユリアン、あなたでした。
とても優しくて、とても良くしてくれる
私たちを仲間だと、友達だと思ってくれる
そんなユリアンに嘘をついたままでいることが
申し訳なくて、苦しかった。
不老不死だなんて言えば、どんな反応をするのかと不安もありました。
だけど、ユリアンは――
そんな私を気味悪がったりせずに
隠していたことを怒ったりもせずに
私の想いを理解してくれて、泣いてくれた。
私、本当に嬉しかったの。
嘘をつかなくてもいい。
分かってくれる人がいる。
それが嬉しくて、心から安心したの。
私を受け止めてくれて
私を嫌わないでくれて
本当に、心の底から、感謝しています。
きっと、ファルも同じ気持ちです。
どうかこれからも、私たちの仲間、
家族でいてくれたら、と、願ってやみません。
いつか再び、会える時が来たら
また一緒に料理をしましょう。
その時はぜひ、カリスも一緒に。
最後に。
カリスとの婚約、おめでとう!
二人の幸せを遠くからいつも祈っています。
テラより、親愛をこめて。
◇ ◇ ◇
ユリアンの視界は、瞬く間に熱い涙で歪んだ。
彼は声も出さずに、ただ泣いた。
その涙は、別れの悲しみだけでなく、仲間、家族への、熱く深い感謝の涙だった。
涙が止まると、ユリアンはゆっくりと立ち上がった。
手紙を大切に胸に抱き、テーブルの上の小さなサネカズラの鉢植えに目を移した。
『また逢える』
ユリアンは、固く誓った。
この絆を絶対に手放さない。
テラとファル、そしてリーフたちがいる場所へ、必ず、必ず、カリスと共に会いに行く、と。
いつも『刻まれた花言葉と精霊のチカラ 〜どんぐり精霊と守り人少女の永遠のものがたり〜』を読んでいただき、ありがとうございます!
これで王都生活編は終わりになります。
次回『133 御者と精霊』更新をお楽しみに!




