130 王城生活32 最後の食卓
この日、ファルとテラは、それぞれ世話になった装飾工房と薬草研究棟に別れの挨拶に行っていた。
約5カ月という短い期間だったけれど、充実した毎日を過ごすことが出来た。
二人にとって永遠に忘れることのない、かけがえのないの日々になったのは確かだった。
「また王城に遊びに来なよ」
「ああ、遊びに来るよ」
「いつでも戻ってきて」
「ええ、また戻ってくるわ」
嘘をつくことが、こんなにも辛い。
涙ながらの別れは、時間の流れの外にいる二人の孤独を、いっそう際立たせていた。
◇ ◇ ◇
ユリアンの小宮殿セオドア宮の食堂では、ユリアンをはじめ、カリス、リーフとテラ、ファルとリモ、ヘリックスが一堂に会していた。
食堂はいつもよりも華やかに飾られ、この賑わいが明日には失われるという静かな寂寥感が、張りつめた空気の底に漂っていた。
「王城での最後の夕食だからね。たくさん食べてね! もちろん、リーフたちには美味しい水を用意してあるよ!」
「おおー! すげーな! 何の祝いだってくらい豪華じゃないか!」
「ははは。まあ、とりあえず座ってよ」
丸い食卓に7つの椅子、食卓の上には溢れんばかりの料理が所せましと並べられていた。
皆で食事をしながら、ワイワイとおしゃべりが出来るよう、ユリアンが選んだのは円卓だった。
「皆、座ったね。それじゃ始めようか!」
ユリアンの掛け声と共に、それまで食堂にいた給仕たちが、いそいそと場を外した。
「あれ? ユリアン、給仕さんたちがいなくなっちゃったけど」
「うん。今日は僕たちだけ。完全にね。だから、テラたちはどんな話でも遠慮なくどうぞ」
「ふふっ。そっか。ありがとう、ユリアン」
テラはにこやかに微笑んで、ユリアンの心遣いに感謝した。
「よし、それじゃ、乾杯からいくとするか? えっと、誰か……」
「あら、ファルでいいわよ。むしろファルがいいんじゃない? 王城に留まることになったきっかけだし」
ヘリックスが当然のようにファルを指名した。
「よ、よし。俺か。まあそうだよな。あー、えっと。……俺たちは明日王都を発つ。俺のせいで、ここに5カ月も留まることになったが、ユリアンのおかげで色んな経験が出来た。本当に感謝している。そして、ユリアンとカリス、婚約おめでとう! これからの皆の幸せを願って、乾杯!!」
「かんぱーい!」
「乾杯!」
テラはリーフとカップを合わせながら、王城での賑やかな時間が終わるのだと実感し、一瞬だけ胸が締め付けられた。
「料理はたくさんあるからね。好きなだけ食べてね」
料理は丸い食卓に乗せてある分だけではなく、食堂の脇にもずらりと並んでいた。
肉料理に魚料理、野菜スープや色とりどりの果物、パイやタルトまである。
ファルの好きなぶどう酒やりんご酒、テラの好きな果実水もたっぷりと用意してあった。
「そういえば、カリス。ちょっと気になったんだが、そのペンダント、もしかして第二弾のペンダントだよな?」
皆が食事やぶどう酒に手を伸ばし、円卓を囲んで和やかな時間が流れる中、ファルは、カリスの首元にキラリと光っていた、細いチェーンのペンダントに目を向けていた。
どう見ても、発売前の第二弾のペンダントだったからだ。
「え? これ? これは、ユリアンに貰ったの。すごく素敵でしょう? とても気に入ってるの! でも、第二弾って? たぶんこれは、ファル・ハート・シリーズという…………あっ! もしかして!? やっぱり、ファル!?」
カリスは、『ファル・ハート・シリーズ』という商品名を侍女のマリに聞いた時、まさかとは思っていた。
「いや、あーーーー。まあ、そうだな。俺だよ。それを考案したのは。図案を描いてな。その第二弾はまだ発売されていないんだ。それは試作品で、王妃様に献上したんだ」
「妃殿下に献上!? え、ユリアン!? これ、妃殿下の物なの!?」
「そのペンダント、母上に頂いたんだ。それをカリスに贈ったんだよ。あのドレスにも合うし、普段使いの装飾品としてもいいかなと思って」
「そうだったのね。そんな貴重な物を……なんだか着けてるのが悪い気がしてきたわ……」
カリスはペンダントトップをそっと指で撫でると、困惑した表情を浮かべた。
「ああ、カリス。そのペンダントは毎日でも身に着けられる、邪魔にならない装飾品として作ったんだ。それに、もうすぐ広く発売される予定だから、そこまで貴重な品ではないよ。ははは」
ファルはカリスの困惑を取り払うように、軽くペンダントの説明をして、いつもの調子でニカッと笑った。
ファルは貴重な品ではないと言ったけれど、王妃に献上する前提で制作された試作品は、ハート型の先端部分に嵌め込まれたルビーが、最上級の証である奥深く濃密な赤紫色を湛えていた。
「そ、そっか。それにしても、ファルってすごいのね! こんな可愛らしいペンダントを作っちゃうなんて!」
カリスはふとリモに目を移すと、彼女の首元にもキラリと光る細いチェーンに、可愛らしいオープンハートとダイアモンドが見て取れた。
「あっ、リモの首にもあるわよね! これが、第一弾なのかしら!? もう大人気だって聞いたのよ」
「そうなんだよ、カリス。ファル・ハート・シリーズは凄い人気でね! 生産が追い付かないくらいなんだ。第二弾も予約殺到なんだよ。ファルがいなくなってしまうなんて、ほんとに、もったいないっていうか……」
ユリアンはファルとペンダントを交互に見つめ、残念そうに話した。
カリスはそんなユリアンを横目に、すぐさまファルに提案を持ち掛けた。
「ファルは旅先で考案できないの? 図案を手紙で届けるなんてのはどうかしら。ペンダントは図案だけあっても作れないものなの? 細かい指示も書いておいたら作れそうじゃない?」
ハボタンを誕生花にしているせいなのかは分からないけれど、即座にそんな提案が出来てしまうところが、やっぱりカリスらしい。
「そうだね! ファルさえよければ、第三弾、第四弾の図案を届けてもらえたら! もちろん、報酬は払うよ。大きな町には公伝館があるから、そこで報酬を受け取れるよね!」
公伝館は、現代でいうところの郵便局のようなもので、遠隔地からでもお金の出し入れが出来、特に大金を扱う商人やギルドなどではよく使われる仕組みであり、手紙や荷物の配送なども手掛ける、公的な事業だった。
ただし、王都から遠い地域や人口の少ない地域には、まだ行き届いていないのが欠点ではある。
「ええっと……まあ、そうだな。考えておくよ」
ファルは照れくさそうに、頭をポリポリと掻いていた。
「大人気っていえば、あれよ、テラが抽出に成功した凝固剤! あれで透明なゼリーが今や王都名物になってるのよ。ほんとにすごいんだから!」
目を輝かせてゼリーの話をするカリスは、お菓子好きを自負していた。
「ゼリーはほんとに美味しいよね。色んな果物をいれたりして、華やかになって。あの凝固剤がすごいのは、透明ってところなんだよね。テラはどうやって作ったの?」
それまでの凝固剤と言えば、白っぽく濁るのが普通だった。
透明になる凝固剤のおかげで、色鮮やかな果物を使ったゼリーが作られ、しかも安価というのもあり、瞬く間に大人気となった。
「うーん、たまたまなのよね。最初から凝固剤を作ろうって思ってたわけじゃないの。ほんとにたまたま、誰だったか、海藻をたくさん持って来たのよ。それで、せっかくだから何かしようって話になって。海藻の不純物を取り除くには、石灰と灰汁。これはだいたいそうだと思うのよね。何かの本で見たような……? あとは綺麗に洗って、煮たりして、濾過して、冷やして乾燥させたりね」
テラは指折りしながら、工程を簡潔に話した。
実際の工程は温度を調節したり、時間を測ったり、何度も濾過したりと、手間がかかるのだけれど。
「ははっ。やっぱりテラは凄いよ。しかもそのレシピを薬草工房に渡したんだから。おかげで、凝固剤を量産できるようになったんだ」
ユリアンは満足げににっこりと微笑んで、さらに続けた。
「そうだ! まだ言っていなかったよね。凝固剤を作ってくれたテラに、父上から特別報酬を預かっているんだ」
「わぁ! 特別報酬!? そんなもの頂いていいの?」
テラは目を丸くして、嬉しそうに声を弾ませた。
「もちろんだよ。公伝館経由がよれけばそっちに回すし、手渡しでもいいけど、どちらでも」
「そうね。それじゃ毎月のお給料と同じように、公伝館でお願いしてもいい?」
「わかった。公伝館に預けておくから、時間がある時にでも確認しておいて」
「ええ、わかったわ。ちゃんと確認しておくわね!」
テラはこの5カ月間、薬草研究棟で働いて得た給料はすべて公伝館に預けてもらい、一切、手をつけていなかった。
王城生活で外に出る機会もなく、お金を使うことが無かったのもあるけれど、勉強させてもらっているのに給料までいただけるなんて、という感覚だった。
今回、特別報酬がもらえるということで『確認しておく』と返事をしたものの、実際にいくら預けられているのか確認し、その額に目が飛び出るのは、王都を離れ、他の町に着いてからになる。
「ところでだけど、ちょっといいかしら。私、思い出したことがあって」
そう話し始めたのはヘリックスだった。
皆の顔を眺めながら、最後にファルの顔を少しだけ長く、じっと見つめた。
「どうしたの? ヘリックス?」
テラが首を傾げて尋ねた。
「あ……もしかして?」
リモはヘリックスを見て、それからファルに目をやった。
「な、なんだ? 俺が何かあるのか?」
「あるわよ。言っても構わないわよね? 8月7日、ファルの誕生日」
「げっ!!」
せっかく、聞かれないなら黙っていよう、と思っていてたのに、ヘリックスが言ってしまったせいで、誕生日がバレてしまった。
「ええっ!」
「ほんとに!?」
「ちょっと、どうして言ってくれなかったの!? 8月7日って、もうすぐじゃないか! それに、明日はもう発ってしまうのに!!」
ファルの誕生日がもうすぐだと分かり、ユリアンは珍しく、声を荒げたようになってしまった。
「いや、ユリアン。俺の誕生日なんて、もういいだろ? 何回目だと思って……ああ、いや……。と、とにかく、俺の誕生日よりも、ユリアンとカリスの婚約を祝ったほうがいいに決まってる!」
ファルはうっかり口を滑らしそうになって、言い訳のように婚約祝いの話にすり替えた。
「それは違うと思うよ? だって、ファルが私に言ってくれたのよ? 誕生日は、生まれてきたこと、生んでくれたことに感謝する日だって。だから、何歳になっても、祝っていいんだって。私、ファルの誕生日を祝いたいよ。生まれてきてくれて、今を生きて、私たちと一緒にいてくれることに、感謝したい」
テラは真剣な眼差しで、ファルを見据えていた。
「テラ……確かに、そう言ったが……お、俺は……」
「ちょ、ちょっと待って!」
ユリアンは、カリスが訝しむような、何か疑念に思うような目で、テラとファルのほうをじっと注視しているのに気付き、声をあげた。
この場にいるカリス以外は皆知っている秘密に、彼女が勘付くのでは、と焦った。
ふぅ、と静かに息をつき、ユリアンは言い含めるように言葉を続けた。
「僕も、ファルの誕生日はお祝いしたいよ。せっかく友達になったんだから、ね? もう一度、乾杯しない?」
「そうね。それがいいわ!」
「皆もいい?」
「いいわよ」
「うん、いいよ」
「ファル、ちょっと早いけど、誕生日おめでとう! 乾杯!」
「誕生日おめでとう!」
「おめでとう、ファル!」
「……なんだか済まないな。皆、ありがとう」
ファルが礼を言って、ユリアンは丸く収まった、と思い、ホッとした。
しかし、その矢先に、カリスがファルに尋ねた。
「ファルは何歳になるの?」
一瞬、皆の動きが止まった。
「23歳だ。俺もまだまだ若いな! ははは!」
ファルは即答した。
22歳だったのだから、間違いではない。
年は取らないけれど。
「何回目だと思って、なんて言うから、いったい何歳なのかと思っちゃったわ」
そう言ったカリスの目は、笑っているようで、笑っていないような気がした。
「ねぇ、カリスも少し、ぶどう酒飲んでみる? 美味しいよ?」
どう話しかけようかと迷ったユリアンは、思わずカリスにお酒を勧めてしまった。
「そうね。せっかくだし、今日は飲んじゃおうかしら」
この国では飲酒は16歳からで、17歳のカリスが飲むのは全く問題ないのだけれど、彼女自身はアルコールに興味がなく、これまで口にしたことが無かった。
けれど、今日はなんとなくお酒を飲んでみたい気分になった。
それはもしかしたら、『自分だけ置いてきぼり』と思った感情が、再びむくむくと首をもたげてきたせいかもしれない。
「私も飲んじゃおうかな!」
「テラは15……あ、16歳か! じゃあ、飲めるな! りんご酒もお勧めだぞ」
守り人4人、テラもファルも、ユリアンもカリスも、全員がお酒を飲み始めた。
ワイワイとおしゃべりをする雰囲気も、アルコールが入ったせいか少しばかり騒がしいのだけれど、笑いに溢れ、楽しいひと時が過ぎていった。
その中で一番盛り上がっていたのは、それぞれの恋バナだったのは言うまでもなかった。
「これは……今日は遅くなりそうね」
「ぼく、眠くなってきたかも……」
「リーフはテラをベッドに運ばないとだから、寝ちゃだめよ?」
水しか飲まない精霊、ヘリックス、リーフ、リモの3人は、そんな守り人たちの最後の食卓を、ただ温かく見守っていた。
いつも『刻まれた花言葉と精霊のチカラ 〜どんぐり精霊と守り人少女の永遠のものがたり〜』を読んでいただき、ありがとうございます!
次回『131 王城生活33 最後の夜』更新をお楽しみに!




