128 王城生活30 生誕祝典舞踏会1
ユリアン・セオドア・エルディン第3王子、7月25日生まれ。
誕生花はサンタンカ。
『熱き思い』『喜び』『張り切る』『情熱』『可憐』『謹厳』などの花言葉が示す守り人であり、将来の国王だ。
そして、今日はユリアンの17歳の誕生日。
彼の専属の侍女たちは、舞踏会の支度のため、朝早くからバタバタと忙しなく動いていた。
ユリアンの今日の出で立ちは、当然ながらの正装だ。
淡い紫のラインが入ったかっちりとした純白の正装に身を包み、背筋を伸ばし、真っ直ぐに前を見据える姿は、どの角度から見ても彼が王族であることを知らしめるものだった。
華やかな舞踏会の会場には、誕生日を祝う多くの貴族や各界の著名人、知識人などが揃い始めていた。
もちろん、カリスの父母もアカンサス工匠会の経営者として招待されていた。
「ユリアン、誕生日おめでとう。やっと17歳、か?」
こう話すのはアイリオス・エドガー・エルディン王。ユリアンの父だ。
「はい。やっと、17歳です」
「しかし、今日は婚約者の発表はしないのだろう? まだ決めかねているのか?」
父王はユリアンの婚約者がこの日までに決まらなかったことを、心配していた。
ユリアンの二人の兄は早くに婚約者が決まり、17歳の舞踏会で婚約者をお披露目していた、という前例もあったし、王族の慣習でもあった。
「いえ……そういうわけではないのですが……」
「あら? ユリアンにはちゃんと、想い人がいるのよ?」
想い人の存在を話したのはアリエラ・セレーネ・エルディン王妃、ユリアンの母。
彼女は、ファルが考案したペンダント第二弾の試作品を、ユリアンに渡した張本人だった。
「ほう。その想い人は、今日は呼んであるのか?」
「招待状は出しました。返事は……もらっておりません」
いつも柔らかな印象のユリアンの顔が、硬く、暗い表情に変わった。
「お相手にはまだ婚約の承諾を得ていないという事か。しかし、それではな。候補の数名を選ばなければ、舞踏会が台無しになってしまうな」
王はちらりと王妃に目を向けた。
「これまで何度も婚約者選定の茶会を催したわね。そして、多くの守り人のご令嬢に来ていただいたわ。それでも婚約者が決まらなかった。だから、この誕生日の舞踏会が、数名の候補を選ぶ場になったわね、ユリアン」
「はい、承知しています」
ユリアンは王妃と目を合わせられず、俯いたままだった。
「ご令嬢たちは着飾ってこの舞踏会に足を運ぶのだから、ここでも誰も選ばないとなれば、これほど無駄なことは無かった、となるわ」
母の言葉は、もちろんユリアンも理解できた。
ユリアンの婚約者選定の茶会は10回以上催され、茶会に招待された令嬢は合わせて50名を超えた。
延べ人数だと、その倍ほどになる。
これまでの王族の長い歴史の中でも、婚約者選定は普通に行われてきたし、それでも婚約者を決められなかった場合は、17歳の誕生日がまるでその期限のように扱われてきたのだ。
「我が王国では、政略婚など意味を成さない。婚姻は相手が守り人であればよいと、自由にさせてきたのは確かだが……それでも、王族としての立場を忘れてはならない。ユリアン、分かっていると思うが」
「はい。もちろん、分かっております」
会場の喧騒はユリアンの耳には届いていなかった。
華やかに着飾った令嬢たちの視線、そして父王アイリオスからの催促の眼差しが、まるで重い石のように彼の肩にのしかかる。
だけれど、彼の瞳が探しているのはただ一人。
カリスはまだ来ていない。
ユリアンは何度も扉に目をやった。
時計の針が、ダンスを始める最終期限を刻んでいる。
「カリス……」
胸の奥が、冷たく凍りつく感覚がした。
僕の真剣な想いは、彼女には届かなかったのか。
ドレスを贈った意味も、未来を懸けた願いも、全て空振りだったのか。
泣きたかった。
この場から逃げ出したかった。
第3王子として毅然と振る舞わなければならない公の場で、一人の少年としての絶望が、ユリアンの全身を支配し始めていた。
カリスしか考えていなかった。
カリスしかいなかった。
指先が冷たくなり、彼の思考は完全に停止した。
その時――。
ギィ、と、会場の重い扉がゆっくりと開いた。
一瞬、舞踏会場全体の喧騒が水を打ったように静まり返る。
誰もが、その扉の先に現れた人物に目を奪われた。
スポットライトを浴びたかのように、そこに立っていたのはカリスだった。
彼女は、ユリアンの髪色を思わせる淡い紫から始まり、優雅なロイヤルパープルを経て、夜空のような紺のユリアンの瞳の色へと移ろう、ため息の出るような美しいグラデーションのドレスに身を包んでいた。
その紫は、この王国において王族の色として特別に扱われる高貴な色。
そして、そのドレスは間違いなく、ユリアンが『僕と踊ってほしい』という真剣な願いを込めて贈ったものだった。
カリスは、ユリアンに向かってまっすぐに視線を送った。
その瞳には、迷いを断ち切った決意と、ユリアンへの想いが宿っていた。
ユリアンの凍りついた心臓が、ドクン、と力強い鼓動を取り戻した。
絶望は一瞬にして掻き消え、その顔に、心からの安堵と歓喜の光が満ちた。
ユリアンは逸る気持ちを抑えながら、カリスに向かって歩を進めた。
気を緩めたら、喉から言葉が溢れそうになる。
カリスが好きだと、今すぐにでも抱きしめてしまいたくなる。
ユリアンはカリスの正面に立ち、震える手を差し出した。
「カリス・フィオネール嬢、私と踊っていただけませんか」
「ユリアン殿下、喜んで、お受けいたします」
カリスの左手の薬指には、指輪がキラリと輝いていた。
この指輪はもちろん、ユリアンがカリスの指に嵌めたものだった。
そして、ユリアンの左手の薬指にもお揃いの指輪が輝いていた。
楽器が奏でるのは、王城の演奏家たちによるクーラントの旋律だった。
リュートが繊細で愛らしいリズムを刻み、ヴィオラ・ダ・ガンバの深い響きが二人の誓いに重厚さを与え、リコーダーの澄んだ音色が、ユリアンの溢れる歓喜を代弁していた。
ユリアンとカリスが踏み出す最初のステップは、周囲の喧騒を遠ざけるように静かで、それでいて完璧な調和を保っていた。
それは、二人の鼓動のペースに合わせた、優しく、深みのあるダンスだった。
ユリアンはカリスの腰に、強い意志を込めて腕を回し、カリスはユリアンの肩に、静かな決意を込めて手を優しく置いた。
周囲の目には、それは王子の威厳あるパヴァーヌの延長のように見えたかもしれない。
しかし、二人の視線は一度も途切れることなく絡み合い、言葉にできないすべての愛と感謝と誓いを交わしていた。
くるりと回るたび、二人の左手の薬指に嵌められた揃いの指輪が、愛の結晶のようにキラリと光を放った。
それは、誰にも侵すことのできない、揺るぎない誓いの印。
ユリアンの顔に浮かんでいたのは、王子の仮面ではない、年相応の彼の心からの安堵と幸福だった。
いつも『刻まれた花言葉と精霊のチカラ 〜どんぐり精霊と守り人少女の永遠のものがたり〜』を読んでいただき、ありがとうございます!
次回『129 王城生活31 生誕祝典舞踏会2』更新をお楽しみに!




