127 王城生活29 再会と再契約
ユリアンの生誕祝典舞踏会まであと2日となった、7月23日の昼下がり。
ヘリックスから王都を発つ日が決まったと聞かされたユリアンは、ソランを王城に招いていた。
ソランが王城を訪問したのは、ファルが大怪我をしたあの日以来だった。
セオドア宮の玄関ロビー。
ソランは、側に座らせた大きな子犬を撫でながら、ぼんやりとロビーを見つめていた。
5カ月前のあの日、
大泣きしていたぼくは
引き剥がされるように迎えの馬車に乗せられて
この場所を後にしたっけ。
遠い過去の出来事のように、あの日の光景がソランの脳裏に浮かぶ。
懐かしいな、と思って、頬が緩んだ。
「ソラン! 元気にしてたか!?」
久しぶりに聞く、知っている声が、背後から響いた。
この声の主は、振り返らなくても分かる。
「ファル兄!」
ソランは、振り向くのと同時に名前を呼んだ。
「ぼくは元気だよ! ファル兄が元気そうでよかった!」
ソランは椅子から立ち上がると、一目散にファルの元に駆け寄って、ギュッとしがみついた。
そんなソランを追うように、大きな子犬もブンブンと尻尾を振ってファルの傍まで来ると、行儀よくおすわりをして、期待を込めたような目をファルに向けていた。
「ああ、心配かけちまったな」
ファルはソランを頭をワシワシと撫でた。
「ユリアン殿下が時々、手紙をくれてたんだ。ファルは大丈夫だからって。だから、早く会いたいなって思ってた」
「そうか。今日はいっぱい遊ぶか! ワンコの名前はなんて付けたんだ?」
「リーフ君!」
「ええ!? それホントなのか!?」
「リーフは可愛いしカッコいいし、ぼくを守ってくれたから! だから、リーフの名前もらっちゃった。でも呼ぶ時はリーフ君って呼ぶんだよ」
「君、までが名前なのか。まあ、それなら……いいのか……? それにしても、デカくなったな!」
ファルは白いもふもふした、大きな子犬を抱きかかえた。
「重さもなかなかだな! 30キロ以上はありそうだ」
あまりの重さに、ファルはたまらずすぐに子犬を降ろした。
ピレニーズ犬は大型犬だ。
生後7カ月か8カ月ほどになったリーフ君は、力も強くなって、7歳のソランはリードを持つ手が引っ張られてしまうほどだった。
「でも、リーフ君は優しい子なんだ! いつもぼくの傍にいてくれるし、寝る時も一緒なの!」
「そうか。ソランはリーフ君と仲良しなんだな」
満面の笑みを浮かべ、幸せそうにリーフ君に抱きつくソランを微笑ましく眺めていると、ちょうどそこへ、リーフとテラ、ヘリックスとリモがやって来た。
これから食堂でみんな揃ってのティーパーティー、いわゆるお茶会なのだけど、もちろんこれも、ユリアンの計らいだった。
「ソラン、久しぶりね!」
「テラおねえちゃん! みんなも!」
ソランがテラに近づく前に、リーフ君が尻尾を振りながら先にテラに飛びついた。
「あはは。ワンちゃんもすっごく大きくなったのね! もふもふしてて可愛い!」
テラはもふもふした大きな子犬の顔を両手で包むようにして、ワシワシと撫でた。
「名前はリーフ君って言うんだよ」
「へっ!?」
子犬を撫でていたテラの手が止まった。
「リーフ……?」
思わず、リーフに目をやった。
「え? ぼく?」
リーフの横で、ぷっと吹き出すように笑ったのはヘリックスだった。
「リーフじゃなくて、リーフ君だよ」
「あっ、ああ、そうなのね。リーフ君ね!」
テラは、もっと早くに知っていれば、それはやめてくれと頼んだのに……と思いつつも、さすがに今更なので特に言及はしなかった。
しかし、ちらりとリーフを見ると、ニコニコとして特に気にも留めていない様子だった。
リーフの懐の深さなのか、ただ何も考えていないのか分からないけれど、リーフ的にはアリなのかと、なんとも言い難い気分だった。
「それじゃ、食堂に移動しましょう! 美味しいお菓子が用意してあるって言ってたわよ」
「リモちゃん、美味しいお菓子あるの!?」
「ええ、王都で今、一番人気のお菓子ですって」
「やった! 一番人気のお菓子って、もしかして、ゼリーっていうお菓子!?」
「ソランはよく知ってるのね。でも、今日のお菓子は、テラの特製よ」
薬草研究棟で作られた海藻から抽出した凝固剤は、ユリアンの誕生会の料理でテラが使用したもの。
これはゼリーという形で1カ月ほど前に既に王妃に献上されており、最近、一般に販売されるようになった、夏にぴったりのお菓子だった。
「テラおねぇちゃんが作ったんだ! 早く食べたい!」
ソランはリモの手を引っ張って、食堂へと急いだ。
◇ ◇ ◇
食堂に移動すると、リーフとヘリックスとリモには、もちろん美味しい水が用意されていた。
テラたちが口にするお茶は、王城ということもあって、ここは当然ながら、オレガノのハーブティーなのだけれど、熱いお茶ではなく、冷やされたものだった。
「今日は暑いから、冷たいお茶が用意されてるのね。これは嬉しいかも!」
「ゼリーもなかなか美味そうじゃないか! テラが作ったんだろう?」
「ええ。今日のゼリーは、夏らしくしてみたのよ。レモンの酸味が効いた透明なゼリー、それから赤いゼリーはブドウ。紫のゼリーはラズベリーを使ってるの」
白い皿の上に、四角い形にカットされた三種の涼し気なゼリーがぷるぷると揺れると、窓から差す光が反射してキラリと輝いていた。
「こうやって見るだけでも、とても美しいわね」
ヘリックスは宝石のようなゼリーの見目がとても気に入ったようだった。
「ねぇ、もう食べてもいい?」
ソランはスプーンを手に、早く食べたくて瞳を輝かせ、うずうずしていた。
「ふふっ。もういいわよ? どうぞ、召し上がれ」
「いただきます!」
テラの声を合図に、ソランは待ってましたとばかりに、ゼリーを口に運んだ。
「美味しい! すっごく美味しいよ!!」
「よし、それじゃ俺もいただくとするか! いただきます!」
ソランに続いて、ファルもゼリーを口に入れた。
「おおっ! つるっとして、味もしっかり付いてて、いいね、これは! 美味いよ!」
「そう? よかったわ。美味しいって言ってもらえると、嬉しいものね」
ちょうどその時、食堂のドアがノックされ、扉が開いた。
「ユリアン殿下とヴェルト騎士団長がお見えになりました」
ヴェルトはファルの結婚パーティー以降、再び王都を離れていたのだけれど、ユリアンの生誕祝典舞踏会のために、久しぶりに帰城していた。
「皆さん、ご無沙汰しております。昨日、帰城したので、ご挨拶に伺いました」
ヴェルトはテラと目が合うと、にっこりと伯父の顔をみせた。
ヴェルトが頻繁に王都を離れているのは、騎士団の大規模な訓練施設が王都から離れた地域にあるためで、普段はその訓練施設で全体の指揮を執っていた。
「伯父さん、お久しぶりです! よかったら、こちらにどうぞ」
「では、お言葉に甘えて」
ヴェルトはテラの隣に着席した。
「ユリアン殿下はぼくの隣に座って!」
「ああ、ありがとう、ソラン。隣に失礼するよ」
皆でゼリーを食べながらのお茶会は、終始和やかな和気あいあいとした雰囲気の中で行われた。
お茶会の後はリーフ君と共に皆で外に出て、ボールを使って遊んだり、追いかけっこをしたりと、ソランにとっても一生の思い出に残る、楽しい一日となった。
◇ ◇ ◇
その日の夜、リーフとテラは、お揃いの寝間着を着て、向かい合ってベッドの上に座っていた。
「リーフ。再契約、やっとだね」
テラは何となく畏まった様子で、リーフを見つめた。
「ねぇ、テラ。本当にいいの?」
「え? どうして?」
テラは首を傾げてリーフに問い返した。
「契約していない間に髪が伸びて、それから……成長したって嬉しそうだったから……本当に、いいのかなって……」
リーフは申し訳なさそうに、下を向いて声に元気がない。
「私、リーフとこれからもずっと一緒にいたいよ? 成長することよりも、私はリーフの傍にいたいの。これから何年も何百年も、ずっと」
テラはリーフの手を取り、覗き込むようにして優しい声で話しかけた。
テラの言葉にリーフは顔を上げると、彼女の空色の瞳が目の前にあった。
「ありがとう、テラ。ぼく、すごく嬉しい」
その優しげな瞳に思わずウルッとして、リーフは唇をきゅっと結んだ。
「リーフ、ちょっと待ってね。血を用意するわ」
「この感じも久しぶり……」
「ふふっ、5カ月ぶりね」
テラは指先に針を軽く刺して、ぎゅっと押さえると血がぷっくりと盛り上がったところで、リーフに手を差し出した。
「はい、どうぞ」
「テラ。ありがとう、ぼくともう一度、契約してくれて」
リーフはテラの手を取ると、緑の瞳を輝かせ、指先の血を口に含んだ。
精霊王の姿のまま指にキスをしている様子は、テラにとっては羞恥以外の何物でもなかった。
やっぱり、この姿で血の摂取は……!
なんだかすごく、見ちゃいけない気が!!
テラはどうにも慣れなくて、なるべく見ないようにと顔を背けて耐えていたのだけれど。
「このまま、いっぱいキスしよう? これからもずっと、ぼくはテラのものだよ」
ふと耳元で囁いたと思ったら、抱きしめられて唇を重ねていた。
ポスッとベッドに倒れるように横たわると、口づけは深くなっていく。
「テラ、愛してる」
「わ、私も……」
リーフは5カ月ぶりの昂揚感に、気持ちが昂るのを感じていた。
テラの吐息は次第に甘ったるく濃厚になって、蕩ける瞳に吸い寄せられるように、口づけを止めることができない。
「リ、リーフ……ちょっと」
「テラ、ごめんね……抑えられない」
テラを抱きしめる腕に無意識に力が入る。
「契約、した、から?」
「うん……いっぱいキスしたい」
5カ月ぶりの昂揚感は、テラの期待の大きさに『呼応』して、触れ合いを求める強い欲求に応えるように、これまでにないほど高まっていた。
なぜならテラは、この再契約が血の摂取だけで終わるわけがないと、昨夜は寝つけないほどに想像しては赤面し、期待に胸を膨らませていたのだから。
そして、昂揚感が満たされるまで、今までで一番長い時間を要したのは必然だった。
テラが『もしかして、もっと、もっと長くなるの!?』と、5カ月前に期待を込めていた通りの展開は再契約で無事に果たされ、二人は久しぶりの満ち足りた幸福感に包まれていた。
テラはリーフのすやすや眠る横顔を見ながら、ふと、考えていた。
契約がなかった5カ月の間も
いっぱいキスすることはあったけど
どこか遊んでいるような
そんな気がしたのよね……
私を喜ばせようって思ってるのか
一生懸命なんだけど
私の反応を楽しんでいるような……!
ニコニコしちゃって、余裕ある感じで
なんだかちょっと悔しかったし。
でも、契約すると違うんだなって
はっきり分かったわ。
抑えられないって
余裕無いみたいで
そんなところがほんと可愛くて
もう、ぎゅーーってしたいんだけど!!
……だけど、
やっぱりリーフは相変わらずなのよね。
いやでも、
これ以上はすごく恥ずかしいし!
そういうのは、け、結婚してからだと思うし……!
でも、リーフは結婚したいなんて思うのかな……?
私もまだ……愛してるって返せていないし……
結婚という形で結ばれる、なんて
私、そんな夢を見てもいいのかな……
ねぇ、リーフ……?
うつらうつらと夢に誘われて、テラは夢を見ていた。
緑の瞳に涙をたくさん溜めて、覗き込むリーフが何かを叫んでいるけれど、何を言っているのかは分からない。
けれど、とても悲しそうで辛そうで、思わず手を伸ばして抱きしめたくなる。
――そんなに泣かないで?
ハッと目を開けると、自身の目尻に涙が伝っていたけれど、夢は忘却に消えてしまった。
「テラ? 泣いてるの?」
「ううん。何か、夢を見ていたみたい。でも忘れちゃった」
そんなテラをしっかりと抱き寄せたリーフは、おまじないを口にした。
「今日よりもっと幸せな明日が待ってるよ。おやすみ、テラ」
「うん。おやすみ、リーフ」
今夜二度目のおまじないのキスとおやすみのキスをして、二人は再び穏やかな眠りについたのだった。
いつも『刻まれた花言葉と精霊のチカラ 〜どんぐり精霊と守り人少女の永遠のものがたり〜』を読んでいただき、ありがとうございます!
次回『128 王城生活30 生誕祝典舞踏会1』更新をお楽しみに!




