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117 王城生活19 君がいない世界なんて

 

 ユリアンが手綱を握る馬は南の正門をくぐり、そのまま工房通りに向かった。


 午後1時過ぎ。

 薬草研究棟に着くと、リーフはユリアンの胸元から飛び出し、いつもの大きさに戻った。

 そして、馬を下りたユリアンは、研究棟の玄関ドアを開け、中に入った。

 もちろん、リーフも一緒だ。



 玄関ロビーには、十数名の研究棟の人たちが集まり、どこか深刻な様子で何か話しているようだったけれど、そこにテラの姿は見当たらなかった。



「ユリアン殿下! 急ぎ知らせなくてはと思いまして! あの、リーフ様は……」


 声をかけたのはレナだった。


「リーフも来てるよ。テラの姿が見えないけど……まさか、感染者って……」


「はい。あの、気付いたときには、もう……予防用は飲ませたんです。でも、効かなくてっ!」


 レナの言葉にユリアンの表情は一瞬で厳しいものに変わった。


「予防用が、効かない!?」


 リーフとユリアンはすぐさま、テラが寝かされている部屋に入った。


 寝かされているテラを目にすると、その状態がただ事ではないことが、はっきりと分かった。



「テラ!! どうして!? どうして……こんなことに……っ」


 ユリアンはテラに駆け寄ると、思わず声をあげた。



「テラは昨日、夕方4時に出勤して、薬草園にいました。皆が帰るときは手を振っていたんですが……おそらく、そのあと倒れて、一晩中、雨にさらされて……私たちが出勤してくるまで……そのままだったようで……」


 その説明に、ユリアンは激しく動揺した。



「そんなに長時間、雨の中で放置されていたと……それで、こんな……!」


 ユリアンは気が動転していた。


 城内では予防用があれば十分だと思っていた。

 それでよかったはずだった。

 よりにもよって、テラが放置!?

 昨夜、帰城したときには、テラはすでに倒れていた?

 誰も気付かなかった?

 どうして……!!


 混乱しながらも、ユリアンは即座に、外に待機している騎士に指示を出すべく動いた。


「テラ、待ってて。重症用の薬を調達するから!」



 そう言ったものの、どこに残っているかは分からない。


 さきほど訪れていた施療院には、重症用は在庫が無いと言っていた。

 昨日行った西側の施療院には数箇所で残っていたけれど、今もまだあるかは分からない。

 しかも場所が遠い。


 往復で数時間もかかる場所では、間に合わないかもしれない。

 できるだけ城に近い施療院で、重症用が一つあればいい。


 ユリアンは待機中の騎士に、重症用の薬液を一つ、直ちに探し出し持ってくるよう指示を出した。

 そして、感染源の特定と、他の感染者の有無、兄上たちに協力を仰ぐことを伝えた。



「テラ……テラ…………」


 リーフは言葉を失っていた。

 かける言葉も見つからなかった。



 昨日の夜

 ぼくが城に戻ってきたときには

 テラは雨が降る中

 ひとりぼっちで倒れていたんだね


 どうして気付かなかったのかな

 テラがひとりで苦しんでいたのに


 ぼくはまた

 テラを守れなくて

 テラを辛い目に合わせてる

 こんなに近くにいたのに……



 ユリアンはテラのそばに戻ると、ちらりとリーフを見た。

 リーフは、ただじっと、座っていた。



「リーフ。テラ、どうかな。リーフの力で……」


 リーフの力でどうにかならないか、と聞こうとしたのだけれど、ユリアンは言いかけた言葉を胸に閉まい、口を噤んだ。


 リーフの緑色の瞳が大きく揺らいで、大粒の涙がポロポロと零れ落ちたからだ。



 そもそも、どうにか出来るなら、リーフはいくらでも力を使っている。

 ファルが大怪我で生死の境を彷徨っていた時は、テラとの契約を解除してまで彼を救ったほどだった。


 それを思うと、今、同じような状況にあるテラを、リーフが自身の力でどうにかすることは出来ないのだと思い至った。

 そして、リーフは、テラと契約できない。

 再契約は7月下旬のはずだからだ。



「ユリアン。テラを、ぼくたちの部屋に運んでくれる?」


 リーフが静かな声で、ユリアンにお願いをした。


「わかった。ふたりの部屋に運ぶよ」




 ユリアンは、未来が見えた気がした。


 でも、別の未来があるとするなら、その答えは、重症用の薬液だ。

 すでに騎士らが探してくれているはずで、今はもうそれに掛けるしかないと、縋るような気持ちになっていた。



 数名の騎士らを呼び、慎重に、テラをユリアンの小宮殿、セオドア宮に運び込む。

 そして、リーフとテラの部屋のベッドに、ゆっくりと静かに寝かせた。



 テラの症状は40度近い高熱に、肺炎を併発していた。

 苦しそうで、呼吸はぜいぜいとし、息切れし、時折弱い咳が出て、唇は紫色に変わっていた。


 部屋にはヘリックスとリモも来て、テラの様子を心配そうに見つめていた。

 少し遅れて、ファルもやって来た。

 ファルは研究棟で感染者が出たという話を聞き、しかもそれがテラだと耳にして、急いで駆けつけたのだった。



 リーフはベッドの横に座ると、テラの手を握りしめた。


「テラ……ごめんねっ……ぼく……テラを守るってっ……約束、したのにっ…………ぼく……テラをっ、守れてないっ」


 リーフの声は途切れ途切れで、涙ながらの小さな声は、どうにかやっと言葉として聞き取れるほどに震えていた。



 テラのぜいぜいとした呼吸音だけが響いていた部屋に、コンコンとドアをノックする音が加わった。

 ユリアンは『もしや!』と急いでドアを開けたのだけれど、薬液ではなかった。


「殿下、少しよろしいですか。感染経路がわかりました」


「廊下に出るから……詳しく話して」


 ユリアンは感染源の特定をと指示したけれど、それはつい1時間ほど前のことだ。

 もう分かったのかと、正直、驚いた。



「テラ様は、一昨日の午前中に、セシル殿下の宮殿の侍女と接触していました」


「セシル兄上の宮殿って……東側から帰ってきて発症したっていう?」


 その話は、城内での初の感染者ということで、報告を受けていた。


「そうです。その侍女は、薬草工房で侍女30人分の薬液を台車に乗せて運んでいたところ、石畳で転んでしまったそうです。そこに通りかかったのがテラ様だった。薬瓶をひとつ割ってしまい、途方に暮れていたところ、テラ様が自身の薬をくださったと話しております。テラ様は手を握って、励ましてくれたと……」


「そういうこと……それで、テラがこんな目に……!」


 ユリアンはどうしようもない怒りのような思いが込み上げて、大きな声を出してしまった。

 ハッとして我に返り、言葉を続けた。


「いや、済まない。知らせてくれてありがとう。他に発症者がいないかも含めて、引き続き、よろしく頼むよ」




 ユリアンは部屋の中に戻り、リーフの傍に座った。


 テラは息苦しさが増しているようで、息が切れ切れで今にも止まってしまいそうで、とても見ていられない状態だった。


「リーフ、ごめんね。薬液はまだだったよ……。でも、感染経路がわかったんだ」


 ユリアンは騎士から聞いた話を、リーフに話した。


「そう……」


 リーフがぽつりと消え入りそうな声で返事をした。


「あの侍女と接触していなければ……」


「……ユリアン。その侍女も、もちろんテラも、悪くないよ。悪いのはぼくなの。ぼくが弱いから。……守ると言ったのに、守れるだけの力を持ってない……ぼくのせいなの」



 その時、テラの手を握っていたリーフが、ハッとして目を見開いた。


 力なく、ただリーフの手に握られていただけだったテラの手が、弱いけれど、でもはっきりと握り返したのだった。



「テラ! テラ!」


 テラの目はうっすらと開かれていたけれど、どこか宙を見ているようで、意識はないように思われた。

 紫色の唇が僅かに動いたけれど、それだけだった。


 手に感じた握り返した感触はすでになく、いつも温かだった彼女の手が、冷たくなっていくのを感じた。

 テラの命の危機が、もう、目前に迫っていた。



「だめだよ、テラ!!」



 リーフの突然の呼びかけに、横にいたユリアンは驚いてテラを凝視した。

 ヘリックスとファル、リモもテラのベッドに傍に駆け寄った。



「お願い、テラ。いかないで。テラ、テラ!!」



 ぼくにもっと力があれば。

 もっと、もっと……!


 テラの鼓動は弱々しく、今にも消えてしまいそうで――

 それが、何よりも怖かった。

 どれほど叫んでも、その願いは届かないという恐怖が襲いかかる。



 リーフはテラの手を両手で強く握りしめ、祈るような姿勢で、想いのたけを口にする。


「テラ、大好きなの。本当に、本当に……テラがいなかったら、ぼくは生きていけない……君がいない世界なんて、いらないっ……」



 込み上げる感情が、涙と共に一気に溢れ出した。



「愛してる。テラ…………お願い……いかないで」



『愛してる』

 その言葉が自然にリーフの口から紡がれた瞬間、まるで世界そのものが答えるかのように、彼の体、霊核が眩いばかりの光を放った。


 その光は、物質の隔たりを意に介さず、大地の奥深くまで染み渡るように広がり、大陸のあらゆる生命が、その変化を感じ取ったかのようだった。

 木々はざわめき、草花は踊るように揺らめき、それは、新たな『精霊王』の誕生を祝福するものだった。



 背中から、煌めく大きな両翼がバサーッと現れ、その美しさに、その場にいたユリアンも、ヘリックスも、ファルも、リモも、ただただ息をのむ。


 パールのように白く輝くその両翼は、日の光すら霞ませるほど神々しく、それはまさしく、精霊王の証だった。



 キラキラと降り注ぐ精霊王の圧倒的な『癒しの光』は、すべてを癒して、包み込んでいく。


 疫病に侵された大地も、病に倒れた者たちも、すべてが温かい光に包まれ、消えかけていた命そのものが、再び力強い鼓動を取り戻していく。


『大地を統べる精霊王』が、誕生した瞬間だった。


いつも「刻まれた花言葉と精霊のチカラ 〜どんぐり精霊と守り人少女の永遠のものがたり〜」を読んでいただき、ありがとうございます!

次回『118 王城生活20 年相応の少年』更新をお楽しみに!

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