116 王城生活18 死の淵
リーフが西側の地域から戻ると、時刻は夜の9時を回っていた。
一日中、ユリアンと共に十数箇所の施療院を見て回り、遅い帰城となった。
「ごめんね。こんな遅くまで付き合ってもらって」
「いいよ。テラも夜勤でいないし、部屋に戻ってもひとりだから」
リーフの表情は笑っていたけれど、どこか寂しそうに見えた。
「そうだったね。明日も朝からだけど、大丈夫?」
「ユリアンこそ、しっかり寝ないとだよ。ぼくは連れて行ってもらうだけだから、疲れてないもの」
リーフはユリアンの疲れを気遣い、にっこりと微笑んだ。
二人はそれぞれの部屋に戻り、すっかり安堵した視察の一日目を終えた。
その頃、テラは――。
倒れた薬草園の中で雨に打たれ、外套を着ているとはいえ、40度近い高熱で意識は混濁しており、すでに動けない状態になっていた。
灯りもない薬草園の暗闇の中、雨の音に混じり、ぜいぜいとした荒い息遣いだけが、誰に聞かれることも無く響いていた。
翌朝、リーフは迎えに来たユリアンと共に、南の地域へと出発した。
今朝もまだ、雨は止みそうになく、空は厚い雲に覆われ、シトシトと王都の街を濡らしていた。
「今日は早く帰れる?」
「もちろん。今日はテラが夜勤から戻ってきてるでしょ? 早く会いたいよね?」
「うん。会いたい。テラ、どうしてるかな」
「夜勤明けで、眠そうにしてるんじゃない?」
「大あくびしてるかも?」
「かもね。ははは」
リーフとユリアンの会話は、至って普通の、平和な会話だった。
何も知らない、至って普通の日常が、この時はまだ、続いていた。
一方、薬草研究棟では、朝10時になって皆が出勤し、顔を揃えていた。
「テラ、見た? もう帰ったのかしら」
「私はギリギリに来たから、会ってないわね」
「最初に出勤した人が会ったんじゃないの?」
「そうよね。私も10時ギリギリになっちゃったから……もう少し早く来ようと思ってたんだけど遅くなっちゃって。テラに話があったのに」
皆口々に話すのだれど、誰もテラに会っていないようだった。
不思議に思っていると、薬草園から物凄い叫び声がした。
「きゃぁああああ!!!!!」
その叫び声に、皆が窓の外に目をやった。
「テラが! テラが!! 誰か!! 助けて!!」
研究棟にいた皆が、一目散に薬草園に走って行く。
そこには、顔面蒼白で、息も絶え絶えで意識のないテラの姿があった。
「待って! 皆、薬液は飲んでいる? 飲んでいない人、いない? 飲んでない人は近づいたらだめよ!」
そう叫んだのはエイジーだった。
「大丈夫よ、飲んでるわ!」
「ええ、私も飲んでるわよ!」
「医務室へ運ぶ? それとも、どこかに隔離なの?」
「ひとまず、研究棟の中に運びましょう! 仮眠室がいいわね。玄関にも近いわ!」
エイジーがてきぱきと指示を出した。
「私、ユリアン殿下に報告をお願いして来ます!」
レナはユリアンに報告すべきと考えた。
テラから視察の話を聞いていたため、リーフが一緒にいると知っていたからだ。
研究棟を飛び出したレナは、急いで薬草工房まで走ると、工房の前にいた見張りの騎士に、ユリアンへの急ぎの知らせを頼んだ。
早馬で早急に、可能な限り早くと口添えもした。
そしてレナは、薬草工房で薬液を受け取った。
予防用しかないとのことだったけれど、それを手に握り締め、研究棟へ走った。
「予防用ですが、1瓶、もらってきました!」
「さっそく飲ませましょう!」
テラの口に、小瓶から薬液が少しずつ、注がれた。
しかし、30分経っても、1時間経っても、テラの容態は、全く変わらなかった。
変わらないどころか、ますます酷くなっているようにしか見えなかった。
「精霊の力が込められていて、すぐに効くって聞いていたけど……」
「予防用は症状が出てすぐなら効くって話だったわよね?」
「重篤な状態だと効かないとも聞いたわ」
皆がそれぞれ、口々に知っていることを口にしていた。
「ということは、テラには重症用の薬液が必要ってこと!?」
「ええっ! でも、重症用は在庫が無いって、さっき工房の人が言ってて……」
レナは予防用しかないと言われ、予防用の薬瓶をもらってきたのだ。
「重症用は城内には無いって聞いたわ。……城内では予防用で済むからって」
確かに、発症しても予防用を飲めばよいし、それで効くのだから、重症用はすでに重症者が出ている町へ、という判断は正しい。
「テラは、テラはどうして重症になったの!?」
「一晩中、誰にも気づかれないまま、雨の中で倒れていたからじゃ……」
テラは昨日の夕方4時頃に出勤して、薬草園に向かい、そのまま倒れていた。
外にいた時間は約18時間。
何時に倒れたのかは誰にも分からないけれど、夕方5時には皆に手を振っていた。
テラは少なくとも16時間は雨にさらされ、倒れていたと思われる。
雨除けの外套も意味を失って、雨がしみ込み、ぐっしょりと濡れていた。
「そんな……!」
想像しただけで、テラが可哀想になって、レナは涙が出てきた。
がんばってトウシキミの薬液を作ったのに、作った本人がこんなことになるなんて。
肺炎を起こしていたテラは、まさに重篤な状態に陥っており、研究棟の皆は、ただ、テラを見守る事しか出来なかった。
◇ ◇ ◇
リーフとユリアンが南側の視察地に到着し、最初の施療院を訪問して、二軒目に行こうかとしていた時、早馬が二人の元に到着した。
時刻は正午を過ぎた頃だった。
長い雨が止み、晴れ間が少し、見え始めていた。
「殿下! 急ぎの知らせです! 薬草研究棟で感染者あり! 早急に戻るようにと!」
「ええっ! 研究棟で!?」
「ユリアン、まさかとは思うけど……テラだったりする?」
「いや、まさか……誰と接触するの?」
「そうだね。とにかく、早く戻ろう。城内で感染が増えてるかもしれないし」
「発症しても予防用はあるからね。大丈夫だよ」
「城内の人たちは皆、すでに薬液を飲んでいたんじゃないの?」
「外から戻って来た、というルートもあるからね」
「それは確かに。すでに一人の侍女が、って話だったからね」
ユリアンは、馬を走らせながらリーフと色んな可能性を話しつつも、それでも、予防用があるからすぐに飲めば、という見解に落ち着いていた。
それは決して、間違ってはいない見解だった。
発症したとしても、すぐに飲める。
城内には予防用がある。
それは間違いではなかった。
ただ、テラにはそれが当てはまらなかった。
いつも「刻まれた花言葉と精霊のチカラ 〜どんぐり精霊と守り人少女の永遠のものがたり〜」を読んでいただき、ありがとうございます!
次回『117 王城生活19 君がいない世界なんて』更新をお楽しみに!




