113 王城生活15 王国軍
午前11時。
薬草工房では、すでに運ばれてきたトウシキミの果実を粉砕、粉にする作業が順次行われていた。
「急げ! 時間は限られているぞ!」
声を上げたのは、薬草工房の責任者である工房長だった。
製造するための設備、といっても、大型のテコ式粉砕機や、手回し式テコギア製粉機であったりと、当然ながら人力に頼るものだった。
工房長は腕まくりし、怒鳴るような声で叫んだ。
「製粉機の交代は15分だ! 粉砕機のテコも10分で交代しろ! 気を抜かずしっかりやれ! がんばれよ!」
大型のテコ式粉砕機は、テコのハンドルに体重をかけて押し込み、硬い果実をゴリッ、ゴリッと音を立てて一気に粗く砕いていく。
それらは次々に、均一な粉へと仕上げる『手回し式テコギア製粉機』に回された。
テコの原理のハンドルを回すと、歯車が回転し、石臼が唸りを上げる。
ハンドルを回す作業員たちの顔には、汗が噴き出していた。
「出来上がった粉から秤に移すぞ!」
石臼からこぼれた落ちた粉を、作業員が次々に大型の秤に乗せていく。
そうして、粉砕開始から2時間余り。
「4キロ、達成しました!」
声が上がった瞬間、秤から降ろされた粉は、大きなリネンの布にまとめられた。
リネンの布に包まれたトウシキミの粉は、薬草絞り機の下に固定された10リットルのアルコール樽に、即座に漬け込まれた。
幸いなことにアルコールはかなりの在庫があり、十分な量が確保できた。
10リットルのアルコールに、4キロの粉。
薬草絞り機の最大容量が10リットルのため、その比率から粉は4キロとした。
アルコールに浸し30分を経て、いよいよ、『ねじ式薬草絞り機』の出番だ。
工房が持つ最大かつ最強のこの絞り機は、樽ごとセットして強力な圧力をかける構造になっており、ねじを回し、ギリギリと圧力をかけていく。
すると、樽の下部にあるコルク栓から、琥珀色の原液が細い流れとなって滴り始めた。
「抽出、完了しました! 原液8リットル。予定通りです!」
抽出した原液は8リットル。
想定した通りの見事な出来だった。
この8リットルの原液を、症状の重い患者用に1リットル使い、残り7リットルは予防初期用に分け、それぞれ1,000人分と14,000人分に希釈する。
粉砕から原液抽出まで約3時間。
ちょうど最初の4キロ分の抽出が完了した頃、トウシキミの果実がすべて運び終わったとの連絡が入った。
「果実はすべて運び終わったそうだ! 粉砕、頑張ってくれよ!」
工房長は、大量に積み上がった果実を見やった。
「まだ粉4キロ分の原液を作っただけだ。この作業は人力に頼る工程ばかりだ。これからが本番……人手不足になるのは、明白、か……」
殿下に人手不足を報告すれば、すぐに手配してくれるだろう、とは考えた。
しかし、殿下には小瓶の調達を頼んでいる。
薬草工房には1,000個ほどしかないのだ。
人手不足は……こちらでなんとかしよう……
薬草工房長は他の工房に手伝いを依頼することを決めた。
◇ ◇ ◇
ユリアンは小瓶の調達に苦悩していて、焦りを覚えていた。
時刻は午後2時半を回り、何も解決しないまま、時間だけが過ぎていく。
「なんだか、すごく疲れた……」
思えば、今朝早くに徹夜で馬を飛ばして帰って来て、一睡もしていなかった。
しかし、寝ていないことはどうでもよかった。
「薬草工房にも小瓶はあるけど、数は1,000個程度と言っていたし……あとは、城中からかき集めて、それから……」
ユリアンは大きくため息をついた。
第一弾の8リットルの原液が出来たとの知らせもあった。
希釈すれば、重症用1,000人分と、予防初期用14,000人分になる原液だ。
「まずは報告を済ませないと……」
ユリアンは急ぎ、本日二度目の謁見に赴いた。
その場には、カミル第一王子が同席していた。
「ユリアン、かなり疲れているね? 大丈夫かい?」
「はい、カミル兄上、大丈夫です。ひとまず、15,000名分の原液が完成したので、ご報告に上がりました」
「それはよかった。配布は西側の地域からがいいだろう?」
カミルも当然、状況を把握しており、ユリアン一人に任せるつもりは毛頭なかった。
ユリアンが動いている間、父王はカミルとセシルを呼び、対策を練っていたのだった。
「はい。今、一番深刻な地域だと思われますので」
「薬液を入れる小瓶はどう? 集まっている?」
「いや、それが……今、あれこれと手を考えていたのですが」
ユリアンは困ったように伏し目がちに答えた。
「王都全体で数万個の小瓶、というのはとてもじゃないけど、集めるのは難しいだろう?」
「しかし、それでは……っ」
「うん。だから、小瓶を持参してもらったらどう?」
「持参、ですか!?」
ユリアンは思ってもいなかった提案に、きょとんとした。
「そう。薬液は王都の施療院に運ぶとして、施療院はその区域の担当って感じだからね。だいたい1,000人に満たない……500人から800人程度、だろうか? 家から近い施療院に薬液を受け取りに来てもらうときに、小瓶を持参してもらうんだ。まあこれは、セシルの案なんだがね」
カミルは柔らかな笑みを浮かべ、目を細めながらユリアンを見つめた。
「な、なるほど! 各家庭には、少なからず小瓶程度のものはあるはずです!」
カミルの説明に、ユリアンは一瞬にして顔色が変わった。
「協力してもらうために小瓶を買い取るとすれば、皆、持ってくるのではないかな」
「確かに、それだと持参してくれる数が多くなりそうです!」
ユリアンの瞳は希望に満ちたものに変わっていた。
そこへ、二人の王子のやり取りを聞いていた父王が、口を開いた。
「それならば、小瓶ひとつ、1,000シルヴァで買い取るとしよう。それほど高くもなく、安くもない、ちょうどよいくらいではないか? 施療院に持参すれば、その場で現金を渡すといい。もちろん費用は国庫から出す」
それは、父王の有難い援護だった。
「あ、ありがとうございます! 小瓶の件、これで解決できるやもしれません」
ユリアンは心配事が去り、険しかった表情には、いつもの柔らかさが戻っていた。
「小瓶については、そうだね……例えば、蓋があるもの、清潔なもの、薬液の量が入る大きさのもの、などの条件を提示して、それに合致した小瓶を買い取るとする。もちろん、窃盗を働いた者は厳罰に処す、と」
「はい。兄上。薬液の量は一人あたり50mlですので、その量が入る大きさを指定する必要があります」
「もちろん、買い取ると言っても薬液を持って帰ってもらわないと意味が無いからね。自分の分や家族の分は持って帰ってもらう。現金を渡しつつ、薬液も渡す、ということだけど、これで間違ってはいないかい?」
カミルは小瓶を買い取り、薬液を渡す方法について、念を押すようにユリアンに問いかけた。
「もちろんです。薬液を渡すのが目的です。小瓶が集められないのは、こちらの不手際ですので、当然です」
「ああ、その通りだ。よく言った、ユリアン」
ユリアンの言葉に、父王は満足そうに微笑んでいた。
「それでは、施療院へ薬液を運ぶ者たちについてですが、それは我が軍にお任せください」
カミル第一王子は、王国軍の指揮官であり、王国軍は騎士団とは違い、騎士ではなく兵士だ。
エルディン王国は大陸全体がひとつの王国であり、大陸は海に囲まれ、平和そのものだ。
しかし、いつ何が起こるか分からないため、軍隊を持ち、常に訓練をしている。
戦は無いけれど、準備は怠らないし、こういう時こその軍隊でもある。
「カミルが軍を動かすか。我が王国軍の働きを、しかと見届けさせてもらうよ」
父王はカミル率いる王国軍の働きに期待を寄せ、カミルに視線を向ける。
「王都中には施療院が100ヶ所、いや、120ヶ所はあります。また、重症化して動けない者にも届けなければなりません。我々が行くべきと判断したまでです」
カミルは当然と言わんばかりに、胸を張った。
時刻はちょうど、午後3時を回ったところだった。
「この時間ならば、王命を発布しても本日中には王都全域に届くだろう。だが、本来なら正午までだったのだが、仕方がないな」
父王の言葉に、ユリアンは直ぐさま謝罪した。
「申し訳ございません。私の不手際です」
「それは致し方ないさ。私だって小瓶を何万個も集められやしない。それに、ユリアンは今朝方、王都に戻って来たばかりだろう? それなのに、もう薬液が出来ているんだ。驚くべき速さだよ」
「それについては、すべて、リーフのおかげです。リーフがすべて教えてくれました」
「ああ、そうだろう。だけれど、それはユリアンが彼に信頼されているからだろう? だから、ユリアンのおかげでもあるよ」
カミルはにこりと微笑んで、ユリアンに感謝の意を示した。
「いえ、私は……」
「とりあえず、ユリアンは少し休みなさい。全く寝ていないだろう? 配布は軍が動くし、小瓶の件は王命を発布する。薬液は薬草工房の者たちが生産してくれるだろう」
ユリアンの返答を待たず、カミルはすぐに席を立った。
彼の指示は迅速だった。
王命は速やかに写され、王国軍の手によって王都の主要な門や広場へ、そして施療院へと次々に掲げられていった。
『蓋付きの小瓶持参』『1,000シルヴァで買い上げ』『窃盗は厳罰』という知らせは、疫病の不安に覆われていた王都に驚きと活気をもたらした。
一方、薬草工房では。
最も感染が拡大している地域の施療院18箇所に向け、最初の薬液750L(重症用と予防用合わせて2L容器375本)が、軍の護衛付きの荷車に積み込まれていた。
時刻は午後3時を回っていたけれど、エルディン王国の体制はここからようやく、疫病に対する本格的な反撃に転じようとしていた。
カミルが席を外した後、父王はユリアンに目をやり、にこやかに微笑んで、顎をくいっと上げた。
ほら、早く休め、とあたかも言っているかのような仕草だった。
「ありがとうございます。わかりました。……では、少し、休ませてもらいます」
ユリアンは、セオドア宮へ戻ることにした。
正直とても疲れていたユリアンには、有難い配慮だった。
◇ ◇ ◇
カミルは即座に軍の幹部を招集し、薬輸送のルートと施療院120箇所の警備計画を練り上げていた。
王都では、セシルの知恵とカミルの決断が結晶となった新たな王命が、軍の兵士によって早馬で王都全域に伝えられていた。
薬草工房では、工房長の声が響く中、休みなくテコギア製粉機が回り続けている。
ユリアンが眠りについた瞬間も、王国の反撃の歯車は動きを止めなかった。
けれども、感染の速度は、それよりも早かった。
王都の西側では、薬液を待ちきれず施療院に押しかける市民の波が、感染をさらに拡大させ始めていた。
そして王都の南側でも、次第に熱に倒れる者が増えていった。
薬液の運搬には、多少の時間がかかる。
早馬で伝令するのとは訳が違う。
城内を出発した第一陣が西側の一番遠い地域に到着した頃には、時刻はすでに午後9時を回っていた。
夜の闇が王都を覆い尽くし、ユリアンの帰城から続いた激動の一日目は、静かに終わりを迎えた。
いつも「刻まれた花言葉と精霊のチカラ 〜どんぐり精霊と守り人少女の永遠のものがたり〜」を読んでいただき、ありがとうございます!
次回『114 王城生活16 蔓延と薬液』更新をお楽しみに!




