107 王城生活09 六月上旬 採掘候補地
6月、王都を連日の雨が覆い、重い湿気が馬車の窓を曇らせていた。
じっとりとした空気が衣替えしたユリアンの肌にまとわりつく中、彼は遠出する馬車に揺られていた。
「ごめんね、リーフ。今回の視察は宿泊することになっちゃって。しかもこんなに朝早くから……」
早朝5時。
所要時間は11時間を予定しているため、着いた先でなるべく時間が取れるように、早い出発となった。
「いいよ。テラは毎日忙しくしてるし」
「そっか。なんだかごめんね……」
テラが忙しくしていると聞いて、ユリアンはリーフに申し訳なく思った。
「ううん。テラがいつも楽しそうなのはユリアンのおかげ。毎朝、薬草研究棟に行くのが待ちきれないって感じだよ」
リーフはそんなテラを見守ることが、案外気に入っていた。
「そういえば、もう6月になったけど、カリス、どうしてるのかしら?」
ヘリックスは、フィオネール家でカリスと別れて以降、ユリアンとカリスの仲がどうなっているのかが気になっていた。
「何度か手紙のやり取りをしてるよ。カリスが城に来るって言ってたけど、もうちょっと待ってって断ってるんだ。ファルの事は怪我したとしか言ってないし、まだ治ってないからって……」
カリスには『不老不死の件』は秘密にされているため、ユリアンは彼女を誤魔化し続けることに少々困っていた。
「でも、ユリアンだけでもカリスに会ったら? それこそカリスの家に会いに行ってもいいじゃない?」
確かに、僕だけでも会いに行ってもいいかもしれない。
けれど、会いに行けば、色々と問い詰められて嘘がバレてしまうような気がして、会わないほうがいいだろうと避けていた。
「……いいんだ。ファルの怪我がきちんと治るまでってカリスに言ってあるし。ふたりの契約の話もしないほうがいいと思って、それは言ってないから安心して」
ユリアンはリーフのほうを見て、にこりと笑った。
「ありがとう、ユリアン。……ユリアンはカリスに会いたいの?」
「え? いや……あの……」
リーフの直球の問いに、ユリアンはどう答えるべきかと一瞬、戸惑った。
そこに、ヘリックスがすかさずツッコミを入れた。
「リーフは鈍感だもの。ね、リーフ?」
「ええ? ぼく、鈍感なの?」
「ふふっ。まあ、いいわ。それで、ユリアンはカリスに告白しないの?」
リーフはヘリックスの言葉に驚いて、声が出そうになったけれど、口を押えた。
ユリアンはそんなリーフを横目に見て、思わず笑いそうになりながらも、ヘリックスの問いかけに隠すことなく素直に応じた。
「えっと……まだ、早いかなって……」
「ええ? 告白、したほうがいいと思うわよ?」
ヘリックスは呆れたように言い返す。
「そうなの? 早くしたほうがいい?」
「意識してもらわないと、ずっとただの友達のままよ? 他の誰かがカリスの前に現れたらどうするの? それとも、他の誰かが現れたら、大人しく諦めるってことなのかしら?」
「ヘリックス……今日はなんだか、すごく攻めてくるね……」
いつも優雅に微笑んでいるヘリックスが、今日はなぜだか様子が違った。
「だって、進展しないんだもの。私の守り人には、ちゃんと恋愛してもらわないと。それに、ユリアン、婚約者を早く決めるよう、急かされているわよね?」
ユリアンが自分から一歩を踏み出さないことに、ヘリックスはもどかしさを感じていた。
彼が奥手なのは分かっているけど、急かされている現状、友達関係で満足してもらっては困るのだ。
「それは分かるけど……手紙のやり取りはしているよ。あ、でも、リモからしおりを貰ったんだ」
「あら、よかったわね! でも、まだ使ってないのよね?」
「いざという時の為に……お守りとして持っておこうかなって」
そう話すと、ユリアンは自身の胸のあたりに手を置いた。
その横顔が少しほころんで見えた。
ヘリックスには、その横顔が『しおりを持っている安心感』に見えた。
「いざという時っていつかしら?」
「それは……分からないよ……」
「…………カリスが他の誰かに想いを寄せてから、慌てて使ってもダメなのよ?」
「わ、わかってるよ……」
ヘリックスはジト目でユリアンを見つつ、大きくため息をついた。
◇ ◇ ◇
今日の視察先は王都から西南西へ進んだ山間の地域で、近くには金鉱山の採掘現場がある。
ユリアンたち一行は、新たな採掘候補地へと視察に訪れたのだった。
「新しい採掘の候補地?」
「ああ、リーフ。そうなんだ。この付近は高品位な鉱石が見つかったそうでね」
「この付近に鉱床があるのかな」
「そうだね。掘ってみないと分からないけど、この一帯はその候補地だって話だよ」
「ふうん……」
山のように見える斜面には木はあまり生えておらず、ところどころに地層が見えていた。
ゴロゴロとした岩場から湯気が立ち上っているのは、温泉が湧いているとのことだった。
「どのあたりから坑道を掘り進める予定なの?」
リーフは周囲をきょろきょろとしながら、ユリアンに尋ねた。
「資料によると、ここから西に向かって坑道を掘っていくそうだよ」
ユリアンは資料をペラペラとめくりながら、説明していた。
リーフはユリアンの説明を聞いて、改めて、西の方角に目を向けた。
「西に向かって掘っても、あまり見つからないかも……」
リーフの言葉にユリアンは目を丸くして驚いた表情を見せた。
「もしかして、リーフ、わかるの?!」
「土はあまりよく分からないよ。だけど、大地を探ればちょっとした違いというか……なんとなく? だから、本気にしないで」
そう言いながら、リーフの緑色の瞳はキラキラと煌めいていた。
「!? リーフが言うなら、本気にするよ?」
目の前で力を使っているリーフがそう言うのだから、ユリアンが本気にしないわけがなかった。
「それはちょっと困るかも……」
「それじゃ、リーフならどの方角へ掘ってみたい?」
リーフは地面をぐるりと見渡して、少し考えているようだった。
「うーん……ぼくなら、南に掘り進むかな」
「それはどうして?」
ユリアンは興味津々だった。
「それほど深くない場所に、それっぽい岩体がある……かも?」
南を向いたリーフの瞳は、まるで地中の宝石を見つけたかのように、一層強く煌めいた。
「岩体?」
「地下のマグマが冷えて固まったもの、と言えばいいかな」
「へ、へぇ……」
「でも、わかんないよ。ぼくは植物のほうが分かるもの。ただ、地下水脈があるとか、岩盤があるとか、何か異物があるとか、土の中の様子がわかるだけだから」
リーフはスッと瞳の輝きを収束させて、いつもの目に戻っていた。
「ううん、ありがとう、リーフ。南に掘り進めること、検討させてもらうよ」
ユリアンは検討と言ったけれど、心の中ではもう確信していた。
この情報がもたらす未来の豊かさを想像し、彼の頬は自然とゆるんでいく。
リーフの言葉は、この国に大きな希望をもたらす、かけがえのない宝物なのだ。
この視察にリーフに付いて来てもらったのは、大正解だった。
「ねぇ。ところで、今日の宿には温泉はあるの?」
岩場から湯気が立ち上がるのを眺めていたヘリックスが、ふいにユリアンに声をかけた。
「あはは。ヘリックスは温泉のほうが興味ある?」
「そうね。私は鉱山とか分からないし。でも、温泉水に興味があるわ!」
ヘリックスは長い時間を人間界で暮らし、意外にも温泉というものに詳しかった。
これは単に興味があるというだけで精霊の力とは関係がないのだけれど、美味しい水には目がない、というヘリックスの嗜好からくるものだ。
「この辺りの温泉は少しシュワシュワするって聞いたかな。口に含むと、わずかに塩気と苦みがあるとか」
「へぇ! だったら、保養地とか別荘とか作るといいかもしれないわね」
「ここの温泉が需要があるってこと?」
「シュワシュワするんでしょう? 肌がつるつるになるわよ?」
「肌がつるつる? ということは、この温泉は肌に効果があるんだね! それなら役立てないともったいないな。ありがとう、ヘリックス。いいこと聞いたよ!」
ユリアンは心から嬉しそうな表情を浮かべた。
ユリアンたちは採掘候補地にほど近い小さな村で一泊し、翌日、王都に戻った。
そして、リーフの助言があったため、坑道は南へと掘り進めることが決定したのは言うまでもなかった。
さらに、ヘリックスの助言によって、付近には保養地が建設されることになった。
この場所はやがて、遠方からも人々が訪れる『美肌の湯』として、ひっそりと、しかし確実にその名を広めていくのだけれど、それは数年後のお話――。
◇ ◇ ◇
【閑話】テラの成長
契約解除から約3カ月余りが経ち、テラは普通の16歳の女の子として、毎日を時間の流れの中で過ごしていた。
不老不死だと何も変わらないけれど、今は変化があるのを新鮮な気持ちで楽しんでいたのだ。
おかげさまで、髪が伸びたのもある。
身体が、本来の女性らしいリズムを取り戻したのもある。
それから、もうひとつ。
重要な成長が見て取れた。
リーフがユリアンと視察に行って留守にしていた夜、テラは湯船に浸かり、身体の変化を実感していた。
「やっぱり気のせいじゃないよね……!」
契約解除から1カ月が経った頃から
わずかに胸の痛みや張りがあって
最近はズキズキと痛む。
それに伴い、変わってきた気がしていたけど……
やっぱり、胸が少し大きくなった気がする!
いや、気がするんじゃなくて
間違いないわ!
我ながら小さめだと気になっていたけど
私だって成長してるってことよね!
その変化は、気付いてほしくもあり、ちょっと恥ずかしくもあり、だけどやっぱり女の子としては、嬉しい成長だった。
「リーフ、気付くかな?……いいえ、リーフは関係ないわ!」
リーフは、テラの胸を触ったときに『脂肪があまりない』と言って、彼女を怒らせたことがあった。
そもそも、あの時、私が怒ったらリーフが泣いちゃって
私が謝ったのよね。
私は何も悪くないのに!
まあ……リーフは天使みたいで可愛かったけど。
でも!
リーフは自分の悪いところ、分かってないままなのよ。
女の子の胸を平気な顔して触って
脂肪が無いとか言って
とんでもなく失礼なのに!
テラはその時のことを、かなり根に持っていた。
なので、わずかでも成長したことが嬉しかったし、『脂肪がない』などと、二度と言わせるつもりはなかった。
「だいたいリーフは……胸に全く興味がないんだもの」
そう言って、ふと目線を落として、自分の胸を見つめた。
両手を胸に当てると、以前よりも確かな感触があった。
それが嬉しくて、そっと両手で包み込むように撫でてみた。
「再契約までに、もう少し成長するかな……?」
あと2カ月弱ほどの期間、テラは乳製品を多めに摂ろうと決意するのだった。
いつも「刻まれた花言葉と精霊のチカラ 〜どんぐり精霊と守り人少女の永遠のものがたり〜」を読んでいただき、ありがとうございます!
次回更新をお楽しみに!