106 王城生活08 五月 大切な想い
5月の薫風が吹き抜ける、ある日の午後。
装飾工房のファルの元に、彼の第一弾ペンダントの試作品が届けられた。
それは、まるで誰かを想う心のように、繊細な輝きを放つスターリングシルバーのペンダントだった。
チェーンは驚くほど細く、風に揺れるほどの華奢な作り。
それは、金属加工職人の挑戦とも言うべき、繊細さと強度の融合を実現した初の代物だった。
ペンダント・トップは、万年筆で描いたような曲線のオープンハート。
ハートの曲線の先端にダイアモンドが埋め込まれたその一品は、磨き上げられたシルバーが、光を反射して煌めいていた。
「このペンダント、ファルが考えたとは思えない繊細さだよね」
クライドが少しからかうように感想をこぼした。
「なんだって? 俺が雑だって?」
「ははは。雑だなんて言ってないよ」
いやいや、言ってるだろ?!
とツッコミたくなったけれど、言わないことにした。
「しかし、こうやって実物が作られてくると、感慨深いな」
紙の上に描かれた線が、こうして確かな形になるなんて。
ファルは試作品を手のひらに乗せて、まじまじと見つめていた。
「どう? イメージ通り?」
クライドが興味深げに尋ねた。
「ああ、イメージ通りだ。シルバーにして正解だったかな」
ファルはチェーンの滑らかな手触りを確かめるように、指を滑らせていた。
「チェーンがすごく細いよね。こんなに細いのは初めて見たよ。太いチェーンが主流だけど、この細いチェーンはゴテゴテしてなくて女性らしい、柔らかな印象だ」
小判タイプのそれは線径0.3mm、風に揺れるほどの繊細さで、かなり華奢な作りになっていた。
「ペンダントって、ドレスとセットで見栄えのする豪華なものばかりな気がするんだ。だからこれは、普段使い用だ。婚約者に指輪を贈った次は、普段使いのペンダントをプレゼントしたらどうかとね」
「奥さんにプレゼントするために作ったのか?」
「まあ、そうかもしれないな。はははっ」
笑って誤魔化したけれど、間違いなく、リモへの想いを込めたペンダントだった。
ちょうどそこへ、ファルの図案の試作品を確認するために工房長がやってきた。
「ほう、これはまたずいぶんと繊細な印象だ。図案通り、といったところか」
豪華で重厚なペンダントが主流の今、これほどに繊細なチェーンのペンダントはおそらくどこにも無い。
装飾工房の金属加工職人の技の賜物ともいえる。
「はい、シルバーで良かったなと。もちろんゴールドでもいいし、宝石もダイアモンドでなくてもいいですが」
「そうだな。色んなパターンで作れる。なかなか、いいんじゃないか?」
「そう言ってもらえると、嬉しいです!」
ファルは工房長に褒められたことを素直に喜んだ。
「第二弾はハート型が組み合わさったものだったかな。楽しみにしてるよ」
工房長はファルの肩をポンと叩いて、試作品を手にし、言葉を続けた。
「それと、この試作品は王妃にお見せするから、ちょっと預かるぞ。気に入ってもらえたら、生産開始だ」
「は、はい、わかりました! ありがとうございます!」
ファルは、自分のデザインが王妃の元へ届けられることに、期待と少しの不安を覚えた。
数日後――。
工房長が持参した試作品に王妃は大層気に入り、すぐさま、商業化が決定した。
そして、王妃は『この素晴らしいデザインの証として』、その試作品をファルに贈ることを命じたのだった。
後日、工房長がその試作品を携え、ファルの元へやってきた。
「王妃様が大変気に入られ、商業化が決定した。そして、お前への褒美として、この試作品をくださるそうだ。よかったな! 第一弾の記念の品だ」
「お、俺にですか!? は、はい、ありがとうございます!」
ファルは、まさかの展開に目を丸くし、畏れ多い気持ちと喜びで胸がいっぱいになった。
その日、ファルはセオドア宮の部屋に戻ると、少しばかりドキドキとしながら、愛妻リモに話しかけた。
「リモ、君にプレゼントがあるんだ。これなんだが……」
ポケットから出したのは、第一弾のペンダントだ。
「わぁ! とってもかわいいペンダントね! チェーンがとても細いわ。これ、ファラムンドが作ったの?」
リモの淡いピンクの瞳が、キラキラと輝いていた。
「俺が発案して、チェーンは工房で作ってもらったんだ」
「すごく素敵! ハートの形もかわいいし、この宝石は……ダイアモンド?」
「ああ。王妃様が気に入ってくれて、貴族向けに生産することになった。これはその試作品でな。俺にくれるって。だから、これはリモに」
「いいの? 私がもらって」
「もちろんだ。リモの首に似合うものと思って、考えたんだ。ぜひリモに着けてもらいたいよ。後ろ向いて?」
ファルはペンダントをそっとリモの首にかけると、首の後ろでチェーンを留めた。
「どう、かしら……?」
「想像どおり、とてもよく似合ってる。かわいいよ」
リモの白く細い首筋に、シルバーの細いチェーンが滑らかに肌に沿い、サラサラと光を反射させながらオープンハートとダイヤモンドを煌めかせていた。
◇ ◇ ◇
5月に入り、流行っていた風邪はピークが過ぎ、流行は去ったようだった。
テラは薬草研究棟の薬草園でエルダーフラワーの花を採取していた。
ふんわりと漂うフルーティーな甘い香りが、鼻をくすぐる。
「風邪の流行は落ち着いたけど、ちょうど開花時期になって良かったわ」
「テラならこの花をどうする?」
そう尋ねたのはエイジーだ。
「まずは、新鮮なままで試したいのと、あと、乾燥させてからの抽出も」
「ええ、新鮮なままで抽出するのと、乾燥させて抽出するのとで、どちらが効果的なのか、というのもあるわね。ただ、新鮮なままというのは限られてしまうから、乾燥して保存することになっちゃうんだけど」
「エルダーフラワーは主に、乾燥させたものに熱い湯を注ぎ、しばらく蒸らしてから飲むのが一般的です。でも……新鮮なほうが効果があるのではと思うんです」
「そうね。……とりあえず6月頃までは花を採取できるから、それまでなら新鮮な花を使うことは可能ね。ひとまず、新鮮な花と乾燥させた花、どちらがいいか、試しましょう」
ただ乾燥させたものに熱いお湯を注いでしばらく蒸して飲む、というだけではなく、より効果的に、まさに『薬草茶 』から『薬』へ。
ハーブティーを日常の飲み物から、治療を目的とした強力な『薬』へと昇華させる試みが始まったのだった。
◇ ◇ ◇
そうして、5月もそろそろ終わる、そんなある日の夜。
少し大きめの二人掛けの長椅子にゆったりと座り、テラはハーブティーを飲みながら、薬草の本を開いていた。
そのページには、エルダ―フラワーが載っていた。
「リーフに聞きたいことがあって。エルダーフラワーってわかる?」
「エルダーフラワー? 風邪に効く花だよね」
リーフは特に何をするわけでもないのだけれど、テラの横に座って、ニコニコしていた。
「今ね、私、薬草研究棟でエルダーフラワーの成分抽出の実験みたいなことをしていて」
「それはすごいね。どんなことをしてるの?」
「成分の抽出は、新鮮な花がいいってことは分かったの。乾燥させたものより、新鮮なほうがいい。でも、新鮮な花は限られるから、保存できる乾燥物になっちゃうんだけど」
「新鮮なものがいつでも欲しいなら、ぼくの依り代に保管しておく?」
リーフにとっては、当然の提案だった。
「私が使うだけならそれでいいけど、この王城で、私がいなくなっても、ずっとってなると、無理でしょう?」
「それなら、オレガノの精霊に頼んだらどうかな。いいよって言ってくれるかも?」
「オレガノの精霊? ああ! 前に聞いたことがあったわね。王家が契約している精霊って」
「そう。オレガノの精霊は城内のオレガノ畑に宿っているから、いつでも城内にいる。依り代だってもちろんあるはずで、持ってるとするなら国王が持ってるよね」
リーフの推測は正解で、オレガノの精霊の依り代は国王が持っている。
依り代の使い道を知り、今では色んなものを保管してもらっているらしい。
「こ、国王様!? さすがに頼むのは……。それに、いつでもってなると、依り代から出してもらうのが大変でしょう?」
「はは、確かに。でも、念のためにでも、保管してもらっておくってのはいいかもだよ? 普段は乾燥したものを使って、新鮮なものがあれば、という、どうしても必要な時のために」
「それもそうね……」
「花の保管のことは、ぼくからユリアンに相談しておくよ」
「ありがと、リーフ。……あ、それでね。エルダーフラワーなんだけど」
「うん、なあに?」
「エルダーフラワーにお湯をそそいで、さらに煮詰めると濃縮されるでしょ。濃縮エキスといった形になるのね。でも、煮詰める時間や温度を細かく調整するのが難しかったんだけど、最近、ようやく見えてきたの!」
テラは、有効成分を最大限に濃縮しつつ、熱に弱い成分や風味を損なわない最適な方法を見つけ出すのに苦労していた。
けれど、それももうすぐ解決しそうで、嬉しくて仕方がなかった。
普段はリーフに報告などはしていなかったのだけど、どうしても言いたくなった。
「テラは凄いね! それが、薬草茶から薬へってことだよね」
「うん、そうなの! もう、嬉しくって!」
テラは心底嬉しそうで、満面の笑みを浮かべていた。
「そっか。よかった。そしたら少しはぼくのこと、相手にしてくれる?」
「えっ!?」
テラはきょとんとして、いったい何の事と言わんばかりの表情だった。
「だって、テラ、ずっと考え事ばかりしてるみたいだったし、部屋に戻ってきても本ばかり読んでて。ちょっと、寂しかったかも……」
確かに少し寂しかったのは本当だけれど、こう言ったリーフの思惑は、別の所にあった。
「ご、ごめんね。確かに、薬草のことばっかり考えてた……」
「ぼくのことなんて、忘れちゃったのかなって」
リーフは、ちらりとテラを見る。
「そ、そんなことないよ! 毎朝、目覚めのキスして、行ってらっしゃいのキスもして、ただいまのキスも……おやすみのキスも……」
そう言いながら、だんだん、それしかしてない数週間だったと気が付いた。
いい雰囲気になることよりも、頭の中はエルダーフラワーだった。
もちろん、疲れていたのもある。
だけれど、言い訳みたいになるので、テラはそれ以上、言わないことにした。
「テラ、そろそろ寝る?」
「そ、そうね。寝ようかな……」
5月になり気温も上がってきたので、今はベッドで温めてもらう必要もなくなっていたけれど、リーフは人肌程度には温かさを維持するよう、力を使っていた。
ベッドに入り、いつもの『おまじない』と『おやすみのキス』をする。
テラはリーフの腕の中の定位置に収まった。
シーンと静まり返り、あとはもう、寝るだけのはずだった。
「……もう、寝ちゃうの?」
頰をすりっと擦り寄せ、甘えるような仕草と艶っぽい声色で問いかけるリーフに、テラはドキッとした。
これって、まさか……
リーフからのお誘いでは!?
「リーフは……まだ寝たくないの?」
ドキドキとする鼓動を抑えながら聞いてみた。
「うん。まだ、寝たくないかも……」
契約していなくても、『テラが喜んでくれるキス』は特別で、テラがご機嫌で嬉しそうにしている今こそ、テラに喜んでもらえるキスをして、もっと喜んでもらえたら、と思っていた。
「リーフ? キス……する?」
「うん。いっぱい、する」
耳元で囁くように、そう口にしたのと同時に、ふわりと唇が重ねられた。
リーフの思惑通りの展開で、テラにいっぱい喜んでもらえるように、気持ちをいっぱい込めた。
久しぶりの甘く蕩ける時間を過ごし、テラは胸いっぱいの幸福感に包まれた。
研究成果を見つけ出した日の嬉しさすら霞んでしまうほど、リーフの温もりは、彼女の心を喜びと安らぎで満たした。
再契約まであと約2カ月。
このまま順調に夏を迎えると、7月の下旬には再契約が結ばれる。
初めての契約の時とは違い、今のふたりの間には紛れもなく強い絆があり、『キス』という形では測れない、最も大切な想いが育まれていた。
いつも「刻まれた花言葉と精霊のチカラ 〜どんぐり精霊と守り人少女の永遠のものがたり〜」を読んでいただき、ありがとうございます!
次回更新をお楽しみに!
 




