105 王城生活07 四月 舞踏会
4月に入り、貴族や裕福層の間では社交シーズンが始まり、王城でも舞踏会や晩餐会が開かれていた。
風邪の流行はあるけれど、すべてを中止するほどのものではなく、例年通りの開催となっていた。
例年と違ったのは、『特別ゲスト』がいるというウワサが流れていたことだ。
それは意図的に広められたウワサで、かの有名な『恋愛成就のスターチスのしおり』の制作者がゲストとして招かれている、というものだった。
「あの『スターチスのしおり』の制作者が、今回の舞踏会の出席者のために、特別な『愛の加護のお守り』を作ってくれるらしい」
「特別ゲストは、とても人間とは思えないほど美しいらしい。その美しさに見惚れると、魂を抜かれてしまうとか」
魂を抜かれることは無いのだけれど、社交シーズンの舞踏会は若い女性がお相手を探す場でもあり、恋愛は切り離せない重要な要素だった。
「ごめんね、リモ。こんなところに呼んでしまって」
ユリアンが申し訳なさそうにリモに話した。
「いいのよ。面白そうだし、華やかな場所は嫌いじゃないわ」
「リモのウワサのおかげで、例年以上に盛り上がってるよ。参加者が1.5倍くらいになったからね」
「ふふっ。それで、私はどうすればいいかしら」
「それなんだけど、リモが会場にいる人を見て、この人って決めてもらえる? リモが気になった人、一人でも二人でもいいよ」
「わかったわ。それじゃ、どこか会場を見渡せる場所に行こうかしら」
ユリアンはリモの手を取り、エスコートする形で、会場が見渡せる2階の回廊に案内した。
見える人には見え、見えない人には見えない、リモの登場だった。
一瞬、一部の人の間で会場がざわついた。
しばらくジーッと眺めていたリモは、目についたひとりの若い女性を指さした。
「決めたわ、ユリアン。ひとりで壁際に立っている淡い黄色のドレスの女の子。呼んでもらえるかしら」
リモの隣にいたユリアンが階段を下り始めると、会場がさらにざわついた。
ユリアンはそのまま一直線に淡い黄色のドレスの女の子のところへ向かい、正面に立つと、軽く会釈をした。
「恐れ入ります。ユリアン・セオドア・エルディンです。特別ゲストが貴方をお呼びです。よろしければご一緒に来ていただけますか?」
ユリアンの言葉に、周囲から歓声が上がった。
「は、はい、行きます!」
ユリアンに連れられ、リモの元に案内された女の子は守り人だった。
3人で2階の用意された部屋に入り、ドアを閉めると会場の喧騒が遠のいた。
静寂に包まれた部屋で、椅子に腰かけ、彼らは向かい合う。
「それじゃ、リモの出番だよ」
「ええ、ユリアン。どうもありがとう」
リモはユリアンに礼を言うと、女の子に向き直り、彼女に話しかけた。
「私はリモ。あなたのお名前を伺っても?」
「あ、すみません。私はエアリー・クライアンと言います。こ、光栄です! 特別ゲストのリモ様に直接お会いできるなんて!」
エアリーと名乗る女の子は、目を輝かせてリモを見つめていた。
「ふふ。私がエアリーを呼んだ理由はわかるかしら」
「え、えっと……私の片思い……ですか?」
「ええ。好きな彼がいるでしょう? この会場にも来ている。あまり引き留めると、彼とダンスをする時間がなくなっちゃうから、早くしないとね」
「ええっ、ダンスは誘ってくれないと思うし……いつも『妹みたいだ』って言われるから……」
リモの指摘にエアリーは驚きつつも、少し寂しそうな表情を浮かべ肩を落とした。
彼からすれば自分はただの『妹』なのだと、彼女は何度も自分に言い聞かせてきた。
けれど、ほんの少しだけ期待してしまう自分がいることも、彼女は知っていた。
「そんなことないわよ? 誘ってくれるわ」
リモは優しく微笑むと、スターチスのしおりを渡した。
「このしおりを手にして、好きな彼を思い浮かべて」
「は、はい!」
しおりがじんわりと光を帯び、加護が発動したのを確認すると、リモが使い方を教えた。
「それでいいわ。そのしおりは大事に持っていてね。時々、手に持って、彼を思い浮かべてね」
「あ、ありがとうございます!」
エアリーはしおりを胸元に仕舞い、何度も礼を言って会場に戻っていった。
2階の回廊からユリアンは会場の様子を眺めていた。
さっきの子は好きな彼と踊ることが出来るのだろうか?
気になる事はその一点のみだった。
会場に戻ったエアリーは女性たちに囲まれ、何やらワイワイと話をしているようだった。
おそらく、特別ゲストとどんな話をしたのか、どんな人だったのか、あれこれと聞かれているのだろう。
すると、エアリーを囲む女性たちの視線も気にせずに、スラリとした長身の青年が中に割って入り、 彼女に声をかけ、手を取った。
エアリーは嬉しそうに微笑み、けれど恥ずかしそうでもあり、ユリアンは察した。
「ああ、彼がエアリーの想い人……」
「彼はちらちらと彼女を見ていたわ。気になっていたけど、勇気がないって感じだったわね」
「そっか。リモはよく見てるんだね」
「その視線に、好意が込められているかというのは、分かるの」
ユリアンは、驚きを隠せない様子でリモに問い返した。
「そ、そうなんだ……。視線で、わかる……」
「ええ。ユリアンはカリスが大好き。当たっているでしょう?」
「はは……リモには隠し事は出来ないね」
リモの言葉にユリアンは照れたように下を向いて頭をかいた。
「しおり、いる? ユリアン用に加護をつけるわよ?」
「えっ! す、すごく欲しい……喉から手が出るくらい……!」
思いがけないリモからの申し出に、ユリアンは目を丸くした。
しかし、しおりに頼るのは後ろめたいような気もした。
「だけど……ちょっと迷う……」
「そうね。でも、これは強制ではないのよ。あくまで後押し。きっかけに過ぎないの」
「きっかけ……」
ユリアンは迷いつつも、リモのしおりをとうとう手に入れた。
ただ、今すぐどうこうするのではなく、お守りとして持っておこうと決めた。
何かの時は、手に持ち、相手を思い浮かべるつもりで。
◇ ◇ ◇
風邪が流行り始めてから約1カ月が経った、4月の下旬。
最初は、王都の外れの農村で流行っていた風邪が、この1カ月ほどで王都全域に広がっていた。
ただ、高熱が出るけれど数日寝込むくらいで、重症化する者は稀だった。
テラが通う薬草研究棟では、この風邪に適した薬草を選定すべく、毎日、あらゆる試行錯誤が繰り返されていた。
おそらく、今が流行のピークで、今後は落ち着いてくる。
しかし、もっとも適した薬草が分かれば……。
というのも、既存の風邪に効くとされる薬草茶では効果があまり見られず、慰め程度にしかならなかったからだ。
テラは、自分の知る薬草の知識では、この風邪に太刀打ちできないのではと焦りのようなものを感じていた。
「リーフの守護付のリコリスルート・カモミールティーでも、少し時間がかかったってリーフが言っていたもの。……普通の薬草茶なら効果が望めないのは仕方ないのかな……」
テラがひとり言のようにブツブツとつぶやいていると、会議から戻ったエイジーが声をかけた。
この会議は今回の風邪の流行に関する関係者会議だった。
「テラが作ったという、このリコリスルート・カモミールティーの成分は、あまり参考にはならないわね。精霊の力で強化されているそうだけど、どうやったらこれだけの有効成分が凝縮されて……こうなっているのかさっぱり分からないわ」
テラは、旅に出る前に作ったリーフの守護付の薬草茶をエイジーに渡していた。
とんでもない効果を発揮するこのお茶の成分を調べると、何か分かるかと思った。
「なんだかすみません……」
「テラが謝ることじゃないのよ。やっぱり精霊の力は未知のものなのね」
エイジーは困ったように微笑み、テラの肩を軽く叩いた。
「人の手で作るのは、やはり難しいでしょうか」
テラはエイジーに問いかけた。
「既存の風邪の薬草茶っていうと、カモミールだったり、シナモンだったり、エキナセアを使ったりだけど、今回流行っている風邪には、エルダーフラワーが合うんじゃないかと思ってるのよ」
「もしかして、なにか新しい情報があったのですか?」
「ええ、実は、ついさっきの会議でね。エルダーフラワーのハーブティーを日常的に好んで飲む人は、風邪をひかなかったそうなの。たとえひいても軽く済んだらしくて」
「エルダーフラワー! ここの薬草園にもありますね。もうすぐ開花時期になります!」
「ええ、花が咲いたら、エルダーフラワーの花を採取して、成分の効率的な抽出方法を調べたいと思っているの」
エルダ―フラワーの開花は5月から6月。
もうすぐ4月も終わり、すぐに開花時期がくることを考えれば、またとないタイミングだったと言える。
テラは5月になるのを待ちきれないように、わくわくと気持ちを逸らせていた。
いつも「刻まれた花言葉と精霊のチカラ 〜どんぐり精霊と守り人少女の永遠のものがたり〜」を読んでいただき、ありがとうございます!
次回更新をお楽しみに!