101 王城生活03 契約がなくても
翌日。何も予定のない、完全休日の朝。
とても早起きをしたリーフは、腕の中で眠るテラの寝顔を満足げに見つめていた。
「早起きしたら寝顔を見られるからね……だけど、目覚めのキスをしなくちゃね!」
リーフはテラの顔に、そっと顔を近づける。
「でもまだ、早すぎないかな?」
時間はまだ朝の4時。
窓の外は真っ暗だった。
「まあ、いっかな?」
リーフはテラの唇に、自身の唇を重ねた。
重ねたけれど、すぐに離れた。
「こういうときは起きるまでするのかな? 目覚めのキスっていうくらいだし、目が覚めないと意味がないよね?」
もう一度唇を重ねてみる。
さっきよりも少し長く重ねた。
「?……これ、気付いてくれるようにしないとだめだよね……?」
三度、唇を重ねた。
今度は気付くように、リーフなりに試行を凝らす。
早朝の静まり返った部屋に、リーフの甘やかな口づけの音だけが響いて、テラの耳を否応なく刺激する。
「んん…………っ」
じつのところ、テラは少し前から起きていたのだけど、リーフのキスに寝たふりはもう限界だった。
「起きた? 目覚めのキスだよ」
霊核がほんのりと温かくなって、『仲直りのキス』をしたときと似た、温かで、じんわりと穏やかな幸せが広がっていく感覚。
『目覚めのキス』もすごくいい……!
これなら毎日できるかも!
リーフはぴたっとキスをやめて、柔らかな笑顔を浮かべていた。
目的が果たせて、ご満悦な様子だ。
起きたら終わり……
そうよね……。
だって、目覚めのキスだもの。
そのまま『いい雰囲気』になる流れを期待したのは間違いだったと気付いたテラは、正直な気持ちを残念そうに口にしてみた。
「もっと……リーフと触れ合いたいかも……」
「手、つなぐ?」
手!?
心の声が飛び出しそうになったけど、ぐっと呑み込んだ。
「手も繋ぎたいけど……」
リーフはテラの手をとると、指を絡めた。
ニコニコのリーフはご機嫌なようだけれど、テラの気持ちとは少々のズレがあった。
「触れ合いに……キスは、入らない?」
テラは勇気を振り絞って、はっきりと言葉にしてみた。
「ううん、入るよ?」
リーフはちゅっと優しい口づけをして、にっこり。
どうしてか、初キスの時や結婚パーティーの夜のような、甘く蕩けるようなキスにはならない。
『いい雰囲気』はなかなか難しい。
というより、テラは『いい雰囲気』だと思うのだけれど、リーフはそうではないみたいだった。
それもそのはずで、人とは違う、精霊の生態ともいうべきなのか、これはリーフに限らず精霊はすべて同じで、契約している守り人が相手でないと霊核は呼応しない。
テラと触れ合うのは嬉しいし、温かいし、ほんわかとした気持ちになれることは知っている。
昂揚感がなくても『仲直りのキス』はお気に入りだし、『目覚めのキス』もお気に入りに加わったばかりだ。
けれど、『触れ合い』がキスである必要性は特に無く、キスは触れ合いの一つであり、リーフの感覚としては『手を繋ぐ』のと大差はなかった。
「もっと、キス……したいって言ったら……?」
テラが気恥ずかしそうにリーフに訊ねた。
「いいよ? いっぱい、する?」
リーフが即答であっさりとOKするので、テラは拍子抜けしてしまった。
それは、まるで手を繋ぐのと同じような、無邪気な返答。
リーフからすると、単に、いっぱい触れ合う、という感覚だろう。
しかし、至近距離で見つめられて、こんな言葉をかけられて、自分からキスしたいと言ったのに、リーフの返答に心臓が跳ね上がった。
いっぱいキスをしても、昂揚感は湧かない。
昂揚感など無いのだから、満たされるべき感覚も無い。
それでも、キスを重ねるごとに紅潮していくテラが可愛くて、次第に甘ったるく匂い立ってくる吐息に、リーフは惹きつけられた。
「……すごくかわいい……匂いも……」
そっか。
ぼくがこうすることで、テラは『嬉しい』や『気持ちいい』を感じてくれる。
ぼくもそれが嬉しくて、もっと見たくなる。
リーフは自分の中でこの触れ合いに名前をつけた。
『テラが喜んでくれるキス』
テラとのキスという『触れ合い』に、特別な意味を持たせた瞬間だった。
契約が無くても、湧き上がるような感覚がなくても、日常の中に溶け込む触れ合いはとても大切なものとなって、好きな気持ち、かわいいと思う気持ち、触れ合うと嬉しいと思う気持ちを教えてくれたテラを、もっと好きになる。
「契約してなくても、ぼくはこんなにテラが好きでいられる…………ありがとう、テラ。ぼくに『好き』を教えてくれて。……ぼくがぼくとして、こうしてちゃんと、テラが好きって言える。それがとても嬉しくて」
「……ありがと、リーフ……嬉しい。大好き……」
テラはリーフの腕の中に顔を埋めた。
契約が途絶えたことで、二人の絆は消えるどころか、むしろ鮮明になった。
それは、血の契約を超え、二人が互いに与え合った温かい感情の積み重ね。
二人の想いが交わされたその瞬間、その絆がどれほどかけがえのないものになったかを、改めて実感する。
リーフの腕に抱かれ、穏やかな幸せの余韻に浸る、二人だけの時間が過ぎていく。
「それにしても……リーフ、早起きよね? まだ朝の5時すぎだよ? どうしようかな。こんな早起きしちゃって」
「ごめんね……目覚めのキスをしてみたくて、早く起こした……」
「ふふっ。それじゃ……朝のお散歩に出掛けてみる? 明るくなってきたし、いいお天気みたいだよ」
「うん、朝のお散歩、行こう!」
2月の下旬、まだ冷たい空気が肌を刺す午前5時過ぎ。
東の空がゆっくりと色づき始め、庭園を淡い光が包み込む。
リーフと手を繋いだテラは、吐く息が白く染まるのを見つめながら、静かに歩き出した。
リーフは手から伝わるテラの温もりを感じ、体中に広がる幸せを実感していた。
今日は一日、何の予定も無い。
明日から始まる新たな生活も楽しみだけれど、忙しくなるかもしれない。
リーフと一緒にいる時間も少なくなるかもしれない。
それを思うと、今日は二人きりでのんびりと過ごしたい……かも。
リーフの横顔を見つめながら、今日の過ごし方を考える幸せ。
「ねぇ、リーフ。私、すごく幸せ。ありがとう、私のそばにいてくれて」
「ぼくも幸せ。ありがとう、テラ。ずっとそばにいるから」
この幸せが、ずっと続きますように。
そんな願いが、静かで穏やかな満ち足りた時間となって、二人の間に流れていた。
いつも「刻まれた花言葉と精霊のチカラ 〜どんぐり精霊と守り人少女の永遠のものがたり〜」を読んでいただき、ありがとうございます!
次回更新をお楽しみに!




