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01 血の契約

「守り人はとても甘くていい匂いがするの。それは血の匂いで。だから守り人って分かるの。その血はぼくにとって、ごちそうなの」


 手のひらに乗るほどの小さな精霊は、少女の血をごちそうだと言い、目を細めて穏やかに微笑んでいた。


「精霊さんは、私の血が欲しいの?」


 精霊なんて伝説か昔話の中の存在だと思っていた。しかし、今、少女の目の前にいる。


 拾ってきたどんぐりから現われたどんぐり帽子を被った精霊は、柔らかな白銀の髪を揺らしながら、緑色の膝丈のケープを纏い、淡い光の中で静かに佇んでいた。その緑色の瞳は、まるで語りかけるように少女をじっと見つめていた。


 薄暗い部屋の中でぼんやりとした光を放つ二つの緑色の瞳は、夜空の星のように煌めいて、それはどこか寂し気にも見えた。



 いつものように村の近くの森で薬草を採取していた少女は、普段はあまり入らない小道へと足を踏み入れた。もしかしたら、こちらの方が薬草がたくさん見つかるかも――そんな期待が頭をよぎったからかもしれない。


 少女が薬草を探しながらしばらく歩いていると、少し開けた草地に突き当たった。そして、その草地の奥の古びた石造りの小さな建物が、少女の目に飛び込んできた。


「なんだろう? こんなところにあんな建物、あったかしら。こっちにはあまり来ないけど……あれは……神殿?……こんな建物、無かったと思うんだけどな」


 少女は記憶にない風景に戸惑いながらも、乾いた草地を一歩一歩と進み、その建物に引き寄せられるように近づいていった。


 石造りの建物は神殿のようだった。周りには苔と蔦が絡み、楓の紅葉が風に揺れている。神殿のすぐ横には、樹齢数百年はあると思われる立派なオークの木が立ち、優しく見守るように大きく枝を広げていた。


 この光景に少女は不思議と温かい気持ちを覚え、自然と神殿の正面まで歩を進めた。


 少女は初めて見る神殿に目を輝かせながら、崩れかけた石の階段に足をかけて登り始めると、どこからか小さなどんぐりが転がってきた。


「あっ、どんぐりだわ。どこから転がってきたのかしら」


 空のような青い瞳で空を見上げ、首をかしげつつも、足元に転がるどんぐりを拾い上げて、そっと手のひらに乗せた。


「形もきれいだし、まんまるでなんだか可愛いわね」


 どんぐりがお守りとして大切にされていたという村の古い言い伝えをふと思い出し、少女はこのどんぐりをお守りのように握りしめた。そして、おそるおそる、でも少しワクワクした気持ちで神殿の中に足を踏み入れた。


 入り込む光のあたたかな空気感と静けさの中で、少女はしばらくぼんやりと立ち尽くしていた。しかし、外から響く雷鳴にハッと我に返る。


「いけない。薬草採取の途中だったわ。今日は早く帰ろうと思ってたのに」


 さっきまで晴れていた空から、ぽつりぽつりと冷たい雨が降り始めていた。


 少女は、手に握りしめていたどんぐりをカバンにサッと仕舞い、神殿を後にした。淡い金の三つ編みの長い髪を揺らしながら、タッタッタッタッと一定のリズムで足音を立て、元の道を急ぎ足で辿った。


 少女の足音が遠ざかり、その後ろ姿が見えなくなると、神殿は静かに光の中に消えていき、そこには何もない、ただの草地だけが広がっていた。





 その日の夜。


 夜が更け、村が静かに眠りについた頃。少女は拾ってきたどんぐりをテーブルに置き、暖かな毛布に包まり、心地よい眠りに落ちた。


 それからどれくらいの時間が経ったのか、月明りも無い、薄暗い部屋のテーブルに置かれたどんぐりから、不思議な光がほんのりと差し始めた。


 その光に気づいて目を覚ました少女は、淡い光に包まれたどんぐりのそばに、小さな人形のような存在が佇んでいるのを見た。


(え、なに?)


 目をこすり、瞬きをして目を凝らしてみると、その人形のような存在はまるで生きているかのように見えた。


「よ、妖精!?」


 驚きと好奇心でいっぱいになった少女は、思わず大きな声をあげた。


「ごめんね、起こしちゃった。ぼくは神殿に住む精霊なの」


 柔らかく優しげな、少し高めの声が夜更けの薄暗い部屋に満ちていった。


「精霊……」


 どんぐり帽子を被った精霊は、柔らかな白銀の髪を揺らしながら、緑色の膝丈のケープを纏い、淡い光の中で静かに佇んでいた。その緑色の瞳は、まるで語りかけるように少女をじっと見つめている。


「君に会うためにどんぐりを落としたの。拾ってくれて、ありがとう」


 優しげで穏やかに微笑む精霊にお礼を言われ、少女はどんぐりが偶然落ちてきたものではないと知り、動揺しながらも当然の疑問を投げかけた。


「私に会うため? 私のこと知ってるの?」


「うん。知ってる。君は守り人。ぼくが住む神殿の守り人の末裔なの」


「守り人? 私が守り人の末裔!?  末裔って言われても、父さんや母さんからも何も聞いていないのに……。どうして分かるの?」


 少女は驚きのあまり声が震えた。無意識に自分の手を見つめながら、信じられない気持ちでいっぱいになった。


「守り人は精霊にとって特別なの。甘くてとてもいい匂いがする。守り人だけに継がれている匂いだから間違いないよ。そして君は、ぼくの神殿、ぼくの守り人の末裔。それに、精霊は守り人にしか見えないの」


 精霊の言葉に大変驚き困惑していた少女は、『精霊は守り人にしか見えない』と告げられ、納得するしかなかった。少女には精霊が見えているのだから。


「そ、そうなのね……」


(嘘みたいなあり得ない話のように思えるけど、精霊さんが言うのだから、そうなんだろうな……)


 精霊の言葉を思い返し、少し考えてから、少女は精霊に訊ねた。


「精霊さんの守り人、私がしなくちゃいけないの?  私にできるのかな……」


「ぼくには精霊の力があるから心配しないで。守り人と精霊は共存関係っていうのかな。ぼくはどんぐりを依り代にして顕現するけど、精霊が見えるのも、精霊との意思疎通も、精霊に触れるのも、守り人だけ。君は特別なの!」


「私が、特別?」


「そう。ぼくの力はね、小さなどんぐりから大きなオークの木に成長してまたどんぐりを実らせる。様々な動物たちがどんぐりを食べて運んで、ぼくは自然界のバランスを保つの。良い土ときれいな水、若さと長寿、成功と成長、繁栄と豊穣、守護と安全。ぼくの守護はとても強力なの。ぼくの守り人はぼくがずっと守護するから」


 少女は少し得意げな精霊の説明を聞いて、『象徴』という言葉が脳裏をよぎった。


(どんぐりの精霊さんが言っていることは、どんぐりが象徴とするものだわ。精霊さんは象徴と同じ力を持つのかしら?)


 薬草に詳しい少女は、草花の花言葉や象徴といわれるものが効能や効果と結びついていることを知っていたため、精霊の言葉もすんなりと理解した。


「すごいのね、精霊さん。共存関係って言ってたけど、そんなにすごい精霊さんが私と共存関係になって、精霊さんにはどんな得があるの?」


 共存関係とは持ちつ持たれつの関係、どちらにも利益があって成り立つ関係を意味する。少女は精霊に問いかけた。


「それは、あの。ぼくの力は本来、一人のために使わないの。それを、守り人の願いで行使するその代償というか。さっき少し話したけど、守り人はとても甘くていい匂いがするの。それは血の匂いで。だから守り人って分かるの。その血はぼくにとって、ごちそうなの」


 精霊は少し言いにくそうに守り人の血はごちそうだと言い、少女は『守り人の血が精霊にとって意味を持つこと』、『その血が精霊の力を借りる代償になること』を知り、ようやく腑に落ちた。


 それでも、精霊が持つ力と自分の血が同等の価値とは思えなかった。思えなかったからこそ、分かった気がした。


「精霊さんは、私の血が欲しいの?」


「ち、違うよ! 欲しいわけじゃないの。ただ、ぼくにとってごちそうってだけ。それに、ほんの少しだけ。指先を針で刺して……ちょっと血が出る、そのくらい。少しだけでいいの……」


 一生懸命に否定する精霊の表情は、言葉を連ねるうちにか細くなり、不安げな表情に変わっていく。

 

『少しだけでいいの』と視線を落としてはにかむ小さな精霊の様子は、まるで告白のようで、少女はキュンと心を掴まれたような感覚を覚えた。


(欲しいわけじゃないって言うけど、血を飲む方法も量も教えてくれたわ。精霊さんはどうしてもごちそうが欲しいのね)


「それで精霊さんの力を借りることができるのね。共存関係。そっか。わかったわ。ところで精霊さん、お名前はあるの? なんて呼べばいいかな」


 この小さなどんぐりの精霊を気に入ってしまった少女は、血をあげることを心に決めて、精霊の名前を尋ねた。


「ぼくの名前はリーフ。森の葉っぱのように、自然と共に生きる精霊なの」


「リーフ。可愛い名前ね。私はティエラ。みんなはテラって呼ぶの」


「ティエラ、ステキな名前。ぼくもテラって呼ぶよ」


「そうだ。リーフ、ちょっと待ってて」


 テラは棚から裁縫箱を持ってきて、新品の針を取り出した。


(少し痛いけど普段でもよくやっちゃうし、大したことじゃないわ)


 針を指先に刺すと、チクッとしたほんの少しの痛みが走る。指先を押さえると、血がぷっくりと盛り上がってきた。


「はい、どうぞ」


 テラは優しく微笑み、その指先をリーフに差し出した。


「え、いいの!? でもね、テラ。これは血の契約なの。さっきは説明省いちゃったけど……」


 パッと嬉しそうな顔をしたと思うと、すぐにシュンと弱気な表情に変わった。そのコロコロと変わる表情を見て、テラは微笑ましく感じた。


(リーフって分かりやすくてかわいいのね。無垢! って感じだわ)


「血の契約? それはどんな契約なの?」


 血をあげてもいいと心に決めていたテラは、『血の契約』と聞いても特に動じることなく、にこやかな表情でリーフに尋ねた。


「ほかの精霊に血をあげないで。ほかの精霊と契約しないで。ぼくも他の守り人から血をもらったりしない。ぼくはテラだけ。……契約が上書きされて、ぼくとの絆も守護も消えるから……」


 テラはリーフの表情をじっと見つめた。リーフがきっぱりと『テラだけ』と話し、『絆も守護も消えるから』と寂しそうにする様子を見て、テラはふと、どんぐりの花言葉を思い出していた。


「わかった。いいよ、リーフ。私がリーフの守り人になったら、リーフは私のそばに居るんでしょう?」


「うん、ずっとそばに居る……」


「そう。リーフがそばに居てくれたら、きっと毎日が楽しくなるわ。だから、どうぞ」


 リーフはテラの顔色を窺うように見つめながら、テラが差し出した指先に小さな手をそっと添えた。


 ほんとにいいの? と期待半分、不安半分といった不安交じりの瞳で見つめるので、テラはにっこりと微笑んでみせた。


 リーフは指先に視線を移し、血をペロリと舐め、口づけをするように指先の小さな傷口に唇を当て、目を閉じてチュチュッと吸い続けた。血の摂取は1分もかからずに終わり、リーフが閉じていた目を開くと、その瞳は一層強く光を放ち、緑色の瞳はキラキラと宝石のように煌めいていた。


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