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さん

 

 席についてお茶を一杯飲んだ後、間延びした空気をものともせずに、口火を切ったのは母だ。


「アンヘリカ。たくさんの誤解があるようだから、ここで話を合わせましょう。嫌がってもダメよ? あなたのお腹の子の為でもあるわ」


 そう言われたら断れない。


「養子という形だけれども、あなたは(れっき)とした伯爵家の血を引く娘です。その認識はさすがにあるでしょう?」


 歴としているかはさておき、まあ、ハイ。


「……もしかして、そこからなの?」


 母が目を(みは)って私を見た。いや、兄よ、残念な子を見るような目はやめて欲しい。更に泣き出した父の目は溶けてしまうんじゃないだろうか。


 私の隣に座る母が、私の手をそっと取った。


「あなたはね、ローザが産んだ伯爵家の娘です。私の娘でもあります。……ローザが伯爵家を出てあなたを産んだのは、きっと私が産んだセルヴァのことを思ってのことです。分かりますか? ローザはセルヴァの母でもあったのです。我が子たちが要らぬ争いに巻き込まれないように、私たちに黙ってあなたを産んだのでしょう。……愚かにも気が付かなかった私たちの言葉は信じられないかもしれませんが、私はセルヴァの母で、アンヘリカ、あなたの母でもあるつもりです」


 鼻の奥がツンと詰まった。

 そんなこと言われたって、皆が私に良くしてくれるのはお母さんに負い目があるからだ。皆私を通してお母さんを見ている。


 私を見ているわけじゃない。


「アン、セルヴァもだ。僕の大切な子どもたちだ。どれだけ二人を思っているのか、どうか目を背けないでおくれ。大切な愛おしい子たち。僕は、僕たちは家のためにローザを巻き込んだ負い目が確かにあるよ。すまない。本当にすまなかった。でも、誰になんと言われようが、ローザと過ごしたこともアンを授かったこともなかったことにしようとは思わない。ただただ幸運で、幸せだ」


 言動がちゃらんぽらんな父までも私の前に来て膝をついて見上げて言う。


 私の中で、嘘だ、そんなの嘘だとぐるぐるとした渦のような感情が這い回っている。

 引き取られてから、真綿のように私を包む父と母と兄をどこか遠くから見るような気持ちでいた。お母さんに対する贖罪を私を使ってしているだけなのだと思っていた。


 伯爵家は隙間風が吹くわけもなく、ご飯は毎食あたたかく塩気(しおけ)がちゃんとある。毎日湯を張ってくれて身体を洗えるから頭が痒くなって川に頭を突っ込むこともないし、服はいつも清潔で良い匂いがしている。

 それでも。

 それでも、お母さんと暮らした台所と寝室の二つしかないあの家が恋しくて。

 お母さんと半分にしたカビをこそいだ固いパンが食べたくて。

 寒い夜はぎゅうぎゅうにくっついて寝る温かさがなくて寒くて。

 私の居場所はそこだと心が言うんだ。ここで落ち着いて生きている私は何だと、泣きながら言うんだ。


「兄からも愛の告白が必要かい?」


 小首を傾げた兄の憎たらしいこと。感傷的な気持ちが一気に霧散したわ。本当はたった半年早く生まれただけのくせに兄貴(ヅラ)して。


「どこにいても何をしていても、お前は妹だ。家族だ。腹の子もな。父上と母上が引退しても、俺がいる。俺がいなくなっても俺の子がいるだろう。お前たちは諦めて伯爵家にデロッデロに甘やかされた人生を送るんだな。これでも分からないなら、もう外には出さないよ?」


 兄よ、そのセリフはまず無事に結婚相手を探してから言うがよい。そして監禁反対。絶対反対。血の繋がった妹を監禁するな。

 兄の脇腹に辛うじて肘を入れ、私の涙腺は崩壊した。


 涙と一緒に私の捻くれた心の一部が溶けて出ていった。この十年、皆の温かさや優しさは母の代わりに受けているのだと自分に言い聞かせ、『私』は息を潜めていた。

 やっと、自分の存在を見つけ、息が吐けた気がした。


 お母さん。私もお母さんになるのよ。

 私もこの子の父親とは縁がなかったけれど……家族の元でお母さんになってもいいよね?

 私、生きていて、いいよね?


「「「当たり前だ(よ)!!」」」


 また声に出してたのを、父が母が兄が叫びながら言って苦しいほど抱き締められた。







「おいちいね! おかあしゃん!」


 ぷくぷくのほっぺた一杯にパイを頬張っている愛おしい息子の口を拭ってやる。


「食べている時はしゃべらないのよ。ゆっくり噛みなさい」


 お隣のエンマおばさんのミートパイほど美味しいものはないと思う。それはもうすぐ三歳になるレナトも同じだ。お裾分けをしてもらった日は、焼きたての内にミートパイを食べ尽くし、夕飯は軽く済ませてしまうのが常だった。


 母ひとり、子ひとり。そう言うのがおこがましいほど、家族と周囲の温かい人たちに助けられ、現在ぬくぬくと生活している。


 あれから家族で話し合いを重ねて、私は死ぬことにした。

 いや、本当に死ぬわけではない。あの流れからは死なないわ。

 というのも、泣きすぎて人相が変わった父が突然爆弾を落としたからである。


「あ……、アンにフェンテ侯爵家から縁談が来ているんだった」


「はあ!? 長男も次男も既婚者だろ!?」


 兄がすぐさま声を上げた。


「いや、養子の三男との縁組みだが……もしかして学園で一緒かい?」


 父がパンパンに腫れて開かない目で私に問いかける。顔が風刺画みたくなっていて面白いが、笑ってはいけない。


「フェンテ侯爵令息、ですか? いえ、私の学年にはいらっしゃいません。お名前はなんとおっしゃるのでしょうか? どこかでお会いしたこともないと思いますが」


 フェンテ侯爵家に養子に入るほどの(ゆかり)の者も学園で聞いたことはない。私の交友関係にもいない。


「いや、まだ正式な段階ではないんだ。養子同士だけど、どうだろうかという打診が……宰相から……」


 宰相。それはこの国の途轍(とてつ)もなくエラい人であり、父と兄の上司である。

 それは、「どうだろうか?」に対して「喜んで!」しか返事の選択は許されないことを示す。


 ちーん。という効果音が皆の頭の上に見えるわ。

 妊娠した娘を上司の仲立ちで嫁に出すわけにはいかないが、断れもしない。事情を話せば伯爵家の醜聞である。


 父が「お腹の子の父親とは……」と力なく呟いたが、私は黙って首を振った。先に成立した婚約があるからというのが一番傷の浅い断り方だろうが、その手は使えない。


 四人でたくさんの可能性を並べて話し合ったが、八方塞がりであるということが確認できただけだった。

 私は貴族であることにこだわりはない。

 養子縁組の解消だけでは、醜聞を追いかけられた時に後手に回る。(やまい)を得て領地にて静養し、治療の甲斐なく死んだことにしようと提案した。そうすれば、たとえ醜聞だと騒がれても(シラ)を切り通すことができる。

 私にとっては、ただのアンとして子を産んで生きるという当初の予定通りでしかなく、父と母と兄が家族でいてくれるならば、『アンヘリカ・ナトゥリ』でなくなることも怖くない。

 三人も他に手はないことは分かっていたが、すぐには頷いてくれなかった。黙ってどこかに行かないことと困ったら必ず連絡することを約束させられ、ようやく話が決まった。


 学園が中途半端になることと、彼とキッパリ別れなかったことが心残りではあったが、フェンテ家から正式な申し込みが来る前にと夏季休暇中に領地に移り、そして私は死んだ、ことになった。


 家族を突然亡くした心神耗弱を理由に、父と兄は王宮の仕事を辞し、家族皆で領地に帰ってきた。宰相は苦笑いしていたみたいだが、諸々(もろもろ)分かっていて見逃してくれたのだろう。


 私は伯爵邸ではなく、領地の片隅でただの平民として暮らしている。仕事も住むところも伯爵家の(ふところ)の内だし、レナトが生まれてからは毎日のように父か母か兄かはたまた三人でか遊びに来るが、ただの平民ったら平民だ。レナトが世界一可愛いので会いに来るのは仕方がない。私に、家族が会いに来るのは仕方がない。


 ふと、自分がお母さんと同じような生き方をしていることに気が付いた。好きな人の子を産んで、内緒で育てている。

 そう、お母さんはきっと、父のことを愛していた。そして母のことも愛していたから、一緒にいないことを選んだのだ。

 理不尽で悲しくて、そして愛にあふれていて。波瀾万丈なお母さんと私の人生はまるで物語のよう。


 ふふ、と笑いが出た。

 物語だとしたら、私を探す彼と再会し、「婚約なんて誤解だ! 愛してるのは君だけだ!」なんて言って、息子と私を抱き締めたところで『完』なのだろうが、人生は物語のようにはいかない。物語のようにいいところで終わるわけでもない。


 私はこの愛おしい日々を重ねて、彼のいない人生を生きていく。


 それでいい。それで……それがいい。


 パイのおかわりを強請(ねだ)るレナトは彼と同じ瞳の色している。

 今なら少し分かる。綺麗な瞳で私を見る彼の視線にはちゃんと熱がこもっていた。一番じゃなかったかもしれないが、彼はちゃんと私を好きでいてくれたのだ。

 それが分かったから、彼の幸せも願えるようになった。父に八つ裂きにされた後、兄に二五六裂きにされなくて本当に良かった。あの二人ならやりかねない。


 何をしても可愛い息子を抱き締めると、息子も無邪気に笑って「おかあしゃん、だいしゅきぃ~」と抱き付いてきた。

 はい、二人ともパイのカスまみれ。自然と額をくっつけて笑い合った。掃除洗濯の手間すら愛おしいわ。


 ああ、私は、充分に幸せだ。







 コンコンコン。


「はーい」


 レナト目当ての来客が珍しくない我が家の扉を叩く音がして、警戒もせずに返事をした。

 息子と同じ瞳の色と目が合い、色褪せないその視線にからめとられ、私の物語が動き出すのはこの後すぐ。




読んでくださり、ありがとうございました。


いかがでしたでしょうか。

すれ違いジレジレシークレットベビーの恋愛ものを書こうとしたら、家族との話が肉厚過ぎてこうなりました。( ゜∀゜)ハテ。


家族間のすれ違いで拗れまくりのアンヘリカですが、憑き物が落ちたかのように家族に甘えるようになります。

父も兄も母までもが益々アンヘリカにメロメロです。そこにぷくぷくほっぺのレナト誕生。可愛さに正気を失った三人はどうやってアンヘリカとレナトを伯爵邸に招き入れるかアレコレ画策しますが、不発。そこはアンヘリカは平民であることを譲りません。

結果、三人は日参しますが、アンヘリカはこの距離感が丁度よく、更に甘え上手に。


周囲も事情は丸分かりですが、生ぬるい目で見ないふり。セルヴァ坊っちゃんの婚期が遠ざかっていることだけは心配しています。妹ラブ過ぎだからね。


名前が出てくる隙間もなかったレナトのパパ、今後の活躍に期待……できるかな……? セルヴァの妨害を越える様は楽しそう(´∀`)。


それでは、次回作でまたお会いできれば嬉しいです。

ありがとうございました。


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