いち
あらすじをご確認ください。
よろしくお願いいたします。
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誤字、訂正いたしました。
誤字報告ありがとうございます。
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「ご懐妊されてます」
食事中に気持ちが悪くなって医師を呼ばれた診察の結果、無情にも淡々と告げられた言葉だ。
未婚の貴族令嬢生命を絶つその宣告に、戸惑ったのは一瞬だけ。
だって、めちゃくちゃ心当たりがあるもの。
でもまあ、家族はそうはいかなかった。
阿鼻叫喚の後、まさに修羅場が展開された。
「父親は誰だ!? 無理矢理か……無理矢理なんだな!? 誰だ!? クソが、八つ裂きにしてくれるわ!!」
と、十秒に一回は聞かれたが、一切黙秘した。『無理強いされた被害者』判定されかかったが、合意、むしろ自分から受け入れた旨を申告したところ、母は泣きすぎて失神して医師に運ばれて退場。父も血圧が上がって立ってられなくなってしまった。兄は親よりは他人事なのか、比較的すぐに落ち着いて問いかけてきた。
「産むのか?」
私はお腹に手を当て、まっすぐと兄の目を見て答えた。
「はい。ひとりで、産みます」
その一言で、お腹の子の父親とは結婚するつもりも知らせるつもりもないことを汲み取ってくれ、兄はこめかみを揉みほぐしながら溜め息を吐いた。器用だな。
「随分と落ち着いているじゃないか。妊娠していることには気付いていたのか?」
こうなっては言い繕っても仕方ないので、コクンと頷いて肯定した。子作りの心当たりがあり、月の物が来ず、吐き気や倦怠感があるとなると、疑わない方がおかしい。働かなくてもご飯を食べさせてくれ、ゆっくりと過ごせる家に一日でも長くいたかったから隠していただけだ。
学園の夏季休暇が終わる頃にはケジメをつけて出て行かなければと思っていたが、吐き気を我慢できずにこんなに早くバレるとは思わなかった。
そう、本日は私が通う学園の夏季休暇初日である。
王都にある学園は全寮制だが、二ヶ月ある休暇中は王都の邸宅にて過ごす予定だった。王宮で忙しく働く父と兄が晩餐に間に合うようにと帰宅してくれ、家族四人揃っての食事中の修羅場である。
「はあぁぁ。お前のことだから、バレたら家を出て行くつもりだろうが、それは待ちなさい」
あら、行動が丸バレしているわ。
「何だと……!? 出て行くなんてならんっ!!」
長椅子に横になりながら足を上げていた父が突然起き上がり叫んだ。そして立ちくらんでまた長椅子に沈んでいった。
「父上の頭の血管が切れそうだから、絶対やめろ。子の父親と結婚できない理由は何だ? 言いたくないことは言わなくて良いが、嘘は吐くなよ」
何か一つでも情報を告げれば父も兄も伝手を駆使して彼を特定してしまうだろう。子の父親が誰か言わないのは、言ってしまったら結婚する流れになるからだ。
それは嫌だ。それだけは嫌だ。
でも、沈黙だけでは家族は納得しないのも分かる。私は貴族令嬢としての価値を失っただけではなく、未婚で子を産むという醜聞をこの家に被せるのだ。私がすぐさま家を出たところで、兄は家督を継ぐ者として私の尻拭いをせねばならない。
「……私が一方的に好きになっただけです。結婚など、考えたこともないでしょう」
「はっ! 婚約者でもない令嬢と肉体関係を結んでおきながら結婚を考えたことのない男などクズの極みだな!! 父上は八つ裂きと言っていたがそんなんじゃ気が済まない。倍の十六裂き……いや、二五六裂きにしてやる!!」
兄は鼻で笑って一気に言い捨てた。
いや、どれだけ切り刻もうとしているんだ。怖いわ。
あまりの剣幕に、彼のことを知りもしないくせにとムッとした。彼は二五六裂きにされるようなそんな人じゃない。妊娠したことを知れば、責任を取って私と結婚するだろう。
自分が望んだ婚約を反故にして心に蓋をし、一生、私じゃない人を心に秘めながら。
私から学園にいる間だけでも交際して欲しいと、思いきって彼に告白した。
諾の返事をもらって、そのまま空き教室で押し倒された。あれよあれよと肉体関係を結んだわけだが、後悔はしていない。私も彼を欲しかったから。
学園でおおっぴらに交際を公表しなかったのは、隠すというよりも、人前で彼と接する機会がほとんどなく広まらなかっただけである。学年が違うと行動範囲も違い、待ち合わせをしなければ学園内ですれ違うことすら稀だった。会う時はいつも空き教室で、他に人はいない。
さすがに彼の親しい友人たちは知っていたようだが、言いふらすような人たちではなかった。
私の周囲は気付いてもいないだろう。
彼を好きになったのは子どもの頃のことだ。
町でひとり迷子になったところを助けてもらい、キュンして墜ち、それからずっと心に棲んでいた。学園で姿を見かけて、成長した姿に更に陥落した。明るく人望もある人気者だと知ったのは、それから後のことだった。
兄が知ったらベタだと大笑いするだろう。
この関係に未来がないことは分かっていた。
この国の貴族の結婚については暗黙のルールがある。結婚相手の爵位は自分の家と同じか、もしくは上下一つずつであることが求められるのだ。伯爵家だと子爵家から侯爵家までの家門から結婚相手を探すことになる。法ではないので守らなくても咎はないが、過去に身分差の結婚により不幸が続いた時代があり、以降、連綿と受け継がれてきた慣習なのである。
彼は男爵家の嫡男だ。
能力を示して子爵家や伯爵家に養子に入ることが出来れば結婚の可能性もあるが、嫡男である彼が養子に出ることは考えられないだろう。
そんな関係と分かっている上で、トドメを刺されることになる。
それは偶然だった。
彼と待ち合わせの教室に向かう途中で、回廊の向こう、丁度死角となって姿の見えない位置から話し声が聞こえた。彼と友人のようだった。
立ち聞きなんて、古今東西よいことはないと知っていても、立ち止まって耳を澄ませて聞いてしまった。
「ようやく婚約を申し込める。本当に好きな子の前だとドキドキして手も握れない……」
間違いなく彼の声。
なるほど?
私には秒で手を出したということは、私は『本当に好きな子』ではないと。
なるほど。
彼には、ドキドキして手も握れなくなるようなそういう人がいると。
なるほど。
そして婚約を申し込むと。
なるほど?
すぐに踵を返して空き教室に向かわずに寮に帰った。
体調に変化を感じていたから、彼に相談したかった。
だって、私ひとりの子じゃないから。二人の子だから。二人で話し合って未来を決めたかった。
いつも次の約束は事が終わった後にしていたから、次の約束はしていない。そうなると、面白いくらい彼と疎遠になった。
そのまま夏季休暇に入り、私はひとりで産むつもりで帰宅した。
そして今、妊娠が発覚して兄の追及を受けているところだ。
ちっとは労ってもいいと思わないのか? 妊婦だぞ?
「妊娠に気付いて、家を出てからの身の振り方をどう考えていたんだ?」
「領地で親子ひっそりと」
「具体的には?」
具体的と言われても。なるようにしかならないとしか考えていなかった。ドレスや装飾品を売れば、平民として数年は暮らせる現金が手元に入る。平民の生活自体には問題がない。だって、元々の生活に戻るだけだから。
「お前のドレスもアクセサリーも小遣いもお前の物だがな。元は領民たちの税金だ。お前はもらうものだけもらって、領地ならひっそりと暮らせると気楽に考えていたのか? 領地に、領民に何も返さず、何の役にも立たず?」
ぐ、と詰まってしまった。
それは妊娠に気が付いてから……いや、本当は彼とそういう関係になってからずっと思っていたことだ。
彼と結婚しなければ、他の貴族家へは嫁ぐことは難しい。今の時代、純潔は絶対ではないが、貞操観念が低い令嬢というレッテルは貼られ、貴族令嬢としての価値は下がる。それは良縁からは遠ざかることを意味する。結婚による利益をもたらすことの出来ない私は、領地や領民になにができるだろうか、と。
だが、私ひとりの力で何かできるわけもなく、せめて迷惑をかけないようにするしかないと結論付けていた。プラスになれないのであればマイナスにはなるまいと、それだけは思っていた。
「お兄様、でも、私は」
言い淀んだ私を見ながら、兄は溜め息というよりも独り言のように「はあぁぁぁああ」と息を吐いた。ちょ、そんなに呆れなくてもいいと思う。
「お前は、本当に、なんでそんなに自分に対する価値観がねじ曲がっているんだろうな? 父上と母上が、お前がひとりで産んで子育てすることを許すと思うのか? 俺が、そんなに不甲斐ない兄だとでも思っているのか?」
ん? どういう……こと、だ?
「皆、お前を愛している。まさか知らないとでも言う気か? お前が引き取られてから、溺愛と言ってもいい環境だったのに、お前は今の今も一線を引いて……うん、なんか腹立つな? ものすごく、腹立つな。本気で腹立つなっ……! とりあえず、閉じ込めるか」
固まる私を見ながら、兄がとても黒い笑顔で言い放った。