6-1「記憶」
「先に頂いたメールだと、睡眠薬か精神安定剤が欲しいとのことでしたね。詳しく聞かせていただけますか?」
「……千癒術士さんって、ボクが好きだったエルって子にちょっと似てます」
アトリイエにて。対面に座った少年が虚ろな顔で言ったので、イエは「はい?」と記入中のカルテから顔を上げた。
イエもハルトと四六時中いっしょにいるわけではなく、今は1人でアトリイエの番をしていた。
「あ……ごめんなさい。ハッキリ言っちゃうと失恋でこんなふうになっちゃって……ハハ……恥ずかしいな」
さて、朝一番でやって来た少年は14、5歳だろうか。夢や可能性に満ちた年頃のはずなのに、死んだ目にクマが色濃い。
「どういう薬を貰ったらいいのかもよくわかんないんです。……ここってカウンセリングみたいなのもやってますか?」
「心得はありますけど、得意じゃないのでオススメしないです。ヒアリングということでなら話してもらっていいですよ」
少年は消え入るように「ありがとう」と呟いて、うつむきがちに話しだすのだ。
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「ボクが小さかった時、ずっと遠くの国からエルって女の子が引っ越してきました。
親同士が友達だったみたいで、ボクとエルもよく遊ぶようになったんです。
エルは治療士になるのが夢の女の子でした。天然でしたけどがんばり屋さんで、ボクは彼女が好きになりました。
魔物がいるような所でもみんなを救いたいって、エルは治療士の学校に通いながら護身術の訓練にも熱心でした。
だから冒険者に憧れてたボクも、一人前になれば彼女のそばにいられるんじゃないかって思って。家の薬草採りを手伝う合間に、青さめみたいな弱い魔物を倒して鍛えてたんです。
今なら青さめくらい10匹かかってきても平気ですけど、始めた頃は近所の子にも勝てないくらい弱かったので。自信を持てるくらい強くなってから打ち明けたくて、エルには鍛練のことも……好きだって気持ちもナイショにしてました。
そんな暮らしが続いて。ボクとエルはいつもいっしょで、いつか町を出てもそうしてるんだろうなって信じてました。
……でも。去年の……13歳の時でした。
あと2年で学校卒業のエルは悩んでました。年々厳しくなる勉強をやり遂げられるか不安が積もってたみたいです。
ボクは治療士のことはぜんぜんわからなかったから、下手に励ませられなくて。せめて気分転換になればいいなって、彼女の好きな花を贈ったり好きな場所へ遊びに連れていきました。悪いことなんて何にもないふうに……。
そんなある日、町に1人の冒険者がやって来ました。
20歳ぐらいの男です。強そうな鎧を着こなしてて、冒険のベテランなんだろうなって一目でわかる雰囲気がありました。
物資調達だとか情報収集だとか、そういうありふれた理由で町に立ち寄ったんだと思います。
でも。エルが毒草で薬を作る課題を実践してたのを見かけて、彼女の力を借りたいって言い出したんです。
盗賊団を潰すために、麻痺予防の薬だとか睡眠薬が必要だとかそんな話でした。町の大人たちの中には盗賊の内通者がいるとかで、エルに頼んだそうです。
ボクはそれをエルから聞かされただけでしたけど、彼女はなんだかイキイキしてました。
必死に勉強してきたことで人から頼られたからでしょうか……なんにせよボクは止められませんでした。作戦に同行もするけど、危ないことは絶対に彼がさせないって話でしたし。
ボクはエルの護衛を買って出ようとも何度も思いました……けど、言い出せませんでした。
だって。使い古しの剥ぎ取りナイフを振り回してるボクなんて……冒険者の彼以上の力になれるって思えなかったんです。
実際、エルと冒険者の彼はうまくやったみたいです。出かけていった次の日にエルは傷だらけの彼を連れ帰ってきて、数日後には彼が手に入れた報酬の半分もエルに渡されました。
彼はそこでエルに言ったんです。自分は歴史ある冒険者パーティの一員で、仲間のヒーラーが後継者を探してる最中だ……だから……きみをスカウトしたい、って。
エルは迷ってました。当然です、あんなにひたむきに打ち込んでた学校だってまだ卒業できてなかったんですから。迷うまでもないことです。……だからボクは、彼女自身だってそうわかってるはずだからって口を挟めずにいました。
でも冒険者の彼は言いました。あと2年足らずで卒業なら教わることなんかもうほとんど無いだろうし、ついてくれば学校で教わる以上のことが学べるって。
エルを止めたかったボクは、逆に彼女に説得されたことだけは覚えてます。どんな言葉だったかは正直、頭の中がグチャグチャだったのでハッキリしないですけど。
対してボクはといえば、説得も応援も何一つ言葉をかけてあげられませんでした。エルの話をただただ聞いてたんです。
何年もいっしょにいたボクたちなら、エルなら、最後にはわかってくれると思ったんです。
……そして、エルは彼といっしょに旅立ちました。
ボクは、それからも鍛練を続けてました。
冒険者の彼ぐらいの強さへ追いつけるように。それにいつか、帰ってきたエルへボクの気持ちを告白するために。
……ええ、はい、それから数ヵ月後にエルは町に帰ってきましたよ。
依頼で近くに来たので、せっかくだからって顔を出しに。
彼女は人を救う治療士じゃなく、毒で敵を惑わす治療士になってました。
ボクが好きだった笑顔も、髪型も、喋り方も、服装の好みまで変わってて。
別れた時と何一つ変わってない優しさでボクと語り合った後、また旅立っていきました。
傍から見たらなんでもない見送りだったんでしょうけど……その時、ボクの中で何かが壊れちゃったんです。
あれから今まで、どんなに鍛練で疲れててもうまく眠れません。彼女の姿が頭の中にチラついて、仕事になりません。
だから千癒術士さん。エルのために、ボクにいちばん必要な薬をください。
ボクが、先に好きだったのに」
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「お。イエ、予約の客はもういいのか? オレもいま朝練終わったとこ」
「……はい、もう大丈夫です。おつかれさまですハルトさん」
アトリイエと繋がったマイホームの脇、ささやかな庭で。ダンベルや木人の合間で腕立てをしていたハルトが汗を拭く。
……イエが振り向いて下町通りを見れば、虚ろな顔の少年が雑踏へ消えていく様が見えた。
その腕の中でとても大事そうに抱えられたポーションボトルが、『記憶』と書かれたラベルをさらけ出していた。
「……大丈夫じゃなさそうに見えるんだが。後々メンドいことになるくらいならいま話せよな、頼むから」
「あ……いえいえ。……でもそうなんですよね。どんなに弱くて恥ずかしくても、届けたい相手に届けなかったらどんな努力もゼロと同じなんです。何も手に入れてないのに『取られた』も『先だった』もないんです……」
「うん? ……オレが整理券貰わずに電気屋並んで、ファイナルレジェンズの限定版買えなかった話?」
「ハルトさん。私がバカなことしないように叱ってくれて、ありがとうございます」
「急になんだよ!? いつものことじゃん!?」
イエはハルトの手を掬い上げると、自分の手を握ってもらったのだった。