5-1「オーバーヒール」
「ぜひゅー……ぜひゅ……千癒術士さん、魔法で治せるんなら触診はいらないんじゃ……イテテテッ!」
「舌、噛みますよ。リラックスしててください……《ヒーリング》(回復魔法)」
やけに観葉植物が並んだ民家にて。ベッドへ伏せた家主が服を捲った胸へ、千癒術士イエは手を添えた。
発せられた魔力が家主の体内へ浸透し、イエは眼差しや細指をかすかに巡らせていた。
そうして1分も経たないうちに、癒しの力にくるまれた毒々しい輝きが患部から摘出された。
とたんに、家主は元気すぎるほどに跳ね起きた。
「お……お!? 息苦しくない! ハッハーッ、何されてたかもわかんないくらいだったよ! やっぱ魔法ってすごいや!」
「お大事に。じゃあハルトさん、次いってみましょう」
「ぉん。次の飴ちゃんは何味にする?」
「ファーストキスのレモン味で」
「へ、変な冠詞つけるな!」
イエの助手兼用心棒として見守っていた冒険者ハルトは、戸外へ歩きだした彼女へ魔力回復の飴ちゃんを一掴み渡した。
「あと何軒でしたっけ。コロコロ……ゴリゴリ……」
「2桁切ったら教えるよ」
そこは、草花にあふれた谷合の町だった。
住居は石壁や木組みばかりで乾いた印象だが、どこもかしこも花や観葉植物を栽培しているので色彩が際立っている。
町の外でなだらかに上がっていく谷の景色も花に満ちていて、人々がドローンを駆使しながら手入れしている様が見えた。
「うぉっほん。千癒術士殿、少しよろしいですかな?」
と。町の中心点である広場を横切ろうとした時、ハルトとイエは柔和ながら大仰な咳払いに止められた。
恰幅の良すぎる小綺麗な老紳士が、ニッコリしながら2人を待っていたのだ。
「町長さん。お疲れさまです、何かご用件でしょうか」
「ほっほっほ。どちらかといえば種苗組合の理事長としてお相手くだされ、町長は名前だけですからな」
『種苗組合理事長』、と胸にプレートを付けた町長もとい理事長は腹鼓を打った。
「今朝から一軒一軒回ってくださっているお2人には頭が下がるばかりです。ところで……風の噂で耳にした程度なのですが。全てを癒す回帰魔法なる業は使わないのですかな?」
(おっと、これは良くない流れ)
「あ、《リーイング》ですね」
ーー 《イークイップ》(装備魔法) ーー
ーー 執刀リィン ーー
フェアリーが詠唱。下段に構えたイエの手元に魔力が集まると、装備品へと瞬時に具現化された。
それは、医療のこぎりを思わせるギア仕掛けの段平刀だった。
理事長のみならず通りすがりの町人たちも「おお!」とどよめいた。
「せっかくですけど今回は使わないです。使うべき理由が無いので」
チラ見せしただけで執刀リィンをまた消したので、理事長のみならず町人たちも「ええ!?」とどよめいた。
「つ、使うべき理由ならあるのでは? お2人も、この町に降りかかった石綿花の騒動はご存知でしょう」
理事長が指差した掲示板には注意勧告のポスターが貼られていて、綿状の石が咲いた花が掲載されていた。
そして町並みをよく見れば、その石綿花が詰め込まれたゴミ袋や段ボール箱がぞんざいに並べられていた。
「手頃な石材の素として石綿花がやっと日の目を見た矢先、長く取り扱った者に石化毒が溜まるなんてわかって。私の主導のもとでみなさんがんばってくれていたのに、今この瞬間も動けずにいるのですぞ? なればこそ千癒術士殿の奇跡の力を使えば、一軒ずつ回らずともすぐに全員救えるのではないかと……」
(なるほどな。自分が仕切ってきた事業で寝込まれてバツが悪いから、ド派手な奇跡でお茶を濁そうってわけか)
「理事長さん。私もそうしてさしあげたいのは山々ですけど、《リーイング》は基本的にヒトの生活圏内で使えないんです」
「はあ? それはいったいどういうことですかな?」
「っていうのも……」とイエが答えかけたのを、ハルトは1枚の紙を理事長へ突き出すことで止めた。
「ここに書いてます。イエが依頼として《リーイング》を使うことへの同意書ですから、免責事項とかもろもろオッケーしてくれるんならサインください」
「同意書ですとぉぉ?」
「ああ安心してください、追加料金取るみたいなセコいのは一切ないんで。全部、そこに書いてあるとおりです」
イエが「ハルトさん……」、呆れているのか不満なのかわからない顔をしていたが。強く止めてはこなかった。
「ま、まあいいでしょう。しばしお待ちくだされ」
対して理事長は、同意書を斜めに読み込みはじめた矢先からペンを取り出していて……。
◯ ◯ ◯ ◯
「《リーイング》!!」
超特大の癒しの魔力が、小さな町の全てを包み込んだ。
よくよく耳を澄ませば、家々の中からの歓声が聞こえたはずだろう。
しかし、それは轟音と悲鳴にかき消された。
町のいたるところから、尋常ではない急成長を遂げた草花が溢れたからだ。
家々よりも高く、大きく、生命力豊かに。
花にすっぽり覆われるのはまだマシなほうで、観葉植物などは建築物を巻き込んだままお日様めがけて突き上がった。
「こ、こんなことになるなら書面じゃなく口で言ってくだされぇぇぇぇ!」
あの理事長もまた、ツタに押し上げられた噴水に絡まったまま……署名済みの同意書の控えを握り潰したまま喚いていた。
「ハルトさん……意地悪ですよ、こんなの」
一方。魔力切れで目を回した乙女と、彼女を抱っこして町を脱出していた青年と。
「いいんだよ。『植物は巨大化する』ってちゃんと書いてあったのに、ろくに怪しまずにサインしたおっさんが甘いんだ」
もっと扱き下ろすなら、自分に都合の良いようにだけあの同意書をよく読んだという感じか。
ハルトはイエの口へ水飴ちゃんのペットボトルを突っ込んで、彼女が半固体のハッカ味に苦悶する様へ苦笑した。
「最初からあのおっさんは、千癒術士イエじゃなくて奇跡の回帰魔法をアテにしてただけなんだから。そういう連中には適度に悪評も流してもらわないと、おまえが全知全能の聖女様みたいに誤解されるからな」
「あ。ハルトさん、私が引く手あまたになるのがさみしいんですね? 地下アイドルのメジャーデビュー的な」
「……バーカ。おまえみたいなのは、アイドルなんか一番なっちゃいけないタイプだよ」
素材になる草花を土産にしながら、2人はとっとこ逃げ出したのだった。