1-1「冒険者と千癒術士」
ゴキブリンが現れた。
ーーキブブブブブ! その名のとおり這う姿はゴキブリじみていて、立ち上がると醜悪な小鬼の顔が露わになる。
大人の膝ほどの身長も無い小型の種だが、魔物には違いなかった。
「ハルトさん、ゴブリンです」
「だからなあイエ、ゴキブリンだって。ゴブリンなんて魔物はいないの」
冒険者ハルトは、相棒の千癒術士イエとともにゴキブリンへ対峙した。
ハルトと同じ17歳なのに、このゆるふわ桜髪の乙女はまだ横文字に弱い。極東ニフ国の民であることを差し引いてもだ。
さてゴキブリンは2人が進んでいたバックヤードの通路に立ちふさがっていたが、幸いにもまだ1匹だけだった。
人工の場所であっても人の手が入らなくなれば魔物たちが棲みつき、魔物が棲みつけば大気魔力は濃くなりすぎる。そして濃くなりすぎたエーテルが、構造をも歪めながらそこをダンジョンへと変える。
実用性からみてありえないレベルで分かれ道や扉が増殖した通路には、ダンジョン化の証ともいえる属性色の歯車結晶がいたるところに生えていた。
「こんなところで時間を取られているわけにはいきません。ハルトさんは温存してください、私がやります」
「うん? いや、うん、無理すんな?」
イエがローブの大袖を見やると、それだけで中から手乗りサイズの妖精が飛び出した。
正式名称『擬似精霊』、通称『妖精』、愛称『フェアリー』というデバイス魔法生物だ。
ーー 《イークイップ》(装備魔法) ーー
下段に構えたイエの手元に魔力が集まると、装備品へと瞬時に具現化された。
ーー 執刀リィン ーー
それは、医療のこぎりを思わせるギア仕掛けの段平刀だった。
グリップが握り込まれれば、人間の胴体だって両断できるだろう刃は超微細に振動しはじめて高周波刀と化した。
「やーーーー!」 ーーキブブッッ!
重量を感じさせない軽やかな飛びかかり。振り下ろされた段平刀が風切り音に唸り、石ころを拾ったゴキブリンが盾代わりに構えた直上へぶつかる。
ーーキブァァッ! 「あう……!」
「イエぇぇぇぇ!?」
石ころを両断する前にゴキブリンに押し返されて、イエはズベーッとぶっ倒れた。
「戦闘能力最弱なんだから無理すんなってえ!」
ーー 《イークイップ》(装備魔法) ーー
ーー 応銃パラレラム ーー
ハルトもまたホルスターに収まったフェアリーに装備魔法を唱えてもらい、後部銃床付きのハンドガンを装備した。
ーーキァ、ブァッ……!?
1発、2発。何の変哲もない魔弾を胸と頭に受けて、ゴキブリンは倒れた。
「ありがとうございます。なかなかの強敵でした」
「おまえが弱いの。ゴキブリンなんて単体ならいちばん弱い魔物だろ」
「それは違いますよ、いちばん弱い魔物は青さめです」
「青さめにも負けたことあるだろ」
「いたた……ちょっとお尻打っちゃったかもです。青あざになってないか見てもらえませんか」
「ぶっっ……唐突にめくるなたくし上げるな脱ぐな! 人の話を聞け!」
もそもそとローブの裾を持ち上げたイエが尻を向けようとしたのを止めた。見えたのはなめらかなおみ足だけで済んだ。
「そうですね、痛いと思ったら早め早めの回復がベストです。《ヒーリング》(回復魔法)」
イエが声ならざる詠唱の末に回復魔法を発し、自然治癒力を増幅させるべく意味を持たされた魔力に包まれた。
「あ、ハルトさんもそろそろ魔力とスタミナを回復してください。飴ちゃんとドデビタをどうぞ」
大袖の中を漁れば飴ちゃんの個包装とドリンク瓶が取り出されて、ハルトへ渡された。
「ついでに《ライト》(照明魔法)の延長、戦闘の後こそトラップラップで安全確認、ゴキブリンの脚はどうします?」
「いちおう拾っとくか」
光の球を頭上で弾けさせて視力向上効果、ラップ型アイテムを袖口から発進させて壁の麻痺ガス噴出口を密封、ゴキブリンの脚を小刀で1本もぎとって大袖へ収納。
「……ホントおまえ、戦闘の外なら有能なんだけどなあ」
「わあ。ありがとうございます、千癒術士は戦うみなさんの友たるべきクラスですから」
「千の癒しと戦いの友、センユウ術士って言いたいんだろ」
「先に言われちゃいました」
それぞれの武器も『収納』の意思を念じればまたエーテルへとほどけていって、身軽になった2人は魔境攻略を再開した。
「フェアリー《マップ》……あの扉の向こうが屋上みたいです」
「よし、予定とは違ったけど目に物見せてやるか!」
ーー 《マップ》(地図魔法) ーー
フェアリーが発動した地図魔法のホログラム・ウィンドウをイエに読んでもらいつつ、両開きの大扉へ突っ込んだ。
その向こうには、晴れ晴れとした大空と陽光があった。
太陽光パネルや大型室外機が放棄された、ごく普通の廃モールの屋上。館内は次元から歪んでいても、外にあたるここには変貌らしい変貌は無い。
変なモノといえば、駐車場を俯瞰できる縁で高笑いしている魔術師だろう。
「わはははははははは! 見よっ、これが世界を終わらせる最後の大隊! ゴキブリン・ラストバタリオンであぁぁる!」
長すぎるゴキブリン触角を冠に付けた、長身痩躯の老人である。
彼が大仰に手を広げながら見下ろす駐車場は……、
ゴキブリンまみれの戦場だった。
100体や1000体どころではない。満ち満ちすぎた影の集まりが1つの臓物がごとく蠢き、数に任せて進撃している。
対して人間たちが、戦車や強化外骨格や戦術ロボを駆使しながら激突していた。
「ワシの大迷宮の上にモールなんぞ建ておってからに! 大魔術師フーディルフ・コートナーは不滅なりべろっっっっ」
その背中へ、ステルスで肉薄したハルトは散魔弾をぶっぱなした。
「大の大人が『大』『大』うるさいぞ」
ギア仕掛けが駆動し、ハンドガンはショットガンへと変形していたのだった。