結
駅に戻り馬車を捕まえた私は地元のハイデルバッハ家の旧臣達の元を回り、先祖の誓いを思い出しもう一度手を貸してくれるよう懇願した。これには多くの者が応諾し、喧嘩が出来る程度の人数はすぐに集まった。
数十人の男達を率いた私は間髪入れずに近くの城へ向かった。城はこの地方での王国の支配を象徴する立派なものだったが、平時では守備兵も少ない。私は先頭に立って剣を揮い、この城を攻め落とした。
やがて集まって来た都市の警官隊や野次馬の市民を前に、私は演説を打った。この国は古い制度に支配され、国民は税金を払う為に嫌々働かされている。我々は今こそ立ち上がり、この国を働く者が報われる、強い国へと生まれ変わらせなくてはならないと。
私の行動は好奇心を以って人々の目に止まった。新聞は追放された元公爵の乱心を嘲笑う記事を書いた。
一方、私の元には続々と志願者が集まって来た。王国のあり方に不満を持つ者は大勢居たのだ。私は先頭に立って彼らを指揮し、付近の城や砦を攻め落として行った。
笑ってもいられなくなった王国は反乱の芽を摘む為、陸軍の第九師団を差し向けて来た。しかしこれは私の予想通りだった。
平民出身の師団長が率いる第九師団は士官や兵士もほとんどが南部出身者で占められていて、いつも危険な先陣や過酷な撤退戦の殿軍に使われる。彼らは今回も、追放されたとはいえ一部では人気があり他の師団がやりたがらないハイデルバッハ元公爵の討伐任務に狩り出されたのだ。
この師団の参謀は私の陸軍学校時代の同期の親友である、私は彼を通し師団長との極秘会談を持つ事に成功した。会談で私はこの企みの勝算と自分が目指すこの国の姿について熱弁した。師団長は最終的に、私の味方になる事に同意してくれた。
私のささやかな軍勢と第九師団が八百長試合をしている間に、私は次々と他の駒を前進させ、抜かりなく根回しを進めていた。王都の連中は毎日、明日にでも第九師団が私の首を持ち帰ると思い、無為に時を過ごしていた。
私が探していた男共もその時に見つかった、海辺で私に絡んで来て私のカロリーネを連れ去ろうとしたあの四人だ、密偵が捕縛して来た彼らを私は手早く拷問に掛けた。彼らはすぐに白状した。没落したハイデルバッハを付け回し因縁をつけて痛めつけその目の前で奴の女を奪えと彼らに命じたのは、ヘヴィンボルト公爵であると。
私はごく少数の精鋭を選び学生旅行に偽装して汽車に乗り、ヘヴィンボルト公爵の居城へ向かい強襲を掛けた。襲撃を受けたヘヴィンボルトは部下も家族も捨て真っ先に逃げ出した。私は奪った馬を駆り単騎で奴を追った。
奴はまだ護衛を大勢連れていた。彼らには気の毒だが、仕えた主が悪かったと諦めてもらった。
護衛を壊滅させられ馬車を止められ外に引きずり出されたヘヴィンボルトは、地面に伏して命乞いをして来た。
通常、ハイデルバッハ家の男は命乞いをする者は殺さない。だがこの男は他でもないカロリーネを、私の最愛の女を奪おうとしたのだ! それも私の目の前で!
カロリーネに危害を及ぼすかもしれない人間は生かしておけない。時間のない私はヘヴィンボルトを一刀で切り捨て、帰途を急いだ。
四公家の一角ヘヴィンボルト公爵が襲撃され殺された事はすぐに新聞に載った。犯人は殺人鬼の元公爵アウグスティン・ハイデルバッハだと。
その頃になってようやく、第九師団に国王の監察隊がやって来た。私は彼らを投獄し第九師団の指揮権の掌握と、国王への退位要求を正式に宣言した。
王国は慌てて他の陸軍師団に出動命令を出した。私は油断なく情報網を張り巡らせておいたので、その辺りの動きは筒抜けになっていた。私が向かったのは陸軍が待ち受ける王都への道ではなく、南部にある王国最大の軍港である。
新進気鋭の精神を重んじる海軍には、元々旧態依然としたこの国の制度の中で先進的な他国の海軍と競わされる事に不満を抱いていた者も多かったのだ。私の熱意と予め張っておいた根回しにより、海軍はハイデルバッハ家と共に立つ事を承諾してくれた。
陸軍の二師団が軍港に迫ると、海軍は意思表示の為彼らに威嚇砲撃を加えた。王国側は第九師団の将兵に投降を呼び掛けていたが、師団を離れる者は一人も居なかった。そして私に味方する義勇軍は数で言えばもう三師団分は居る。
私は産業界への根回しも済ませていた。事が成った暁にはより事業のしやすい新しい制度を持つ、先進的な政府が出来るだろうと。武器弾薬は次々と港に運ばれて来た。国王軍は弾薬の補給にも苦しんでいるだろう。私はそう仕組んでおいた。
そして私は賽を投げた。王都への進軍を開始したのだ。
また誰が寝返ってハイデルバッハ軍につくか解らない状況の中、弾丸を節約しながら戦う国王軍将兵の気持ちは如何だっただろうか。ハイデルバッハ軍は民兵まで立派なヘルメットを身に着け新式銃を持ち、湯水のように弾薬を使うのだ。たった二個師団でどうにもなる訳がない。
説得の甲斐もあり、討伐軍は早々に抵抗を諦めハイデルバッハ軍と共に王都へ進む事を選んでくれた。この頃になると新聞は私を狂人ではなくハイデルバッハ公と書くようになった。
そんな日々の間にも、私は可能な限りカロリーネと共に時を過ごした。
「血と硝煙に塗れた手でお前に触れるのは心苦しいが、カロリーネ。これは私とお前が安心して暮らせるようになる為に必要な事なのだ」
「あ、あの! 旦那様、どうか明日も無事でお帰り下さい、何卒、危ない事がありませんように」
「当たり前だ。カロリーネ、私は明日も明後日も、必ずお前の元に戻る」
王都へと残り50kmと迫る頃にはさらに二師団が我が軍に加わった。しかしここで、私が想定していた中では一番良くない事が起きた。国王が早々に城を離れ、隣国に逃げたという。あの売国奴は隣国にこの国を侵略させるつもりなのだ!
国王は遠くから国民と兵士に、隣国の軍隊と協力してハイデルバッハを討つよう呼び掛けて来た。
ここはもう、私が賭けるしかなかった。
「カロリーネ。今まで私は戦場には決してお前を連れて行かなかった。だが今日は、今回だけはお前と一緒に行きたい。お願いだ。私と一緒に来てくれ」
「も……勿論です旦那様、お許しがいただけるなら私はどこにでもついて参ります、ですが、何故今さらそのような事をおっしゃるのですか?」
私は自ら軍使として僅かな供とカロリーネを連れ王都へと乗り込んだ。元首なき王都の司令部に残された元帥と幕僚達は非常に驚いたのだが。
「諸君らも解っているはずだ、君達は隣国に国を売り渡す為に兵士を鍛えて来た訳ではない! 今しなくてはならない事は一つ、そして何が起ころうと全ての責任は私にある、どうか覚悟を決めてくれ!」
私はこの賭けに勝った。私の命を賭けた説得の結果、諸手を挙げて賛成の者、不承不承の者、反応はそれぞれだったものの、既に私に味方している海軍を含めた王国軍全軍が私の指揮下に入る事を承諾してくれた。
私はカロリーネの手を引き王宮の大バルコニーに向かった。カロリーネはバルコニーへの出口の扉で立ち止まろうとしたが、私は手を離さなかった。
「あ、あの旦那様、この先はその、使用人である私の居る場所ではありません」
「約束したはずだ。私と一緒に来てくれると」
バルコニーの外には大勢の国民が集まっていた。兵士、市民……貴族も。皆、王宮の中で何が起きたか知りたがっている。
私はカロリーネの手を強く握ったまま、バルコニーの先端まで進んだ。彼女は酷く物怖じして、以前のように背中を丸めてしまっていた。私は一度、カロリーネの方を向きその両肩に手を触れる。私は今までこうして何度も彼女に姿勢を正すよう促して来た。彼女は反射的に背筋を伸ばし、私を真っすぐに見つめた……美しい……カロリーネこそが世界一の美女だ。この顔をいつまでも眺めていたい……そこで私はどうにかやらなくてはいけない事を思い出し、群衆に向き直る。
「私、アウグスティン・ハイデルバッハはここに、王国の全軍を掌握した事を宣言する! 誠に残念な事に、先の国王は私との戦いを恐れ臣民を残して一人で逃亡し、あろう事か隣国の軍隊を使って外からこの国を再び支配しようとしている! 国王はさらに、私を殺害する為に国民同士が争う事を望んだ。一体誰がそのような者を国王と認めるのか!」
群衆は私の言葉によく反応し、喝采を挙げてくれた。
「国とは何だ! 同じ土地で共に暮らす人々が、大切なものを守る為、力を合わせる為の旗印、それが国ではないのか!」
私はそこでカロリーネの肩を抱き寄せる。群衆からさらに大きな喝采が、万来の拍手が湧き上がる。ふと視界の隅に入ったカロリーネの耳は、真っ赤に染まっていた。
「私と王国軍は必ずこの困難に打ち勝つ。この国が、愛する者を守れる国であり続けられるように。その先には必ず、今よりも良い未来が待っている! 国民諸君! どうか私に力を貸して欲しい!」
この日の出来事を、新聞はこぞって英雄アウグスティン万歳と書きたてた。
勝負は終わった。その後の事はただの予定調和である。
こちらのクーデターはほとんど無血に終わった上、海軍はいつでも戦えるよう準備を整えていたので、隣国では厭戦論が強まりその軍勢は当初よりごく小規模な物になった。それでも向かって来た隣国軍を、私は王都に居たまま迎え撃った。端から勝負にならないこの小競り合いは、こちらの戦術の成功も相まって一方的な勝利に終わった。隣国軍は散り散りになって撤退し、新聞は狂喜乱舞して私を神将だ軍神だと書きたてた。
その後隣国は、縄を掛けた元国王に熨斗紙を付けて送り返して来た。
しかし私には、そんな物を相手にしている時間はなかった。
私は全ての公職から身を引く事を宣言した。
「何故ですかアウグスティン閣下!? 将兵も国民も皆、閣下を信じ閣下の為に戦ったのですぞ!」
「私は内戦を終わらせ外患を打ち払うまで力を貸して欲しいと言ったのだ。新憲法も制定したし、我が国は法による平等が保証された活気と競争力のある近代的な国へと生まれ変わるだろう。私の仕事は終わった」
「閣下を新たな国王に、いや皇帝に推挙する者も大勢居るのです、どうかお考え直し下さい!」
「ようやく絶対王政という古い亡霊を退治したのに、もう一度百年前に戻りたいと言うのか? それに新憲法下での元首の役割は国の象徴、平たく言えば飾りだ、私はそんな生活は遠慮したい」
「君主がいけないというのなら首相になって下さい、後生でございます閣下!」
「御免被る、私は既に普通の男子の一生分の仕事をした。今後は緑豊かな田園で畑を耕し山羊を育てて過ごしたいのだ」
私の意思は強固だったが新政権を担う者達の意思も頑強だった。私は国王一家が持っていた王都に隣接した御苑と呼ばれる100エーカーの森林をもらう代わりに、最高国家顧問という前例のない意味不明な肩書きを押し付けられる事となった。
私は御苑の程よい場所に、小さな平屋の家を建てた。周りは豊かな森林に囲まれているがその外は何でも揃う賑やかな王都の繁華街という理想の家だ。
家の周囲には畑も作った。これは勿論私が耕すのだ、私はこれからここで作った農産物を売って生活の糧を得る、そんな暮らしをするのだ、最愛の人、カロリーネと共に。
「おかえりなさいませ、旦那様」
美しいカロリーネは今日も私の帰りを待っていてくれた、当然だ、私達は深く愛し合っているのだから。良かった。カロリーネの為に世界を変える事が出来て本当に良かった。最早何人たりとも、私とカロリーネの間に立ち入って来る事はあるまい。
「ただいま、カロリーネ。聞いてくれ。私は今日で全ての雑用を終えた。私は明日から、いや今から、私が本当にやりたい事だけをして過ごす。カロリーネ。お前はこれからも私と一緒に居てくれるね?」
「そ、それは勿論です、旦那様」
「良かった! 本当に良かった、私はこれから毎日お前と一緒に居る、お前のするどんな事も手伝う、お前が行きたいという所にどこでも連れて行く、私はもう、二度とお前の手を離さない」
私はそう言って、カロリーネの手を取った。世界一美しいカロリーネ。だけど彼女の手は長年の水仕事で痛みすり切れていた。冗談じゃない。カロリーネにはもう水仕事などさせるものか、これからは全部私がやるのだ。
「あ、あの……旦那様?」
「カロリーネ。一つだけ、どうしても聞きたい事がある。お前が私の事を愛しているなら、正直に答えて欲しい」
「そ、そんな、お待ち下さい、私はただの使用人で……」
私は唇が触れそうなぐらいまでカロリーネに近づく。
「お前は何故私の事を愛してくれたのだ? どうかそれを教えて欲しい」
「そ……それは」
「愛していないのか? お前は私を愛していないのか!?」
「あ、あ、愛しています!」
「勿論そうなのだろう! 知っていたとも、私もお前を愛している、誰よりも、他の何よりもだ、愛している、カロリーネ、お前の他には何もいらない、この世にはただ私とお前だけがあればいい」
私はカロリーネを強く、だけど優しく抱きしめる。彼女が痛くないように、けれど決して私の腕から抜け出せないように。
カロリーネは困惑しているように見えた。何故だ? 私を愛していないのか? そんなはずはない、彼女は今私を愛していると言ってくれた。では何だ? もしかして、彼女は私が彼女を愛している事を知らなかったのか? 何と言う事だ、そうに違いない。
「愛しているカロリーネ! 私はもうお前の愛なしでは生きられない、お前が愛してくれないなら、私は破裂して死んでしまいたい、お前が愛してくれるなら、私は心臓を刺されても後悔しない、どうか愛してくれカロリーネ、私は全身全霊をもってお前を愛する、愛してくれ、カロリーネ!」
「あっ、あの! どうかお願いします、死ぬとか刺されるとか、そんな事はお戯れでもおっしゃらないで下さい」
「すまない、だけど私はもしお前を失ったらと考えるだけで気が狂いそうになるのだ、私とこの世を結びつけているのはお前だけなのだ、愛してる、カロリーネ、愛している」
「だ、旦那様は英雄です、国民の皆さんから愛される英雄なのです、私は絶対に旦那様を愛する事をやめたりしません、生きているうちに旦那様の元を離れたりもしません、お願いします、心細い事をおっしゃるのはやめて下さい」
「では、教えてくれ。カロリーネ。お前は何故私を愛してくれたのだ?」
私はカロリーネをしっかりと抱きかかえ、その瞳を至近距離で見つめながら聞いた。美しいカロリーネ。お前はもう私の物で、私は完全にお前の物だ。
カロリーネは、真っ赤に頬を染めたまま、掠れた声で呟いた。
「か……顔……です……」
「……顔?」
「私は旦那様より美しい人を見た事がありません……私だけじゃないです、旦那様にお会いした事のある方の多くが、同じように思ったと思います、私は旦那様の御顔が本当に好きで、どうしても旦那様の使用人になりたいと思いました」
そんな事を他のどんな人間に言われても私は信じなかっただろう。だけどカロリーネの言葉であれば信じない訳にはいかない。とは言え顔なんか何だと言うのか。私にとっては、毎日鏡で見てうんざりしている無愛想で退屈な顔である。
end.
この物語はここまで。お読みいただきまして誠にありがとうございます! カロリーネさんは報われたけど、心を入れ替えた公爵閣下の愛はかなり重そうで、ちょっとだけ心配です。
ここまでお読み下さいました貴方に、一つ御願いがございます!
「少女マリーと父の形見の帆船」
私、堂道形人が小説家になろうに掲載しております小説です、どうかほんの少し、この作品の話をさせて下さい。
主人公のマリーは小柄で少し足が速いだけの女の子で、物語は父親の訃報と、父親の生業だった小さな古い帆船とその乗組員との出会いから始まります、マリーはさる事情で追われる身でもあり、お金も頼れる味方もありません、その上父の形見の帆船の甲板に立ってみたら、たちまち船酔いを起こす始末。
しかしマリーには父親譲りの度胸と祖母譲りの根性、そして人情がありました。どうにかして船長になったマリーは緑豊かな故郷を離れ、世界を巡る冒険、いや、港から港へ品物を運ぶ商売に向かいます。
手前みそではありますが物語の見どころは小さなマリーの知恵と度胸と義侠心です、海賊や海軍、貴族に商人、マリーは世界を動かすおじさん達の間に臆する事なく飛び込んで行き、大立ち回りを繰り広げるのです。
この物語には、とびきりのカタルシスが、たくさんの「良かった」があります! 港から港、国から国へと続く、旅のわくわく感もあります! ざまぁではありませんが痛快なシーンもたくさんあります、自分の国の国王陛下に(そうとは知らず)ピンタをかました結果国王陛下がマリーのファンになっちゃったりします!(※続編でのシーンになります)
そんなに長い話ではありません、せいぜい文庫本何冊か分です。宜しければ是非是非、軽い気持ちでお試し下さい。
このページの下の方にもリンクを掲載しておきます、「少女マリーと父の形見の帆船」を、貴方のブックマークの片隅に加えていただけたら幸いです!
もう一度、お読み下さいまして誠にありがとうございました!