承
それは突然に、始まった。
次の王となるはずの王太子が、お忍びで出掛けた夜遊びの帰りに襲撃を受け顔に大怪我を負った。私に言わせれば、日頃気まぐれに傷つけてきた女達とその友人から当然の報復を受けたのだと思うのだが。
王はこれを国家転覆を企む者の仕業と断じ、徹底的な調査を命じた。その結果、事件に関わった者達のほとんどが我がハイデルバッハ家と何らかの繋がりがある事が解った。これは行状の悪い王子への報いというだけでなく、ハイデルバッハ家を貶めようとする、周到に仕組まれ実行された何者かの陰謀だったのだ。
私は抗弁した。ハイデルバッハ家は長年この国を守護して来た家で、王の手足のようなものだと。だが、王の意思は強固だった。
最終的に私は他国と通じ外患を誘致しようとしていた国家の仇敵だと断じられ、ハイデルバッハ家は全ての権利と爵位と領土、王都の屋敷と各地の別荘までも没収された。
王がそこまでしながら私を処刑しなかったのは、その方がより私を苦しめられると考えたからだと思う。
私の周りにも抵抗を続ける事を勧める者は少なからず居た。しかし、怠惰な貴族の暮らしに埋もれ退屈な日々にうんざりしていた私は、戦う気力を失っていた。
私は最後まで残ってくれた家臣達に告げた。
「残された私財を分配するので、諸君が新しい人生に向かう為の糧として欲しい。この家を保つ事が出来なくて、誠に申し訳ない」
執事に衛士、馬丁に料理人に庭師、そしてメイド達。公爵家に仕える事で生きていた人々も、それで召し放ちとなった。
しかし。カロリーネはどうしてもと言って、私について来た。
「旦那様、どうかお願いします、これからも私に旦那様の身の回りのお世話をさせて下さい、お給金は要りません、どうか私も連れて行って下さい」
生きる事にすら飽き始めていた私は、カロリーネの真っすぐな視線から思わず目を逸らしてしまった。この女は何を言っているのだろう?
彼女が私に献身的に仕えて来たのは、私が四公家の一つハイデルバッハ家の当主だったからだろう。全てを失い平民に落とされた私に何の価値があるというのか。
それとも。カロリーネはあの不吉な記憶の通りに私を刺し殺すまで、私の側を離れないというのか。
放浪生活が始まった。
家を失った私にも、声を掛けてくれる友人は居た。
「どうか私の家の客分になって下さい、不自由はさせませんよ」
「うちにくればいいじゃないか、君の為に毎晩夜会を開こう」
私は王の勘気が君達に及んでは困ると言って、そうした誘いを丁重に断った。
「公爵さま、どうか我が館にお住み下さい、貴方さまが居て下さるだけで女達の励みになります」
「公爵様、我が家の入り婿になってくれんかね?」
「アウグスティン卿の受けられた仕打ちには、女王陛下も立腹されております……如何ですかな? 我が国にお越し下さいませんか」
友人だけではない。社交界に出入りするやり手共、成金の大富豪、果ては隣国のスパイまで、元公爵の人脈や何かの秘密を求めて、声を掛けて来る。
「……ここに居ては頭がおかしくなる。都を離れよう」
私は王都を離れた。何故そんな事をしようと思うのか、その時はよく解らなかった。元公爵などという肩書きは、田舎では何の意味も持たないのだ。
援助をしてくれる者は居なくなり、私は生活を切り詰める事を余儀なくされた。
「もういいだろう、カロリーネ。お前はもう十分私に良くしてくれた。さあ、これはお前が立ち去る時の為にとっておいた退職金だ、これを持って、どこか知り合いの居る所へ行くのだ」
「旦那様、どうかそんな事をおっしゃらないで下さい、お金がなければ私が働きます、私をクビにしないで下さい」
「……お前はまだ十分若く美しい。お前ならこの国のどこでもやり直せる。本当は私が、お前の為に有望な結婚相手を見つけて来てやるべきだった」
「御願いします、旦那様を御一人には出来ません、せめて旦那様の暮らしが落ち着くまでは、私を側に置いて下さい」
そしてカロリーネはやはり、私の側を離れようとしなかった。
この頃には、私はもう彼女が自分を刺すかどうかなどどうでも良くなっていた。