8: イリオス女
要塞都市ヴィルノは、ニメン川から北へおよそ半日行程の距離にある。
ルヴェール王国の数ある要塞の中で最も大規模かつ難攻不落と評せられているこの要塞は、なるほどルヴェール王国の歴史に深い関わりを持っている。
というのも、ルヴェール王国の防衛政策における文化として『川で押さえ込め』という方針は既に何百年も前から不動の地位を得ているのだ。
大陸に切れ込みを入れる二つの大河、ニメン川とデュナ川。およそ大陸のど真ん中から、前者は東側、後者は西側の海に向かって流れ出ている。ルヴェール王国はその流域に沿っていくつもの要塞を拠点として構築し、大陸中央部にひしめく諸侯との戦争の度に活用してきたのだが、その内、前線基地としての役割を果たす要塞群の機能が次第に数か所に集中するようになった。
こうして、要塞都市なる巨大な防衛施設が出現した。
……という具合の記述を本で読んだことがある。
要するにルヴェール王国の要塞都市は、南方からの外敵に対して軍隊を動員するにあたり最重要な拠点となっており、更に言えばヴィルノは最重要中の最重要拠点なのだ。
そのため、ルヴェール王国の歴史を紐解いてみればすぐに、ヴィルノに国王を含む王国の首脳が集結して戦争の指揮を執ったという記録にぶち当たるのだ。
今回もその慣例に違わず、ルヴェール国王を筆頭とした錚々たるメンツが戦争指導のために側近を引き連れてヴィルノにやって来ている。
一国の君主を身近に感じる機会など、そうあるものではない。かく言う私も領主や王、皇帝といった存在に一度も会ったことが無いかというと別にそういうわけではないのだが、個人的には彼ら君主との関わりにおいてあまり良い思い出が無い。恐らくそうした感情のせいもあって、妙に身体が強張ってしまっている。
馬車に据え付けられたふかふかの背もたれに身体をもたげてみるが、どうも居心地が良いのか悪いのか判然としない感じだ。
「それにしても」
と、不意にリーヴェン少佐が口を開いた。彼はあまり沈黙が好きではないのだと、何となく分かってきた。
「ルークイ王国の開明派将校とイリオス帝国の穏健派法官とは、ヘセッタ女史も奇妙な組み合わせをなさったものですな」
リーヴェン少佐はちょっとしたジョークの一つでも言ったような顔をして、いかにも楽しそうにくつくつと笑う。それとは対照的に、私は背中に冷や汗がにじむのを感じたし、クラウスはやや眉をひそめた。軍事同盟によってルークイ王国とイリオス帝国の軍勢がルヴェール王国に攻め込もうという状況なのだから、こういう物言いは一種の牽制と取れなくもない。
リーヴェン少佐は私たちが明らかに彼ほど面白がっていないことを全く意に介さずに続ける。
「アラグノイア学会を通じて私のもとに相当量の情報……具体的には手紙など、が届いております。こちらはクラウス殿へ、そしてこちらはテスタ殿へ宛てられたものです」
懐をまさぐり、二組の書簡を取り出した。片方をクラウスへ、そしてもう片方を私に向かって差し出す。
彼の意味深な言葉選びが気になるが、私はとりあえず素直に受け取った。封を指で千切って中の手紙を取り出す。
手紙の差出人は、ハルミアだった。
あの赤毛の少女は、私の出立の前日には堪え切れなくなったのかビイビイ泣いていたが、いざ出発となると意外な程に気丈に振舞って見送ってくれた。その折に「手紙を出しますから」と言っていたが、まさかその手紙が私よりも先にルヴェール王国に辿り着いているとは彼女も思っていなかっただろう。
両面にびっしりと書き込まれた手紙を読むと、自然と口角が上がってきてしまう。要するに「独りだと寂しい」「早く帰ってきてほしい」「無事でいてくれ」ということが、表現を変えて何度も繰り返されている。私は自分の生徒に文学やら修辞学やらの教えを授けた覚えはないのだが、未知の才能を垣間見た思いだ。
「……『四月十二日付の貴官の申請書に基づき、ここにおいて貴官に辞令を与える』」
落ち着いたらハルミアに返事を書こう、と私が決意した傍らで、クラウスがぽろりと呟いた。文面に繰り返し視線を走らせて、何度も自分を納得させているかのように小さく頷き、手紙を小さく折りたたむ。
「俺の辞表に対する国王陛下からの返答だ。これで名実共にルークイ王国軍とは縁が切れた」
クラウスは辞令を紺の軍服の胸ポケットに無造作に突っ込んで背もたれにふんぞり返った。馬車の低い天井を眺め、気が抜けた溜息を一つこぼす。
「そのルークイ王国ですが、魔法使いと竜騎兵の軍団を含む六万の兵を皇帝に提供したそうですよ」
そんなクラウスの感傷を全く気にもせず、リーヴェン少佐が口を開いた。私は何となく、彼の性格というものが分かってきた。なかなかのくせ者かもしれない。
「怪物皇帝は開明派将校のことをよくお思いでないようですな。あなたの上官であられたシャルトー将軍は陸軍部長を解任され、あなたの他の開明派将校たちは離散してしまいました。何人かはわが軍に入隊するでしょうね」
シャルトー将軍の名を聞いて、クラウスが目を見開いた。
クラウスのルヴェール王国軍への仕官の為の推薦書を書いた張本人であり、彼の上司だった人物だ。皇帝がルークイ国王や宮廷に圧力をかけ、不都合な人事を変更させるように動いたために将軍を含む何名もの将校がその地位を追われたらしい。クラウスの辞表がいともあっさりと受理されたのも、そのあおりを受けてのものだろう。
クラウスの拳がわなわなと余裕なく震えている。
リーヴェン少佐が『開明派将校』と呼んだ一派がクラウスの関係者たちであると考えると、その身を案じて居ても立ってもいられない気持ちになることは想像に難くない。
私は何だか気まずくなり、窓の外に目をやった。
きっちりと整備された幅広の道路が草原を裂いて走り、遠目にはぽつぽつと小さな家屋や木々が立っているのが見える。
もうすぐ戦火に巻き込まれるとは到底思えない、のどかな風景だ。
「ところで」
リーヴェン少佐が再び、車内に立ち込めた静寂を切り払った。
それにしても、少し困ったような、神妙な顔つきをしている。彼は指をくるくると動かし、「あー」とか「うー」とか唸った末に言葉を見出した。
「我々は帝国と戦うにあたって、現実に怪物皇帝を打ち破りたいと考えています」
そりゃそうだ。そうでなければすぐにでも帰らせてもらいたいところだ。
喉元で主張する無礼な返事を抑え込み、私は相槌を打って続きを促した。
「その為に怪物皇帝の手札をよく知っておきたい。そういう意図でお聞きしたいのですが、貴女はその、いわゆる『イリオス女』ということで間違いありませんかな」
「……あー。なるほど、そういうことですか……」
引きつった笑みがおのずと浮かんでくる。今さら嘘をつく理由も隠し立てする理由も無い。第一、私の事情については彼も学会から聞かされているだろうからはぐらかしたとて何の意味も無い。
であれば、事情を知っているにもかかわらず改めて尋ねてきたというのだから、リーヴェン少佐には殊更確認したい事柄があるのだろう。彼やルヴェール王国は私たちにとって味方にあたるのだから、素直に情報を吐き出そう。
「間違いありません。私は、三年前に怪物皇帝の魔法で女にされた『イリオス女』です」
息を吸い込んで、出来る限り澱みなく言い切った。
「怪物皇帝の力について貴女が直接経験したことを教えていただきたい、この通りです」
ばっと私の目の前に跪いて頼み込むリーヴェン少佐の言葉には、茶化すような含みは感じられない。
私の人生がほとんど谷底に転落した当時のことは今まで出来るだけ考えないようにしてきたのだが、こうも頼まれては仕方がない。しかし、恐らくかなりの長話になる。
「わ、分かりましたから頭を上げてください。……ええと、それにしても、どこから話せば良いのか」
「それならば、ぜひ初めからお話しください。貴女のお話は必ず役に立つはずです」
リーヴェン少佐がにっこりと笑う。彼はひげ面に眼帯といかにも歴戦の戦士じみた強面の男だが、どういうわけか彼の笑顔を見ると本当に安心する。
過去の過去、うっすらと靄のかかった記憶を手繰り寄せる。
ゴトゴトと控えめに揺れる馬車の中で、私は二人の軍人に少しずつ自分の過去を語りだした。
お世話になります。
お読みいただきありがとうございます。
TS娘がTSゆえにイバラの過去を抱えているのが好きです。
これは好み分かれそう。
いったんここまで、続きは書いたら投稿しますのでゆるゆるお付き合いください。
以上!