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7: 大河の向こうへ

 馬車を降り、御者に代金を支払って別れを告げる。

 一面の青空には濃い白の雲が漂い、海から吹く風が微かに磯の香りを運んできた。

 私は目の前の雄大な景色を拝みつつ、力いっぱいに背伸びをした。


 アラギノを発って十四日目の昼、私たちは中部諸侯同盟とルヴェール王国を隔てる大河、ニメン川のほとりに辿り着いた。

 大陸でも有数の大きさを誇るニメン川を高台から見下ろすと、既に川の向こう岸でルヴェール王国軍の陣地が築かれているのが見える。ちらほらと王国旗も揚がっているところを見るに、備えは万全ということか。

 こちら側の川べりにはルヴェール王国旗をはためかせた小舟と、数人の人影が佇んでいる。恐らく王国軍の関係者だ。川を渡るための橋もあるにはあるが、少し遠い。そこで、時間短縮のためにここで渡河ができるようになっているのだ。


「ルヴェール王国軍の本営はニメン川から少し北に進んだところにある」

「要塞都市ヴィルノ、でしたっけ」

「そうだ。そこにルヴェール王や軍の首脳部も揃っているはずだから、推薦状を渡して部隊に入れてもらう」


 少し前を歩くクラウスの荷がガチャリと揺れる。

 それにしても、本当に長大な陣地を築いたものだ。川の端から端まで、少なくとも私の目に見える範囲は全て覆い尽くしている。本営まですぐ傍に配置しているというのだから、ほとんど全軍がニメン川沿いに集中しているはずだ。よっぽどイリオス帝国を水際で食い止めたいのだろう。しかし、本当にニメン川で百戦錬磨の怪物皇帝率いるイリオス帝国軍を抑え込めるのだろうか。

 川に向かって歩みを進めながらクラウスに言葉を返す。


「本営もすぐそこに配置するなんて、ずい分前のめりな布陣ですね。これで大丈夫なんでしょうか」


 はた、とクラウスが立ち止まった。私の返事に何か感じたのだろうか。彼が急に止まるので、私はクラウスのごわごわした外套に突っ込んでしまった。

 転げそうになりながら数歩下がって距離をとる。意図がよく分からない挙動をされたので、不平が口をついて出た。


「ちょっと、いきなり止まらないでくださいよ」

「前のめりな布陣、か」

「はい?」


 クラウスは内ポケットをごそごそといじり、学会本部で広げたのと同じ書類を取り出してヒラヒラと私に見せた。ずっと同じところにしまっていたので多少の折れ目がついたりよれてしまったりはしているが、目立った汚れはほとんどない。


「この推薦書を書いた人物を知っているか」


 推薦書を掲げたまま再び歩き出したクラウスが私に問いかける。その声色は至って真面目で、戯れに何か言っているという感じではない。


「これを書いた方はシャルトー将軍といって、ルークイ王国で俺の上官だった人物だ」

「はあ」

「要するにルヴェール王国軍に対して俺を士官として受け入れるように求めた文書なんだが、これとは別に将軍閣下からはもう一つ命令を受けている」

「命令……どんな命令ですか」

「将軍閣下の提案する作戦計画を建議することだ。そしてその作戦というのが……、大雑把に言えば、この『前のめりな布陣』では勝てないから全軍をもっと後退させろ、というものだ」

「ああー……。やっぱり大丈夫じゃないんですね……」


 私たちは話しながら小舟の傍までやって来た。

 クラウスは手に持った推薦状を見せてルヴェール王国軍の濃緑の軍服を着た若い男と何か二言三言交わす。彼の言葉を受けて、男が「では、こちらに」と私たちを小舟へと案内するので、私もクラウスの後を追いかけて乗り込んだ。


 ルヴェール軍の男が一定のリズムをとって櫂を操るのに合わせて、ギィと音を立てて揺れる舟が幅広なニメン川をゆったりと進む。川の流れはほとんど止まったかのように穏やかなので、湖の上を渡っているのに近い感覚だ。

 衝動に駆られて左手を水面に差し込むと、ひんやりとした水が通り抜けていって気持ちが良い。これまで陸路を馬車にひたすら揺さぶられて進んできたので、その落差もあって最後の最後になってとびきり優雅な旅行を楽しんでいるような気分になった。

 そんな私をよそに、クラウスは先ほど中断された話の続きを切り出した。


「兵法の心得は?」

「ありませんよ。こちとらいちおう分類上は文官にあたる法官ですからね。あ、もうクビになりましたけど」

 

 実際には、法官が軍事行動に携わることは多い。それどころか、戦場に赴いた場合は主要な火力や後方支援の要員として重宝されるので、法官あがりの将軍もそこそこ存在する。したがって法官だから戦争術に馴染みが無い、という理屈は通らないのだが、少なくとも私は馴染みが無いので細かいことは良いだろう。


「なら、これを読んでおけ。直感は悪くないようだから、付け焼刃でも磨けばマシになるだろう。手数は多い方が良い」


 クラウスが荷袋を開き、中から何か取り出して私に差し出した。

 大量の紙の束だ。よれた紐で綴じられているが、本としての装丁は整っていない。一枚目には几帳面そうな字で『御進講録 六一〇年、六一一年および六一二年』と題が刻まれている。

 ぺらぺらと数枚めくりつつ尋ねる。


「これは?」

「少し前まで俺がルークイ王国で王太子殿下にご進講申し上げた講義内容を文にまとめたものの写しだ。原本は既に殿下宛てに郵送したから、これは返さなくて良い。最新の戦闘理論や戦略論を単元ごとに議論している。専門外だろうが、ヘセッタからそれなりに読書家だと聞いているから読めるだろう」


 身振り手振りを交えて説明するクラウスの右手に、インクの跡が付いているのが見えた。

 私たちは進むのをやめて休息するたびに浄化魔法をかけて体と衣服に付着した汚れや老廃物をまめに取り除いているので、彼の手の黒い染みは昨晩から今日にかけてついたものだと分かる。もしかすると、ついさっきまで作業を続けていたのかもしれない。

 彼が何かを執筆している様は以前から見ていたが、まさか自分の為に写しを用意してくれているとは思わなかった。普段は『イリオス女』などと呼んで辛い態度であたってくることもあるが、何だかんだ同僚としての気遣いをしてくれてはいるようで、素直に嬉しい。


「ありがとうございます。その、何とお礼したら良いか……」

「礼は要らない、働きで返せ」


 クラウスはそれだけ言うと、そっぽを向いて小舟のへりに背中を預けた。

 私は受け取った冊子を軽く撫で、試しに少しだけ読んでみる。


 クラウスの筆致は、意外な程に洗練されていた。

 軍人の書く文章というものは往々にして力強さや誇り高さを何度もしつこく強調する傾向にあり、私はそれがあまり好みでは無いので今まで敬遠していたのだが、数ページ読む限りだと彼の文章からはその手の熱気が排されているように思えた。何と言うか、格調高い。


 考えてみれば、一国の王太子に対して講義を行うのだからある種の上品さと言うか、王侯貴族的な素養も持ち合わせているということは不自然ではない。野盗をこてんぱんにした経験から彼が中々の力自慢であるということは分かっていたが、それだけではなかったというわけだ。私はまたもやこの男に感心させられた。


「そろそろ着きますので、ご準備を」


 と、漕ぎ手の男が声をあげた。

 顔を上げて舳先の方を見ると、ついさっきまでミニチュアのように小さかったルヴェール王国軍の陣地が、すぐそこまで迫っている。私は慌ただしく鞄を肩にかけ、その中にクラウスの冊子を突っ込んだ。


 小舟が岸壁に横付けになる。

 男が積み込んでいた縄を係留用の杭に括り付け、手をこまねいて「どうぞ」と私たちに合図した。

 岸壁は胸のあたりまで積み上げられていてやけに高い。そこまで運動能力の優れていない私でも手ぶらなら何とかよじ登ることができただろうが、あいにく私の荷物はそれなりに重い。

 私よりずっと重い荷を抱えている筈のクラウスが何故か軽々と岸壁に飛び移るのを眺めながら、彼に手伝ってもらおうとボーっと考えていると、不意に別の手が差し伸べられた。


「お嬢さん、どうぞ」


 声の主はルヴェール王国軍の軍服を着た男だった。

 年齢は四十かそこらだろうか、人懐っこそうな笑みには深くしわが刻まれていて、豊かにヒゲを蓄えた様が男らしい。失明しているのか、左目には眼帯をはめている。体格はがっしりとしていて、クラウスよりも僅かに背が高いように思える。腰に数本の剣を吊るし、かつそれだけでは飽き足らず小型の銃まで装着しているのが少し異様な雰囲気を醸している。

 小舟の漕ぎ手の男のそれとは若干意匠の異なる彼の軍服は、ところどころに金の刺繍が施され、右肩から金色のモールが垂れている。察するに、ルヴェール王国軍の将校らしい。


「ありがとうございます」


 ここは良い印象を与えておくに越したことはないと判断し、ニッコリ微笑んで(視界の端でクラウスが少し気味悪がるような表情をした)彼の手を取り、岸壁に引き上げられてから軽くローブをはたいて恭しく挨拶をした。クラウスはかなり気味悪がるような表情を浮かべたが、私に合わせて男に礼をした。

 ルヴェール王国軍の将校は穏やかに笑い、礼を返す。


「お待ち申しておりました。ルークイ王国軍のクラウス殿、ならびにアラギノのテスタ殿で相違ありませんな」

「相違ありません」


 男は少し額に垂れた前髪をかきあげる。


「私はルヴェール王国軍のリーヴェン少佐と申します。アラグノイア学会を通じて話は伺っております。さあ、馬車を用意しておりますので、こちらへ」


 どうやら学会の侮りがたい通信網は私たちを先回りしていたらしい。リーヴェン少佐と名乗ったこの男は自らを学会の関係者と言った。ヘセッタも無計画に私たちを送り込んだのではなかったというわけだ。


 水際の防御陣地に続く道の脇に、私たちが今まで乗ってきたどの馬車よりも数段豪華な馬車が停まっている。リーヴェンに促されるまま近寄ると、二名の御者が降りてきて私とクラウスの荷物を車内に積み込んだ。恐らく軍用の馬車だろうと思うのだが、何というか、ずい分と便宜を図ってくれるのでかえって委縮しそうになる。こう言った丁重な扱いは久しく受けていないので何となくこそばゆくなり、馬車に乗り込みながら少し笑ってしまった。


 私とクラウスの後でリーヴェン少佐が乗り込む。

 扉を閉じ、鍵をかける。正面の窓越しに御者たちへ合図を送ると、御者の鞭がしなり、馬たちが駆けだした。


「参りましょう。我らが本営、要塞都市ヴィルノへ」


 リーヴェン少佐はニヤッと笑った。

お世話になります。

お読みいただきありがとうございます。


TS娘が自分の容姿を「分かってる」振る舞いをするのが好きです。


いじょ、、


「分かってない」振る舞いをするのも好きです。


以上!

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