4: 前夜
「……と、いうわけで。しばらく帰れなくなりそうなんだよね」
「いやいや、まっっっっったく分かりません!」
学会本部を追い出されてから物品の調達に奔走していたので、結局自宅に帰ったころには日が暮れてしまっていた。
そんな中でもハルミアはいつもと変わらずに食事を用意して待ってくれていたので、一緒に食卓を囲って学会から押しつけられた仕事について説明した。……が、全く事情が分からないらしい。それは私もそう言いたいところなのだが。
自分でも納得し切れていないことを他人に納得させられるなどということがあるだろうか。いや、ない。
クルミの入ったパンを一つかみ、どろりとした黒いスープに浸してから口に放り込む。ひたひたになったパンは柔らかく、クルミの固さが際立つ。
「アラグノイア学会には私より手練れの魔法使いが腐るほどいるだろうにねぇ。確かに私はイリオス帝国出身だけど、何年も前の話だから情報源としても期待できないことは分かってるはずだし……」
テーブルの上にだらしなく広げられた今朝の新聞を読み直す。
イリオス帝国の首魁たる「怪物皇帝」(このあだ名は侮蔑的なものなので、本来帝国に従属しているルークイ王国で用いることの出来る言葉ではないのだが、ここアラギノは学会の権力が強いのか、帝国に批判的な記事が多い)は、ルークイ王国首都リネープに先日入城した。
彼が連れて来た帝国の軍団は二十万を超える大軍勢で、更にルークイ王国を中心とした中部諸侯同盟全域から大規模な動員を行うため、総兵力は四十万に達する見込みもある。この過剰なまでの陸上兵力召集を考慮すると、皇帝の次の作戦はルヴェール王国への遠征であると見て間違いないだろう。
……といった具合だ。
二十万だとか四十万だとか、およそ平穏とは言い難い数字が踊っている。帝国がこれだけの軍勢を揃えるとなれば、迎え撃つルヴェール王国も必死になって兵をかき集めなければならない。であれば、空前の規模の大戦争に発展することは容易に想像がつく。その最前線に赴けと言うのか。しかもクラウスというどうしても馬の合わない軍人と一緒に。
スプーンでごつ切りの野菜を掬い上げ口へ運ぶ。
やはりヘセッタの真意を読み切れない。本人が乗り気かつ職業軍人であるという点で、クラウスがルヴェール王国の側に立って参戦するためにルークイ王国を発つのはまだ分かる。しかし私の場合、確かに魔法使いは戦争で一定の役割を持ってはいるものの、何も戦争の為に働く必要性は無いし、そもそも全く乗り気でないのだから、治癒魔法に秀でた魔法使いであるという理由で私をルヴェール王国へ送り込むことの説明が十分にはなされていないように感じないわけにはいかない。
「学会の方々が魔法使いとして先生の実力を認めているのはもっともだと思います」
スプーンを手元に置いて、ハルミアが愚痴っぽくこぼす。私は背もたれに体を預け、大きく息を吐いた。
「素直に喜べば良いんだか良くないんだか……」
「でも、突然『ルヴェールへ行って戦ってこい』なんてハッキリ言って異常ですよ。命がけじゃないですか」
「まあ、今までも学会に振り回されて割と命がけなことは多かったけどね」
「それにしても今回は度が過ぎてます!」
ハルミアがガンとテーブルに拳を打ち付け身を乗り出してきたので、私は少しぎょっとしてしまった。そんな私の顔を見てすぐにハッとした様子で「すみません」と椅子に掛けなおしたが、赤毛がところどころ逆立っているのを見るに、かなり頭にきているらしい。
しかし、当の私はと言えば、学会本部で直接命令を受けた時はそれなりに動揺したのだが、その後は最低限必要な荷物を買い揃え、早くも旅支度を半ば済ませてしまった。もちろん納得はしていない。していないのだが、学会との付き合いになまじ慣れているために割り切ってしまったきらいがある。ハルミアはそんな私の諦観したような態度に対しても快くは思っていないのだろう。それにしても彼女がここまで怒りの感情を露わにするのは久しぶりかもしれない。
「……これは単なる経験則だけど、アラグノイア学会の連中は何だかんだいつも具体的で現実的な着地点を見据えてるよ」
グラスに注がれた水を一口飲み、軽く頭を掻いた。何だかごまかすような仕草をしてしまったが、別に建前だけでこう言っているわけではない。間違いなく本音でもある。学会の連中は決して行き当たりばったりや思い付きで物事を決定しない。だから彼らには何らかの意図があると私は確信している。もちろんそれが何であるか分からないのは問題なのだが、学会としては現状その意図を私に教える必要が無い、あるいは教えてはならないと判断しているのかもしれない。
「それに、これを言ったらお終いだけど、学会やヘセッタさんにはずい分と世話になってる。そもそも帝国から私が逃げてきた時、ヘセッタさんと学会の助けが無かったら私はもう死んでただろうからね。今回も学会は私にかなりの無茶を強いるようだけど、学会は私にそれができる、あるいは私でなければそれができないと判断したらしい。そういうことなら私は学会の期待に応えなきゃいけない……んだと思う。恩返しの意味も込めてね」
「……」
「納得できないかな」
「何だか、先生らしくないことを言っている気がします」
確かにその通りかもしれない。いかにも優等生ぶった、お行儀の良い説得に訴えたという自覚はある。思いがけず指摘されたので口角が少し吊り上がった。
「つまりね、学会は性懲りも無く私をこき使いたがっているらしいんだ。けど、それは取りも直さず私を危険から守ってくれるという意味でもある。私が死んだらそれ以上利用のしようがないからね。だから私は現地で彼らの保護を信じ安心してそこそこ頑張りつつ、怒られない程度にサボったり観光したりするつもりだよ」
笑ってしまったついでに、少しくだけた見解を披露してみた。私は学会の話をする時はいつも恨みつらつらだったから、こういう言い方の方が普段の私らしく聞こえるだろう。それに、これも間違いなく本音だ。アラグノイア学会くそくらえ、せいぜい私を守ってくれ。
ルヴェール王国にもアラグノイア学会の支部はいくつも存在している。さらにルヴェール王国軍や王国政府の中にも学会のメンバーがいる筈だ。道中の安全はクラウスに何とかしてもらうとして、その後の指示は彼らに仰げば良いのだろう。私を貴重な戦力として認識しているのならば、あまりに過ぎた危険に晒させるような采配はすまい。もしルヴェール王国が帝国との戦争に敗れたとしたら私は相当困るわけだが、その時は最寄りの学会支部に逃げ込めば何とかなると信じておこう。
そういうわけで、私は旅を気楽に楽しむ(という風に自分に言い聞かせる)方向へ自身の考えを切り替えた。少なくともそうした方が私の性にはあっているし、ハルミアも見送りやすいだろう。我ながら良い発想の転換だと思う。
「そういう態度の方が先生らしいです。でも、気楽な旅だからって『じゃあ連れて行ってください』と言ってもそこはダメなんですよね」
ハルミアは笑って、再びスプーンを手に取った。
本当に鋭いというか、ぎくりとするところを突いてくるので私も苦笑いするしかなくなってしまった。実際その通りだ。大切な弟子を戦地に連れてゆくなど、今の私には恐ろしくて到底できる芸当ではない。
無理やり作ったらしいハルミアの笑みは諦めたような、やや物悲しげな色をはらんでいるような気がした。私のことをこれだけ心配してくれる者がいるというのはとても嬉しいことなので、私自身も乗り気でない話を通すためにそんな人物を説得して退かせることは心苦しいどころの騒ぎでないのだが、そんな彼女をこれ以上悲しませないためにも、絶対死んでなんかやるもんかと改めて決意した。
お世話になります。
お読みいただきありがとうございます。
TS娘総受けが好きです。
以上!