3: 魔女ヘセッタ
「もォー久しぶりだわねテスタちゃん! いやぁ、元気してた?」
「はァ、お陰さまで。つっても私の動向なんて聞くまでも無くご存知でしょう」
「相変わらずの塩対応! まあ全くその通りなんだけどね! 一挙手一投足に至るまで監視してるからねえ」
目の前で陽気な女が延々と喋り続けている。『ようこそ!』と歓迎の言葉が吊るされていた彼女の執務室に入るとすぐに長椅子へ通され、茶と菓子が出てきた――までは良いものの、それからずっと本題に入るでもなく彼女の世間話の嵐だ。私の隣に腰掛けるクラウスは目を閉じて話の終わりを待っている、というか寝ているように見える。彼は彼でこの手の人間への対応に慣れているようだ。
私とクラウスを呼びつけたこの初老の女性は名をヘセッタと言い、アラグノイア学会の役員だ。真っ白の長い髪を三つ編みにまとめ、黒い魔法使いのローブに身を包んでいるので、いかにも古風な魔女らしい装いだ。大きな三角帽子を被っていれば完ぺきだった。
彼女が何に携わっているのかは例によってよく知らないのだが、彼女の仕事の一つは私の世話ということになっているらしい。それを「監視」と称するのはどうかと思うが。
「クラウスくんもちゃんと見ているからね。仲間をイリオス女呼ばわりするのはいけませんよ」
監視網は十全に機能している様子だ。クラウスは少し目を開き、「失礼しました」と頭を下げた。
「ヘセッタさん、それで今日は何のご用でしょう」
話題が途切れたのを利用して、私は彼女の世間話に終止符を打った。
ヘセッタはまだまだ話し足りないのか若干不満げな表情を浮かべていたが、そこはそれだ。本題に入るように強く促すと渋々ながら切り出した。
「最近の『怪物皇帝』の動向については二人とも知っているかしら」
今朝の新聞の紙面に踊る見出しが頭をよぎった。『怪物皇帝、首都入城、新たな戦争か』『国王、同盟に従い戦時動員』『イリオス法官府、治安維持令発令』――。クラウスが眉間にしわを寄せた。
「はい。こちらの都に軍団を引き連れて入城した、と今朝の新聞で読みました」
「その通り。……五年前の敗戦以来、ルークイ王国は名目上の独立を保ってはいるけれど、実質的にはイリオス帝国の傘下と言っていい状況にあるわ。と言っても、この五年で中部諸侯同盟のほとんどが皇帝に逆らえないようになってしまったから、ルークイ王国に限った問題ではないけれど。それで皇帝は今、国王陛下に圧力をかけてルークイ王国内でも兵をかき集めているの」
クラウスが口元を不愉快そうに歪ませた。当然のことだろう。五年前にルークイ王国とイリオス帝国との間で戦端が開かれた時、彼は若き王国軍士官として参戦し、敗戦を経験している。
「俺たちは『怪物皇帝』を倒すために国王の軍を建て直してきたのに、陛下はその軍隊を皇帝に捧げ奉るおつもりらしい」
皮肉っぽく言い放ち、茶をズッと飲み干す。この王国軍将校は敗戦後も軍に留まって再建と改革に取り組んできたのだが、それは正に次の戦争で帝国に復讐を果たすためだった。その思いを台無しにされたことがどれほど彼を傷つけたのかは私には知るべくもないが、相当頭にきているらしいことは傍目にも分かる。
「我々は、皇帝がいよいよ大陸制覇に王手をかけたと見ているわ。帝国に今も反抗し続けている国はそれ程多くないけれど、ルークイ王国に脅しをかけて兵を供出させる程に大規模な動員をしていることを考えると、皇帝の目標は最大の抵抗勢力……」
「北方のルヴェール王国、ですか」
「そうよ。ここを押さえればもはや実質的に大陸全土が皇帝の所有物となる。われわれ学会としてはそれを阻止したい。そこで今日はあなたたちに来てもらったというわけ」
……ん?
ヘセッタの大陸情勢分析は誤ったものと思わないし、学会の目論見は勝手にすれば良い。勝手にすれば良いのだが、そこで何故私が招かれることになるというのか。
「意味が分からない、という顔をしないでちょうだいね」
にっこりとヘセッタが笑う。
しかし、この微笑みを額面通りに受け取ることのできる者はいないだろう。誰だってその背後に潜む意図、強いて言えば「獲物を逃がさない肉食獣」とでも喩え得るような強かさを汲み取ることができる。
私は頬を引きつらせ、茶を一口飲んでごまかした。先ほどまでと打って変わって、もうこの話は終わりにしようと言いたくてたまらない。手も少し震えてきた。何を要求されるんだ。
そんな私をよそに、クラウスは自分の胸元をごそごそと探って内ポケットから書類を取り出し、テーブルに叩きつけた。
広げられた書簡は二組で、それぞれ『辞表』『推薦状』と記されている。
「俺はルークイ王国軍を抜ける。その足でルヴェール王国に向かい、将軍閣下にしたためていただいた推薦状でルヴェール王国軍士官として入隊し、皇帝と戦うつもりだ。学会も文句は無いだろう」
「もちろん。大帝の意思を継ぐものとして、貴方の決断を歓迎するわ。……元々クラウスくんからルヴェール王国に出奔するという話は聞いていたし、学会としてもそれを止めるつもりはないのだけれど、一つ条件があります」
「何だ」
「その子……テスタちゃんを同行させること」
ヘセッタの言葉に、私とクラウスは思いがけず揃って「は?」と聞き返した。
「え、ちょっと、それは一体どういう話で……」
「学会の決定よ」
「それはそうでしょうけど、何もこんな」
「テスタちゃん。帝国から命からがら逃げだしてきた貴女を匿った時、私が貴女とどういう契約を結んだか覚えているでしょう」
私が狼狽えるのが楽しくてたまらない、とでもいうような表情を隠そうともせず、ヘセッタは意地の悪い声色で尋ねた。
「『精霊の鎖に基づきこの者に我らが約定を問う』……。さあ、言ってみてちょうだい」
魔女の瞳が不自然に輝いた。
……魔法に基づいて交わされた契約は、特に魔法使いの間では破ることはできない。私の意思とは全く無関係に、私の口が勝手に言葉を紡ぎ出す。
「……『当座の危険を免れ、保護を享受する代わりに、魔女ヘセッタの命令に従う』……んぐぐ……」
「そういうことよ」
こうなるからイヤなのだ。
ヘセッタの言う通り、私はかつてイリオス帝国からワケあって逃げ出した時、この魔女がこの街までの逃走経路を確保してくれたおかげで命を救われた。これは覆しようの無い事実なのだが、その一方でこの賢しい魔女は私を助けると同時に、便利な手駒とする権利を得てしまったのだ。それ以来、私も学会から住まいなどの支援を得られるには得られるものの、何かと便利な使い走りとして働かされ、しばしば散々な目に遭ってきた。
さすがのクラウスもこれには面食らったらしく、あからさまに狼狽した表情を浮かべている。
「待ってくれ。なぜ俺がこいつを連れて行かなきゃならない……」
「簡単なことよ。その子は役に立つ。貴方の役にも立つし、われわれ学会の役にも、そして来るべき戦争に勝つための役にも……その為に、その子と共にルヴェール王国へ渡って皇帝と戦うのが貴方の仕事です」
ヘセッタがずい分自信ありげに語るので、クラウスはかえって訝しげに「役に立つ……?」とこぼした。
「法官府の支援魔法部門出身――特に治癒魔法に長けた法官の経験を持つ魔法使い、そうそういるものでは無いでしょう。この子、ここにやってきてからは専門分野の魔法について多く語らなかったから貴方がよく知らないのも無理はないけど、相当やり手よ。だからこれは決定事項。出発は三日後の朝。今日と明日の間に全ての準備を整えておくこと、以上、頑張ってね!」
口を挟もうとしたら無理やり話を締められてしまった。
クラウスも私も明らかに納得していなかったし、異議申し立てを図ったが、そこはこの老獪な魔女の方が上手で、あれよあれよという間に部屋から追い出された。
殺風景な廊下で、私とクラウスは思わず互いに顔を見合わせる。私の表情は余裕の無い引きつったものだったかもしれないが、クラウスのそれも平生からは想像もできない程に複雑なものだった。
そういうわけで、私はこのいけすかない男と旅をすることになってしまったわけだ。
お世話になります。
お読みいただきありがとうございます。
TS娘に対して距離感の近い女が好きです。
以上!