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作者: 佐久良

某短編新人賞に応募し、「もう一歩」と言われた作品です。


 たくみとは大学生の頃から三年付き合っていた。サークルが同じということで仲良くなり、友達関係を経て、卒業する半年くらい前から恋人になった。別々の会社に就職したことで、すれ違ってしまう時期もあったけれど、順調に付き合いを重ねていた。


 お互いの両親にも何度も会っていて、具体的な言葉は無かったけれど、いずれ結婚するものだと私は確信していた。だから仕事が忙しくてしばらく会えないし、連絡もあまりとれないというメールが届いても、巧の言葉を素直に信じていたのだ。


 別れのメールが届いて、初めてその心が離れていることに気が付いた。


 会って話がしたいと何度伝えたけれど、巧は頑なにそれを拒否する。電話を掛けても出ることはなかったし、いつかのように掛け直してくれることもなかった。みっともない女になりたくない。気持ちが離れてしまったのは事実なのだ。


 そう思って別れを承諾するメールを送った。巧からは「ごめん。ありがとう」というメールが一通届いたけれど、返事は送らなかった。


 その日から一週間、ただただ泣いた。子どもの頃のように声を出して泣いていた。できることなら一人暮らしをするマンションの部屋から出たくないくらいに。それでも、仕事に行かなければならないという現実はあって、外へ出掛ければ無理矢理笑って過ごしていた。


 それから三カ月が経った頃、親友の千尋ちひろに呼び出された。「報告したいことがあるの」と話す彼女は、メールでも電話でもその内容は教えてくれなかった。待ち合わせのカフェに着くと、千尋の隣にはなぜか別れた彼が座っていた。嫌な予感がした。


 席に座り、巧がいる理由を聞こうとするより先に「結婚することになったの」と、千尋ははにかみながら私に言った。その薬指には真新しい指輪がはめられている。彼は私とは目を合わせず、頼んだコーヒーを口にする。


――どうして? いつから? なんで?


 疑問が次々に湧いてくる。心臓が速くなり、呼吸がうまくできない。忘れていた痛みが徐々に身体全体に広がっていく。そんな私には気付かず、千尋はプロポーズされた時の話や両家の顔合わせの話をしている。巧は相変わらず私とは目を合わせずに、カフェの外を歩く人々を見つめている。


「ひとつ確認してもいい?」


「うん。何?」


 にこやかな笑顔を向けて、千尋は答える。私が、うまく笑えていないことに気付かないはずがないのに。


「……私と終わってから、だよね?」


 彼女は「当たり前でしょ」と笑った。彼は変わらず、私を見ようとはしない。私は『はやしまどか様』と書かれた封筒を受け取った。


 巧と千尋の結婚式は生憎の雨模様だった。披露宴の司会者は「二人の門出を祝う恵みの雨」だと話していた。純白のドレスを身にまとう千尋は綺麗だった。隣に座るのが巧でなければ、と何度も思った。


 女性であれば一度は着てみたいと思うそれを見るのがいたたまれなくて、新郎側の親族席に目をやれば申し訳なさそうに私を見る巧の両親と目が合った。私と彼との関係を知る人は、ひそひそと私に目を向けながら会話をしている。内容は聞こえなくとも、どんな話をしているかはだいたい見当もつく。


 司会者が二人の馴れ染めを語る。初めての出会いは三年前――まだ大学生だった頃に私の恋人として彼を千尋に紹介したときだ。そのときのことを思い出し、胸が苦しくなる。本当だったら私が彼の隣にいるはずだった――そう思うのは私が嫌な女だからだろうか。


「二人の交際が始まったのは出会いから一年半が経つ頃で――」


 それまで聞こえていた雑音がふと消えた。司会者の声がやけにはっきりと聞こえる。一目惚れした千尋からの猛烈なアプローチに巧が根負けする形で交際が始まったのだという。


 そこから先の記憶はあまりない。ただ、逃げるようにお手洗いに入ったときに聞こえてきた千尋と同じ職場の女性達の会話が思い出される。


「元々は浮気相手だったらしいんだけどね。妊娠を理由に本命になったらしいよ。その妊娠も本当なのか分かんないんだけどね。流産したとは言っていたけど」


「神経ずぶといよね。男を奪った挙げ句、その元カノさんを今日の結婚式に呼んでるんだから」


 目の前が真っ暗になった。眩暈と頭痛が同時に襲ってくる。

 気付いた時には私は自分の家にいた。どうやって帰って来たのか……覚えていない。ただただ、何とも表現しがたい黒い感情が私の心の中を蝕んでいった。



 半年後、私は友人の結婚披露宴に招待された。新婦は千尋と共通の友人だ。会場に入り、受付を済ますとロビーには千尋がいた。


「久しぶりだね、まどか」


 手を振って私に近付いてきた千尋は私の左手の薬指を見て「彼氏出来たの?」とすぐに尋ねた。私の薬指にはダイヤの指輪がはめられている。一目で千尋のそれより大きいと分かる、誰から見ても明らかな婚約指輪だ。


「うん。今度、千尋にも紹介するね」


「ほんと? 楽しみにしてるね。彼氏ってどんな人なの?」


「写真見る?」


 私はバッグからスマホを取り出し、千尋に見せた。彼と一緒に映るツーショット写真だ。千尋は画面を見ると目を見張り、食い入るように画面を見つめる。その表情についつい笑みがこぼれる。


「千尋のタイプだよね」


 敢えて、それを口にしてみた。千尋がどんな反応をするか興味があったのだ。


「え……」


「旦那から乗り換えたいくらいタイプだったりして?」


「そんなこと……ないけど。でも、かっこいい人だね」


 笑ってしまいそうなほど動揺している。千尋の手からスマホを回収し、バッグにしまうと他の友人たちから声を掛けられた。それ以降、千尋とその話はしなかった。


 その日の夜、千尋からメールが届いた。巧も含めて四人で会おうとの誘いだった。予想通りだった。私は彼――勇人ゆうとに連絡を取った。


 千尋が指定した待ち合わせ場所は、あの日、私に結婚報告したカフェだった。何を考えているのか。それとも何も考えていないのか。きっと後者であろうと予想し、溜め息がこぼれる。彼女は店に入った私を見つけると「まどか、こっち」と手招きした。千尋の隣に目をやれば巧がこちらを見ている。


「はじめまして。まどかの親友の武田たけだ千尋です。こちらは夫の巧です」


「はじめまして。斉藤さいとう勇人といいます」


 勇人は千尋に微笑んだ。アイドルに負けないレベルの完璧な笑顔だ。


「千尋さん、すごく綺麗ですね。こないだ結婚式に参列してる写真をまどかに見せてもらったときも思ったけど、やっぱり本当に綺麗な人だ」


「えーそんなことないよ」


 まんざらでもないのか、千尋は頬を赤らめる。巧は居心地の悪そうな顔で私を見る。


「まどか――さんとはいつから付き合ってるんですか?」


 癖で呼び捨てにしかけた巧は、不自然に敬称を付けて呼んだ。」


「三ケ月前ですね。合コンで知り合ってから付き合い始めました」


「へえ。勇人くん、合コンなんて行くんだ。かっこいいからそんなところ行かなくてもすぐ彼女できそうなのに」


 巧が千尋に目をやる。明らかに不機嫌な表情だ。結婚したばかりの妻が他の男をかっこいいと褒めるのだから、旦那としては面白くないのだろう。


 千尋は私との関係や巧との馴れ染めを勇人に話す。もちろん、私と巧が付き合っていたことや私から奪い取る形で結婚したことは伏せながら。私も巧もそれに関して何も言わなかった。巧からすれば、二股をかけていたことを認めることになるのだから敢えて訂正する必要もない。


 だとしても、千尋は私が勇人に「巧と付き合っていたことがある」と言っていないと本気で思っているのか。いくら私に「別れてから付き合った」と話していても披露宴で馴れ染めを語れば、二股をかけられて捨てられたという事実に気付くのは予想できるというのに。汗をかいたカフェオレのグラスを見つめ、そんなことを思う。


「勇人くんは、結婚とかって考えてるんですか?」


 唐突に千尋が尋ねる。


「いきなり、何聞いてるんだよ。失礼だろ」


 巧が慌てて「すみません」と勇人に謝る。


「だって、まどかの指にあるのって婚約指輪でしょう?」


 彼女は私の薬指を指差す。今日、彼女が一番聞きたかったことなのだろう。好奇心に満ち溢れた目を向けている。


「まどかが、付き合うなら結婚考えられる人が良いって言ってたから、本気見せるために買いました」


「えー。まどかなんかでいいんですか? もっと良い女性いるだろうし、もっと遊びたいんじゃないですか?」


 何とも失礼な言葉である。巧が「それ、二人に失礼だから」と諭す。


「俺はまどかが良いんですよ」


 私は思わず勇人を見る。勇人はその視線に気付いたのか、私を見て「良い女性ですよ、林まどかは」と微笑む。芸能人のように整った顔立ちの勇人に至近距離で笑顔を見せられ、心臓がドキリと跳ねる。


「ちょ……勇人」


 どう返していいか分からず、おろおろする私に「そういうとこ可愛いよね」と、これまた完璧な笑顔で頭を撫でる。


「なんか見せつけられちゃったなー」


「あ、すみません」


 目を向けると先ほどとは違い、声のトーンが落ち、笑顔の消えた千尋がいた。


「――だけど、巧さんが羨ましいな」


 急に名前を呼ばれ、不思議そうに勇人を見る巧。千尋は不機嫌な表情のままだ。


「こんな素敵な女性が奥さんなんて、男として羨ましいですよ。もっと早く出会っていればって思う、俺みたいな男たくさんいると思いますよ」


 途端に千尋の表情が明るくなる。なんて分かりやすいのだろう。こんなに分かりやすいのに、なぜ私は千尋が巧と浮気をしていることにも、彼女が巧を好きだったことにも気付かなかったのだろうか。


「ちょっとお手洗いに行って来るね」


 千尋が席を立つ。勇人はその姿を見つめ、「俺もちょっとトイレ行って来るね」と私に声を掛けた。

 四人掛けのテーブル席には、対角線上に私と巧が残された。巧はちらりと私を見る。


「……何?」


「いや……」


 気まずさがその場を包んでいる。それもそのはずだ。何が楽しくて別れた相手と二人で、それもその相手が結婚すると知った場所で顔を合わせなくてはいけないのか。私は、二人がいるであろう方向に目を向ける。


「まどか」


 巧が私を呼ぶ。少し前まで、世界で一番大切だった人の声だ。世界で一番大好きだった声。


「アイツと結婚するの?」


 巧の視線の先には、楽しげに会話している千尋と勇人がいた。


「さあね? ただ――私は浮気しない人と結婚したい」


 巧は何も言わない。


「だけど」


 私は巧を見つめる。彼は、ばつが悪そうに下を向いている。


「巧のことが好きだった。この人と結婚するんだって思うほど、本当に大好きだったよ」


 本心だった。巧は驚いたような目で私を見る。


「まどか、俺……」


 巧が何かを言いかけたタイミングで、勇人と千尋が戻ってきた。「何話してたの?」と自分の夫に問う千尋。巧は「何も」と一言返す。こんなに分かりやすいのに、私は一年以上も彼に騙されていたのかと思うと、つい苦笑いしてしまう。


「そろそろ出ようか」


 勇人が私の顔を見る。私は「そうだね」とバッグから財布を取り出す。


「まどかは出さなくていいよ。俺が払うから」


「え、でも――」


 勇人はにこりと笑い、千尋たちにも「ここは僕の奢りで」と伝票を持って会計に向かった。会計を済まし、私たちはそれぞれ別方向へ歩き出した。巧の隣を歩く千尋が振り返り、意地悪く微笑むのを見逃さなかった。



「いままでありがとう」


 私は勇人に頭を下げた。周囲から見れば、ただの別れ話にしか見えないはずだ。勇人は頭を横に振る。


「これはおまけです」


 勇人は小さなSDカードをテーブルに置いた。私はそれを手に取った。


「これは?」


「使うかどうかは、まどかさん次第ですけど――きっとまどかさんの役に立つと思います」


 勇人は私の質問には答えず、微笑んでいる。彼が私の不利に働くことはない。私は、小さなそれを無くさないように、バッグの中のポーチに仕舞った。


「でも――まどかさんに会えなくなるのは寂しいな」


「何? 営業トーク?」


「ひどいな。本当にそう思ってるのに」


 くすくすと笑った顔は無邪気で、人を騙すような人には見えない。私は「今日は俺のおごりです」と言われて頼んだミルクレープを口に運ぶ。


「今日もだけど、こういうお金も全部出すつもりだったのに。本当に良いの?」


「奢られるのは嫌なんですよ、俺」


「じゃあ素直に甘えておくね」


 勇人は笑う。


「信じてくれないとは思ってるんだけどさ」


 ブラックのコーヒーを一口飲んで、勇人は真っ直ぐ私を見た。その瞳は、真剣そのものだ。


「あの時言ったこと、嘘じゃないです」


 私は「あの時?」と首を捻る。


「本当にまどかさんのこと、良い女性だって思っていますよ」


 私はケーキを食べる手を止めた。彼と同じブラックのコーヒーを見つめる。口を付けていないそれは、当たり前のことだが、カップの底が見えない。


「良い女だったら――浮気なんてされないよ。ましてや捨てられないよ。二股の相手と結婚しちゃったんだから、どっちが浮気だったのか分らないけど」


 もう涙は出ない。涙が枯れるほど泣いた。だけど、思い出すと胸が苦しくなる。忘れようとした痛みが、どこからかやってきて呼吸の仕方を忘れそうになる。


 彼が言うような「良い女性」だったら彼らの幸せを願うことができたのだろうか。永遠の愛を誓う二人を心から祝うことができるのだろうか。それができない私はやはり彼の言う「良い女性」には当てはまらないのだ。


「今度はもっといい男と恋愛してください」


 彼は会計の伝票を持って席を立った。もう二度と会うことはないだろう。私はコーヒーを口に運んだ。冷めてしまったそれは、少しだけ苦くてしょっぱかった。



 それからしばらくして、共通の友人から巧と千尋が離婚したことを聞いた。そのきっかけは、ある写真が巧と千尋が住むマンションに届いたことだった。それは、千尋が巧以外の男性とラブホテルに入っていく写真だった。ご丁寧なことにその写真は、巧の実家と千尋の実家にも届けられていたのだ。そして実家には写真とは別にCDも同封されていた。そのCDには千尋の声が入っている。


「まどかに紹介された時からずっと狙ってて、二人で飲んだ時にヤッたまではいいけど、一年経ってもまどかと別れなくてさ。仕方ないから、妊娠するように仕向けたんだよね、ゴムに穴開けて。妊娠すれば巧は必ず責任取るって言うから――でも、私、ガキって嫌いだから堕ろしたの。もちろん巧には流れたって言ったけどね。子どもいなくても結婚するって言われた時は正直びっくりしたけど、何かあれば慰謝料もらって別れればいいかなーって思って」


 その音声は、あの日、勇人からもらったSDカードの中に入っていたものだ。事が終わった後に、夫が嫌いな煙草をふかしながら彼に向けて言った言葉。おそらく勇人との会話だろうが、彼の声は入っていない。


「ねえ、またこうして会おうよ――私たち身体の相性も良かったでしょ」


 甘ったるい声で、関係を続けようと誘う。永遠の愛を誓ったはずの夫がいるとは思えない、明らかな裏切りの言葉だった。



「まどか、やり直さないか?」


 結婚早々、妻に不倫された男は元カノである私を呼び出した。私は彼の言葉ににこりと微笑む。それを承諾と受け取った巧は、私の左手を握る。薬指には、以前付けていた指輪もない。彼はそれを都合良く解釈して「幸せにするから」と私に告げる。どの口が言っているんだか――私はその手に自分の手を重ねる。好きだったはずの笑顔が、今では刺したいほど憎い。


「汚い手で触らないでくれる?」


「え?」


「貴方とやり直す気なんて全くないから」


 巧の手を払い除け、伝票を手に取る。


「もう二度と会う気も無いから――じゃあね」


 どんな表情をして私を見つめているのか興味はあったが、振り返らずに店を出た。



 噂に聞いたことがあったレンタルショップ。外見や性格問わず、依頼人のオーダーに合った人間を貸し出してくれるという会社。都市伝説のような店の情報を私は必死で集めた。ネットで検索し、それらしき会社はどんなに辺鄙な場所であれ、実際に行って自分の目で確認してみた。それでも、なかなか見つからなかった。


 そんなとき、ある人のブログに行き着いた。レンタルショップを利用したことがあるらしき人のブログだった。一か八か、私はブログの主にメールを送った。レンタルショップを利用するにはどうしたら良いのか、と。


 数日経っても、返信はなかった。諦めようか――そう思ったときに返信が来たのだった。だが、そのメールは私の質問への回答はなく、住所が書かれていただけだった。他に手掛かりがあるわけではなく、私は藁にもすがる思いで、休みの日にそこを訪ねた。訊ねた先はごく普通のマンションだ。


 エントランスで部屋番号を入力すると、ドアが開いた。私はそのままエレベーターに乗り込み、部屋を訪ねた。部屋の中には女性が一人いた。ワンルームの間取りだが、そこで山崎やまざきと名乗る女性が暮らしているようには思えなかった。家具はソファとテーブルのみで、ベッドやテレビ、タンスなどの家具は無い。


 ソファに座るよう促された私は、千尋好みの男性をレンタルしたいことを彼女に伝えた。彼女は一言「かしこまりました」と微笑んだ。真っ赤な口紅を引いた唇が印象的だった。


 私の目的は、千尋が羨む彼氏を作ること――ではない。その彼を誘惑した千尋が破滅することだ。そして、千尋に裏切られた巧が私に縋りつき、それをこっぴどく振ることだった。


 私の予想通りに事は運んだ。恐ろしいほどにうまくいった。私が自分で用意したとも知らずに婚約指輪に反応した千尋は、彼の写真を見るなり、すぐに会いたいと言ってきた。巧を連れてきたのは予想外だったが、計画自体に支障はなかった。席を立った千尋の後を追った勇人は、トイレから出てきた千尋に「この後、二人で会わない?」と誘った。彼女が断るはずもない。一旦、巧と家に帰った千尋は「仕事で呼び出された」と巧に嘘をついて、勇人との待ち合わせ場所に出掛けた。


 勇人は食事に誘い、「まどかよりも千尋さんの方が魅力的だ」「もっと早く出会いたかった」と千尋を悦ばせる言葉ばかりを吐いた。千尋がホテルへの誘いを断る理由は無かった。


 私はあらかじめ勇人と決めていたラブホテルに先回りし、そこへ消えていく二人の姿を写真に収めた。暗闇の中、品のないライトに照らされた千尋の顔をはっきりと捉えることができた。写真を確認し、思わずガッツポーズをしたくなるほどだ。


 最後に会った日に勇人から「おまけ」としてもらったSDカードは、ラブホテルに入る写真よりもインパクトがあった。私はこの音声データを二人の実家に送ることを決めた。


 巧の両親は、長い不妊治療を経て子どもを産んだ。その末に産まれたのが巧だ。二人とも子どもを望んでいるのになかなか授からなかったこと、病院へ行けばお腹が大きな妊婦を目にして苦しくなったこと。そして、新しい命が生まれる場所で、身勝手な理由でその命を奪われるという事実が一番苦しかったこと。


 それは、付き合っていた頃、巧の母が私に話してくれたことだった。そんな両親が、千尋の行動を許すわけがない。巧が許したとしても彼らは、親子の縁を切っても許すことはないだろう。そう思って彼らに音声データを送ったのだった。


「女の恨みって怖いですね」


「自分でもそう思います」


 私は鞄から用意したお金の入った封筒を山崎さんに手渡す。受け取った彼女は封筒からお金を取り出し、手早く数え始める。


「確かに受け取りました」


 私はその言葉を聞き、ソファから立ち上がる。この女性にも、もう二度と会うことはないだろう。


「勇人からの伝言です」


 ドアノブに手を掛けた時、背後から声がした。振り返ることをしない私に、彼女は言葉を続けた。


「彼女は僕の誘いに自分からなびいた。幸せを壊したのは貴女じゃない、彼女自身です」


 心変わりは仕方ないことだと、私の中の良心が諭す。たかが失恋だと何度も思った。だけど、裏切りを許すことのできない自分がいた。浮気をしていたこと、友達の振りをして裏切っていたことを知ってからは、尚更、許すことができなくなった。


 絶対に許せないと思う自分と忘れようとする自分。どちらも私の中にいた。それは、レンタルショップを調べていた時も彼女に依頼をしてからも変わらなかった。


 計画はあまりにもずさんなものだった。千尋が友人の結婚式に来なかったら。指輪に気付かなかったら。勇人の写真を見て、会いたいと言わなかったら。数え始めたらキリがないほど、穴だらけの計画だった。


 でも、彼女は私の予想通りの行動をした。勇人の誘いに乗り、自分の意思でラブホテルへと入った。私を裏切っていた千尋は、案の定、そこまでして手に入れた巧のことも簡単に裏切った。彼女は自分で、手に入れた幸せを壊したのだ。


 だけど、千尋が予想とは違う行動をした時、私はこの計画を止めただろうか。それとも、その行動に合わせて別の計画を立てて、千尋が巧を裏切るように仕向けただろうか。


 どちらにせよ、私が彼女に依頼したことは事実なのだ。千尋の幸せを壊そうと考えて行動したのだった。千尋が選んだ道は関係ない。私は、復讐のために勇人を買った。巧と千尋の幸せを壊すために勇人をレンタルしたのだ。だから、何を言われても私は「良い女性」にはなれないのだ。千尋と同じように他人の幸せを壊したのだから。いずれは、私が壊されれることになるかもしれない。


「また何かあればいつでもどうぞ」


 私は振り返らず、部屋のドアを閉めた。今日もまた、赤い口紅を付けた彼女は微笑んでいるのだろう。


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