第7話 前向き
「今日は災難だったわね」
「ああ、まったくだ」
今日【は】というより今日【も】だが。
何とか1日を終え、午後4時ごろ。下校中の俺の隣には、なぜか美空がいる。
10分前
学校が終わり、俺は帰宅するため生徒玄関の下駄箱の前にいた。
午前あんな事があったため、午後の普通授業は全く頭に入って来なかった。もうとりあえず早く帰って、今日の事は忘れたい。
校門を出て少し歩くと、横断歩道の前に美空が立っていた。美空はその場でスマホをいじっていて、まるで誰かを待っているようだった。
まさか彼氏か……。
あれだけの美少女だ。彼氏の一人や二人、いてもおかしく無い。いや二人はおかしいか。
俺は何となく美空の横をできるだけ静かに通った。すると、「あ」と美空が顔を上げた。
「やっと来た。待ってたのよ、行きましょ」
「は?」
思わず声が出た。聞き間違えだよな。きっと俺の後ろの人に言ったんだ。
そう思って俺は後ろを振り向く。だが、俺の後ろにあるのは電柱に設置された押しボタン箱。
え?
俺かよ!
一旦落ち着こう。俺はゆっくり深呼吸をした。
まあ今思えば、俺は昨日も美空と帰ったし。それなりに喋った。今日だって。
そう自分に言い聞かせるが、ふと思う。
いやいやいやいや、昨日帰ったからって、今日も一緒に帰るとか……理由になってないし!
自己紹介も一応終わったし……。もう美空が俺に構う理由なんかあるのか?
一つ考えると他にも色々な事を考えてしまう。俺の悪い癖だ。
「……ぇ、ねぇ、おーい。何ぼーっとしてるのよ」
美空が俺の目の前で手を振っている。
「あ、すまん」
いけない、突然の情報量に脳みそがショートしてた。
「今日の感想をあまり伝えてなかったと思って」
今日の……。ああ、俺の自己紹介の事か。律儀に感想まで伝えに来るとは。
「今日のあなたの自己紹介。本音を言うと凄かったわ。途中までは」
途中まで……というのは俺が尾市に論破されるまでの事か。
『結論をしっかりしろよ』
……あいつの言ったことは、悔しいがごもっともだ。
「気にしてる? テツヤに言われたこと」
テツヤ? あぁ、尾市の事か。にしても名前呼び……
「お前、あいつと仲良いのか?」
思い切って聞いてみる。まあ美空が尾市と親しくしていたところで、俺には関係ない話だが。
「いや、よく同じクラスになるだけ。中学から一緒なの」
そういう事か。中学から一緒なら、名前で呼んでるのも納得だ。
「テツヤは昔からああだから、気にしなくていいのよ」
美空は歩きながら、隣の俺に言った。
「でも、あいつは一部正しい」
そう、今回の自己紹介で、俺が犯した失態。
「あいつが言った『結論をしっかりしろよ』というのは間違ってない。確かに俺は、留年した理由を話しただけで、結論まで言ってなかった。カンペまで作ってきて……」
「俺は結局、何を望んでたんだかな」
俺は微笑して美空に語りかける。こいつに言った所で、意味はないが。
すると、美空は急に立ち止まって––
「坂井くんは、何か望んでたの?」
この言葉は、俺の胸に響いた。自分でも分からない。あの時も考えたが、もし仮にみんなと打ち解けられたとして、その後俺はどうしたいのだろう。
頭に浮かんだこの些細な疑問。これを解決するためにどれだけ悩んだか。
結局まだ分からない。こうして美空に直接問われても、出てくるものなんか何もない。
「……分からない」
「じゃあ、質問をします。坂井くんは、明日は何のために生きるの?」
唐突に投げかけられた質問に理解が追い付かず、俺は少し戸惑った。
「毎日毎日、次の日何のために生きるのかを考えろって言われたら、困るでしょ? 疲れるでしょ?」
いまだに意図が掴めない。何の話をしているのか。
「そりゃ、疲れるんじゃないのか?」
俺はぶっきらぼうにそう答えた。
「そう、疲れるんだよ。何でもそう。全ての行動に意味を持たせるのは悪い事じゃない。けどそれが自分の足枷になってるなら……」
「意味なんかいらない。今頑張れてるなら、その後の事なんか大抵どうにでもなるんだから」
そう言って美空は、俺に向けてにこりと微笑んだ。
その笑顔は一点の曇りもなく、何よりとても可愛く見えた。
俺はなぜか恥ずかしくなって、慌てて目を逸らす。
「坂井くん顔真っ赤だけど! 大丈夫?」
「全く、心配ない」
とりあえず俺は、ドヤ顔で親指を立ててみる。
「ふっ……何そのドヤ顔!」
……なぜかウケた。
彼女が俺に言った事。改めて考えても、その全ては驚くほどに筋が通っている。
常に先のことしか考えず、現状になど目もくれていなかった俺と、今を前向きに捉え進もうとする美空。俺はここで、美空との決定的な意識の違いを認識させられた。
そして何より、赤の他人の俺にここまで考えてくれたその姿勢に、俺は心を動かされている。
「美空は、優しいんだな」
無意識で、思わず出た言葉。それを聞いた美空はハッと目を見開き、そっぽを向いた。
何かまずい事言ったか?
「優しくなんか、ないよ」
美空は柔らかい声で答えた。
長い髪の間から見えるその横顔は、夕日のせいか少し赤いように見えた。
「顔が赤い……」
「うっさいわね」
「とにかく、そんなに先のことばかり考えてても仕方ないって事よ」
そう言って美空は俺の一歩前を行く。
「じゃ、また明日」
「また、明日」
ぎこちない挨拶を交わし、歩く美空の後ろ姿を見ていると、彼女はおもむろに振り向き言った。
「あ、言い忘れてたけど、テツヤ以外の何人かには割と効果あったよ! 坂井くんの自己紹介!」
初めて知った。尾市に気を取られていた事もあり、誰も俺の事に耳を傾けてくれる人はいないと思っていた。
でも、俺を理解してくれた人がいたというのなら。一歩前進と言ってもいいだろう。
物事を前向きに捉える。それは簡単そうに感じるが、実は難しい。美空が教えてくれなければ出来なかった事だ。
俺は今日改めて、美空の凄さ、強さを知った。
「おう、ありがとな」
俺の顔には、久しぶりにちゃんとした笑みが浮かんだ。