ソシオパスな私、ブラックな企業
嘘つきな子供だった。
小さな嘘は数限りなく。大きな嘘で大ごとになったことも数回ある。嘘は言葉によるものだけではなく、行動によって示されたこともある。
覚えているのは、持ち主である私が大きくなったため、使われなくなった自分の乳母車の中に隠れていて、ところで、当時の乳母車というのは、鉄枠で、折りたたむことが出来なくて、何人もの子供が入れるくらいに大きくて、しかも重かったために、自転車置き場にカバーをして置いておくものだった。
当然使われないので、私のものもそうしてあって、そこに入るとビニールの薄いカバー越しに淡い光が広がり、音が通常の空間とは違った響き方をする。その加減がまるで静寂な水底に居るような気分で何とも気持ちよく、さらには狭い包まれた感じが母体の中の様に安心できて、そこに入っていた時の事を思い出すわけではないのだが、あまりの心地よさに出られなくなって、ずっとそこに居たことがあった。
ところで水底の静寂は、気分が生み出すもので、実際には近くで遊ぶ子供たちの声がしていて、騒がしくもあるのだが、心の中はそれから切り離されていて、静まり返っているのだった。
そこは団地の共有スペースで、自転車やバイクや、同様に乳母車などが置いてあって、出入り口の階段の両脇に作られている。当然、人通りも頻繁で、正面は子供たちの遊ぶ広場になっている。しかしそこだけはひっそりと秘密めいていて、誰にも気づかれない私だけの空間なのだ。薄いビニール一枚だけで隔てられた、それは一種の王国なのだった。
そこに何時間隠れていたのかわからない。
時間の感覚は無くなっていて、相手に知られることなく、相手の様子をうかがえるこの遊びに私は夢中になっていた。
あのウェルズの透明人間になることが出来るなら、あの指輪物語の特別なマントが手に入るなら、そうしたものとの出会いは後日の事なのだが、そういった特殊な能力を手に入れた自分に対する想像が膨らんで、夢中になった。
そのうちに、ビニールを通る光の力が弱まって、一日の終わりをその淡い色と、あたりに漂う夕餉の香りで感じ出すことのできる時間になり、なかなか帰宅しない私を母が心配して探す声が聞こえ始めても、知らぬふりをして、そのままそこに居た。
さて、ただ乳母車の中に居るだけならば、嘘とは言えない。行動による嘘というのはここからなのだ。
母の声は最初機嫌よく、それは晩御飯の支度を済ませて、子供に合図をするあの声、自分の子供に自分の自慢の手料理をふるまう事へのある種の期待に満ちたあの声、すなわち私の好物が今日のおかずだという事、私の喜びを予想することで自らもうれしくなるというようなものだったが、暫くすると、怒り半分になって、それを近所の人が聞きつけて、母の怒りの中に含まれるわずかな恐れを敏感に感じ取り、気遣いを初めて、私に関する情報を互いに共有しだすころ合いになってくると、もういけない
皆の心配が、ある人は心から、ある人はその他に合わせるのみで、心ない口先だけの心配が、どんどん募ってゆく感じがこちらまである種の圧力をもって伝わるのだが、私はその過程を内心楽しんでいる。
人に心配されるという事が、それが表面だけにすぎなくとも、自分の重要性を再認識させてくれて、しかも近所中の、その瞬間のありとあらゆる心配と関心を一身に担い、まるで世の中は自分中心に動いているかのような、そんな錯覚に落ちていく。それはまだ子供の私にも分かる感覚だった。その快感がその後の私の嘘歴とも言うべきものを形作ったのかもしれないが、それは定かではない。生まれもっての嘘つきで、その体験はその最初のものに過ぎなかったのかもしれない。
何にせよ私はつまるところ、近所の若い奥さんに見つけられてしまい、その体験はあっけなく終わりとなったが、外でみんなが集まって、
「乳母車の中じゃない?」に始まる会話が、
「まさか」を経て、
「覗いてみましょう」に至るまでの経緯を、ドキドキしながら、聞いていたその時に、最高の気分の高ぶりを感じたことは今でも覚えているほどなのだ。
そして私は、失踪していた私を発見するという、その栄光に満ちた役柄を若くて美しい女性が担うことにも、大いなる満足を感じていた。それは決して、太って年老いた醜い女性の出番ではなく、その場に相応しいのはこうした美しいフォルムの人なのだ。
そして、見つかった時の私には当然のことのように、この大騒ぎを引き起こしたという罪悪感は全くなく、舞台の真ん中に躍り出るように、主役の登場とばかり、誇らしくそこからはい出したものだった。
力のない子共。普段は大人の話に入っていきたくて、そして自説を披露して感心されたくて、割り込もうと試みては、ロクに相手にもされず、適当にあしらわれるだけの存在である悲しいほど非力な存在のこの私が、その大人相手に、彼らを右往左往させることが出来たのだ。
母は皆の手前、当面は嬉しさと皆への感謝を述べる。その瞬間では私の鼻は高いのだ。もちろん家に帰って、二人になると、こってりと怒られたように思う。思うというのは、その部分は覚えていないからで、覚えているのは嘘で他人を思うがまま振り回すことへの楽しみなのだった。
このようにして嘘のとりこになってしまったと言ってもいいのかもしれない。
幼年期の嘘は、自分が脚光を浴びるのが目的だった。そのような事を言うと、寂しさのあまりとか、言われそうだが、長男だった私は何不自由ない生活を送り、両親も共に十分な愛情を注いでくれて、それはいささか過保護すぎるくらいで、寂しいと感じたことはない。
団地に住むという環境上、同年代に近い子供は多く、遊び相手に不自由したこともない。いつも一緒に遊ぶ友人たちは、私よりも年下で、彼らにいじめられるという事はなかったし、学校においてもいじめられるタイプの子供ではなかった私は、いつも自分の思うようにしていたのだ。
逆にそのことを指摘されたことはある。何度かあるので、本当にそうなのだろう。私にとっての良い人間関係とは、私の期待通りに周囲が動くことであり、私にとって最もストレスとなるのは周囲の人間の行動が、私の予測に反するという事なのだ。
幼年期や、青年期に差し掛かるころには、そのことを指摘されるのが心外だったし、私はいつも自分を差し置いて、他人を優先に考える、心の広い人間なのだと、いつも控えめに人の後ろに居て、決して出しゃばらない、そうした性格なのだと、思っていたのだが、それは単に私の思い過ごしの理想、そうありたい自分、つまるところ他人に与えられた価値観に過ぎなかったようだ。
実際に青年期に入ると、この自己中心的な性格は見事に全てを統括しだしたのであって、そう言われることに、何ら違和感はなかったし、むしろそう思われていることで、かえって自分の好きなようにふるまえるので、好都合この上なく、逆にその性格にドライブをかけて、周囲にわかりやすいように、自分の行動を演出したりもしたほどだった。
さて、こうした自己中心的な性格と、嘘は共通点があるのだろう。
それは自分が出来事の中心にいて、コントロールするのは自分のほうである、という事なのだ。
あれは小学校の低学年だったと思うが、カナブンの事で大嘘をついたことがある。
カナブンは数種類居て、一番下端なのは普通にカナブンと呼ばれる。これは最も多いカナブンで入手もしやすい。あまり警戒心はなく愚鈍で、簡単に捕まえることが出来た。
こういうのは大体が軽視というか蔑視に近い見方をされがちで、小学生の低学年といえども、その存在に何等の価値はない。
より価値があり、大切にされるのは、コフキコガネと呼ばれる白くて大きな奴だ。
こいつは滅多にいないし、警戒心も強くて利口ですばしこく、なかなか簡単には捕まらない。だいたいが高い木の枝に居るのだ。
対して普通のカナブンは何処にでもいる。見てくれもコフキコガネのほうが美しい。カナブンがヘコキブイブイとか言われ、とことん差別されるのに対して、あくまでもコフキコガネはコフキコガネであり、カナブンが青くてつるりとした愛想ない表面をして、がさがさと落ち着きなく、しかも自分の糞の中を、嬉々として糞まみれになりながら、はい回るのに対して、一方のコフキコガネの方は、白い体にはベルベットのような柔毛が生えており、ただ白いだけではなくほんのりと赤味がかかっていて見るからに高級感があり、その触覚もまた優美で大きいのだ。もちろん動きだって、堂々としたもので、そこには不思議と見られる者の自信を感じるほどだった。
そうした二種の生き物は、昆虫界のカーストでは交わることはない。一方が最下層の、その名の通りの不可触賤民なら、一方は女王様クラスなのである。それ故か、何故か、女王様の糞は記憶にないのだ。
もちろんカブトムシやクワガタほどの生まれもっての派手なアクションスターであったわけではない。
私たちが住んでいたのはコンクリート造りの都会であり、カブトムシやクワガタは全くと言っていいほど手に入らなかった。つまり同次元で語られる存在ではなかったのだ。
カブトムシやクワガタはデパートの屋上で買うものであり、或いは校門の横でそれらを売りに来る行商のおじさんに運よく出合うことが出来たら、その人から買うものであり。あくまでも周辺の自然環境の中で手に入る範囲としてのスターはキリギリスであり、コフキコガネなのだった。
そのコフキコガネをめぐって、嘘をついた。
「コフキコガネなら家にたくさん飼っているよ」
「ふーん」と友人。
私はその「ふーん」に無関心ではなく、ある種の羨望を感じ取る。気分がよくなり、言葉はどんどん滑るように出てくる。それは絞り出すのではない。勝手に出てくるのだ。
「大きな鳥かごくらいのケージがあってね」給食室の前にウサギなんかを飼うためのケージがある。 四畳半くらいの大きさか、それを指さして、言う。
「あんなに大きくはないけれど、あれの半分はあるよ」
半分でも十分に大きい。人が入れるほどなのだ。コフキコガネにしてみれば、十分に快適だろう。そう、私がコフキコガネを飼うならば、理想的な環境を与えて、コフキコガネには十分に満足してもらいたい。その道では、全国有数な理想的飼い主として評価され、他の家に飼われているコフキコガネたちに嫉妬されるほどの飼育環境を目指すのだ。そのコフキコガネ思いの私の心はきっとコフキコガネに伝わるに違いないと思いながら嘘をついていて、その時点で、意識の中に嘘の感覚は無くなっている。
夢見がちな少年が夢を語るという具合に、頭の中はコフキコガネの理想的飼育環境を達成するにはどうしたらいいのかという問題で、いっぱいになっているのだ。
「絶対に嘘だろ」友人は当然のごとく疑う。そりゃそうだろう。ファーブル先生の家にだってそんな設備はないだろう。いや、ファーブル先生が博士となって、その後40歳年下の後妻を娶ったころだったら、もしかしたらあったのかもしれないが、ごくごく一般的な家庭の小学生、しかも低学年で、その設備が家にあるというのは現実離れしている。
しかし、私は酔ったようになっている。
「本当だよ」
「見に行くぞ」
「いいよ」というわけで。友人が家に来ることになった。しかも人数が増えている。ワイワイ言いながら、皆を引き連れて家に帰る途中で、少しずつ私の酔いは醒める。頭の中はどうしたらこの騒ぎが収拾できるかという事に置き換わっている。いつもは長い帰宅の道も今日は短い。私の家は団地である。何棟か連なったその谷間を進んでゆき、ベランダ側から家に近づいてゆく。家の前まで来て、そこでみんなには待ってもらうようにした。
「準備してくる」
こうなれば成るように成れだ。もしかすると不思議な力が働いて、現実の物となっているかもしれない。そんな話をテレビでやってなかったか?
階段を駆け上がり、ドアを開ける。祈るような気持ちで部屋を見渡すが、普段と変わりない。
そりゃそうだろう。家に入りしばらく呼吸を整えてから、おもむろにベランダに出る。下を見ると、友人たちが固まってこっちを見上げている。その連中を見下ろしながら私は言う。
「いなくなってる。一匹もいないよ」
一旦言ってしまえば、気も楽になる。そんなもの嘘に決まってるじゃないか。騙されるほうがバカなのだ。しかも、暇人か、わざわざ寄り道してここまで来るか!
そのバカな暇人達が騒ぎ出した。騒いだってどうなるというものでもないのに、バカほど無駄なことをするものだ。段々と、うんざりして私は繰り返す。
「いなくなっているから見せられない。帰ってくれよ」
その一部始終をベランダで洗濯物を取り入れながら見ていた母が、最初は黙っていたものの、あまり騒ぎが大きくなってきたので、見るに見かねてか、眼下の子供たちに声をかける。
「みんなごめんね。今日は帰って」
そういって謝る母に私は気分が悪くなる。謝るような事なんてしていないのだ。本当の話と嘘の話の区別もつかない様な連中にへりくだることなんてない。へりくだれば、嘘はその醜さをさらすだけなのだ。同時にそれは自分の醜さでもある。それはあり得ない事だ。それよりもあいつ等が、むしろ次回からこの貴重な教訓を生かしてくれればいいのだ。こんな見え見えの嘘にひっかかるなんて、どうかしている。私の心には私が悪いという気持ちは欠片すらない。
この辺りの性格は大きくなってからも、しぶとく残った。何があっても自分は正しい。自己中心的というのはそこからスタートするのだ。天上天下唯我独尊というやつだ。いや、この使い方が間違っているのは、わかっている。彼の人はそんなつもりで言ったわけじゃない。これは、彼の人の希少性と同様のレベルで、この質の悪さというものはなかなか稀有で、類を見ないという気分の表れだと思ってもらっていい。
しかしこの質の悪さへの認識が、私をして、落ち込ませるほどにこの質の悪さは弱弱しくないのである。この認識から来る罪悪感を凌駕して余りある力があり、それは私の楽観的思考の揺るぎない基礎になり、色々な現実にめげない強さの源になっている。とても頼りになるずぶとさだ。ただ、所謂色々な現実という名の問題が起こる原因というのが、この質の悪さに起因するのだから、自然界のバランスというものは、うまく取れたものだと思う。プラスマイナスゼロといったところか。マイナスでもなければ、プラスでもない。
しかしながら、それはあくまでも自分にとってという事で、他人にとってはマイナスのダブルであろう。
そしてこのマイナスの繰り返しは計算式の様に翻ってプラスには転じずに、マイナスをさらに押し下げるものでしかないのだ。かかわった人は気の毒というしかない。運命だと思ってあきらめてほしいとしか言えない、これが私にとっては精いっぱいの気持ちだ。
一方で母は黙っている。運命だと思ってあきらめているのだろうか。
母は上昇志向の強い人だった。あるべき理想の姿というものをはっきりと持っていて、そこにがむしゃらに向かっていくタイプだ。それだけなら問題はないが、困ったことに、それを私にも始終強要する。
当時は、このような人物は多かったように思う。時代の雰囲気として、戦後の貧しさを経験して、それをもう味わいたくないという気分、自分にも子供にもあの貧しさを経験させたくないという気分、そういった気分の持参があの世代には有った。多くの家庭で、戦争により、大黒柱を失ったのだ。
景気は、最悪。現存するほとんどの大企業、トヨタやコマツですら倒産寸前だったのだ。そんな世で、シングルマザーが生活してゆくのは、大変だったろう。しかも、男女の雇用は均等ではない。朝鮮戦争が起きるまでは、生き残った人たちも、日々気が気でなかったことと思う。
たまたま隣国が、半分に分かれて、殺し合ってくれなければ、どうなっていたかわからない。戦争に需要は付き物だとしても、そうした他国での殺し合いをステップとして、戦後の景気回復を成し遂げたのだから、それを無邪気に喜んでいる我々が、彼の国から恨まれるのも、やはり無理はないように思う。
ともあれ、梅干しの種をおやつとして、それをなめて過ごした子供時代に象徴される貧しさというものは経験した人だけが理解できるものなのだろう。そんな話をする時の母の表情は、悔しさと惨めさと不条理さで満ちていたように思う。
しかしその思いは、私には伝わらない。言葉に込められた思いは、宙に浮いたままだ。
それしかないという、そうした追い込まれた経験がなければ、梅干しの種だって中々じゃないかというくらいの認識しか持てないものだ。他人事はいつも無責任だ。そしてそういった貧しい経験をした人は、そこから抜け出せるなら、努力を惜しまないという姿勢が常日頃の習性となっている。そんな人間からしたら、私の様にどこか抜けたような、世間を甘く見すぎている人間というものは理解に苦しむというものだし、実際に口癖のように言われたものだ。
ところで、父の方はと言えば、こちらはなかなか内面を見せない人で、もしかしたら、内面と呼べるものなどなかったのかもしれなくて、あのまま、見たままの人物だったのかもしれない。つまりは、物事を深く考えたり、想像に遊んだりといった知的行為からは縁遠い、いわば私に言わせると、動物的な単純明快な見た目通りの人物だったのかもしれず、たまにそういった人物はいるのだが、こうした人物は私にはとてもその存在自体が理解できなかった。
それはある意味気味が悪いほどなのだ。
にも拘らず、そのイノセントさを真似しようとしたことはある。誰にも訪れるであろう、良い人に思われたいという願望が強かったその時期には、そのほうが人間的に良い人のように思えるという理由で、その行為に凝ったこともある。
しかしながら、とてもじゃないが知的でないように感じられて、いやこんな上品な言い方ではなく、まるでバカみたいで、その上自分が田舎者になった気がしたのでやめた。
自分が思われてみたい自分というのは、このような人物ではないのだ。これは学生時代の事で、周りにイノセントな地方出身者が多かったからそう思ったのだろう。
しかし、逆に母は私にとってわかりやすい人だった。決してイノセントな部類の人物ではなかった。そういう意味では私は母似だと言えるのだろう。私や母は裏表があり、それを使い分ける器量があり、かなり打算的なところがあった。
言っていることと考えていることが違う、というのはよく母から言われたものだ。付き合った女性からは、あなたはいつも自分を取り繕っている、とも言われた。強ち、まんざらでもない。見栄張りで、クレバーなタイプなのだ。
しかし、取り繕うとはどういう事だろう。取り繕うことが自然であれば、その行為自体は取り繕っているわけではないのではないだろうか。取り繕うという言葉には、苦労してとか、意識的にとか言うニュアンスが垣間見られるが、それは失礼というものだろう。これが自然体なのだから。
一方で父や弟は見たままの人物で、裏表がなく、下心もなく、良心的で、お世辞にも知的ではないが、朴訥な善人なのだった。彼らが困ったときに手を差し伸べてくれる人間は多いだろう。そしてそれに対しては心から礼を言うだろう。私や母のような人間は違う。手を差し伸べられることは自尊心が許さない。仮にそうなったとして、礼は形ばかりのものに終わるか、あるいは別意を含ませて発せられるだろう。
その母が黙っているというのは、きっとショックのあまり感情がオーバーフローしてしまっているに違いない。わが子に対する理想像は、その瞬間には考える事すらできなかったであろう。それは理想以前の問題なのだ。このいわゆる母の理想像は事あるごとにこの後も私に押し付けられ続けるのだが、その期待に応えられたことは一切なかったと思う。
母の理想は例えば黙っていても自主的に勉強する自立心に富んだ子供なのだ。そんな奴、いるわけがないというのがこれに対する私の考えで、それが誤りであったと心から思うのは自分に娘が出来てからで、(娘はそんな自立心に富んだ子供だった)実際私の日常はその私の考えに即したものになっていて、改善する気はさらさらなかった。(息子はこのサラサラタイプだ。彼は二番目なので、当然一番目の姉と同様な期待があったが、きっぱりと裏切られてしまった。だが、これが本来の私の遺伝子なのだ。生まれというもの、遺伝子は何とも不思議なことをするものだ。
ただ、これに関して言えば、単に性差と呼べるものなのかもしれない。女性が入ると会議が長くなるとはある元首相の言だが、これなども性差を表したものだろう。これをさも悪意的にとらえることが当時流行ったが、バカげている。彼が推進していたオリンピックの精神に反しているとまで言われたものだが、そもそも男女が別々の種目にそれぞれ分かれて参加する競技大会において、この意見は的外れもいい所だ。言語能力に長け、真面目な方、いわゆる女性がその言語を様々に操っては、真面目に積極的に会議に参加して、それを長引かせるのは当たり前だろう。科学的に解決を見た問題ではないものの、それがなされていないからと言って、暴言だというのはおかしな話だ。案の定、言語能力や感情認知に長けていない方、男性の元首相は、各方面から攻められて、しどろもどろになってしまい、醜態をさらす羽目になった)
それはさておき、嘘と勉強はニュアンスが違う。嘘はついてはいけない事だと、決まっているのに対して、勉強はしないといけないと決まっているわけではない。
かたや万人のルールで、かたや母だけの個人的希望、それが当時の私の認識だが、その勉強はしなければ、しなさいと言える母が、嘘をついた私には、嘘をついてはダメとは言わなかった。だから嘘をつく子供になったとは言わない。そんなことは私の性格を修正するには力不足であって、お叱りの言葉は右から左へと何等の抵抗なく流れるのみだが、今回は、無言であるという、その事実が私の心には、逆に少しだけ引っかかったのだ。
まあ、あくまでも少しだ。何かをして怒られるのは嫌なものだが、何も言われないというのも気分のいいものではない。
しかし、怒られるよりはましだといったところでしかない。放置されて、見捨てられたとか、そういった深刻ぶるようなタイプの人間ではないのだ。
それよりも嘘をついて大騒ぎになっても、やり過ごすことが出来たという実績が、ある種の成功体験となって、嘘に対する私の警戒心のようなものを緩くしたと言っていい。
それ以降の私はすっかり嘘を使いこなす子供になった。これは便利な道具のようなものでもあり、頼りがいのある友人のようなものでもあり、困ったことがあると、ついつい使ってしまうのだ。
そのような私を見てあるとき母が言った言葉だが、「私は平気な顔で嘘をつく」のだそうだ。これは母としては吐き捨てるような言葉なのだろう。だが、私はこれを誉め言葉と受け取った。
悔し紛れの気持ちの転換などではなく、私は自分が天才的な嘘つきであると、単純にそう思ったのだ。しかしこれはあとから気が付くことなのだが、平気な顔で嘘をつくというのは、ついた時にはもうすでに嘘という事がばれているのであって、それにもかかわらず平気な顔をしているという意味なのだ。
(これを実体験させられたのが私の息子だ。今食べたばかりのお菓子を食べてないと平気な顔で言い切り、更に食べようとする。あまりに見え透いた嘘だが、気持ちいいほどにからりというものだから、驚いてしまう。これは高度なギャグなのだろうか、だとしたら叱らずに突っ込むべきだし、医学的にボケているのかもしれないとも思えるほどだった)
しかし、これをどこでどう勘違いしたのか、私は嘘をついても平常心を保つことのできる強靭なメンタルを持っていると思ったのだ。
しかもそれを長い間信じてきた。
あとから気が付いたの、「あと」というのはこれはもうかなり後の事で、そういえば、私の性格を表す言葉として母がよく言っていた言葉に、何でも自分の都合の良いように受け取るというのがあって、それはやはり当たっていたのだなあ、と感心してしまった。これは何でもない異性の一言を、すべからく好意に感じてしまうことに似ている。それから母は口癖のように私の事を阿保と言っていた。悔しいがこれも当たっていたとしか言いようがない。
しかし、そのことに気づくまでの数年間、私は平気な顔で嘘をつける男として生きてきた。
ただそれはうまくいかなかったことの方が多かったと正直に言うべきだろう。私の嘘はいともたやすく見破られ、或いはそのように感じた。
というのも、嘘を嘘と気づいていて、それをあえて、堂々と指摘する人間は意外と少ないものだからだ。たいていは腹の底であれは嘘だと、思っているだけで、口に出したりはしない。
そういったことにいちいちかかわるのは、はっきり言って面倒だし、嘘は嘘だと受け手側の当事者がわかっていればいいことで、そのことをわざわざ相手に教えてやって、自分の優勢をさらけ出す必要はないのだ。そうした時には、やはりあの言葉は親の欲目だったのかと、これまた頓珍漢な発想をしてみたりした。
しかし、そのことに気が付くまでの間、私は口から先に生まれてきた男として、何とかしてこの長所を生かすことはできないだろうかと、そうした考えに取りつかれていた。
短絡的に考えると、詐欺師として生きていくという事なのだろうが、いくら何でも、それは私にはデメリットのほうが多いように思えた。もちろん進んであからさまな犯罪に手を染めるという事には、多少の良心的抵抗があったが、それにもまして単純に損得勘定からその選択は却下されたのだ。
で、代案として別の仕事が選ばれることとなった。限りなく詐欺師に近いが、合法で日の当たる仕事というものが一つだけある。それは営業マンである。まあ、占い師や、宗教家もそうだと言えるが、これらは私の嗜好に合わないのだ。
占い師は似非科学の権化で、これには私の科学好きな合理的思考が我慢できなかったし、敬愛するカール・セーガンに対しては裏切り行為もいい所だ。
宗教家に至っては、合法というよりは違法の境界線上ではないかと感じていた。これがテニスならばオンラインで、図星というところだが、このプレイヤーたちはラインから出ていると言い張るのだ。もちろん審判は抱き込んである。
ただし、仏陀は認めよう。彼は宗教家というよりもその立ち位置は実践的哲学者だ。しかし、後世の空海などに至っては、これはもう山師のレベルであって、成功した一発屋といった感想しか持てない。但し、これは非難ではない、賛辞だ。世間知らずのエリート集団であった叡山が、ごろつき達にいいようにされ、その後、清盛から矢を射掛けられたり、信長に焼き討ちされてしまったのに対して、高野は実にうまく立ち回ったと感じる。この辺り彼の処世術のたまものではないか。そもそも密教などという目の付け所も絶妙で、それはあくまでもマクドナルドという看板の名に拘ったレイ・クロック並みの嗅覚なのだ。
そして、その後の鎌倉期に至ってはもう信者取り込みのマーケティング合戦で、難しくないですよ、に始まって、こっちはもっと簡単ですよ、に至り、挙句の果ては誰でもオッケーですに、女性も大丈夫と、節操がない。
まあ、仏陀からして自分が死にかけた時には女性に助けられたくせに、女性は救いようがないというのもひどい話なのだが、それを師と仰ぐはずの日蓮をして反対の事を言うのはちとおかしいが、ニッチ狙いで、しかもここには折伏という、つまりは勧誘そのものが修行だという最高のマーケティング戦略があって、なかなか抜け目がないなあと思う。
まあ、どちらもどちらなのだが、私にも私なりの良心というものがある。いや、単なる嗜好か。いずれにせよ、両方ともその実態以上に崇められているという事が気に食わないのだ。
それで営業マンを選択したわけだ。まあ、商材によっては詐欺師というよりは説明屋とでもいったほうが良いような営業もある。
例えば、注文住宅の販売などはこれに当たるだろう。それは次のような具合だ、「この建物は北海道の海沿いでも建てられるくらいの断熱基準です。窓は外気温がマイナス三十度になるまで結露しません。地面から基礎天端迄の高さは45センチあって、他の工務店さんが良くやる40センチの基礎より高くなっています。これには訳があって、この高さがないと床下浸水でベタ基礎の中に水が入ってしまった時、その場合、水だけでなく泥や、汚物が含まれますが、その時に水害の保険が下りません。ベタ基礎はご存じの通り、完全に囲まれた形ですので、自然任せでは水を抜くことが出来ません。強制的にポンプで水を汲みだして、基礎を覆う床を剥いで、掃除をし、また床を元に戻すのです。それにはかなりの費用が掛かりますが、それがたった五センチの差で、保険が下りる、下りないが決定するのです。そのような事は誰も知りませんし、工務店さんも説明しません。目が行くのは風呂やキッチンなどの住宅設備で、基礎の高さなどは気にしないのです。でも、大きな差ですよ」とまあこんな感じだ。
この商材には、ほかの商材にはない特徴があり、それは自分が購入する予定の品物を購入時点では見ることが出来ないという事なのである。だから、注文住宅の客は(この業界の慣例として、顧客は単純に客と呼ばれる。お客様とか言うのは表向きだけのことで、陰では下手をすると呼び捨てか、あだ名をつけられる場合も多い。だいたい他業種から転職すると、このことに驚いてしまう)営業マンの言葉を頼りに、一生で最も高価な買い物を選択せざるを得ない。
ちなみにこの住宅という業界には圧倒的なシェアを誇るメーカーはなく、トップのシェアの商品ですら、わずか数パーセントにすぎない。客はたまたま行った住宅会社で、たまたま自分の納得できる営業マンに出会い。それだけで購入を決めているに過ぎない。営業マンは客の頭に、自分が購入する予定の品物を理想的に思い浮かべさせることが出来れば、契約というわけだ。
そんな営業スタイルはいわばルーティンに過ぎない。同じ授業を何年も繰り返す先生のようなものだ。生徒は変わるし、生徒のレベルも様々だが、肝心のトークが対象とするものは堅実なものであり、数値で説明できるもので、刺激に乏しいものなのだ。堅実なものを堅実ですと、数値を数値通り説明するのには本当の事をそのままに言えばいいだけであって、平気な顔で嘘をつく必要などないわけである。商材は、だから、明るい商品流通経済の枠の中にある、原価率や競合する商品からはじき出された適正な金額で取引されるものよりも、むしろ付加価値により、いくら上乗せして売ることが出来るのかという不安定要素の詰まったものがいい。
すなわち芸術品や、工芸品、着物、宝石などである。
というわけで、私は着物をはじめとする高額品を販売する会社で営業マンとして働くことになった。ところがこの会社、ブラックというわけでもないだろうが、結構癖のある会社だった。
いや、言い直そう。はっきり言って多くの人がこの会社のやり方を聞けば、ブラックだと断言するだろう。しかしそこに馴染んでしまった人間からすると、そんなものはブラックでもなんでもないのだ。そう、私はその会社にすっかり馴染んでしまった。
ところで、世間一般的にはやはりブラックなので、離職率は大変多い。
その補充のため、毎月毎月10から20名ほど新入社員が入る。大きな会社ではないし、全国展開もしていない。はたまた拡大戦略の渦中の会社でもない。辞めていく人間が多いのでどんどん採用しないとやっていけないのだ。このこと自体がそれだけでもうブラックなのだと言える動かしがたい証拠なのだが、私に言わせると、辞めるやつらは甘いのである。根性もなければ、能力もない、それがなくともある種の鷹揚さがあればやっていけるのだが、それすらない人間にはとても務まらない。だから会社も入社して数日で辞められてはかなわないとばかり、入社が決まると新入社員をふるいにかけるための研修をする。この研修は全体的には数か月続くもので、その間は精神的にも思想的にも徹底的にこの会社のやり方を叩きこまれる。簡単にやめないかどうかをテストするための研修なので、当然厳しい。
それは必要以上の厳しさなのだが、その魂胆がなんとなくわかっているため私にはつらいとは思えない。仕方ないなあという感じだ。先ずは思想的な座学が延々と続き、これは私には面白い内容だったが、そのあとで、肉体的にも早朝から深夜まで軍隊調でしごかれるのにはちょっと参った。座学だけではなく12階建てのビルの階段を走って上まで上がったり、声が嗄れるまで叫んだりしたのだが、それは普通の事だった。徹夜で行軍するというのもあったらしいが、これは私たちの時には無くなっていた。噂では行軍中にちょっと困ったことになったらしい。死人が出たという奴もいたが、それはいくら何でも大げさすぎる。一晩寝ないで歩くくらいなんでもないだろうから、管理するほうが嫌になったのだろう。
ところで、私は大声を出しすぎて、声は枯れてしまって喋れなくなるし、初めての経験だったが、あばらにひびの入ったような痛みに数日悩まされた。実際にひびが入っていたのかもしれないが、医者に行くと大げさにされるので、放置しておいた。
またある時は、リチャードギアの“愛と青春の旅立ち”を鑑賞させられて、リチャードが軍隊でしごかれる様子を我が事として感じさせられた後で、クライマックスのリチャードの台詞「僕にはここしかありません」をうけて、「これはお前たちの事だ」と言われるような始末である。
まあ、そんな具合で研修は毎日毎日、延々と続くのだった。合わない奴、小心者は一日で辞めてしまう。
一方で私は映画の二時間は体のいい休み時間だし、若き日のリチャードギアはやはりかっこいいなあなどと呑気に構えていた。
というのも、全体として、このことは全て茶番だと思っていたからだ。
これがいわゆる鷹揚さというもので、この見切りのできる人間は生き残った。だいたいが企業なんてこんなものだ。大勢人間が集まって、上司の意向を伺いながら、本心でもないようなことをそれらしく提言する。その集大成がこうした研修ならば、付き合うしかあるまい。提案者に実行者、それぞれの立場もあろうというものだ。プログラムは組まれているのだし、無期限に続くわけでもない、会社としてもいつまでも我々に非生産的な仕事をさせるわけにもいくまい。
ところで、茶番に付き合うにしても、嫌々では余計に嫌になる。むしろ積極的に参加するのがいい。そのためにはゴールを設定するのが一番だ。
そういうわけで、この期間中の私のゴールは研修主任を感心させることだった。研修は三人体制で、主任を筆頭に二人の部下が担当している。
部下の二人のうち一人は私と同様に、この茶番に付き合ってくれという余裕あるスタンスで、しかも自ら作り上げた指導員の理想像を完璧に演じあげることのできる人物だった。一度自宅に研修生全員を招待してくれたことがあったが、夫婦そろっての歓待で、しかも今回に限らず、毎回のルーティンだったと思うのだが、それを全く感じさせない、つまりは招待された側がいかにも特別な存在であるかのように感じさせてくれる、その上で十分な親愛とくつろぎを感じさせるという理想的ホスト、茶道でいうならば利休なみと言ってもいいような人だったので、そのプロフェッショナルな態度には驚いて、感嘆の想を隠し切れなかった。
ところが残るもう一人は、そうした余裕の無い、息詰まるような熱血漢だった。この熱血漢がどうも私は苦手だった。座学は結構頭の回転を要するものだったが、この熱血漢はやはりその手の才能に乏しく、といっても能力的には一般的に言って高い方なのだろうが、他の二人に比べると見劣りがして、座学自体は退屈だった。この熱血漢は、体を張った作業には生き生きとしていたので、それ専門だったら有り難かったろう。肝心の主任はというと、これがまた完全なる利休なみのホストの上を行く、なかなかの人物で、私はこの人物にすっかり惚れこんでしまった。
この人に関しては、特に前述のようなエピソードがあるわけではない。にもかかわらず、この人は立っている事だけで存在感があったし、もちろん話し出すと、その魅力はどんどん高まるのだった。こうしたカリスマ性のある人というものは、たまに存在するのだ。
いくら茶番だと言っても、こうした良い出会いなしでは張り合いがないというものだ。
だったら、たとえ表面だけの付き合いだとしても、それと感じさせずにこの主任をだまして、私の言動にある種の感心でも引き起こさせることが出来たなら、この研修は私にとって、成功というものだろう。いわゆる人たらしというやつに似ているかもしれない。私にとって、人間関係とは、すべからくそうしたものだった。
恋愛などはそれの最たるもので、惚れさせることにこそ、その行為の喜びの大部分があるのだ。細心の注意を払い、戦略を立てて、演技をする。
それは本能的に、密やかに行われ、そうして得られた他人の深くて強い私への想い、或いは愛情というやつは、この上ない最高の報酬なのだ。それはある種の糧である。中毒性があり、求め続けるものだ。
というわけで、私はがぜん張り切った。宿題の期限を、それは十項目の訓示を暗記してそれを大声で何も見ずに叫ぶというものだったが、完全に空で出来るまでの期限をこちらで決めていいという提案には、私以外の人間が一週間とか、三日とか、ぬるいことを言っているので、明日までに憶えてきますよ、と勝手にぶち上げてやった。同期の研修員たちは非難する者、真っ青になって下を向く者、無理だよとブツブツつぶやく者と、それぞれだったが、こいつらは皆バカなのだ。
我々は試されているのだ。これは罠なのである。仮に一週間で覚えてきますと、答えたところで、バカ野郎とか、甘いとか何とか言われて説教されて、とどのつまり、明日までに憶えてこい!とか言われるに決まっているじゃないか、と私は思っている。
そんなわかり切った話をわざわざ聞かされる時間は不愉快だし、無駄である。第一そんな面倒くさいことを押し付けでやらされては余計に鬱陶しいというものだ。
十項目の訓示は、オリジナルモデルがさすがに例の広告代理店の物だけあって、死ぬまで働け的な、のちに起きる悲劇が容易に想像できる、うんざりするような時代錯誤的内容だったし、それをまた大声で叫ぶというのは、(どれだけ大声が好きなんだ!)これに輪をかけてうんざりだが、ここは仕方がない。
ちなみに大声は、腰を落として安定した姿勢で叫ぶ。1音節を叫び終わると息を吸うのだが、(歌の途中でブレスする感じか)、息を吸うときは腰を落としたままではし難い為、その瞬間は立ち上がって上に伸びながら息を吸うのだ。さらに言うと、この伸び上がる時に手を上にかざしその手はきつく握られていれば、形としてはベストだ。そうしておいてまた腰を落とし次の音節を叫ぶ、この繰り返しだ。いかにも間抜けで、絶対に知人には見せられない格好だが、例の熱血教官に言わせると、これが公式なスタイルだそうで、そう言われてしまえば仕方がない。研修中はオリジナリティを発揮する隙はないのである。
大切なのはそれが何であるにしろ、命令には絶対従うという事なのだ。これが、軍隊式というやつだ。人間が集団で最もその力を発揮できるのはこのやり方なのであって、それは日常から大いにかけ離れているが、それが故にこうした特別な環境で、そのやり方に慣れるしかないのである。だから、敢えて研修中のオーダーは出来るだけナンセンスなものが選ばれるわけで、そこに疑問を挟むようではダメなのだ。確かにエキセントリックだが、それを大真面目にやるというのはある意味突き抜けていていい。
第一、この研修主任の場違いなほどの優秀さを担保とした上で、この突き抜け感は、がっぷり組んで対するには十分な相手だ。期待してもいい。こういう奴らと付き合っておいても決して損はない。だからこそ言える、明日憶えてきますよ、なのである。
というわけで、出来るだけ私は前へ前へと出て行って参加するようにしていた。その期のリーダーを決めるときにも、勢いよく手を挙げた。
よく見ると、手を挙げているのは私一人で、何も勢いよく手を挙げる必要はなかったのだが、その勢いはやる気の表れなので、まあよしとしよう。それにしても手を挙げない奴らは一体ここに何をしに来ているのだろう。
私が居なければ、誰も手を挙げなかったわけで、それはなかなか悲惨な光景だっただろうと思われた。こんなバカげた研修に消極的に付き合っているのは、苦痛で、時間の無駄でしかないだろうに。バカげたことに付き合うにはそれ以上のバカになるしかないのだ。この時点で、自称嘘の達人である私は自分を欺くコツを会得したように思う。欺かれる私にはそれを冷静に見ている欺く私がいる。損得勘定から現状を冷静に判断し、欺きの強さを調整しながら、スイッチを入れたり切ったりする。欺かれる自分は熱血漢で、行動もそのように形成されているが、それを冷静に眺める欺く側の自分の意識は常に絶えることがない。冷静な私は、私の敬愛の対象である研修主任を常に気にかけている。彼の反応がいいと、欺く私の力は増大するのだ。そうした彼の反応が糧になっていると言ってもいい。
ところで、この研修のクライマックスは泊まり込みの合宿である。
いい大人が、幼稚園児が着るような、もう、恥ずかしいとしか言いようのないスモック調のものを着せられて、胸にはチープなバッジを張られる。バッジには課題が記入されていて、課題をクリアするとバッジは外れていくと、こういう仕組みなのだ。
この合宿には専門の研修教官が二人居て、合宿中、当分は担当変更なのである。爺と小太りな中年がコンビで、それは私にはドラゴンボールで見たあの人造人間の最初の二人にしか見えなかったが、そう確か太った中年が19号で、爺が20号だったように思うが、名コンビを装っているようで、ドラゴンボールのあの二人とは違って、実際は二人の間に見えない溝があり、息は合ってないような感じがした。
特に19号の20号に対するひきつった表面だけのつくり笑顔が私をしてしらけさせるのだ。この怪しい、いかにもインチキ臭い、急ごしらえな雰囲気の二人組に会社はいくら払ったのだろうかと、そんな要らぬ心配が真っ先に出てしまったほどだったが、これも何かの縁なのだ。やり切るしかないだろう。
合宿は数日続く。その間、研修主任は参加しない。その物足りなさと不満がこの二人へそのまま八つ当たり的にぶつけられていたと言っていいかもしれない。人造人間扱いは不当だろうが、許してほしいものだ。
この合宿、内容は会社での普段の研修のグレードアップバージョンである。例の大声訓示は、長文にとって代わる、訓示の十か条が原稿用紙で一枚分くらいなのに対して、この長文は数ページにわたるようなものだった。これをすべて暗記して、しかも大声で、ありったけの大声で、というのも声がありったけでないと判断されると、その時点で失格なのだが、その状態を数分保ったままでパフォーマンスしなければならない。
研修教官は数十メートル離れたところからそれを聞いている。確かにそこまで声を届けるのには、ありったけの大声でないと届かないほどの距離なのだ。ところで、大声を長時間出し続けると、呼吸の仕方によっては酸欠状態になる。これにより脳が働かなくなって、暗記した長文が思い出せなくなって、言葉に詰まってしまう。この状態でも失格なのだ。中には酸欠で倒れてしまう人間もいるが、私は途中から何となくこのコツをつかむに至った。
息を吸うのは最大限にして最短を要する。息を吸う筋肉というものがあるのかどうかわからないが、それらを瞬間的に収縮、或いは膨張させて、肺に可能な限り空気をため、胸を膨らませ、その空気をまた筋肉の瞬間的収縮により押し出し、噴き出すようにして言葉を乗せる。普段話すときの呼吸法とはかけ離れている。
歌う事と話すことが、その呼吸法や喉の使い方において違うように、この大声を出すという行為も全く違う。まるで、体内に内蔵した楽器を吹き鳴らすというそんな感じなのだ。そう、イメージとして、喉は楽器のようにある形状を保って固定されているのであり、それに空気を送り込む肺というふいごを動かすのは横隔膜であり、腹筋なのだ。喉から血を流す連中もいて、そういう奴は喉を動かしすぎているに違いないと、そう思っていた。
そうして発せられた言葉は炎の様に口から出て、勢いよく対象物にぶつかると、対象物を振動させるほどになる。
私がこれをやると、何処かで何かがビリビリと震える音がして、教官が微かに顔をしかめるのが認識できる。これは我が意を得たりという気がして、最高の気分だった。超音波で何もかも破壊するギャオスのようだ。
酸欠で倒れるやつ、半分泣きながら必死で声を絞り出す奴らをしり目に、私は得意な気分だった。
だが、その一方で、この合宿研修の一番の目的である所謂目標というやつからは、私自身だんだんと離れて行っていた。そしてそのことには気が付いていなかったのだ。
これはある意味、仕組まれた罠のようなものだったが、そこに落ち込む人間というのは、放っておいても、自らそこへ落ち込んでしまうものなのだ。研修はありとあらゆる人生の縮図のようなものだが、人生においても私が落ち込むのは常にそこだった。ただ、研修の後にも事あるごとにそこに落ち込むことが有って、人間というものの学習機能というのは何とも頼りないものであるという事を何度も実感した。
いや、これは私だけなのかもしれないが、おそらくはそうでもないのだろう。よく言われるように、知識とはなかなか知恵に転換しないものなのだ。
合宿研修は、中盤に差し掛かろうとしていた。長文の大声暗唱は最終試験に取っておかれて、それまでは練習あるのみだ。しかし、覚えるには長すぎる文章を目視しながら大声で音読するだけでも相当な疲労を伴うのに、これを暗記するというのは一向に出来る気がしなかった。さすがに最終試験として選ばれるだけの事はあるものだ。しかし、誰もがこれを通過してきたに違いなく、となれば、じっくりゆっくり構えて焦らずにいることが肝心だ。だから、時間がたてばこの今の不安も消え去るに違いないと密かに自分を奮い立たせるようにしていた。私以外の連中はこの不安を互いに分かち合っている。隅で集まっては顔を突き合わせ、こそこそ弱音を吐いているのだ。私はそういう事には参加しない。
言霊という言い方は好きではない。何でもかんでもこれで済まそうとする風潮が一時あって、うんざり飽き飽きしていたせいもあるだろう。流行り物は嫌いなのだ。いや流行りという仕組みが嫌いなのだ。
流行るというのは様々な階層の人に広がるという事で、本来ならその対象物に無縁な人までもが、時には誤った認識のまま、その下でその対象を使いだすことを意味する。その行為自体は思考停止状態のまま使われて、流行の対象物の真意が使用者の心に響いているというわけではない。その結果、対象物の真価は貶められてしまうのだ。
ともあれ、言霊の話に戻るが、一度口にされた言葉というものは何らかの力を伴うものなのだ。これは理屈ではない、経験で感じてきたことであり、故に私はこのことに対しては神経質だった。
高校生の時分にクラスメイトに指摘されたこと、私は物事のいい面しか口にしないということ、彼は私を卑怯だと言った。いい子に見られたいのだと、そう言った。それは真逆に違うのだ、私がみんなからいい子に見られたいのではなくて、私がみんなをいい子に見たいのだ。誰しも、何事ですらも、両面の見方というものがある。私が誰かの、または何かのいい面を口に出している時に、心の中ではそのものの悪い面への認識が同時に存在している。それなしに手放しで何かを称賛することもあるが、それはまれなケースなのだ。
しかしその悪い面の認識を口に出すことはない。口に出してしまえば、それはある種の力をもって私に迫り、私の気持ちを簡単に変えてしまうからだ。そのような習慣を放置しておけば、私はありとあらゆるものを嫌いになってしまうだろう。損得勘定に従えば、世の中に嫌いなものが多い人生と、好きなものに囲まれた人生とでは後者の方が得に思えるだろう。少なくとも、高校生の私はそう考えたのだ。短絡的だが、二托するとしたらやはり後者だ。いや、短絡的なのは二択という行為そのものだ。
大人になった私は少なくとも、物事を二択で判断したりはしなくなっている。あえて、二択に落とし込んで判断を迫る場合を除いてだが、それでも当時の習慣はまだ消え去ってはいない。だからネガティブな言葉は出来るだけ発しないようにしている。それをしたが最後、私の心は多少なりとも折れてしまうのではないかという恐れが、そのことを強固にしていた。
そのための防御システムは三重である。口にしない。考えない。考えてしまった時の魔法の言葉、人間万事塞翁が馬。
最後の言葉は、ポジティブすぎるときの戒めとしても使う。有頂天というのはかなり危険な状態だ。人間誰しも失敗するが、心配している時には慎重で、これが故にかえって失敗しない。だいたい大きな失敗をやらかすときは有頂天になっている時だ。これは私が身をもって経験しているので自信がある。
いい調子だとか、無敵だとか、わが天下だとか、そんな気分の時にはロクなことにならないのだ。だから、人間が大きな失敗をするときはその人が得意な事柄、或いは長所、得意分野で失敗するのだ。
流行り病で世の中が自粛気味になっているのにもかかわらず、政治家が集まって会食をしてみたり、人気のある有名人が浮気をして責められたりと、これも皆有頂天がやらかす事例の最たるものだ。こうした時にはまるで誰かがその行いを見ていて、いけない行動の結果には罰を与えているのではないかと感じるときもある。おそらくこうした感情は人類に共通のもので、その心理が神を生み、或いは道を生んだのだろう。
ともあれ、私はことさら慎重に何事をも進めたつもりだった。こうした状況下で、体も心も追い詰められていて、睡眠時間も短くてというような環境では自分が頼れるものを総動員するしかない。
だから、教官が、研修における学びの成果として、今一番大切なものは何なのか?と尋ねてきたときには、こう答えたのだ。
「私はこの現状を私の持つ最大限の力で乗り切って見せる、それに関しては自信がある、その気持ちが大切だ」と。
私はこの時に言霊の力を使ったのだ。
自己暗示。これに尽きる。このような状況では自分に催眠術をかけるのだ。それが上手になればなるほど、今後このような危機に立ち向かった時に役に立つのではないか。この研修は危機的状況の連続だ。その中で生き残るコツを会得するための研修なのだ。それしか考えられないではないか。簡単だ。簡単すぎる。あまりに簡単すぎるが、言うとやるは雲泥の差だ。ここはそのことを実践できている自分をアピールするのだ。
しかし、言うなれば、これが罠にかかった瞬間だ。教官は心の中で、ほくそ笑んでいたことだろう。さすがに笑顔は見せなかったが、彼はこう言ったのだ。
「お前は全然何もわかっていない」と。
今の世間ずれした私ならば、このような事を言われたら、ブチ切れていたかもしれない。遠回りで面倒なことに付き合わされて、お前ら分かっていて、確信的に、わざわざ私をここに落とし込んだだろう?早く答えを言え!とでも、言ったかもしれない。
言わないにしても、思っただろう。しかしその時分の私はまだ若い。頭の中が真っ白になり、良い調子だと思っていたところから、突き落とされた気分だった。まあ、どっちもどっちだ、やはり人間というものはなかなか成長しないものらしい。
その時だ、後ろから声がした。同僚のささやくような声だ。あの泣き言を言っていた時の声だ。
「大切なのは仲間」
そんなわけないだろう。
お前たちが、大切か?
私にとって何の役に立つのだ。
「大切なのは仲間です!」
「その通りだ!」
いや、そんなわけないって。でも合格したのだから、まあ良しとしよう。
人を頼ると面倒なだけだ。何事も自分でやった方が早い。だから、単独で成果を出す営業職を選んだのだ。嫉妬深くてお互いに足を引っ張り、人の話に集中するということが出来なくて、その結果覚えが悪く、大切なことを忘れ、不器用で、向学心に乏しいあまり無教養で、現状把握できなくて段取りが悪く、時間を浪費するだけの能力の低い連中、監視がなければサボり、垂れ流しのテレビを脳内に流し込むのみで常に楽な方に流れ、しみったれたけちんぼで、楽して一獲千金を狙う話には目を光らせ、面と向かっては言えないくせに隠れて悪口を言い、改善策を考えようとはしない一方で群れて文句ばかり言う。そのような性悪低能な仲間など不要なのだ。
見ているだけで腹が立つが、関わりたくないがために、注意などしない。注意して改善するとは思えない。ストレスがどんどんたまる一方なので、体に悪いから、あいつらはカプセル怪獣なのだと思うようにしている。
力不足で、自分だけでは敵の怪獣を倒すことはできないが、その代り主役が他の何かで忙しい時に、時間は稼げるというわけだ。だが時にはそれ以下の場合もある。カプセル怪獣はまだ可愛げがあるというものだ。真面目で必死で、不器用ながら誠実なのだ。従って、残念ながらカプセル怪獣に任命される人間は少数派だ。それ以外の多数派はさながらルンバのレベルに過ぎない。
与えられた機能以上の能力はなく、それでも機能を発揮する工程や過程を観察するのは、その段どりの悪さや非効率なやり方、不器用なしぐさ等、見ていてストレスがたまる一方で、体に毒以外の何物でもない。だから、こういうのは見ないでいるのに限る。出来上がった結果のみをノークレームで受け取り、居ないよりマシだと思うしかない。ルンバだと思えば、たいていのことは腹が立たないし、逆にルンバよりもマシじゃないかと思えるときもある。少なくとも喋ったり考えたりするルンバはまだないからだ。そういう時はその存在が有り難かったりもする。
まあ、そのうちにルンバの技術が向上して、いわゆるルンバのシンギュラリティが彼等の身の上に訪れる日がやってくるかもしれないが、それまでは期待を低く低くすることが、私の精神衛生にとってはいい結果をもたらすのだ。
だが、残念ながら、中にはルンバ以下のものもある。動くことでごみを散らかす連中だ。こういうのは全くもって救いようがない。出来るだけ関わらないことが最善である。
だが往々にしてこういう連中が上司だったりする。これは有頂天が失敗を生み出す理屈に適った最たる例だ。タイトルが人を、そのタイトルに相応しくすることもあるが、多くはタイトルが人をダメにするのだ。
もとより運がいいだけの人間がタイトルを得たりすると、そのことが原因で壊れてしまって、しかも修理が利かないことが多い。もちろん自己修復の機能などはない。こうなると質が悪い。流石に、関わらないわけにはいかないので、最小限度に関わりを押さえるコツを会得しないといけなかったりする。壊れた機械を壊れたままに、どうしても必要な時だけ何とか使いこなすのだ。
それはさておき、だから知人なんて切磋琢磨できるライバルが居ればそれでいい。馴れ合いの友人は不要だ。ガス抜きは自分でやればいい。評価も自分ですればいい。傷の舐め合いは、面倒だしそもそも不要だ。仮に必要になるとしても、してもらったら、礼儀として、お返ししないといけないだろう?そんな面倒なこと、自分的にはあり得ない。
そうしたことは私の中で段々と時間が、そして経験が証明してくれた。友人と呼べる人は年齢とともに少なくなり今は一人もいない。
だが、それが不都合かというと、そうでもない。そうでもないどころか、そのほうがいいことの方が多い。飲みに行ったりしなくていいのはその最たる例で、しらふですら醜悪な人物が、酔うとさらに醜悪になる。そんな輩を見なくて済むのは助かることこの上ない。 というわけで、その結果として、この状態である。本当に必要なら、友人は居るはずなのだ。子供時代は居たのだが、あれは持て余した時間とエネルギーを消費するためのものだった。大人になれば、持て余すほどの時間もなくなるし、エネルギーだってないわけだから、必要がなくなるという事なのだ。
ともあれ、人付き合いというのは面倒なだけだ。だから、仲間?そう呼べるほど他人にかかわるなど、まっぴらだ。だがこれで、キーワードは手に入れた。今後はこの戦略で、この線に沿って行けばいいのだ。しかし、大切なものが仲間とは、ここは会社だろう?
やれやれ、まるで学校じゃないか。
そう、ここは会社だが、そのやり口は学校なのだった。一番出来ない人に合わせるという、あの学校スタイルだ。しかもそれプラス昔の農村を統治管理した政府のスタイル、組制度なのだ。誰かの落ち度はその組全体の責任というやつだ。管理するほうは楽に違いないが、される方は最悪だ。まあ、そのうちに好き勝手にするつもりだが、ここは合わせておくに限る。ただ、実際に研修が終わり、仕事が始まるとこの組制度は最悪だった。毎日ノルマがあって、五人組で50件という目標があったとする。普通は一人当たり10件でそれが終われば仕事は終わりなのだ。しかし誰かがその数字を割り込むとほかの誰かがその穴埋めをしなければならない。それはこういうことだ。通常、目標件数というのは営業にとっては日々の事なのでトラブルがあった時のための予備というものを誰もが持っている。ノルマが10件で、成果が12件だったとしたら、2件はもしもの時のための貯金として取っておいて、その日は申告しない。
もしもの時というのは例えば体調が悪かったり、ついつい遊んでしまったり、調子の悪い商談が続いて成績が下がった時のためのものだ。穴埋めをするというのはその2件を吐き出すという事を意味する。もしくは吐き出す貯金のない時には、商談自体を余計に重ねる必要がある場合もある。私が早い時間に、例えば3時くらいにノルマを終えたとしても、組として終わってなければ帰ることもできない。組としてノルマを達成するまで、空いた時間は、貯金を重ねるときもあれば、だいたい気が抜けてしまうので、そのあとはだらだらと全体が終わるまで時間をつぶすのみなのだ。
だいたいが、成績の悪い、出来ない連中というのは、勘違いをしている。営業の技術というのは、欲しがらせることだと思っているのだ。だから必死で欲しがらせようとする。しかしそんなことは土台無理な話だ。無理なので、断られると自分には才能がないと勘違いして自信を無くす。商談が怖くなって、商談数が減る。成約数も下がると、こういうことだ。顧客というのは、ただであげると言っても要らないものは要らないのだ。いくらお買い得だと言っても関係ない。(要らないふりをしている時は話が別だ) だから、単純に営業の技術というのは、欲しいときに欲しいものを目の前に差し出すことに他ならない。だから、成約数を上げようと思ったら、商談数を上げるしかない。ルアー釣りで言うところのランアンドガンだ。数をそろえたかったら、目の前の食い気のない魚を工夫して、なんとか釣り上げようと、そのことに気を取られてはいけない。簡単に釣れる魚、すなわち食い気のある魚を探して広範囲を動き回り、とにかく一投でも多くキャストすることだ。(しかし大物は別の話だ。勝負に勝とうと思ったら、どうしても押さえておきたい一件というものはある)
そして、人間というやつは昨日欲しくなかったものが、今日は欲しくなっていることもあるという事を知るべきだ。魚の食い気と同じなのだ。
極論すれば、営業の技術というのは人に会う技術だ。これは簡単だ。在宅確認してから、訪問すればいい。そんな簡単なことをしない人間は多い。やみくもに動いて、なかなか顧客に会えず、それだけで疲れてしまう。士気が下がって、気が付くと夜になっている。夜の訪問というのは、憂鬱なものだ。そして動けなくなって、時間が経つのをぼんやりと待っている。無限に仕事が続くという事は物理的にないからだ。
三時以降の仕事は、そんな奴らとの根競べだ、しかしあまりにも全体の仕上がりが遅くなるようだと、例えば8時や9時くらいになる時だってざらにあるのだが、そんな時間にはさすがに嫌になってくる。結果として、我慢できなくなって、貯金を吐き出すのだ。自分は3時に終わっているのに、事務所に帰り書類をまとめたら、10時になっている。その時刻になると、すまなさそうに成績の悪い連中が返ってくる。連中がどこで何をしようが関心はないが、成績が悪いと事務所には帰りにくいもので、彼らがまだ外で仕事をしているとは思ってはいない。どこかでサボっているのだ。彼らとしても、努力しているというポーズだけは取っているのである。そういったことは余計に腹が立つが、連中の分まで書類を仕上げざるを得ない。これが仕上がらないと帰れないから仕方ないのだ。人の分まで書類を仕上げるには、連絡を取って詳細の聞き取りをしなければならないが、面倒なので想像で、或いは創造で数値を書き込んでいく。畢竟、書類には適当な数字が入る。ばれないように数字はランダムに入れるが、あまりに腹が立っていると、すべてを同じ数字で入れる場合もある。その場合、でっち上げがばれてしまうが、その気分は信頼する上司には正しく伝わる。理解を示して、慰めてくれたりするのだ。そうして、家に帰るのは11時だ。そんな日々が毎日。大切なのは仲間?笑わせるじゃないか。しかしこの時点ではそのような事はわからない。大切なのは仲間。いい言葉じゃないか。
そうして、全員の認識がまとまったところで、もちろんこのいわゆる正解にたどり着いたのは私が最後だが、ここである演出が施される。教室の外で大声がして、大勢の人間がなだれ込むように勢いよく騒ぎながら入ってきた。驚いたが、よく見るとこの連中は我々の期の一つ上、いわゆる先輩たちなのだ。しかしながら先輩といっても、毎月毎月入社式があるものだから、たったひと月だけの先輩だ。
そいつらが本当に偉そうにする。先輩風をあたりかまわず、全開で吹かせまくる。私は彼らの事を馬鹿じゃないかと思っている。下手にかかわると面倒だし、つかず離れずにいるのが一番だが、同僚はまるでピンチの時に現れるヒーローの登場を見たように、感激して涙ぐんでいる。その姿は想定内だが、ばかばかしくもある。しかし、この場面ではあれが正解のリアクションなのだろう。仲間の大切さをより一層感じている仕草というわけだ。私としては、なかなか凝った趣向だが、あざといなあといったところに過ぎない。
だから、私は少し後ろから全体を眺めている。先輩風を吹かすのが好きな奴らは当然一番前に居る。肩を叩き、背中に手を添え、手を握る。よく頑張ったなあ、なんて偉そうに言っている。まるで自分が社長のようだ。
こいつら全員研修が終わったら、現場に配属されて、一番ペーペーじゃないのか。余談だが、やはりというかなんというか、こういった連中は現場に配属されるとあっという間にいなくなってしまった。先輩たちの中でも、多少なりとも物事をわきまえた連中は、私と同様少し下がってこれを見ている。顔は笑っているが、私と同様しらけて観ているのかもしれない。そのうちの一人と目が合った。彼はこの期のリーダーである。黙ってうなずいている。地味な男だが、常識的で、芯を感じさせる人物だった。それでも、彼ですら比較的短期に退社したのだ。こうしたところはいわゆる常識人はダメだ。何もかも非常識な、極端なふり幅のやり方がこの会社のやり方なのだ。
この会社の社長は、わかりやすい人で、愛唱歌がアリスのチャンピオン、洋服は絶対に黒しか着ない、髪型は男臭いてかてかのオールバック、車好きで愛車はベンツなのだが、普通のベンツではない、過剰なエンジンと過剰なサスペンションを持つ特別なモデルだった。
その車好きが高じて、社員用の車ですら、彼の好みを反映したものになっていた。社員用の車がベンツだったわけではないのだが、車格が社内でのタイトルを表すというちょっと笑ってしまうような古風な価値観だ。それを大真面目にやるのだ。しかし下端の社員が軽自動車だと、家族の手前かわいそうだと言って、軽自動車を社用車にすることはなく、普通車の小型にこだわった。それも少しずれた感覚だ。今の人の感覚にそうしたところはないだろう。現在の普通車の小型クラスと、軽自動車にどんな差があるというのかわからないが、そうした感覚は今の改良を重ねた軽自動車を、身をもって知っているからで、おそらく社長の感覚では軽自動車は昔の、ギアの少ない、ブレーキの利かない、エンジンの回らない、ペラペラなボディの軽自動車のままなのだ。そりゃそうだろう。軽自動車に縁のない生活が長いのだ。
そして、人情味が篤く、末端の社員に声掛けすることを厭わない人だった。管理職や担当を指導するときには尋常じゃないくらいに厳しくて、手が出ることもあった人だが、少なくとも私に声をかけてくれた時にはナイーブな印象で、はにかみがちに語る人で、これがあの同じ人なのかと感じるほどだった。社員を集めて熱く語り、また社員の声もよく聞いた。そうした時間を厭わない人だった。そうして聞いた社員からの意見を、何らかの形で直ちに表してくれるような人だった。
私もそういった集まりで文句を言ったことがある。それは提案でも何でもなく、ただの泣き言に過ぎなかったが、あまりに人が辞めていくので、会社としてはそれをどう考えているのか?といった具合に社長の前で言い放った事があった。それを黙って聞いていた社長だったが、次の日には予算が下りてきて、これで部下を食事にでも連れて行って、先ずは話を聞いてやれという。これには驚いたが、そういう事はままあった。
研修主任はよく社長の事を語り、本心からほれ込んでいる様だったが、それはこうした社長の行動を見れば理解できるのだ。
その研修主任だが、彼が、社長の事を語る時、少し斜め上を見ながら、遠い目をして、憧れいっぱいに語るのだ。あれが演技だとしたら大したものだ。いや大した人なのだが、その反面で、この人は時々無邪気な子供のようなところがあって、何かに夢中になれる自分というものを持っていたように思う。その影響もあって、心酔する人の心酔する人だから、この社長、ひいてはこの会社には私としては、まだ理解があった方だというところだろう。
その社長は、全てを自己の責任の下で背負ってしまう、そういう人だった。あのギリシャ神話の天空を抱える巨人の様に、アトラースだ、支え、耐え、歯向かう巨人、その責任の重さと、現状の厳しさを身にしみて理解していたような人が社長だったからこそ、この会社をそうしたエキセントリックな、非常識なものにしていたのだ。
この会社はもともと呉服屋だった。私が子供のころには、まだ着物姿の女性というものを時折見かけたものだが、それでも普段着と呼べるものではすでに無くなっていて、あくまでも晴れ着というジャンルにしか過ぎなかった。それがいつの間にか、成人式くらいしか見る機会が無くなって、その商圏は年々縮小していたのだ。そうした中で、呉服屋を引き継いで、社長をやるという事がいかに難しかったかというのは容易に想像できる。もしこの人が凡庸な人だったら、いや有能でも心の弱い人だったら、たちまちのうちにこの会社は無くなっていたに違いない。それを全身で受け止めて、逃げることをせず、がっぷりと組んで、周囲からどのように見られようとも、縋れる物には何にでも縋って、実際には宗教や、ありとあらゆる科学的な考察、特に心理学、はたまた伝統的な古来の何々道と呼ばれるようなやり方、同時並行で数件の商談を進めるためのタイムスケジュールの組み立て、商談における詳細なありとあらゆる考察を考慮した台本、すべての商談におけるデータとその活用、そしていざ商談に臨むための準備、準備、そして準備、さらに準備、それを基にした社員教育。それらをすべてひっくるめて、道具と呼んで、使い切ったのだ。
この中には、前述の宗教も含まれていただろう。社長が帰依していたのは、さる日蓮宗の坊主で、これがまた攻撃的で野心的な、あの日蓮の血を引いた、いかにも脂ぎった、ギラギラした人物だった。その主たる活動といえば、いわゆる経営者クラスの人間を大勢集めて、講演を行い、おそらくは高額な講演料という名目の、これまた多額な寄付も集めて、何に使うのかは分からないが、世界平和の実現とかいった類のあってないようなお題目のもとで、有名な誰それにあったとか、どこそこで大勢集めて会議をしたとか、そういうことを自慢げに語る人だった。
また、移動時には、一目でそれとわかる、やはり経営者クラスの取り巻きに囲まれて、おそらく内陣に行くほど寄付額が多くなるのであろうが、その内側には近寄りがたい壁を作り上げて、その中心で満足そうに笑っているというような人物なのだ。かの教皇フランシスやダライ・ラマのような軽やかで親密な空気を纏う宗教人とは対極の、この典型的な生臭坊主に本気で帰依していたとは、思えないが、鎌倉以降の仏教が、純粋な教養から、その多くで単なる集金集人装置と成り果てていたことを思えば、高い道具には違いないが、持ちつ持たれつで、使えるものは使ってやろうといったところだったのだろう。
この人は満足を知らない貪欲な人だった。いや、自分に満足してはならないと、常に言い聞かせていたのかもしれない。
「とことん」が口癖で、何が支えか?という質問には、毎晩布団の中に入ってから、今日も無事に過ごすことが出来たという確認をしては、ありがとうございますとつぶやいて入眠する事だと答えるこの人は、社員と、出入りの業者を、はたまた職人たちを、その神経をすり減らしながら、時には板挟みになり、そのような時には、その片方に厳しい態度を不本意ながら取らざるを得なくなりながら、寿命を削って、厳しい決断の繰り返しの中で生きていたのだ。
ところで、人が怒るというのは見ていて興味深いものがある。
ある人は苦しそうに怒り、ある人はその行為に酔ったようになっている。苦しそうに怒った後、人には見せられない後悔の、或いは哀しみの表情を隠すように横を向くこの人は、結局その寿命を削りつくしてしまうのだが、こうしたタイプの人を私はこの人以外に見たことがない。
天才肌の人というのはいるものだ。ソフトバンクの孫さんが、どうしても会いたくて、会えなくて、それはそうで、彼は当時まだ高校生だったが、当の天才は大きな会社の、日本一の外食産業を作り出す超大物の社長で、だから孫さんはアポなしで訪問したのだが、その時に孫さんにかけた言葉「君はコンピュータをやりなさい」といったエピソードをこの天才はいかにも楽しそうに語ったものだった。彼が、同級の手塚治虫の事を語る時、鉄腕アトムのモデルは自分だと言う時、白いライオンを書けばいいとアドバイスしたと言う時、私の会社は日本一になるのだと言う時、何故なら日本一休日が多くて日本一給料が多い会社にするからだと言う時、そんなときの彼は楽しそうで、自信に満ち溢れ、余裕があり、いかなる陰りも感じさせなかった。世界最大の外食産業を日本に導入するときに、当時無名に近かった彼が、その反対に流通の覇者と呼ばれたもう一人の天才を押しのけて選ばれただけの事は有ったのだ。
そうした天才とは違う人だった。天才は持って生まれたスーパーマンで(この人のクリプトナイトは自分の息子だったが)、この人はいわばバットマンだ(着ているものも含めて)。彼は我々と同様の非力な人間だが、しかし絶え間ない努力と、想像を絶する意志の力で何かを成し遂げる人なのだ。だが、バットマンはエキセントリックだ。彼も同様。バットモービルのようなベンツのエンジンを唸らせて、その非凡なエンジンだけは彼の期待を裏切ることはないと、しなやかなサスペンションに支えられた鋼鉄の部屋と最高のシートだけが彼をして安心させ、癒す場であると無意識に感じながら、普通ではないようなことに思いを巡らすのだ。しかしそこから得た思い付きで彼が微笑むことはない。新たな心配だけが雲のように心を覆うのだ。
その人の、そうして生み出す普通ではない環境下に私たちはいた。人間は弱い。説明がうまく出来れば、いや出来なくとも、商品さえよければ、このいいというのは納得できるということだが、そうしたものならば、価格と内容のバランスの取れたものならば、そしてそれが必需品であるならば、住宅の様にいくら高額品であろうが、営業というのは楽なものだ。競合他社に負けなければ、いい商品というのは滅多に負けないものだが、誰でもがそれなりの成績を残して、いわゆる弱みにはまることはない。この弱みというのは、自分の扱う商品に自信がなくなることであり、それを薦める自分に、罪悪感を持つことであり、こうなると、大切なお客様に下手な商品は売れない、売ってはいけないという自分勝手な沼にはまり込んで、結果として、商談から、つまり成果から遠ざかってしまうのだ。
もちろん面倒を回避して楽な方に流れるのはすべての仕事に共通であり、人間関係や、悩みごとでやる気を失うというのも、そうであり、体力的についていけないというのも、これもまたすべての仕事に共通のものだろう。そのような事はありとあらゆる会社が当たり前の事として考えているように、大したことではない。しかし、この営業に特有の商談恐怖とも言うべき心理が重なると、もうどうしようもなくなってしまう。心理的に強力なブレーキがかかった状態で、非常に強いノルマのプレッシャーで後ろから押される。成績が悪いと、住宅営業などでは、簡単に退職させられるか、あるいはそうなるように持っていかれてリセットされるが、人材不足で、かえって辞めさせてももらえないとなると、人間は精神に破綻をきたすのだ。
行方不明になる。自腹を切って、成績の埋め合わせをする。切る自腹が無くなると、金を盗む。或いは、顧客から預かった金を流用する。嘘の成績に、それを隠すための嘘、嘘、嘘。それが高じると嘘をつくことに耐性が出来てしまう。
時には、あえてばれるような嘘を日常的につく人間もいる。
こうした人間は病気なのだ。必ずのちにばれるような嘘をついておいて、そのことで叱責されるそいつの目は感情が浮かばない。死んだ魚の目のようになっているのだ。
ただ、そんな奴らの付く嘘は大掛かりでとても面白い。大掛かり過ぎてかえって本当に聞こえてしまう。社長の親戚だから、数百万円の商品をタダにしますよと顧客に約束してみたり、以前いた職場にチャイナマフィアの集団が襲ってきて撃たれたことがあるとか、あまりに荒唐無稽なのだが、小さな嘘を数限りなくつく連中と比較すると、後で大笑いできる分、もちろんその時は大変困ったことになってしまうのだが、好意的に見てしまったりもする。そして、そういった連中は懲りないのだ。実績に実績を積み重ねるというか、何度でも嘘をつく。
バレて大ごとになった前歴があるので、こちらとしても今回はまさかと思うのだが、彼らはその油断をついてくるのだ。そして結局、こちらも騙される実績を重ねてしまう。こうした連中と出会って、私は自分の未熟さを思い知らされた。私のつく嘘なんて、彼らの足元にも及ばないのだ。しかしそれを思い知らされるのは後日の話である。
ところで、私たちが扱う商材は、普段の生活に馴染みのないものばかりだ。例えば高級時計の最高峰であるパテックフィリップが購入できるくらいの価格で取引される着物。
軽自動車並みの価格の、飴玉が数個入るくらいの小さな桐箱。こうした商材は、いわゆる原価とか、製作日数とか、人件費で単純に計算されるようなものではない。販売時には、投資目的を口上にする人もいるが、それも主たる目的ではなく、あくまでも結果としてそうなることもあるというくらいのもので、あてにしてはいけない。
ちなみに言うと、それはあくまでも商業取引であって、人の手を経て、そのたびに経費がかさんでゆくもので、売価にそれが乗っている以上、その金額で入手したところで、本来の価値を下回った、いわゆるお買い得価格で販売されるわけがない。だから転売すると、その少ない需要とも相まって、それで得をするということはないのだ。そうしたものを買う人は、それを作った人にほれ込み、その人を応援するいわゆる、芸術家、職人、などのパトロンになったという事だ。機械整備士たちの技術をより鍛え上げるために、F1チームを運営させる、その目的でフェラーリを購入するのと同様、職人がその技量に見合った報酬を得て、結果としてその技量というものが後世に残っていくように、応援したい会社の商品を購入する。その会社と共にその技術を担う人を育成、保護していくという事だ。過去においても、いつの世も、搾取する側の金持ちたちがこうしたパトロンの中心となって、文化を育てて残してきたのだが、それを搾取される側の人間にも、一時の夢を見させる、自分も搾取する側の人間に、文化の庇護者になったような気にさせるために、この会社は有った。いや、会社が存続するためにそうした心理を利用したと言うべきだ。
しかしそういう事ならば、事は簡単だ。文化の存続のために商品を販売、購入するというのはわかりやすくていい。それならば、自分の販売する商品に自信がなくなるという事態は起こりそうもない。買い手の方も満足できるし、それならば売り手はそれ以上に満足だ。だが、実際はその文化の庇護者たるという美辞ですら言い訳に過ぎない。買い手は単に欲しいから買うのであり、売り手は生活のために売るのだ。美辞は買い手が自分の、ある意味無駄遣いから来る罪悪感を和らげるための薬である。だから、ことは単純になる。
大切なのは商品が価格に見合った価値があるかどうかだ。
パテックフィリップならば、話は分かりやすい。工房に出入りする職人の技量は、厳しい基準で守られている。それはスイスという長野県と同じくらいの条件の国が、その決して恵まれてはいない環境の中で生き残るために編み出した、産業の最高峰ともいえるものだ。山に囲まれた土地で、雪も多く、交通輸送に限りがある。輸出できるものは出来るだけ小さくて、軽くて、値打ちのあるものがいい。値打ちは自分たちで創造できて、コントロール出来て、しかもその努力によって守ることのできるものがいい。高級時計というものは、そうしたニーズから生み出されたものだ。資源のない国が、自国を守るための産業だ。だから国を挙げて厳格にその品質は守られている。だから買う方も、売る方も安心できる。職人たちは選び抜かれた最高峰の職人である。そうした職人たちが、腕に応じた見返りを手にすることが出来て、同時に後進の教育に当たれるように、文化を守り伝えられるように、こうした商品は存在する。
だから、オーバーホールをするのに、その性能をはるかに凌駕するアップルウォッチが6世代分購入できるほどの金額を取られても、本社にあるアーカイブに自分のプロフィールが登録されて、いちいちスイス迄運ばれて、山深い工房で世界最高の時計職人に完璧に調整されて、それが帰ってくるまでに何日かかろうが、パトロンたる購入者は、世界中から選ばれし者としての栄誉と、時計に仕える自分という、嗜虐的満足を味わうことが出来るのだ。
着物も同様に国によって守られていると言えるが、こちらの方は中途半端だ。これは、だが、売り手側の責任である。様々な商品があるうえで、あえて中途半端にしているところもある。
例えば、作家の銘付きの着物。ミケランジェロの作品という時、それはミケランジェロの工房で作成された品という意味で、ゴッホ作の絵画という時とはニュアンスが違う。売り手はそうした着物を売る際には、限りなくゴッホ作という意味合いで、作家の銘を利用する。断言をするわけではない。だが、その知識のある人間が買い手とは限らない。勘違いは勘違いのまま、放置しておかれるのだ。工房に出入りする職人もスイスの時計工房ほど明確ではない。人間国宝の工房ともなると話は違うかもしれないが、作家というのは人間国宝だけではない。中にはプロデュースされた作家もいる。この言い方は優しいが、早い話がでっち上げである。そうした作家には次期人間国宝とか、人間国宝候補とか、嘘ではないが、本当でもない言葉がまことしやかに使われる。いや、下手をすると、現状においては嘘だったりもする。未来の事はわからないから、と言っても、なりようのない、或いはなる気もない者をそうだというのは嘘の範疇だろう。こうしたでっち上げに加担する資料もある。絵などを購入するときには必ず出てくる本があって、そこには作家の名前が書いてある。その横には、作品の面積当たりの評価価格がまるで土地のように書いてある。土地の価格というのは、固定資産税評価額が基準なので、これは公的なものである。売価はそこから、土地の条件によって、北向きだとか、南向きだとか、角地だとか、地型がいいとか悪いとか、ハザードマップの津波災害エリアにかかっているとか、造成が必要だとか、そうしたことで調整されて決められるのだが、そのことで極端に損したり、得したりというようなことは滅多にない。売り手がたまたま、早く決済したかったり、購入当時の価格を大いに下回って損したくないと思うようなときには、多少の変動が有ったりもするが、どちらにせよ周辺の相場と比較すれば、それがどういう買い物なのかという事は素人でもわかるようになっている。安心な買い物なのだ。逆に不当に安い物件はやはり問題を抱えているともいえるが、取引時にはその土地に関する重要事項説明が義務付けられていて(ただし、仲介業者の介在しない個人間での取引はこの範囲でない、ただ銀行は重要事項説明のない物件には融資をしない)その瑕疵ははっきりとわかるようになっている。しかし絵画の場合の評価数字は根拠がない。そうした本に名前を載せるのだって、出版社に声掛けすればいいのだ。
そこには営業マンが居て、普段から、ここに名前を載せませんか?という営業をしているので、喜んで載せてくれるだろう。ただし有料なので、費用は掛かるが、それは絵の値段に乗せればいい。素人はこれでイチコロだ。一点物でない大量生産品を、ローンを組んでまで買ってしまう。転売をしようとしたときに、自分の過ちに気が付くが、誰の責任でもないように巧妙に仕組まれた売り方をされている。
銘に限らない、ブランドもいい加減なものだ。当初の老舗はとうに無くなっていて、名前だけが売り買いされている場合もある。当然品物は別物である。ただ、そのブランドのネームがついているだけという代物だ。こうした名前だけというのは時計の世界でも大いにある。ビッグネームと雖も、油断はできない。その精神をまともに受け継ごうとして、まじめにやっているところもあるが、別物であることに違いはない。それが駄目だというのではない。ただ新規のブランドが格付けをしていくのには大変だと、容易な方法に資力をもって飛びついたのだとは誰しもが思う事だろう。そして、その商品がそのブランドに相応しいものならば、まあ問題はない。ところがそうでもない場合が多い。ブランドの名前の取得に費用が掛かっている。それを回収しなければならない。その費用は商品価格に乗せられている。だから明らかにコストダウンされたものに、当時の老舗時代の妥協のない品質で作成された時の定価を示すような札がつけられている。
ボルグがウィンブルドンで五連覇した時、彼の着ているシャツは専門のショップでしか買うことが出来なかった。しかも、都会の一等地にあるその専門店に行ったところで、商品はそれに触れる人間に緊張感を強いる、ガラス製のいかにも高級な棚に、僅か数点しか並んでいない。こちらから選ぶなんてとんでもない。幸いにもサイズが合えば、買わせていただくのだ。それが一枚数万円である。ちなみに、商品を買えば、豪華な上質紙のカラーカタログをつけてくれて、高級な袋に包んでくれる。これがブランドを維持するという事だ。そのことに賛同する人が少なければ、自ずと方向性を変えざるを得ない。
今、そのブランドのシャツは田舎のスーパーのバーゲンのカートに山積みにされて、たたき売り状態で販売されている。生地も縫製も全く違う。前者はちょっといいリゾート地で着るのがふさわしいし、後者は部屋着にするのがいいだろう。
それを購入したところで、洗剤や大根などと同じ袋に入れられるだけだ。そのシャツに昔のタグが付くこと自体おかしいだろう。
しかし私の居た会社では、そうした商品のガラスのショーケース時代のタグには印がつけてあって、売り手はその印で本来の価格が、つまりはスーパーのカートでのたたき売り価格が分かるようになっているのだ。と言ってももちろんゼロはいくつか余分につくような価格である。
そこで、売り手はこれに対して、さんざん説明して、偽の価格で値打ち付けをした後、おもむろにあなただけ特別に値引きをいたしますと言って、本来の価格を提示する。提示方法は、ここが見せ場とばかりに最大の演技がされる。声には出さず、紙に書いて、この情報はこの場限りとばかりに唇の前に指が一本立てられる。顧客を取り囲んだ、数人の売り手の中では前もって役割分担が出来ていて、数字の提示人と、それを驚く人間に分かれている。提示人は、通常その場の責任者である場合もあるが、これは顧客と担当者の関係が薄い場合で、それが濃い場合だと、担当者が暴走して値引きをたくらんだように見せる場合もある。この時は驚きでなく、軽い叱責が責任者によってなされるが、それを顧客がかばうようなら、話は早い。こうした行為は主に密室で行われる。
値引きのためのいわゆる特別な理由は、顧客によって使い分けられる。そこは営業の腕の見せ所で、いかにも本当らしく聞こえなくてはならない。上得意でもないのに、あなたは上得意ですので、と言ってしまっては嘘が丸出しだ。しかし、上得意でもないのに、自分は上得意だと思っている顧客には、それを利用する。いずれにせよ、事実がこの場で重んじられることはない、顧客がどう感じるかが大切なのだ。
取引の成立では現金は必要ない。たとえ一括購入であっても、すべてがローン会社を通して行われる。現金取引はいけない。散財の痛みがリアルだからだ。
性格によってはこの筋書きを聞かされただけで、気分を害する者もいる。
しかしながら、本来の商売というのはこうしたものだ。古代の中国で商という名の国が滅んだ。国を持たないという事は、何も持たないという事と同義である。そうした何も持たない人たちが始めた行為というのは、それまで生産者と購入者が直接行っていた経済取引の間に割って入ることだった。物を作らず、右から左へ動かすだけで、利益を得る。そのことだけでも、憎まれ、さげすまれるには事欠かない。今でも転売ヤーと呼ばれる人がどのような心理で語られるかを考えると、容易に理解できるだろう。だが、そういったことしか出来ることがなくて、それが出来なければ明日食べるものもないという状況で、何が行われたのか想像するのは容易い。だから士農工商なのだ。商は最下層だ。きっと考えられる限りのありとあらゆることをやったに違いない。
それを近世に入って、三井という男がすっかり変えてしまった。現金で取引をし、店頭で商品を売り、その商品には誰もが分かるように定価の札がついている。
それまで、密室で、現金払いでは無くて、定価もない、価格は交渉で決まる、買い手によって値段が変わるというような状況が当たり前だったのが、この三井の越後屋、いわゆる三越が、世界に先駆けてすべてを変えてしまった。それが日本の商売の在り方として、当たり前になり、最下層の商売は、商道などと呼ばれて、生まれ変わり、初めて日の目を見たのだ。
ところで、余談だが、営業を長年続けていると、やりにくいお客様というのは確実に居た。やりにくいというのは疑り深いという事なのだが、これにはある種の絶対的法則があって、海外生活の経験のあるなしがそれを大きく左右していた。特に中国帰りは最も疑り深く、お客様がいじめ抜かれた野良猫の様に見えるときもあった。すべてを疑ってかかられると、物事はなかなか進まないものだ。これに対して、海外生活の経験のない人は、話が早い。最も早いのは一次産業の従事者で、二次、三次と段々とやりにくくもなるが、これは前者の比ではない。
まあ、そういったことで、異様に見える商売の仕方も、その実は、本来のやり方に戻したという事だ。
それは商の国の人が、がむしゃらだったように、この着物という業界自体が、がむしゃらにしなければその存続すら危ぶまれたという状況だったともいえる。投げ出すことは簡単だし、投げ出す言い訳としての商道を持ち出すこともできたはずだが、それは逃げだとわかっていたからこそ、この選択だったと言える。苦渋の選択には違いなく、そこに罪悪感がなかったかといえば嘘になるだろう。それを断ち切るための、徹底的な理論武装を、社長自らも、その下で働く人間たちも、必要とした。そのための座学研修なのだ。そのことからもこれは容易にわかるというものだ。
そうした中でも、それらのいい加減な商品に混ざって、時折顔を見せるのが、本物の芸術品だった。こうした商品は、さすがに値札が通常販売されているものの数倍のものがついていて、普通に考えるととんでもない価格なのだが、そのもの自身を目の当たりにすると、それが安く感じてしまうほどの匂い立つような怪しい魅力を纏っていた。こうしたものは必ず一点物で、普段は多弁な商社の人もその履歴を多くは語らない。売る気はないのだが、仕方ないという気分が演技ではなく伝わることが多かった。どのようにしてこうした商品が市場に出るのかは分からないが、ともかくもその場に居合わせた人には一期一会と言えるのかもしれない。もちろんそうした商品が出てくるのは本来の上得意に対してなのだ。そうした商品に営業は必要なく、商品自体が雄弁で、どうしてもこれを手に入れたいという欲望を、危険なほどそそる。
真剣に、入手する算段をする顧客を中心にして、皆黙って商品に見とれているが、そうした商品が締結するときには皆カタルシスを感じていた。
時折はこうしたことがあってもいい。
そういう職場であった。こうしたところでは、何が本物なのか、嘘なのかがだんだん分からなくなってくる。それは精神衛生上よろしくはないのだが、会社としては本物にこだわるというフレーズを前面に押し出して営業を展開していた。そのような言葉があえて使われるほど切迫していたと言っていい。
高額品を扱う会社なら、言わずもがなではないか。みんな分かっているのだ。
ところで、この会社は呉服屋ではあるが、いつのころからかその形態をイベント屋に変えていた。あくまでも、表向きは呉服屋である。しかし、その実は自社では商品の在庫を持たず、売り場の展開も常ではない。年に数回行われる展示会の開催時のみ売り場は設営され、その時でも自社による直接的販売は行われない。会社としては、他の商社などに場所を貸すだけなのだ。その会場で販売される商品の品質や由来についてはもちろん目を光らせてはいるものの、やはり完全ではない。様々な会場に様々な商社が入り、企画以外の取引も頻繁に行われる。本物が常に会場にあるようでなければならないが、何をもってして本物と呼ぶのかというところから価値観のすり合わせがおこなわれるにも拘らず、あいまいなままで、売り場に出てしまう商品も多い。それはそうだろう、売り場では売れる商品が、利を稼ぐ商品が一番強い。そうした商品は例外なく前もって念入りに仕掛けがされていて、巧妙なやり方でどんどん売られてゆく。まっとうで、正直な、しかし馬鹿正直な商社は、まっとうで正直な、しかし馬鹿正直な商品を在庫として抱えながら、そうした会場を恨めしそうに横目で見ているのみだ。仕掛けなしで、品質で勝負といったところで、商品自体は芸術品の域には届かない量産型の物なのだ。この場合一点ものかどうか、技術が優れたものかどうかは関係ない。量産される一点ものというジャンルだってある。そうした商品はやはり訴求力に欠ける。競争力を高めるために、技術は一流でも、生産性重視のあまり柄に新鮮味のない手間のかからないものを選んであったり、柄付けの面積が小さかったりする。
そうした中途半端なものでも、数十万するのだ。売り方にも華やかさはない。演技もしない。どこに出しても恥ずかしくない商品ではあるが、積極的に欲しくはならない。そうした商社はもう姿を見せなくなってしまう。
その存在自体が無くなってしまったのかもしれない。それはわからないが、無くなったと言われても十分に納得できるのだ。むしろ、そのようなやり方で今まで続けてこられたのが不思議なくらいだ。業界自体が、破滅に向かいながら、そこに必死でしがみつく者も、自らの首を絞めながら進んでいたのだから。そして、私たちの仕事はそこへ顧客を連れてゆくことだ。首に縄をかけた人のもとに。さながら、断末魔の饗宴とも呼べるような雰囲気の中、常に感じる終末感、そうしたものとも戦っていた。何かの終わりを、傍観者としてではなく、内部から見るというのは、なかなかつらいものだ。
自分の努力なぞ、或いは小細工なぞ、悪あがきなぞ、焼け石に水だから、チュンといったらそれでおしまいなのだ。その前後で変わるものは何もない。そういえば、社長はこのようなことも言っていた。
森の中で火事になり、山火事を消すために小鳥が羽ばたき風を送る。
それは傍から見ると滑稽だし、無駄な行為に違いない。
しかし、そうせざるを得ないとき、逃げるわけにはいかない。穏やかにそう語る彼は全て分かっていたのだ。小鳥は無力だ。状況は何も変わらず、燃え尽きてしまうだろう。
先を見れば暗くなる。手元足元に集中すべきだ。出来ることをするのだ。
研修はそうした渦に放り込まれる前の洗礼とも言うべきものである。
だが、ここは所詮、出来レースだ。現実の厳しさからは離れた、ごっこの世界なのだ。
もちろんたとえ渦中に入ったところで、末端の社員ごときにかかる責任なんて、軽いものだ。その軽さと比べても、まだ軽いというのがこの研修である。だから、喉が切れて血をにじませながら、それでも大声を上げざるを得ないことも、一時間しか寝ることが出来なくて頭がぼーっとした状態で座学を受けざるを得ないことも、何か不慮のミスがあるとすかさず大声で叱責されて反省させられることも、(ちなみにこれは、追放というシステムだ、追放されるとプログラムは停止する。研修の時間は決められていて、その時間内に全ての課題をクリアしなければならないが、追放中はそれが出来ないのだ。追放中は反省文とその改善案を考えなければならない。それが合格なら、追放は解除される。ちなみに私は部屋でパンツを干していて追放された。
我ながらいいネタを提供してしまったものだが、これに関しては笑えない。今でも腹が立つ。もちろん、自分にではない、そのことに関して取ってつけたような説教をする、うわべは取り繕っているが、内心楽しそうな奴らに対してだ)
そうしたことは皆遊びの範囲に過ぎない。生産的なのは、指導者だけで、やらされているほうは消費するだけだからだ。それに付き合って、時間を過ごすのは無駄だが、少なくともその無駄な遊びを楽しむのには本気を出すことである。あくまでも仲間が大切だというなら、他の誰よりも、一番私が仲間の事を大切に思っていると思われること、それがこの遊びの勝者なのだ。ただ、ちまちまと小さな演技を積み重ねるのは、精神上悪い。どこかで大きく勝負できればそれが一番いい。その機会がくればいいがと思いながら、研修をこなしていた。仲間なんてくそくらえ、だが、その怒りを転嫁するものが必要だ。本心ではくそくらえと感じているものを、さも大切なように演技する。この演技に全身で取り組むことが、怒りの転嫁に役立つのだ。何かに腹が立つときは、別の何かに本気で取り組むべし。これが一番だ。集中して、疲れ切って、忘れてしまえれば、それが最高なのだが。
ところで、仲間というか人間関係では、嘘が重要な要素になる。他人と常に本心で付き合うというのは、土台無理な話で、興味のない話に無理して付き合ったり、賛同できない意見に相槌を打ってみたり、笑えない冗句をおかしそうに笑ってみたりする。これはとても疲れる行為だ。出来れば誰もがやりたくない行為であって、営業の仕事というのはこうした行為が主な作業なのだが、得てして営業の仕事が高給であるのは、こういったことの代償という意味合いががあるから、なのかもしれない。営業マンというのは、多くが勘違いされていて、ペラペラと口から先に生まれたようにしゃべるのが仕事のように思われているが、そうではない。顧客の欲しいものを欲しい時に提案するというのが、一番の仕事なのだ。そのためにはむしろ、しゃべることよりも聞くことの方が大事だ。顧客にはできるだけ話をさせて、それを聞く。それが先程の興味のない話に無理して付き合ったり、というような行為を挟みながら聞く事になるのだ。
問題は、顧客が自分の事、あるいは自分が認識していると勘違いしているものをよくわかっていないという事で、多くの人がそうなのだが、誰しも自分の欲しいものが何かという事を、常日頃意識して、理解しているわけではない。流行歌にもあるように、さえないと常日頃思っていた女性が、プールサイドでは輝いて見えるという、実に間の抜けたことだが、それは案外潜在的なもので、時には思いがけないものを好きになって、自分に驚いたりする。それを共に探りながら、話を進めてゆかなければならないのだ。
これは時間のかかる、とても回りくどい行為である。忍耐に優れた人間でないとなかなか務まらない。その上、営業マンを目の前にすると、売り込まれたくない一心で顧客というのは嘘をつくものだ。この嘘は他人に対することでもあり、自分に対することでもある。それを鎧の様にして、意識的に纏う嘘もあれば、自分で自分のことが分かっていなくて、無意識に発しられてはいるが、結果的に嘘になってしまう嘘もある。営業も顧客も何もわかっていない。自分の事すらもわかっていない。という金言はけだし名言である。
だから、かえって無口で聴き上手な人間が出来る営業になることが多い。話すのは聞かれたことに関して答えるくらいが関の山で、それも長くは話さない。端的に短い文言で答えるのみだ。
誰もが理解できる、簡単な言葉で、短くわかりやすく答える、或いは説明する。これが理想的なしゃべり方だ。顧客のする興味のない長話を聞いて、営業が疲れてしまうように、営業のする興味のない長話で顧客もまた疲れてしまうのだ。
そうした疲れを見せてはいけない。これが人間関係における、行動の嘘だ。
その嘘を研修中では付き続ける。合宿ともなれば、休む暇がない。大切な仲間の話を、本心のままに、うんざりとやり過ごすわけにはいかないからだ。そう言っていても、時間は過ぎるものだ。合宿もその例にもれず、終わりとなる。今まで、ほとんどの人間がクリアした長文の暗記も、大声でそれを伝えることも、全員がクリアする。自分たちの合宿が終わってもまだ、研修は続くが、先輩たちは研修を終えて、配属され、代わりに後輩が入ってくる。私たちは先輩と呼ばれる存在になる。今まで、おどおどしていた同僚が急に偉そうになる。理不尽に威圧的になる。
今まで、そうされていたからなのだが、それをそのまま引き継ぐ。ばかばかしい限りだ。
新入社員に対する最初の洗礼は、私たちによる朝礼のデモンストレーションである。
朝礼は全てが大声で行われ、その動作も順番もすべて厳格に決められている。誰かが間違うと全員の罵声がとび、ピリピリした緊張感をもって行われる。その朝礼には、あの訓示も含まれており、この朝礼なしには一日が始まらないことを思えば、やはり次の日に訓示を憶えてきますというのは、正解だったわけだ。この朝礼を見るまでは、礼儀正しく、優しく扱われていて少し油断した気分の新人たちはこれで気持ちを改めるという仕掛けになっている。かなりブラックだといううわさを聞いて、それでも給料の良さから入社した連中は、当初の常識的以上の丁寧な扱いによって、もしかしたらここはブラックではないのかもしれないという油断を持つに至るが、この朝礼以降は、やはりブラックだなあという落胆に、一気に落とされる瞬間でもある。そうしておいて、新人における朝礼の研修はいわゆる先輩社員によってなされるのだが、この指導がまた、とても威圧的なのである。少しでも間違えると、罵声の集中砲火である。ただでさえ、異様な目をもって観察され、その間違いを指摘してやろうと待ち構えている連中に対して気持ちが平静ではないにもかかわらず、間違えて、舞い上がっているところに、罵声を浴びれば、たいていの人間は泡を食ってしまう。「やり直せ!」とこれまた恫喝的に言われたところで、頭の働きも体の働きもまともではない。あたふたと同じ過ちを繰り返してしまって、さらなる恫喝の言葉を呼び込んでしまう。そのあとは延々とこれが繰り返されるのだ。先輩たちは、大声で「違う!」と「やり直せ!」を繰り返すだけだ。これは決していいコーチングとは言えない。そのスタイルは私たちもまたその先輩たちから受け継いだのだが、こうしたバカげた連鎖はこの辺りで断ち切るべきだ。
「ちょっと待て」と、私は言った。後輩にではない。罵声を浴びせる同僚たちに対してだ。私はこの期のリーダーである。ありがたいことに多少なりとも、言葉に重みはある。同僚たちはそれで静かになる。
「少し落ち着け。俺が今から見本を見せるから、それを繰り返してくれ」
私はゆっくりと見本を見せる。
声を上げる事、手を上げる事、そうした動作に独特な順番があるのだ。この順番が入れ替わるだけで、全体の動きや意味合いには別に支障は生じない。そういった事ゆえに余計に間違えるのだ。そしてそれを指摘されても、何処が間違っているのかわからない。分からないから余計にパニックになる。
そういう事だ。
無意味な朝礼に無意味な罵倒。実際に営業に回るとこの朝礼は、まるで形骸化されて、たまに余興として行われるようなその程度の存在になるが、この研修においては、重要な位置を占める。クリアすべき障害、課題としての位置だ。だから本人も必死なのだ。その必死を悪い方へ、つまり焦りへともっていこうとするこの罵倒だが、いったん落ち着いてみれば、なんてことはない。何も、核ミサイルを阻止するとか、潜入捜査で悪の巣窟に潜り込むとか、オリンピックで金メダルを取るとか、そういう事ではないのだ。単に声を上げて、手も上げる、その順番を正しくやるという事だけなのだ。人間はその能力以上の課題にぶち当たることはないというのは、この会社の数ある金言の中の一つでもある。逆に言うと、出来るから、課題として成り立っているのであって、出来ないことは最初から課せられないのだ。だが、出来ることを、それも、簡単に出来ることを、大げさに考えすぎて、やる前から諦めてしまう。或いは、大げさに考えすぎて、緊張のあまり出来なくなってしまう。そういったことは現実の社会では多く発生するのだが、やってみれば大したことはないと、それを体感するための研修なので、あえて簡単なことを難しく持っていこうとする罵声にも意味はあると言えたのだが、後輩は無様で可哀そうだし、同僚はバカに見えて、これもまたある意味可哀そうだし、研修の意図からは外れるかもしれないが、この舞い上がった雰囲気を、鎮静化させたのだった。落ち着いてやれば、簡単にできる。先程迄のエネルギーは何だったのだろうと、あれは空回りもいい所だったと、同僚たちも気づいたようで、その後こうした罵声は鳴りを潜めた。殺伐とした研修は、和やかになって、いい雰囲気となってきた。私自身も居心地がよかった。他人をコントロールできる限りにおいては、居心地がいいのだ。子供時代のあの環境、私以外は全て年下で、自分は勝手気まま出来る状態を、それが再現できるというのが私にとっては理想の人間関係だった。
仲間というのは対等である。対等の付き合いは、対等の付き合いが可能な人間にのみ許されることなのだが、そうしたことはあまりない。しかしそのことにおける問題点は私自身にある。誰しも、優れた点というのはあるものだ。そこに特化すれば、誰とも対等に付き合えるはずなのだが、そのためにはその個人に対して理解を深めなければならない、しかしそれは時間がかかるのだ。面倒なので、理解を深めるというプロセスは省略され、殆どが直観によって判断、区分けされるという事になる。その結果、殆どの人間が、対等のレベルから零れ落ちてしまう。優れた点というのはあふれ出るくらいでないといけない、というのが私の言い分だ。私は往々にして、エラそうな物言いをするとか、上から目線で物を言うとか、そういったことを頻繁に言われるのだが、仕方ないではないか、私のほうが優れているのだし、そうした思いを隠して、心にもなくへりくだったりするのはかえって失礼だろう。そうして、対等に付き合える少数派の人間がえらばれるわけなのだが、その判断を下される人間というのは、だいたいが濃厚な癖を持つ人間なのであって、そうした人間は付き合いを重ねると、あまりにくどくて、そのうち飽きてしまう。結果として、私には仲間がいないと、こういうわけだ。
こうした居心地のいい環境で研修は滞りなく進み、今度は後輩たちが例の合宿に行くこととなった。実は私たちの期ではこの合宿中に脱落者が一人出ているのだ。こんな事を強いる会社はとても耐えられないという事で、或いは課題をクリアすることは自分には無理だという理由で、我々としては一応引き留めたのだが、彼の決心は固く、まあどのみち、研修が終わって配属されたとしても続かなかったかもしれないが、あえなく退社という次第になったのだ。一方で、後輩たちは我々の期とは違い余裕をもって研修を過ごしているように見えた。あの罵声スタイルをやめたからなのか、元々余裕がある連中だったのか、見ている我々に余裕があるからなのか、それはわからない。ただ、後輩たちの合宿が近づくと、我々の話題は自然と後輩たちから脱落者が出るのか否か、出るとしたら、それは誰なのかという事に集約されるようになる。
同僚たちはひそひそと声を潜めて、あいつは大丈夫かなあとか、誰それはヤバいとか、そんなことばかり話している。
眉をひそめて、表情を曇らせ、絞り出すように会話する彼ら。
人の心配している場合かと、あいつらのほうがよっぽどしっかりしていると、私は思いながら、それを観察している。
しかし、これが、こういうのが仲間スタイルなのだ。なるほど。こんな会話自体は、競馬の予想と変わりはない。物事はひそひそ話では変わらない。ただの余興に過ぎないが、先ずはここからという事なのだろう。秘めたる思いがあふれ出るという意味での、そこからの、絞り出すような会話につながるという事だ。しかし、脱落者を心配する先輩という構図、これは悪くない。仲間スタイルの表明としては、わかりやすくていい。問題は、いつそれを表に表すかだ。ひそひそ話をする気はない。相手に直接伝えるべきだろう。しかも効果的に、劇的に、しかるべき人の前で。
というわけで、機をうかがっていたが、いい機会に恵まれることになった。それは、後輩たちの合宿に乱入する、あの先輩と後輩の交流会である。
機会を得てからというもの、私の頭はそのときにどういう風に言えば、最も効果的に後輩たちを心配する先輩を演じられるのか、という事でいっぱいになっていた。営業としては基本中の基本だが、人間が最も心地よく聞こえるものは、自分の名前なのである。その他大勢ではない、個人としての一人しかいない自分を識別する言葉だ。
だから、営業はお客様の事をお客様などと呼んではいけない。名前で呼ぶべきなのだ。
ラジオのⅮJが皆さんと呼びかけずに、ラジオの前のあなたにお届けします、というのと似ている。そのラジオから自分の名前を呼ばれれば、なんとなくうれしい。あの感覚である。だから、この場では一人一人の名前を呼ぶべきだ。
名前を呼びながら、一人一人の顔を見る。
あとの言葉は、余計な物に過ぎない。なんでもいいし、無くたって構わない。大切なのは自分の名前が大声で叫ばれることだ。顔を見た瞬間に一対一であることだ。決して、先輩の集団と後輩全体という事ではなく、一人の先輩と後輩全体という事でもなく、個人と個人の場をその瞬間に作り出すことだ。実を言うとこれはある実体験に元付くものだ。
以前新卒で入社した会社に居た出来る上司と定評のある部長が実践していたテクニックなのだ。
彼には数百人と部下が居る。仕事の指示を出すのは直近の部下だけで、その他大勢の部下には仕事の話はしない。その代り必ず、名前を付けて挨拶をするのだ。
「〇〇君おはよう」といった具合だ。それを初対面であっても必ず先手を取って、相手が新卒であろうが誰であろうが、それをやるのである。もうそれだけでその人のファンになってしまう。自分もこの人から仕事の指示を受けたい、受けられるようになりたいと、思ってしまうのだ。これが挨拶だけではいけない。自分の名前を知ってくれているという事が大切で、それを実際に呼ばれることで一層その感は増すのだ。
ともあれ、我々の時には先輩連中は確かににぎやかに乱入してきたが、それは集団対集団の交流であった。数を頼んで、勢いで盛り上げようという魂胆である。ワイワイ言うだけで、後はスキンシップで、まあそれも大事だが、誰も後輩たちの名前など知らないかのように、名前で呼び合うという事はあまり行われずにいた。実際には全員が全員を把握していたとは思えないし、逆にこちらもそうだったが、ともあれ、印象としては散漫な感じだった。上滑りといってもいい。いや、感動していた連中もいたのだから、そればかりでもなかっただろうが、所詮企まれたプログラムの一部だ、やらされ感は隠せない。そういう事だけは避けたい。プログラムには過ぎなくとも、自主的なものを盛り込みたい。その演出には、例の大声が役に立つだろう。
あの、何もかも震わせる超音波のような必殺の大声だ。これは迫力がある。ちなみにこの大声研修は説得力と呼ばれている。気持ちを伝えるという事にかけては、これに勝るものはないと信じられている。必死の一言というやつだ。必ずしも大声である必要はないのだが、形から入って、少なくとも大声は必死の状態なので、必死の一言とはどういうことなのか、という事を会得するという方法をとっていた。そして気持ちを伝えることこそが人を動かす最良の説得方法なのだと言われている。それは、カーネギーの「人を動かす」に書かれている通りだ。だから、大声研修は説得力と呼ばれているのだった。
その大声を使う。そして、必死の一言を使う。形としては大声だが、まだまだその方法を取らずして、必死の一言を発するところまではいってないので、結果として大声にならざるを得ないが、まあ、これは良いだろう。何しろ私の得意分野だから、さぞかし効果的だろうと思う。
ただ、それだけでは力不足だ。何か、それ以外にも、迫真の演技たるに相応しいものはないだろうかと考えていた。
さて、演技といえば俳優だろう。そうした人からヒントを得るに如くはない。
まずは名優といえばロバート・デニーロか。彼の様に、体重を落とし、心配のあまり食事ものどを通らない、そういう事を体で表す。これはまあ、却下。第一、日にちがない。三日くらいしかないのだ。三日くらい飲まず食わずでいたところで、かえってすっきりと健康になるかもしれないが、やつれた感じはしないだろうと、その時は思った。それに研修期間中は食事くらいしか楽しみもない。しかも教場は繁華街にあってうまいものはそこかしこにあった。この楽しみと引き換えるほどの事ではない。
ところで、三日間飲まず食わずでいる、というのは、後年になって、ファスティングという名前で大いにもてはやされた。まあ、食わずの方は問題ないとして、飲まずは無理なので、期間中は固形のものを採らないようにするというルールで行われる。この期間に胃腸が休むことが出来るため、体調がよくなるという事らしい。
また、飢餓状態がある程度続くと、免疫系が再新生されるという事らしく、免疫機能も強化されるという情報を得て、やってみたことがある。飲み物は、塩分が採れて、発酵食品でもあり、だったら身体にもいいだろうという事から、具のない味噌汁である。これだけを口にして、三日間を過ごす。まあ、確かに体重は減る。これは単に体の中に本来あるべき物、胃や腸の中に定常的に有るもの、或いはさまざまな場所で抱え込まれる水分などが無くなったという事に過ぎない。
毎日体重計に乗っていれば、体重というのは大体が排せつと密接な関係にあるという事が理解できる。出れば減るし、出なければ増える。それをして、本人が望むところのいわゆる体重が減る、イコール脂肪が減る、という状態だと勘違いしている人は多い。二キロくらいなら、十分に体の中に入っているものの変動に過ぎないと思ってもいいからだ。だから三日くらいでは、確かに体重は減るが、いわゆる痩せた状態にはならないので、やつれたとまではいかないのだ。だが、意に反して見栄えは極端に悪くはなる。それは肌が乾燥するからだ。唇などは顕著で、ガサガサになってしまう。つきたての餅は柔らかくて、つるりと綺麗で、きめが細かく、いわゆるもち肌であるが、乾燥するとガサガサになり、それが進行すると割れてくる。
あの感じである。
その餅をして、いつまでも柔らかい状態に保ちたければ、砂糖を入れる。砂糖には水分を保持する力があるのでということなのだが、糖質不足の身体が砂糖を添加していない餅のように成るのは、なんとなく合点がいくことである。
人間の細胞の一つ一つは糖で包まれているらしいから、こいつが三大栄養素の半分以上を占めるというのは、脳が大食いで、しかもある種の糖しか食べない我儘なグルメだという理由も含めて、当然の事なのだろう。
誰もがやらない急に出てきた新しい方法というのは、だいたいがこの程度の事なのだ。
あの糖質制限の提唱者であるアトキンスの悲惨で胡散臭い末路を見るまでもなく、にわかな流行り物というのは、あてにならないもので、免疫を上げたければ、睡眠を十分にとればいいし(同時に免疫系を下げたければ、そういう事があるかどうかは別にして、一日だけ睡眠をいつもの半分にすればいい、これだけで免疫系は壊滅状態だ)その上で、良質な睡眠をとるために睡眠時の体温を下げるようにする、つまりは寝る前には物を食べないという事で、これはものを食べると体温が上がるからなのだが、そういったことをすれば、夕食から朝食までの時間が十分に取れて、いわゆるこれは一日の中で食事をしない時間を決めて区切るインターミッテント・ファスティングと呼ばれるものになるらしいが、(ちなみに円盤とは違う方のアダムスキー型と呼ばれるダイエットも、これに類似した考え方だ。この場合は同一の食事の中で、それぞれのメニューの消化されるスピード所謂GI値を揃えるというものだが、面倒なことこの上ない)
ともかくそうすれば、胃腸も休まると、こういうわけだ。新奇なものは何もない。
健康に関する話題というのは常にこんな感じで、堂々巡りもいい所だ。
話が横にそれてしまったが、とにかくロバート・デニーロは却下だ。あとは名優といえば、ダニエル・デイ=ルイスだろう。オスカーは彼のほうが一個多いのだし、彼以上の俳優はオスカーを基準で言えば、居ないという事になる。まあ、ダニエルだって、ダイエットはしているし、モヒカン族になりきるために自ら狩猟やカヌー造りなどもしているし、身体が不自由な役では車いすで生活をしたそうだが、これらは役作りのための前準備であって、どうにも使えそうにない。
ダメか、と思っていたが、ここで思い出したのが、ゼア・ウィル・ビー・ブラッドのあの演技である。流れる涎をものともせず、台詞を言いきった、あの怪演だ。
これは使えるなあ、と思った。涎を流して、それ自体は風体のいいものではないが、それをものともしないという事が重要だ。それは見るものに強烈な印象をあたえることができるのではないか。スクリーンではなく、ライブなのだから効果倍増だ。
よし、この線で行こう。
私はこういうわけで、後輩たち一人一人の名前を叫んでいた。涎は期せずして勝手に出てきてくれた。後ろの方で何かがびりびりと震えていた。後輩たちの目は赤く充血している。感動のあまりというのは少し言い過ぎかもしれない。寝不足なのだろう。しかしその表情には、演者である私をして、十分に満足させてくれる何かがある。後輩の一人と、その視線の先に研修主任が重なった時には、彼に気取られないようにそっと彼の表情を盗み見た。彼は少し上を見ながら、感に堪えないというような表情をしている。
成功だった。これで研修の目的は達したと言えよう。
この会社には私は十年ほど在籍した。他の会社もだいたい十年ほどで、次の会社に移っている。どうも十年というのは厄という事らしい。
仕事に慣れ、気が緩んで、我儘になり、油断が生じてくる。その上で、してはいけないこともしたりする。私の中には、自分なりのルールというものが確固としてある。それには忠実なのだが、どうやら社会のルールとは折り合いがあまり良くないようだ。分かってはいるが、自分が優先で、社会の方は軽視されがちとなる。しかし、新鮮な環境では、自分のルールというのは、鳴りを潜めていることが多いものだ。
そのままずっと大人しくしていてくれればいいのだが、十年もたつとこれが大手を振って表に出てくる。そういう次第で十年ほどの在籍となるわけなのだが、この会社は私がどれほど自分のルールを通そうが、見ていてくれる会社だった。もちろんその時はかなり怒られてしまうが、中には「思った通りにしてみろ」と言ってくれるような人もいたりして、厳しい状況の中で、理不尽なことも多かったのだが、尊敬できる人も多く、そのあと勤めた全国規模の大会社では、どいつもこいつも上から下まで屑ばっかりで、(ルンバ以下という事だ)尊敬できる人が次々と辞めていったことを思えば、その意味では居心地は良かったのだ。思えば居心地がいいと言うのは、目的主義だったし(成果主義ではない)逆を言えば、居て腹立たしいのは、経過主義とも言えるのだろう。安定した大所帯というのは保身が仕事のようだったし、なりふり構わざるを得ない状況下では、目的こそが全てなのだ。保身はより個人主義で、自己中心的で、我儘な私とは相性がよさそうだが、これは案外両立しない。保身というものは弱者の自己防衛であり、私の強烈な自己肯定感は、そうしたものを全く必要としないのだ。
まあ、これもまた私が一つ所に落ち着けない理由の一つでもあるが。
だが、その居心地のいい会社は、残念ながら、時代の流れに押し流されてしまった。この流れというのは決して清流などではなく、ありとあらゆるものが流れてくる濁流であった。異臭を放つ汚物に、先のとがった残骸、或いは先人たちの躯など、そういったものが流れてくるたびに、傷つきながらも踏ん張って押し返し、とことん工夫し、ある時はただ単に耐え、というところであったのだが、先頭に立って、その体を張り、流れを押さえていた社長もろともに流されてしまった。そうした時にはあっけないものだ。維持は相当な苦労を要するが、破壊はいとも容易く、一瞬なのである。最後には派手な建物だけがその醜悪な姿をさらして、駅前に残ったが、その中身は、もとより何もなかったかのように、何もかもが消え去ってしまった。
後年勤めた屑だらけの会社が全国展開を成し遂げた後も、大いに繁栄したことを思えば、皮肉なものだが、人に愛される人が成功するわけではないし、同様に能力のある人が成功するわけでもないという事実は誰しもが体験する、ごく普遍のことなのだろう。そうしたことは珍しい事でも何でもなく、砂の数ほど事例があり、今回の事もまたその砂の一粒に過ぎないと、こういうわけなのだ。
負けるとわかっている試合に敢えて臨むかつてのチャンピオンは滑稽か、損だろうか、賢くないか。
絶頂期で辞めたら良かったのか。
負け試合は意味がなかったのか。
ある人にとっては、それは迷惑以外の何物でもなかっただろう。無理を通して、引っ込んだ道理もあったろう。
取りつかれた執念に振り回されて、それが理解できないことも多かったろう。
中途半端な希望だけを与えられて、それがあっけなく潰えた時には、かえって失望を大きくした事だろう。
順調な時ほど、人は集まってくるものだ、それは大きなことをやるからであり、大きなことをしようとしているからであり、そうしたことは一人ではできないから、だからやはり、仲間はそうした時には必要なのだ。
仲間が大切というのはそういう事だ。
仲間が要らないというのは、そうした意味で順調ではないという事だ。大きなことをしていないのだ。
こぢんまりと生きて、大事を無さず、無為に過ごして、という事であれば、仲間なぞ要らない。一人で十分だ。
どちらがどうだと言っているわけではない。
牛の背に乗って、独りで生きた昔の中国の賢人は、無為自然、足るを知る、と言った。
それもいい。人生は長いのだから、色々な味わいで楽しめたほうがいい。
しかし確かに言えるのは、順調であろうと願っている時に、つまり己の欲望に素直でいるときに、そのような一時期を経験してみてもいいと思うのだが、仲間が要らないなどと考えるのは間違っているという事なのだ。
だが、そんな間違った人間にすら、手を差し伸べる、おせっかいな連中が居たことは確かだ。大きなお世話だし、その時は迷惑にしか感じられないものだ。
しかし、そんなことに気が付くのは大概がみんな居なくなってしまった後だ。
そもそも、奴らがどこで何をしてようが私にはどうでもいいことだったはずだ。
会ってみたい気分にもならないし、どこか遠くに居て、笑ったり、怒ったり、はたまたボケっとしたり、また誰かにおせっかいを焼いたりしているのだろうか?と時々思い出すくらいが丁度いいのだ。
それがもう存在しないとなると、どうも話は違ってくる。同じようだが同じではない。
計算が合わないとはこのことだ。悔しくもあり、この悔しさは自分から出ているという事が余計に腹立たしかったりもする。
出来る事ならば、その遺灰をつかんで、投げつけてやりたい。
了