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レティシアは、女神達から何故か崇拝される。

 その日の夜も、クラウスはやはりヘレンの元から帰って来なかった。行き先さえ言わず、今回はいつ戻るとも分からないので、レティシアはただ彼の帰りを待つしかない。

 食事をとる気も起きず、入浴を済ませて夜着に着替えたが、寝室に行ったところで一人であり、足が重くなる。幸いにして、月が明るい夜で、レティシアは庭先に出た。

 中庭の一角に置かれた椅子に座って、満月の美しい空を見上げる。傍らには変わらずワルキューレの女達が控え、またレティシアの身の回りの世話をするために、侍女達も傍らに立っている。職務に徹する彼女達が無駄口は好まない事は分かっていたので、レティシアも静寂に身を預ける。

 レティシアは昔から、良く月夜を好んで見上げていた。いつも変わらぬ穏やかな光は、優しく包み込んでくれるからだ。

「・・・・レティシア様、新しく淹れ直しましょうか?」

 か細い女性の声に我に返ったレティシアは、傍らに侍女の一人が立っている事に気が付いた。細身で、鳶色の大きな瞳をした、美しい侍女だ。控えめながらもそう申し出た侍女に、他の侍女が窘めた。

「これ、差し出た真似を。申し訳ありません、レティシア様。何分、新参の者ですので、お許しください。」

「ううん、ありがとう。セレーネ。折角淹れてくれたのに、飲まないと勿体無いね。」

 ぼんやりと空を見ていた所為で、侍女達が淹れたお茶の湯気がすっかり見えなくなっている事に気付く。口を付けると、冷めてしまっても十分に美味しくて、彼女達が心を砕いてくれているのが分かる。

 ただ、セレーネは目を丸くして、

「わ、わたくしの名前を覚えていて下さったのですか?」

「え?うん。勿論。お世話になっているし、覚えないと失礼でしょう?」

 レティシアは昔から人の名前と顔を覚えるのが得意だ。マリアから紹介されるときに、彼女達は一度名乗って貰ったし、宮殿では何かと世話を焼いてくれるから顔も覚えやすい。彼女達が互いに交わす会話から、名前も時々出てくるので、覚えるのは難しい事では無かった。

 ただ、侍女達にとっては意外であったらしく、整然としている彼女達の表情がどこか驚きを隠せないのに気づいた。

「何か、おかしい?ごめんね、私宮殿の作法とかに疎くて・・・。」

「いいえ!レティシア様のような御方に、名を覚えて頂くだけで光栄でございます!」

「えええ・・・・。」

 何でそこまで自分は持ち上げられるのか、レティシアはさっぱり分からない。目を白黒させているレティシアに、侍女頭を務めているアウローラが、微笑みを浮かべた。

「貴女様は、私どもにとって、特別な御方ですもの。」

「どうして・・・?」

「一つは勿論、若君がご寵愛になられているからですわ。若君からも、貴女様に何不自由無いようにと、言い使っております。」

「私はただの恋人だし、元は人間なので、別に特別な者では無いんですが・・・。」

「人間であろうと、神族であろうと、私どもには関係ありませんわ。」

 アウローラはきっぱりと言い切り、レティシアは息を呑む。

「貴女様が、若君にとって唯一無二の御方であるということに、何も変わりはありませんもの。」

「・・・・・ありがとう。」

 レティシアは恥ずかしかった。人間であった事を恥じている訳では無かったが、オゼ達神族に散々卑下されて、苦しい思いをした事が邪魔をしてしまう。神族が全員そうでは無いと頭で分かっていても、つい口に出してしまうのは、どこかまだ遠慮があるのだ。

 だから、明確に口にしてくれたアウローラに、レティシアは嬉しくて微笑んだ。

 すると、他の侍女達も意を決したように口を開いた。

「そうですわ。自信をお持ちになって下さい。あのクラウス様がご寵愛なんて、奇跡なのですから!」

「若様はレティシア様の事を常に気に掛けていらっしゃいます!」

「少しでもレティシア様の事で不手際があると、若様は大層お怒りになられるのです!」

「私どもの事など、気にも留めなかったあの若様が、レティシア様がいらっしゃってから、誉めて下さるのです!」

 レティシアは視線を彷徨わせ、

「ええと・・・それは誉めて貰っているのだろうか。クラウスがどうしようもない男にしか聞こえないんだが。」

と言うと、流石に侍女達もうっと詰まり、頬を赤らめる。

 アウローラは苦笑して、

「若様は孤高の方でしたから。御両親以外には一切御心の内を見せない御方でした。神界でも随一の神力を持つ奇才であるが故でしょう」

「・・・持て余していたのかな。」

「そうかもしれません。ご自分の御力を振るう場所を見出せてはいらっしゃらないご様子でした。戦場に出ても、誰も敵わないので、直ぐに飽きてしまわれるのです。何をしていてもつまらないと言わんばかりでしたよ。それなのに、若様は貴女様の事には何事にも懸命です。」

 アウローラは、侍女達の中でも古参であり、マリアに仕えていて長い。だからこそ、マリアが息子の事で何を悩んでいたかも知っていたし、クラウスがどう成長してきたかも見つめて来たのだ。

 だからこそ、クラウスが伴って連れて来たこの女性が、いかに稀有であるか、分かる。クラウスの不在が続き、思い悩んでいる様子の彼女を、他の侍女達も随分心配していたし、かといって職務上下手に声を掛けていいものかと踏みとどまってしまっていた事もあった。

 だが、レティシアの表情が少しずつ明るくなっているのを見て、間違っていないのだと、更に続けた。

「若様のご不在が続いてお寂しいのでしたら、戻って来られたら十分に甘えられませ。若様はとても敏い御方ですが、言葉に出して頂くと、もっと喜ばれると思いますわ。」

 恋の指南さえも始めた侍女頭に、レティシアは顔を真っ赤にして、

「そういうもの・・・なのだろうか?」

「勿論ですわ!」

 これには侍女達が一斉に同意する。レティシアは耳まで赤くなり、

「でも、なんだか・・・恥ずかしいな。私はこの年になるまで、その・・・恋などした事が無かったから・・・。」

 すると、侍女達がきゃあっと黄色い声を上げて、

「初めての殿方が、若様なのですか!?それは、大変ですわね!」

「な、なにが?」

「だって、閨事にとても長けた御方ですから!」

「ああ、うん・・・・」

 レティシアはもう許して欲しいと思ったが、侍女達は一度火が付くと冷めない質らしい。

「宜しければ、お二人の馴れ初めをお聞かせくださいませ!人界ではどうお過ごしになられていたのですか!?」

「えええ・・・・・。」

「だって、獣人たちが皆聞いたと自慢しておりましたわ!私どもがどれ程悔しい思いをしたことか!」

 何故そんな所で競うんだと思ったが、普段は澄ましている侍女達が屈託のない表情で話しかけてきてくれるのが嬉しくて、レティシアの顔も綻んだ。

 結局、クラウスとの馴れ初めだけでなく、神界に来るまでの経緯を話すことにもなったのだが、侍女達はとても聞き上手で、レティシアは彼との事だけではなく、人界で過ごしてきた他愛の無い事も話したりした。

 彼女達が人間を見下していないという事も大きかった。人と神との価値観の違いや生活の違いなど、彼女達はとても熱心に聞いてくれた。そして、逆にレティシアが彼女達の事を聞いてみても、素直に答えてくれるので、話はいつまでも続いた。 

 ワルキューレの女達は、盛り上がる女性陣達から一歩離れて、変わらず粛々と控え、周囲への警戒を怠らなかったが、楽しそうなレティシアを時々見て、安堵したように顔を綻ばせた。

 そこに、一人不在であったロディーナがやって来て、目を見張った。

「何だ、随分楽しそうだな。」

 笑い声が絶えない庭先は、まるで昼間のように明るい。遠く離れた廊下からも聞こえるくらいで、通りがかった宮仕えの侍女達が、彼女たちを羨ましそうに見ていたものである。

 侍女頭のアウローラがやって来て、微笑んだ。

「レティシア様が色々ご自分の事をお話し下さっているの。とても気さくな御方ね。」

「・・・ふむ。私達ではお慰めにならないかと思って、連れて来たんだが、要らなかったかな。」

 ロディーナは彼女なりに気落ちしているレティシアを慰めようと思っていたのだが、如何せん、無骨な武人である自覚のある彼女はうまい言葉が見つからない。そこで、呑気に音の外れた鼻歌を歌っていた兎と耳をふさいでいた猫を捕まえて来たのだが、不要であったらしい。

「ふぇええええんっ!」

「は、離してくださいい・・・・。」

 情けない声を出しているのは勿論ミディールとリルである。リルがロディーナに捕まったのを見て、慌てて駆けつけて来たミディールまでも一緒に襟首を掴まれてぶら下がっている。

 だが、ロディーナは彼らの抗議などまるで無視である。

「何にせよ、お元気になられて良かった。あの御方は笑っていた方が良い。」

「ええ、その通りですわ。落ち込まれる事なんて無いのですけれど、若様もまだ言いたくないというのだから、仕方がありませんわね。」

「しかし・・・若様のお帰りが遅いとは思わないか。ヘレン様の元に行かれたなら、もう戻って来られても良い頃だ。」

「そうですわね・・・・ゼウス様の宮までは結界がとても多いですけれど、ヘレン様の領内は少ないですし、移動にそこまで時間が掛かるとは思えませんけれど・・・。でも、ご夫妻は全く心配されておられませんね。」

 きっぱりと言い切ったアウローラに、ロディーナは強く頷いた。

「当たり前だ。あのクラウス様だぞ。神力で勝てる者などまずいない。」

「では、ご自分の意思で留まっていらっしゃる事になりますけれど。」

「・・・・・・・。ヘレン様の所にか?何の為に。」

「分かりませんわ。ヘレン様の元に行ける者など、限られておりますもの。」

 黙り込んでしまった両者であったが、ロディーナの手が緩んだこともあって、リルとミディールがやっと女傑の手から抜け出して、一目散にレティシアの元に逃げて行った。明らかにレティシアに甘えている獣人一族に、ロディーナは顔を顰めるも、

「愛玩動物なのだから、仕方がないか。」

と見逃した。

 一方、嬉々として駆け寄って来た二人に、レティシアも驚きつつも、歓迎した。

「どうしたの、二人とも。」

「ロディーナ様に捕まっ・・・呼ばれて、レティシア様が落ち込まれているようだから、お慰めして来いって言われたんです」

「怖かったですぅうう!」

 ミディールは取り繕ったが、リルなどしがみついて半泣きである。下級神にとって、上級神はあまりの力量差の為、ただ恐ろしいらしい。

 レティシアは苦笑して、侍女頭と共にやってきたロディーナに微笑んだ。

「ありがとう、ロディーナ。心配してくれたんだね。」

「少しでもお慰めになったのならば、捕獲してきた甲斐があります。」

 どうも小動物と間違えているらしい。耳を垂らして震えているリルを見ると、何とも庇護欲をそそられるので、分からないでもないのだが。

 レティシアが苦笑していると、幾分落ち着きを取り戻したリルが、意を決したように言った。

「あの・・・クラウス様は私にヘレン様の事を良く聞いていかれましたけれど・・・でも、直ぐには会えないという事も話をしたんです。」

「そうなの?」

「はい。ヘレン様はとても美しくて優しい御方なのですが、大層な男嫌いで有名な女神でいらっしゃいますので、殿方が会うのは至難の業なのです。公で会うには、他の四柱の許しを貰わねばなりません。その旨を説明いたしました。」

 周囲の《余計な事は言うな》という視線を浴び、慎重に言葉を選びつつではあったが、リルは真摯に話してくれた。レティシアはリルに礼を言い、だがちくりと胸も痛んだ。

「そっか・・・だから、ラウェルや父様の所に行ったんだね。」

「ラウェル様の所が一番手っ取り早いと仰っていましたから、一番先に行かれたのでは無いでしょうか。」

「・・・・やっぱり、あの人になるのね・・・・。」

 レティシアは頭を抱えたかった。会いたくない。当分顔も見たくない。だがクラウスの事が気になって仕方がなく、葛藤してしまう。

 そこに、ころころと喉を鳴らしながら、やって来たのはマリアである。

「レティシア、クラウスの事がそんなに気になるの?」

「は、はい・・・。心配ないって・・・皆言ってくれるんですけれど・・・・。」

「寂しいのね?切ないのね?クラウスに可愛がって欲しいのね!?だって、貴女はクラウスが大好きですものね!?」

 前のめりになりそうな勢いで聞いてきたマリアに、レティシアは羞恥を堪えつつも、小さく頷くと、マリアはもう心底嬉しそうに微笑む。

「ああ、もうクラウスなんて、しばらく帰って来なくて良いわ!」

「良くないです!」

 半泣きでつい答えてしまったレティシアは、真っ赤になってしまう。周囲の女達の生暖かい視線に、何だかとても恥ずかしい。

 マリアはくすくすと笑って、あまり苛めるのも可哀そうだと思い直したのか、

「じゃあ、ラウェルを問い詰めてみましょうか。」

「え・・・・。」

「大丈夫よ。ここに呼べばいいし、わたくしも夫もいるし、ゼウスも居座る気満々だから、皆いるしね。」

 すると、ロディーナが心配そうに、

「宜しいのですか、奥様。」

「呼べば来るわよ、犬にもその位は出来るでしょ。」

 カイリの宮で、ラウェルの仇名は《犬》である。命名者は勿論クラウスだ。

「あの下種の事ではありません。クラウス様がお怒りになるのでは?」

「構わないわよ。これだけ手間取っているなら、待っていても同じよ。私たちの時と同じ手よ。」

「そうなのですか・・・・?」

「これ以上は聞かないで頂戴ね。貴女も、ソールといずれ行くかもしれないのだし。」

「冗談でもお止め下さい。何故あのような男と私が!」

 珍しく気色を変えて抗議したロディーナに、マリアはくすくすと笑うだけだった。

次話、またしても変態神族(犬)の登場です。

自業自得ですが、哀れです。

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