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クラウスの秘め事。

 獣人一族の地からカイリの宮に戻ると、マリアが嬉しそうに出迎えた。

「お帰りなさい。一緒にお茶をしようとも思って、夫と待っていたのよ。あら、ロディーナ、一匹連れて来たの?」

 レティシアとクラウスの後方に粛々と控えているロディーナが、相変わらず首根っこを捕まえている少年に、マリアは不思議そうだ。

「我らの下に付くと聞かされただけで、失神する腑抜けですので、根性を叩き直してやろうかと思いまして。」

「ああ、そう言う事。可愛がってあげなさいな。」

「御意。。」

 首を垂れて去っていくワルキューレ達に、レティシアがハラハラしているのが分かったのか、ソールが、

「・・・色々とあまりに気の毒なので、様子を見ています・・・。」

「お願いします!」

 ソールは大変強く頷いて、部下を伴って去っていった。その様子に、マリアはころころと喉を鳴らして、

「大丈夫よ、レティシア。ワルキューレは手加減の仕方も良く分かっているから、殺すまではしないわ。」

「そ、そうですか・・・でも、マリア様。わたしの護衛に付けて下さったと聞きましたが、本当に良いのですか?」

「勿論よ。あの子達は、元々はわたくしの直属の部下達だったのだけれど、クラウスが産まれた時に、厳選して鍛え上げたの。いつかクラウスの伴侶になる子の傍仕えが出来るようにね。貴女の命令は絶対よ、レティシア。」

「ご迷惑を掛けないように、気を付けます。」

「あら、そんな事を気にしなくて良いのに。貴女は本当に謙虚ねえ。さ、行きましょ。」

 レティシアを促したマリアであったが、怪訝な顔をしてクラウスを見返した。

「なあに?黙り込んじゃって。」

「・・・・・・母上、しばらくレティシアを任せて良いか。」

「構わないけど、どうして?」

「ラウェルの所に行って来る。」

「あら、まだ殺し足りないの?放っておきなさいよ、いつでも出来るわ。レティシアだって折角戻ってこられたばかりなのに、心細いわ。ふらふらするんじゃないわよ。」

「・・・・っ。それは、分かってる。」

 苦々し気なクラウスに、レティシアは微笑んだ。

「気を遣わなくていい。用事があるんだろう?私はお茶を頂いているから、大丈夫だ。気を付けて行って来て。」

「・・・・・・・・・。悪いな、直ぐ帰るが、一人にはなるな。両親から離れる時は、ワルキューレを傍に置け。」

「分かった。」

 クラウスはレティシアの頬にキスを落とすと、あっという間に姿を消してしまった。見送ったレティシアに、マリアは明らかに不満そうに顔を顰め、

「全くもう。何を考えているのよ。あんな男に何の用があるのかしら。」

「あの件がなければ、クラウスの友人ですし、用事を思い出したのかも知れませんよ。」

「まあ・・・ラウェルも、あの性癖が無ければ、気性は良い男なのよね。自分が手を出した女は、絶対に捨てないし、最後まで面倒を見るのよ。」

「そうなんですか?」

「そこはうちのクラウスに唯一見習わせてやりたかった所よ。あの子、飽きるのが早くてね。」

 クラウスは女を虐げはしない。だが、一度抱いた女は二度と抱かない事でも有名な男だった。飽きるのが早いのだ。どんなに女が懇願しても無駄で、冷徹に突き放す。一切触らせもしない。よくその点を非難するラウェルと口論していたものである。

 ラウェルはその逆で、あまり宜しくない嗜好を持っているのだが、手中にした女には意外に甲斐甲斐しい。彼が飽きて、女も別れたいとか帰りたいと言えば帰してやるし、その後の生活も保障していた。別れた女が窮して、ラウェルに助けを求めてきたら、絶対に見捨てない事でも知られている。

 なんと、彼の唯一誉められる行いである。無論、やっている事が酷いので、後ろ暗いと言うのもあるのだろうが、面倒見は良いのだ。最終的にそこに至るまでの過程があるので、彼は大多数の女に嫌われるのだが、その後に関しては、ラウェルの方が手厚く、評判が良いのは確かである。

 マリアは苦い顔をしつつ、レティシアを促して踵を返した。彼女にとっては何の気なしの発言であったが、レティシアの胸に、その一言は刺さった。

(・・・・飽きる・・・・。)

 レティシアにとって、クラウスは初恋の男だ。二十の年になるまで、恋などした事も無かった。

 三年前に母を亡くすまでは、小さな村の片隅にひっそりと住んでいた。ファレス神王国は神術が重宝される国であり、王都や国軍では重宝されるものだが、扱える者が数少ない事に加え、優秀な人材は王都に集まりやすい弊害で、田舎や地方ではあまり神術は使われることが無い。母のダーナは夫の知れぬ身で子を産んだ女と見下され、レティシアの髪色が珍しい色であった事も災いして、村人たちとは疎遠であった。

 母と子で精いっぱい生き、そして母を喪ってからは、身一つで生計を立てなければならなかったレティシアにとって、生きることに必死で、恋などしている暇もなかったのだ。

 だから、恋も知らなければ、失恋する事も知らない。

 ずっとクラウスの傍に居て、一緒に生きていくものだと思っていた。でも、よく考えれば、神族は長い時を生きるから、恋多き種でもある。一度に大勢の恋人を抱えても黙認される種族だ。クラウスのあの美貌と聡明さ、そして神族としての力量を見れば、多くの女神たちは彼を放っておかないだろう。

 もしも、クラウスが違う女性に心を奪われたらと思うと胸が苦しくなる一方で、命を賭けてまで自分との人生を選んでくれたクラウスを信じられないのかと叱咤したくなる。

「どうしたの?レティシア。」

 マリアの声に我に返り、レティシアは持っていたカップを落としそうになった。慌てて抑えて事なきを得て、テーブルに置いたものの、ソファーに向かい合わせでカイリとマリアが座って、心配そうに見返しているのに気づいて頬を染めた。いつの間にか夫妻の私室に着いて、お茶も頂いていたようだが、そこまで全く記憶が無い。完全に心あらずであった事を恥じ、夫妻に申し訳なくなる。

「ごめんなさい。少し・・・疲れたみたいで。」

 考えていた事を、とても彼の両親に話せるものでは無く、レティシアは曖昧に笑った。カイリは彼女を見返して、どこか同情的な目で見返して、

「そうだろう。部屋で少しお休み。」

「そうした方が良いわ。あの子が帰って来たら、きっちり言っておきますからね。」

 レティシアもただでさえ夫妻に失礼な態度を取ったため、これ以上は居たたまれず、お言葉に甘えることにした。マリアが、呼び鈴を鳴らして侍女を呼び寄せると、すぐさま先ほど別れたばかりのロディーナが部下を数人連れてやって来た。

「レティシアを少し休ませてあげて。疲れたみたい。」

「御意。参りましょう、レティシア様。」

 ロディーナ達に促され、レティシアは夫妻に一礼すると、自室に戻っていった。

 彼女を見送ったマリアは、扉が閉まると、憤然とした顔で、ソファーに座った。そして、苛立ちも露に、お茶を一気に飲み干す。妻の怒りが手に取るように分かるカイリは、触らぬ神にたたりなしとばかりに無言でお茶を啜ったが、顔は彼に珍しく顰め面になっていた。

「・・・・ええ、分かるわよ。引き離されて、あの子も寂しかったんでしょう。だから、その分思う存分甘えたはずよ。でも駄目よ、あれは!」

「・・・・・・ま、一理あるな。」

「ねえ、カイリ。わたくし、我慢してるわよね。一生懸命、堪えているのよ!?」

「分かっているよ。君も随分忍耐強くなったね。」

「でも、もう限界が来そうだわ・・・・。」

 黄金色の髪が怪し気にうねりだし、カイリは静かにお茶を飲み干すと、小さくため息を付いた。


 自室へと戻るレティシアであったが、足取りは重い。行き交う侍女達が、レティシアに気付くとすぐに、さっと脇へと退いて、頭を深く垂れるのも、まだ慣れなかった。

 ロディーナはレティシアの側方に付き、ワルキューレの女達はその周囲を囲むようにして歩く。カツカツと軍靴の音が静寂の包んだ廊下に響いたが、やがて止まった。

 レティシアの脚が止まったからだ。ロディーナが直ぐに、声を掛けた。

「どうされましたか。お辛いようでしたら、私が抱えて参りましょうか。」

「い、いえ。大丈夫です。少し、庭を見ていたくて。」

 真顔で言われて、頷けば本当にやりそうなところが何だか怖い。ロディーナは「分かりました。」と頷くと、部下達は心得たもので、さっと脇に寄り、廊下の先から見える庭先へと道を開き、自分達は膝を折って首を垂れる。一糸乱れぬ動きである。

 そこまでしなくて良いのに、というのがレティシアの率直な思いである。マリアはクラウスの将来の伴侶のためにと彼女達を鍛えたと言うが、自分は彼の恋人に過ぎない。

「ロディーナさ・・・ロディーナは、ずっとマリア様にお仕えしていたの?」

 敬称を付けかけてすかさず訂正されそうな空気に、慌てて言い直す。

「はい。カイリ様とご成婚される以前から、我らはお仕えさせて頂いていました。」

「そんなに前から・・・。クラウスが産まれた時に、選別されたと聞いたけれど、困惑しなかった?」

 ロディーナの表情は変わらなかったが、一瞬の躊躇が、彼女達の心情を表しているようにも思えた。

「・・・我らはカイリ様とマリア様のご指示に従うまでです。」

「そうだね。」

 レティシアは静かに微笑んで、庭先をぼんやりと見つめた。その横顔を黙って見つめていたロディーナが、逡巡したのち、口を開いた。

「差し出た真似をお許しください。レティシア様は、人界にいらっしゃる時には軍人でいらしたと、クラウス様から聞き及びましたが。」

「うん。私の母様が、国軍で神術士として生計を立てていたから、その伝手を頼った。三年くらいしかいなかったし、私が入隊した頃は戦乱も収まっていたから、大したことはしていないよ。どちらかと言うと、神術の研究に没頭していたかな。」

 ワルキューレの女達からしてみたら、また神々にしてみたら、まるで児戯に等しい事だろう。言うのも恥ずかしくなって、レティシアは言葉を噤んだ。ロディーナは詰ったりはしなかったが、口調はやはり淡々としたものだった。

「軍人にとって、規律はどこであろうとも重視されます。我らの動静も、ご理解いただけると思いますが。」

「・・・うん。ありがとう。」

 元軍人であるから、規律が如何に重視されるかも理解できるし、上官の命令の理不尽さに苦渋を覚えるのも分かっていた。レティシアは再び歩き出した。ワルキューレたちはやはり粛々と続いた。


 クラウスが両親の私室を訪れたのは、レティシアが立ち去ってから一時間程経った頃である。レティシアの神気がここには無い事はとうに気付いていたが、彼はあえて立ち寄った。

 戻って来たクラウスに、侍女がマリアが呼んでいる旨を伝えて来た事もあったし、彼自身両親に用事もあったからだ。

 ノックも無しに平然と入って来る息子に、夫妻は全く驚かない。だが、不躾な態度を取るクラウスの方が柳眉を潜めた。マリアの髪が怒りで蠢き、カイリも冷ややかな視線を向けて来たからだ。

「なんだよ。」

 どかっと無造作に開いていた長椅子に座った横柄な息子に、マリアが顔を引き攣らせた。

「お黙り、元凶が。」

「なに?」

「貴方が、レティシアと引き離されて、寂しがっていたのは重々承知よ。それどころか、半狂乱でしたからね。流石にわたくしも、貴方が一週間もレティシアを独り占めするのは見逃してあげたわ。その間に、十分甘えられたはずよ。でもね、加減と言うものがあるでしょう!神族の身体だと言うのにレティシアがまだ疲れ切っていて、本当に可哀想だったわ!あんたは馬鹿ね、馬鹿なのね!?この駄目息子!」

「・・・母上の言う事に一理ある。お前の愛情は少し重過ぎる。」

 珍しくたしなめるカイリに、クラウスは顔を顰め、

「レティシアが可愛すぎるんだよ。それに俺は寝室を出る前に、立てないって言うから、十分休ませたぞ。母上がぎゃんぎゃん煩くて疲れさせたんじゃないのか?」

「貴方に山のように文句を言いたいのを、これだけ我慢しているわたくしに向かって、何と言う事を言ってくれるのかしら?」

「どこがだよ。前より口煩い。いよいよ年か?」

 ぶちっと妻が切れると思ったのか、カイリが渋面を崩して、ため息を付いて、両者を宥めた。

「止めなさい。お前達が喧嘩をするのは何時もの事だから私は構わないが、今、レティシアが休んでいるのだろう?宮殿を壊して起こすんじゃない。可哀想だろう。」

 するとぴたっと口論を止めた二人に、カイリは満足して、

「それで、わざわざ彼女の元を離れてまで、あの愚か者に会いに行っていたのは何故だ?」

と尋ねた。クラウスもそもそもの要件を思い出して、懐から取り出したものを両親に見せた。それに視線を落としたカイリは笑みを深め、マリアもまた怒りを消した。


「レティシアには言うなよ。」


 そう念を押すクラウスに、彼の両親は無論快諾した。

 要件を済ませると、彼はそれを元通り懐に戻し、彼女の元に行くと言って部屋を出て行った。やがて、クラウスと交代したロディーナが部下達と共に戻って来て、マリアに首を垂れた。

「ご苦労様。レティシアは大丈夫そうかしら?」

「先ほどお休みになられました。クラウス様も起こす気はないそうですが、やはりレティシア様は随分お疲れのご様子ですね。あのように清楚で美しく、下々の者にも優しい御方ですから、若様が夢中になられるのも当然かとは思いますが・・・・少し加減をして差し上げたほうが良いのではないかと存じます。」

「やっぱりそう思うでしょ。あの馬鹿息子。」

 顔を顰めるマリアに、ロディーナはわずかばかり苦笑して、

「やはり、我らの行く末を定める時のカイリ様の決断は正しかったですね。」

と言った。カイリは目を細め、額を抑えて呻いているマリアに、微笑んだ。

「だろう?産まれた瞬間、私はあの子の目を見て、思ったんだよ。護る必要が一切ない子だと」

「・・・ええ、乳母を悉く蹴飛ばしてくれたから、軍人なら良いかと思ったわたくしが馬鹿だったわ。あの子に護衛何て最初からいらなかったものね。」

「英断です、旦那様、奥様。我らも同感でした。」


 ロディーナ以下、ワルキューレ達は、最初にクラウスに引き合わされた時の恐ろしさを今でも忘れられない。まだ赤ん坊だと言うのに、大の神族を、しかもかなりの高位の上級神達を怖がらせて泣かせていたのだ。

 普通、逆だ。

 しかも泣いている相手に対して、赤ん坊が冷然と笑っていた始末である。

 マリアに、「この子の護衛として貴女達を選抜したから、お願いね。」と言われたが、全員困惑した。ロディーナは恐れながらと前置きしながら、「必要ですか?」と真顔で聞いたものである。マリアの返事は中々返ってこず、赤子のものとは思えない凄まじい蹴りを繰り出している息子を相手にしながら、カイリが代わりに答えた。

「ほら見てごらん。皆同意見だ。クラウスに護衛は必要ないよ。それよりも、クラウスの伴侶になる子の為に、今から鍛え上げておいた方が良い。仮に伴侶になるような子が出来て、万が一害されでもしたら、クラウスの力は一層危険になる。その前に手を打てるようにした方が良い。」

「確かに、そうね・・・でも、この子にお嫁さんなんて来てくれるかしら・・・わたくし、今から不安だわ。クラウス、舌打ち何てするんじゃありません!貴方、まだ産まれて十日でしょう!?」

 恐るべきことに、まだ産まれて間もない赤子は、もう既に大人の言葉を完全に理解しているようだった。ロディーナ以下配下の女達は、絶句するしかなかったのは未だに覚えている。


「レティシア様を御守りする事は、我らにとって必然であり栄誉な事なのですが、随分気を遣われてしまいました。元々は軍人でいらっしゃったと聞き及びましたので、我らも軍人である点を含め、そのような事は気になさることでは無いとお伝えしておきましたが。」

「結構よ。本当に優しい子よねえ・・・あの馬鹿息子を見捨てずにいてくれて本当にありがたいわ。逃げられない内に、早くうちの子にしなくっちゃ。」

 母親たるマリアは公然と嘆いた。

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