クラウス一家、一致団結。
「ねえ、あなたもそう思うでしょう?」
妻から同意を求められて、初めてカイリはお茶のコップを置くと、真っ赤になって泣きそうな顔をしているレティシアに微笑みかけた。
「そうだね。レティシア、君が来てくれてから、私の宮は随分賑やかになったよ。」
「それは・・・お騒がせして申し訳ありません。」
「いいや。むしろありがたい事なんだよ。神族は神力の強さが絶対的な地位を持つ。それは分かるね?」
「はい。ミディール達を見て、特に感じました。」
最下層の下級神である彼らは、上級神に強い畏怖を覚えていたからだ。カイリは頷いて、
「私は四柱の一人であるし、妻も、至高神だ。私達一家に仕える者達にも、相応の自覚を持ってもらわねば困るから、昔から末端の者に至るまで、規律は厳格にしている。それは必要な事だと思うが、最近少し逆効果になってきていてね、困っていた所だ。」
「逆効果ですか・・・?」
「力が弱い者が特に怯えてしまうんだよ。別に怒っている訳でも無くても、新米の侍女なんて私達を見ただけで泣き出してしまう。尊敬はしてくれているんだが、怖くなるらしい。」
「それは・・・困りますね。」
厳格なのは良いが、度が過ぎると、やりにくくなる。規律を重視される軍に居たレティシアは、それが良く分かった。マリアもため息を付く。
「そうなのよ。でも、わたくしたちが今更優しくしてあげた所で、仕方がないし、困っていたの。でも、貴女が来てくれて、侍女達は随分泣かなくなったわ。空気が優しいと喜んでいるわ。」
「わたし、何もしていませんが・・・むしろ、お世話になりっぱなしです。」
「まさか。この馬鹿息子を躾けてくれているから、本当に助かるわ。」
「ええと・・・・そんな覚えも無いんですが。」
思わずレティシアはクラウスを見返した。彼は顔を顰めて、冷ややかな視線を向けてくる両親を睨み返している。
「何だよ、俺の所為だと言うのか?」
「無論だ。武官はまだ幼児の頃のお前に残らず叩きのめされて、自尊心を粉々に砕かれている。心が折れなかったソールなんて珍しい方だ。少しは加減をしてやれば良いものを。」
「何で俺が手加減してやらないと行けないんだ。全員で掛かって来たんだぞ?五歳児に向かって、卑怯だろうが。」
カイリが呻くと、マリアが交代する。
「侍女達も、初めは外見は可愛らしい幼児だったから、色々世話をしてくれたのに、貴方に睨まれたとかで、泣く子が続出したのよ?」
「俺を赤ん坊扱いするからだ。」
「赤ん坊なのよ!たかだか一歳の子供に、この下手糞と罵倒されるなんて誰が思うのよ!」
聞けば聞くほどとんでもない幼少期を過ごしているらしいクラウスに、レティシアは呆気に取られた。
「・・・神族はそんなに成長が早いものですか?」
カイリが首を横に振った。
「まさか。二十を超えれば成長が殆ど止まるが、それまでは人間と大して変わらない発育をするんだ。クラウスが稀有なだけだ。」
「そうなのよ。クラウスが産まれてから、この宮殿に仕えている子達は、毎日畏怖と恐怖のせめぎあいよ?挙句に、他所から来た神族に、見目麗しいクラウス様に仕えられて羨ましいわと言われてごらんなさい。泣くわ。」
何だか聞いていて切なくなる話である。
レティシアはクラウスを見返して、自分を苛めるのは好きだと言い放った発言はさて置いても、
「男はともかく、お前が女子供を苛めるようには見えないんだが。」
「勝手に向こうが怯えているだけだ。俺の神気は強いからな。」
「うーん。それは確かにお前の所為じゃないな。」
「一々宥めるのも面倒だから、放ってある。指示に従うなら、不便はない。」
「そうだなあ・・・・まあ、お前の気持ちも分からないでもない。」
「うん?」
レティシアは、苦笑した。
「私はクラウスは怖くない。カイリ様も、マリア様も優しくしてくれて、本当にありがたい。でも、他の人は神族というだけで、どうしても身構えてしまうのが抜けなかった。彼らは何も言っていないのに、昔、父の宮に居た時のように、邪魔だと思われているんじゃないかとか、色々考えてしまった。別に彼らの所為ではないというのに。」
「・・・・・。お前の所為でもねえよ。」
クラウスの言葉は、彼がそれに気づいていてくれていた事の証であり、レティシアは顔を綻ばせた。
「そうだな、どちらの所為でもないかもしれない。ただ、私はあの村で過ごす内に、色々思い返してみて、少し反省した。ミディールが、嫌がっている感じは無かったって教えてくれたんだ。だから、今度は私から、彼らに関わって見たいと思う。」
嬉しそうなレティシアの笑顔に、クラウスもまた微笑んだ。
人界に居た時、彼女は神族に凄まじい嫌悪感を抱き、そこから中々抜け出せなかった。母を失い、父も頼れず、幼い身の上で、オゼ達にされたことを思えば無理も無い話だ。神界に連れてくる時も、説得するのはやはり大変で、最後まで渋っていた。この宮殿を訪れた時など、顔が強張って、今にも逃げ出したそうだった。だから、クラウスも、両親も、彼女の挙動には細心の注意を払っていたが、レティシアは自らの足で踏みだそうとしている。
その直向きさは、彼女が己の心に素直であろうとする証であり、優しい笑顔は、やはりクラウスを魅せる。彼女はこれからもっと美しく成長するだろう。容姿が変わらなくなっても、内面は磨かれていく。だから、決して傷つけさせるものかと思ったし、彼女に相応しい男にならなければならないとも思った。
「強くなったな。」
クラウスがレティシアの頬をくすぐると、彼女は嬉しそうに笑った。
「クラウスが傍に居てくれるからだよ。そうでもなければ、私は神界にいない。神族にもならなかった。」
素直で無垢なものだった。本当に、可愛らしくて仕方がない。クラウスは一瞬また寝室に連れ戻したくなったが、勘付いたらしき母親に睨まれて、肩を竦め、
「まあ、うちの連中が俺に怯えても別に構わないんだが、お前の邪魔もしたくない。俺も多少は気を付けるとする。」
「そうか。じゃあ、一緒に仲良くなろう!」
「・・・・お前、男は最低限にしろよ?」
急に声が低くなったクラウスの分かりやすい嫉妬に、レティシアは頬を染めたが、うっと言う妙な声がして振り向けば、なんとマリアが感涙していた。カイリなど凍り付いて、信じがたいものを見る目である。
「あ、あのどうしようもなかった、うちの子が!こんな事が言えるなんて!あなた、どうしましょう。お祝いしなきゃ!」
「クラウス・・・一度人間になって、性格が変わったか?」
「うるせえな!」
容赦ない怒号を両親に浴びせるクラウスに、レティシアはつい笑ってしまった。何だかんだ言って、この親子も仲が良い。そう思ったとき、ふと自分の父親を思い出した。
ゼウスに対しても、レティシアの目は曇っていた。
母の死に際になって突然部下を連れて伴って来たゼウスは、母が亡くなると直ぐに埋葬してしまった。レティシアは別れを惜しむ間もなく、強引に神界に連れて行かれて、挙句に部下に一任されて放り出された。
自分と母を見捨てて置いて、突然やって来て、身勝手極まりない男だと、そこからすでに印象は最悪だった。ただ、それもレティシアの力を吸収していたために、下級神並みに力を喪っていたからこそ、ゼウスには猶予も余裕もなかったのだと、今なら分かる。レティシアの母と別れを惜しんでいれば、彼の神気を辿って叛意のあるオゼが挑んで来たかもしれない。そうすれば否応なくレティシアは巻き込まれる。
思えば、ゼウスに一任された配下の男やその部下達は、レティシアの世話はきちんとしてくれた。半神半人であるから、食事や睡眠は必須であったが、レティシアは飢えたことが一度もなかった。
ただ、全員が全員そうではなくて、オゼのようにあからさまに侮蔑してくる者もいれば、影口を叩くものもいたというだけだ。彼らの口から、ゼウスの品格を貶めるような言動を聞き、そのまま真に受けていた面もある。実際言葉を交わしてみれば、物腰の穏やかな落ち着いた男だった。
「・・・父様、どうしているかな。」
レティシアはぽつりと漏らした。自分の居場所を見つけると、危険を省みずにやって来て、オゼ達から護ってくれた。今回だって、軍を起こしてラウェルの宮を攻めた。レティシアが無事と分かると、安堵して、何事もなかったかのように帰って行ったのだ。
そういえば、碌にお礼も言えていない。
ただ、これはクラウス一家には聞き逃せない一言である。
何しろゼウスは表立ってこそいないが、娘はまだ年若いのだから、親元に返せと何度も言って来ている。流石に今回の一件で、クラウスが殺気立っているのが分かったから、一先ず退いたようだが、いつ再燃させるか分からない。これは彼らにとって、由々しき事態である。
即座にクラウスが話の修正に掛かった。彼女が一番喜びそうな種族の話を口にする。
「相変わらずだろ。あの獣人一族に入られる隙があったと知って、早速結界を直すとか言っていたな。まあ、あの連中はそれでも穴を見つけるんだから、無駄だと思うが。」
「そうだなあ。自分達は最下級神だと謙遜していたが、優れた才能の持ち主だと思う。」
思考がそちらにずれたことを、当然クラウスは意図している。
「そう言えば、あいつらの住処を決めて欲しいとソールが言って来ている。お前も行くか?」
「良いの?」
「名目上奴らは俺の部下だが、お前のものだからな。」
クラウスは微笑んで、レティシアを抱き寄せると、さっさと出て行った。流れるような誘導に、マリアは舌を巻く。
「あっという間に誤魔化したわ。よっぽど離されるのが嫌なのね。」
「まあ、レティシアがゼウスの宮に住むことになったら、今みたいに手は出せないだろうからな。」
「あの子、ゼウスにも戦を挑みそうね。」
「ゼウスへのレティシアの態度が軟化してしまっているから、流石にやらないだろう。だから、私がやる。クラウスには彼女が必要だ。それが今回の一件で私にも良く分かった。」
澄ました顔でお茶を飲むカイリに、マリアは「そうでしょう、そうでしょう」と嬉しそうに頷いた。