再会。
突如現れたクラウスに、その気配だけで気付いた村人たちは総毛立ち、だが身動き一つ取れずに這いつくばった。だが、クラウスは目もくれず、凄まじい速さで村を駆け抜ける。
彼とミディールの後を追って来た夫妻やゼウス、そして彼らの配下達は、流石に足を止め、小さな村と見慣れぬ種族に目を見張った。
「これは・・・眼晦ましの術が掛かっているな。レティシアの気配が感じられないわけだ。」
カイリが上空を見つめ呟けば、マリアも顔を顰め、
「それだけじゃないわ。ラウェルの馬鹿が、あの子に腕輪を嵌めたそうじゃない。二重に掛けられれば、幾らクラウスでも無理よ。あの子が半狂乱になる訳だわ。」
ただ、ゼウスだけは驚きを隠せない顔で、見回す。
「これは・・・ダーナの気配だ。彼女が術を掛けたのか・・・?」
そこにリルを伴って、ウルが彼らの下にやって来ると、跪いて首を垂れた。
「・・・・どうかお慈悲を。」
村長の姿を見て、凍り付いていた人々は、悟ったように力なく立ち上がり、彼らの元に集って、頭を下げた。
村長に説明に行ったリルと別れたレティシアは、まだ綻びの穴の前に居た。何とかして塞ぐ手立てはないものかと必死で思案していたから、急に眼前が暗くなって、初めて気づいた。
まだ日が落ちる時間でもないのにと、顔を上げて、言葉を喪う。
息が乱れ、汗が伝い落ちていた。精悍な顔立ちは蒼褪めていて、漆黒の髪も乱れ、だが彼はその一切を気にしていなかった。食い入るようにレティシアを見つめ、腕を伸ばした。
レティシアは、その瞬間立ち上がり、だが枷が嵌まっている事を思い出して彼に抱き着く前に、強く抱きしめられた。
「・・・レティシア・・・良かった・・・。」
強く抱きしめてくる彼の腕が小刻みに震えていた。必死で探していてくれたことが分かる。それを思えば、枷が嵌まっていようと、村の中から出られ無い身であろうと、些少の事だったのだ。彼は自分が生きているかどうかさえ分からず、レティシアは彼が無事だと分かっている。それは大きな差だ。
「ごめん・・・ごめんね、クラウス。心配かけて・・・ごめんなさい。」
「お前が謝るな・・・・無事でいてくれさえすればいい。」
クラウスはレティシアの顎を引くと、激しいキスを落とした。情欲を誘うものでは無く、存在を確かめるように、何度も何度も繰り返し、唇が離れても、顔の至る場所にキスをする。そうして、今一度強く抱きしめて、レティシアが泣き止むのを待って、ようやく体の力を抜いた。
そして、彼女の腕に目を落とし、漆黒の瞳が冷徹に光った。
「これか・・・・。忌々しい物を付けやがって。お陰でお前の気配が全くしなかった。」
「皆、外そうとしてくれたんだけど、ラウェルの術が働いているらし・・・・・えっ!?」
クラウスが腕輪と枷に手を当てた瞬間、長らくレティシアを拘束していたそれは粉々に砕け散り、砂となって消えた。ラウェルの術が、一瞬である。
あまりの呆気なさに唖然としているレティシアに、だがクラウスはすっかり赤く腫れて細かい傷が付いた手首を取ると、慈しむようにキスを落とした。
「・・・また、俺はお前に辛い思いをさせたな。」
苦渋の表情を滲ませるクラウスに、レティシアは微笑んだ。相変わらず優しい男だと心から思った。
「大丈夫だ、この位。私は結構頑丈だぞ。」
「・・・・・ああ、そうだな。お前はこんなに可愛いのに、強いからな。」
クラウスはようやく微笑んで、もう一度レティシアにキスを落とすと、彼女を抱き上げた。
「ええと・・・クラウス、私は歩けるよ。」
「そうか。でも、俺は今一瞬たりともお前を離したくない。大人しく抱かれてろ。」
一切譲る様子が無いので、レティシアも頬を染めつつ諦めるしかない。
だが、すぐに諦めるんじゃなかったと思い直した。カイリ夫妻にゼウス、そして彼らの配下達に村人が全員揃っている場に、そのまま連れて行かれたからだ。
レティシアの姿を見て、カイリ夫妻もゼウスも安堵した顔で、無事を喜んでくれたが、クラウスが離そうとしないのを見て、苦笑している。彼はそのまま全員が集まっていた木の下に座り、レティシアを横抱きにして足の上に乗せると、冷ややかに村人達を一瞥し、そして両親を見返した。
「それで、こいつらは何なんだ?ラウェルの配下にしては、随分脆弱だが。」
「さあ・・・わたくしも見たことが無い種よ。下級神・・・以下?」
あまりの神気の脆弱さゆえに、マリアでさえも自信が無い。カイリも頷いて、
「お前とレティシアが来てから、全部話すと言うから、待っていたんだよ。」
ただ、ゼウスはと言えば一人困惑した顔で、
「クラウス。ここはレティシアの母親のダーナの術が掛かっている場所だ。」
「なに?」
「彼女を一度、私は神界に連れて来たんだ。その時、彼女のお腹にはレティシアが居た。レティシアの神力は私が秘める事にしていたんだが、彼女達の身を護る術がないものかと思って、探しに来たんだ。」
「ああ・・・その間に、レティシアの母親が行方を晦ましたとか、父上から聞いたが。」
「そうだ。彼女を問い詰めても何も教えてくれなかったんだが、その時にはもう眼晦ましの術を使えるようになっていた。多分・・・ここで学んで、残していったんだろうな。」
「成る程ね。」
淡々と答えながら、クラウスの目はだが激怒と冷徹さを兼ね備えたまま、村人達を見据えた。
「それで?俺の納得する理由を説明してみろ・・・・出来なければ、皆殺しだ。」
「お、脅してどうする!」
レティシアが流石に口を挟むが、クラウスの殺気は並々ならぬものである。
「理由はどうあれ、こいつらがお前を浚ったのは事実だ。」
「うん。待て。わたしからも説明するから!」
「駄目だ、お前は優し過ぎる。俺に任せろ。」
「いやいやいや、見ろ!皆怯えているだろう!こんなに可愛いのに、可哀想じゃないか!」
もふもふ、ふわふわの子達が軒並み震えあがっている。居た堪れない。
レティシアの抗議に、クラウスが冷然と笑った。
「見かけは子供だが、こいつら、俺よりも遥かに年が上だぞ。二・三千年はザラだ。気配で分かる。」
「・・・・相変わらず、鋭いな。」
「どこがだ。お前を探し出すのに、こんなに手間取った。」
舌打ちをしながら、クラウスは改めて村人達を見据え、彼の《納得する説明》を求めたのであった。
村長は村の成り立ちやダーナとの関係性について、丁寧に神々に説明し、ミディールはレティシアをここに連れて来た経緯を話した。殺気立つ神々に怯え、彼らが時々怯えるのを見かねて、レティシアも口添えした。そうして一通りの話を終えると、まず呻いたのはカイリであった。
「・・・・信じ難い話だ。私の結界の隙を、最下級神族に見抜かれるとは。」
ゼウスも同意見だった。
「最もだ。胡坐を掻いても居られんな。ラウェルなど小まめに張り直しているにも関わらず、微細な穴を見つけ出されたのだろう?結界も完璧では無い事だな。」
それに対して、唯一驚かなかったのはマリアである。
「あら、貴方達、結界があれば万全何て、まだ思っていたの?」
「普通そう思うと思うが。」
ゼウスが答えると、マリアは肩を竦め、
「私はそうは思わないわよ。だって、クラウスは人界でわたくし達のその完璧な結界も破壊してくれたじゃない。」
全員の視線が一斉にクラウスに集まる。だが、彼は、レティシアの腕の傷を撫ぜてばかりで、母に言われてようやく面倒そうに顔を上げ、
「こいつらの言う結界の綻びなんて、俺は知らない。ただ、どんな結界でも必ず一か所は脆弱な所がある。そこを狙っただけだ。」
「だから、それが分かるのが、おかしいのよ。」
勘が良いでは済まされないと、マリアは呆れる。クラウスは肩を竦め、平伏している獣人たちを冷ややかに見据えた。
「そんな事はどうでも良い。お前達は、レティシアの母親が使った眼晦ましの術が解けかかっているのに気づいて、レティシアを浚って来たようだが、彼女は神族だ。無駄な足掻きだと分かっていたはずだぞ。」
冷徹な漆黒の目に耐えながら、村長のウルが口を開いた。
「・・・分かっております。それでも、我らのような脆弱な種では、もう生き残る術がありません。」
「レティシアの母親は、術がいずれ限界になることを教えていたはずだぞ。彼女が亡くなるまでの二十年の間、手が打てなかったという事は、お前達が怠惰であるか、滅びゆく宿命の一族という事だ。どれ程逃げ隠れしたところで、無駄だ。」
クラウスの言葉は厳しい。
彼の腕に抱かれたレティシアは、口を開きかけたが、止めた。漆黒の瞳はやはり冷徹であったし、勝手にレティシアを連れて行った彼らへの激怒もあった。だが、厳しい中に、レティシアだけが感じる優しさがあったからだ。
固唾を呑んで見守るレティシアの傍らで、クラウスは淡々と告げた。
「俺は眼晦ましの術の構造も理解している。人間の身体になれば、掛け直してやることも可能だ。」
村人たちの表情が俄かに明るくなり、ウルの顔も期待に染まった。
「で、では・・・クラウス様が術を再び使って下さいますか。」
「断る。」
一気に絶望の淵に立たされた彼らに、だがクラウスは冷笑すら浮かべた。
「それでまたお前達が四柱の宮殿に入り込むのを見て見ぬふりをしろと?お前達に何が出来るとも思えないが、目障りだ。それに、お前達は俺からレティシアを一時であろうと奪った事を忘れた訳じゃないだろうな?・・・僅かでも、彼女に害を為せる存在を、俺がこれ以上存在を許すと思うか。」
一層蒼白になって絶望に染まる彼らに、だがゼウスもマリアも、そしてカイリでさえも異を唱えない。クラウスの怒りは止められないのは分かっていたし、彼に一任するつもりらしい。
レティシアは困惑して彼を見上げた。一体どういうつもりだろうと思うが、今はただ彼を信じようと、口を閉ざす。縋りつくような目で見てくる村人達には胸が痛むが、クラウスの言葉も尤もなのだ。
眼晦ましの術に頼り続けるしかなかったにしても、こんな小さな村で隠れ続けて生きていくのは辛いはずだ。情報こそが生命線で、それこそ命懸けで外に出ているが、実際捕まってなぶり殺しにされている者もいるという。いくら一か所安全な場所があったとしても、長くは続かない。母もそれを案じていたに違いなかった。
「我々に・・・死ねと仰いますか。」
暗い表情でウルが尋ねると、クラウスは一蹴した。
「死にたいなら、死ねばいい。絶滅する種など無数にある。甘えるな。」
「・・・・・・・・・・・・・・。」
「嫌なら、抗って見せろ。」
クラウスはそう言って、不意に手を空に翳すと詠唱を始めた。そして空にひびが入ったと思った瞬間、粉々に砕け散った。眼晦ましの術式を、彼は完全に破壊してしまったのだ。
絶句する一同に、クラウスは冷然と笑った。くつくつと喉を鳴らし、全員の耳や尻尾が逆立っているのを見据え、告げた。
「さあ、どうする?」
クラウスよ、モフモフを苛めるのは止めよう!