少年は、決意した。
村人たちは皆親切だった。拘束されて不自由の多いレティシアの為に、何かと世話を焼いたり、手伝ってくれた。特に村長の娘であるリルだ。袖を通さずに肩で止められる服を調達してきてくれるので、着替えにも困らなかった。神族であるから多くの食事は必要ないが、塞ぎがちだったレティシアを気遣って、気晴らしになるからと食事も度々誘ってくれた。
そうして、一週間近くが経った。
村の外は前にも増して不穏だと、村人たちは蒼褪めていて、とても外に出ようとする者はいない。小さな村なので、レティシアはこの一週間で村の中の大体の位置を把握していた。
やれることも限られているので、母が読み解いた眼晦ましの術を書いた古書を懸命に読んでみたが、さっぱり意味が分からない。
ミディールとリルが見たほうが早いと言ってくれたので、二人の案内で、綻びがあると言う場所に連れて行って貰った。そこは、村の端に当たる場所であったが、指さされて、凝視してみればやっと小さな光がわかる程、小さな穴だった。
「ね、こんなに大きいでしょう?」
「ああ、うん・・・針の穴みたいだな・・・・。」
こんな小さな綻びを、彼らは即座に見つけてしまう。やはり、勿体無いと思った。
「貴方達は最下級神だって謙遜して言うけれど、とても優れた才能の持ち主だね。」
心からそう思ったが、ミディールは目をまん丸に見開いた。
「え・・・・・?そ、そんな事ありません!」
「だって、最高神の四柱の宮殿に入り込めているんでしょう?ラウェルは少し怪しんでいたみたいだけど、探し出せていなかったし、クラウス達も気付いていなかったもの。凄いよ。クラウスって、凄く勘が良いんだよ。」
「・・・・・そう、でしょうか・・・。」
「うん。貴方もとても勇気があるよ。だって、戦いになっている場所に飛び込んできて、私を助けてくれたもの。ありがとう、貴方のお陰だよ。」
「・・・・・・・・・・・・。」
頬を真っ赤にするミディールに、レティシアは微笑んだ。
「勿論、虐げられてきた過去があるから、他の神々が怖いのは分かるよ。私もそうだったもの。今でも少し身構えそうになる。」
「え・・・・?」
「父の配下は、あまり素行が良くない者も居たからね。彼らには私もちょっと酷い目に遭ったりもした。人界に居た頃は、神族何て大っ嫌いだったんだよ」
「貴女は・・・神の子なのに?」
「クラウスが、私の父や彼の両親に頼まれて私を探しに来てくれたけど、神族だと言うものだから、もう、頭に来て、神なんて嫌いだって怒鳴りつけた。」
これには二人とも呆気に取られた顔をして、リルなど絶句である。
「嘘・・・レティシア様、こんなにお綺麗で、可愛らしくて・・・上品そうな方なのに。」
「いや、それ幻想だよ。マリア様や侍女さんが上手に着飾ってくれただけ。私は元々庶民だし、人界に居た時は神術を扱う衛士隊っていう部隊の軍人だったんだよ。」
再度絶句するリルに、ミディールは信じられないと言わんばかりに、
「でも、僕、貴女を宮殿でお見かけした時、驚きましたよ。あまり近づくと気付かれてしまうので、遠くからでしたし、その時は後姿しか見えませんでしたが、見送った皆さんが、全員貴女に見惚れていましたし、クラウス様なんて、もう他が眼中にないって感じで、貴女ばかり見ていました!」
こちらから見えるという事は、相手の視界にも入っている。見つからないギリギリの所を追求するのが、獣人たちの力量によるのだが、相手はクラウスである。神としての力は、神界不世出と言われる程の男であることに加え、極めて勘が良いと言われており、ミディールもなるべくクラウスの不在を狙っている程だった。ただ、彼の不在を狙う事は難しくはなかった。クラウスは自由人で束縛を嫌い、四六時中神界中をフラフラと出歩いている事が多いからだ。そういう時決まって誰も供に付けないものだから、ソール達が心配して探し回るので、分かりやすい。
実際、目的はクラウスでは無く、彼が人界から連れて来たと言う、レティシアだった。彼女の母親が産み出した術式の綻びを、娘の彼女ならば解決してくれるのではないかという、藁にもすがる思いであったのである。
彼女に声を掛ける事は、難しい事ではないはずだった。クラウスの不在を狙えばいい。だが、待てど暮らせど、クラウスが出掛ける兆しが無い。レティシアを片時も離そうとしないと侍女達が驚きをもって話していたのを聞いた時、ミディールはいっそ絶望した。最早、命懸けで偵察するしかないと覚悟して、ミディールはレティシアの姿だけでも確認しようとした。結果見えたのは彼女の後姿だけだったのだが、クラウスの様子にそれ以上に驚愕したものである。
自分だけでもしばらく動けなかった位だから、宮殿の人々など遥かに衝撃を受けていたに違いないのだが、当の本人は全く分かっていないのが、ミディールにはさらに驚きである。
レティシアは真顔で、
「いや、皆単に物珍しかっただけじゃないかな。混血児なんてそういないだろうし。でも、皆に嫌がられていなかったのなら、良かった。クラウスも、私が虐げられていた事は知っているから、気を遣ってくれていたんだ。」
「・・・・・・・・・・。」
「でも、神族が嫌いだと言いながら、きっと私は怖かったんだな。母は、神として生きるか、人として生きるか、選ぶ時が来ると言った。でも私は臆病になって、人として短く生きる方が正しいと思い込んだ。それでいいと、ずっと思っていたんだ。」
「・・・・クラウス様は・・・貴女を神族に戻したがったのでは無いですか?」
レティシアは微笑み、小さく首を横に振った。
「いいや、一度も神族になれと私には言わなかった。それどころか、私が神族が嫌いだと言ったら、自分の翼を引きちぎって、神力も全部封印してしまった。クラウスが一時人間で、眼晦ましの術が使えたと言うのは、この所為なんだ。」
今度はミディールが絶句し、リルなどもう言葉が出ない。
「クラウスは、人として一緒に生きようとしてくれた。瀕死の重傷を負っても、彼は悔いは無いと言ってくれたんだ。でも、私は・・・嫌だった。クラウスともっと生きたいと思ったんだ。一緒に居たいと願ったんだ。だから、神族になったんだよ。怖くて、辛くて、神族から目を逸らしてばかりいた私に、クラウスは勇気をくれた。」
長い時を生きる神族。クラウスと共に生きたいから、選んだ道。でも、今はクラウスの傍に居られない。行きたくても行けない。それがもどかしく、切なく、レティシアはこの一週間、何度も一人で泣いた。励ましてくれる村人達に申し訳ないから、夜一人になった時に、声を殺して涙を落とした。
気付けば、レティシアの中でクラウスの存在はとても大きく、欠かせないものになっていた。傍に居ないと、不安で寂しくて仕方がない。今頃どうしているだろうと、考えるだけで胸が切ない。
レティシアは話していて泣きそうになるのを必死で堪えて、二人の子供に静かに言った。
「クラウスは、律儀で、真っ直ぐで・・・とても優しい神だよ。皆は怖いっていうかもしれないけれど、それは神力が強いからじゃないかな。クラウスは、きっとそれも分かってる。」
優しい男だった。
神界に来てからもずっと心を配ってくれていた。レティシアは過保護だと思ったが、それは違ったかもしれない。クラウスが傍に居てくれる時は良かったが、まだ神族に対しては緊張してしまう。侮蔑されるのではないかという先入観が勝ってしまう。
侍女達や武官たちはとても親切でありがたいと思っているにも関わらず、自分はどこか距離を置いていたのではないだろうか。クラウスは、宮殿内でレティシアが孤立しないように、傍に居てくれたのだ。もしも戻れたら、自分からも彼らに歩み寄って見ようと、レティシアは決めた。
そうして、再び母の術式の穴に目を落とし、唸った。ほんの小さな綻びだが、日に日に大きくなっているという。掛け直すのが一番だろうが、術者となりうる人間がいない。どうしたものかと考えていると、ミディールが不意に口を開いた。
「僕・・・行ってくる。」
「え?」
「・・・貴女の事、クラウス様に伝えに行ってくる。」
蒼白になりながらも、意を決したように言ったミディールに、リルが血の気が引いた顔をして、
「駄目よ、そんな!捕まっちゃうわ!あの気配、分かるでしょう!?」
「良いんだ、それでも!僕の所為なんだから!」
リルを一喝すると、ミディールは泣き出しそうな顔をしながら、レティシアを見返した。
「僕、貴女に謝らなきゃいけないことがあるんだ。」
「わたしに?」
「貴女はラウェル様の宮殿から僕が助け出したって言うけれど・・・違うんだよ。僕は貴女を連れ去ったんだ。空に凄い数の軍旗を見たでしょう?」
「あ、ああ。どこの軍かは分からなかったけど・・・。」
「あれはカイリ様とマリア様、ゼウス様、そしてクラウス様の軍旗だよ。どうやってか分からないけど、ラウェル様が貴女を連れ去ったのに気づいて、軍を率いて戦を起こしたんだ。」
レティシアも流石に言葉を失うう。なんてことは無い。彼はすぐ近くに居たのだ。神族に関してあまりに無知である為、レティシアは全く分からなかった。神術も封じられていたので、彼らの神気すら感じ取れなかったのだ。
「あそこにいれば、貴女はすぐにクラウス様たちに助け出されていたはずなんだ。」
「でも、どうして、わたしを・・・?」
「・・・・・。クラウス様の宮で、たまたま貴女に会って、ダーナ様の御息女が神界に戻って来たっていう噂を確信したんだ。だから、村の・・・結界を直して欲しくて・・・貴方が連れ去られた時も、ずっと後を追って、機会を伺っていたんだ。でも、僕は・・・僕は、貴女があの男に虐げられていても、何もできなかった。」
気付けば、ミディールの目から大粒の涙が溢れ出ていた。
彼は最弱と言われる種族の子供だ。気付くことが出来ても、何も出来ない歯痒さをずっと抱えている。本当は悔しくて仕方が無かったのだ。だから、何とか状況を打破しようと、必死でもがいている。四柱の宮に入り込んでいるのも、その為だ。
レティシアは、ミディールを責められなかった。この子は、きっと自分と同じなのだ。
だから、その代わりに、枷の嵌まった腕を少年の背に回して、ぎゅっと強く抱きしめた。
「話してくれて、ありがとう。」
「・・・・っご、ごめんなさい・・・・。」
しゃくり上げるミディールに、レティシアは優しく微笑み、腕を離すと、
「クラウスの事、お願いできる?」
「・・・うん、行って来るよ。」
泣き濡れた目をこすりながら、強く頷いた少年に、レティシアは自分の右手の指から指輪を引き抜いて渡した。
「これを持って行って。クラウスが作ってくれた指輪だから、彼も気付いてくれるかもしれない。」
クラウスの周囲にどれ程人がいるか分からないが、あの軍勢を見る限り、カイリやマリア達の部下も凄まじい数がいそうだ。
「分かった。」
ミディールは強く頷いて、半泣きになっているリルを見返した。
「村長に説明を頼んでいいかな。」
「・・・分かった。止めても無駄でしょう。あなたったら、いつもそう。」
わざとらしく頬を膨らませたリルに、ミディールはちょっと笑って見せ、そして地を蹴るとあっという間に駆け抜けて、姿が見えなくなった。見送ったレティシアは舌を巻く。あれ程の速さで駆けられれば、成る程、神々の目もすり抜ける訳だ。そこにリルが見上げている事に気が付いて、膝を折って視線を合わせた。
「どうしたの?」
「レティシア様・・・クラウス様は、お優しいのよね?」
「ああ、大丈夫だ。子供に酷い事をする男じゃないよ。」
すると、リルは益々心配そうな顔をした。
「レティシア様、ミディールは子供じゃないわ。若者?かしら。二千年くらい生きているもの。」
「な、なに?」
「私たちの種は、幼児体型のまま成長が止まって長いの。村でも大きな人は少なかったでしょう?だから、つい子供っぽくなるのだけれど、それなりに年を取っているわ。」
「ずっと可愛いままか・・・・益々羨ましい。」
リルの長い兎の耳を見つめ、レティシアは真剣に思った。
ラウェルに、ウルに、ミディールに、リル・・・・。
気付けば、同じような名前が連なっておりました・・・紛らわしいですが、お許しくださいませ。
この四神の中で、一人だけ猛毒のような男が居ますが、可愛らしい彼らとは無関係です!




