さあ、皆で仲良く死にましょう。
「なんですか・・・これは。」
主君のせいで、散々悪事に手を染めて来て、大抵の事では動じなくなってしまったディアンも、絶句である。
ラウェル特製の拷問室は、その特殊性の為に外と内の音を完全に遮断している。そればかりか絶好の時間を邪魔されたくないラウェルは、強固な結界を張り巡らせて、外とは隔絶した空間にしてある。本当に碌な事をしていない。
それがために、外で起こっていることは、出てみないと分からない。
そして、ディアンは、信じがたい光景を見た。
空に夥しい数の軍勢が押し寄せてきて、ラウェルの宮の兵士達を悉く斬り捨てていた。無論、ラウェルの兵も精強である。だが、数が違う。一対一では対等であっても、一対十にもなれば、一方的に切り刻まれるだけである。
軍旗を見れば、それはもう壮観だった。
四柱の一人カイリ、そしてその妻マリア。更にはもう一人の四柱ゼウスの軍旗。
極めつけは、クラウスの軍旗だった。
知る人ぞ知る、この軍旗を見たら、即刻逃げたほうがいいと言われるものだ。
クラウスはまだ産まれて二十五年しかたっていない。神族にしてみれば赤子同然だ。どれ程親が子供を溺愛していても、とても部下を付けて指揮を任せる者はいないのが通例だ。
カイリも、未だにクラウスに直属の部下を与えたり、部下の部隊の指揮を任せたりはしない。ただ、彼の場合、一般的な神族の父親の心情とはまた違う。
クラウスが戦意を持つと、あまりに凶悪過ぎて、更に言うならば彼の逆鱗に触れると、敵味方関係なく叩きのめされるので、危ないのだ。そうなった時には、クラウスの両親しか止められる者が居ない。
だから、クラウスは戦力に数えられることがない。クラウス自身も自身の奔放さを自覚しているのか、周囲が彼に比べてあまりに弱いからなのか、戦に対して興味を示さず、滅多に戦場には出て来ないということもあった。両親が苦心するような相手がいる場合のみ、彼はやって来て、一瞬で屠ると言う。
だから、多くの神々はこの軍旗の危険性を知らない。知っている者は、あえて挑もうとしない。
その男の軍旗が、今高々と掲げられている。さっさと降伏しろと言っているようにも思えるが、貴様ら皆殺しだという強烈な言伝とも受け取れる。どちらかというと後者な気がした。
こうなると、いくらラウェルの宮とは言っても、持ちこたえられるはずがない。
ラウェルの配下兵たちが右往左往して、誰もが皆血塗れであり、蒼白になっている。ディアンの姿を見つけて、兵士達が悉く泣きついてきた。
「ディアン様、これは一体何事ですか!ラウェル様は何をしたのです!」
「何故あの一族を怒らせたのですか!奴ら理由を聞いても、主命だの一言で、容赦なく斬り付けてくるんですよ!言い訳の一つもさせてくれませんっ」
「正門は全壊、護っていた兵は全滅しました!ラウェル様は何処です!一体どこの危険な女に手を出したんですか!」
長年ラウェルに仕えている部下達は、理由は女絡みに違いないとすでに断定している。そして、残念ながら、いつもそれが間違っていないのだ。
最早半狂乱の部下達の悲鳴に、ディアンは悟った。
これは自分も死んだな、と。
「・・・・だから、私は言ったのだ。クラウス様が寵愛されている様子だから、止めろと。」
主君は、クラウスは両親の手前、彼女を傍に置いているのだろうと甘く見ていた。彼女を連れ去りたいからと、突然主君に呼び出されたディアンもそう説明されていたし、主君の悪癖はいつもの事なので、特に気にしなかった。
だが、実際彼女を見た瞬間、彼は非常に嫌な予感がしたのだ。
クラウスは一度抱けば飽きて女を捨てると言われており、また基本的に他人を傍に寄せ付けるのが嫌いらしく、まだ齢二十五歳と若年にも関わらず単独行動が極めて多い。無論、誰かを侍らせていた事も無い。
そのクラウスが、絶世の美女を伴ってやって来た上、その彼女が主君の標的だと分かって、ディアンは心底驚いた。
主君の言う通り両親への建前であれば、クラウスの両親が不在であったのだから、どこかに放置していておかしくないはずだった。だからクラウスを宮殿から出して、ラウェルを探させている間に、彼女を探し出そうと思ったのに、どういった理由かは分からないが、クラウスは彼女を連れて来た。
ラウェルの腹心であるディアンは、数多の美女や美少女たちを見て来た為、女の美貌に目を奪われる事は滅多に無い。だが、レティシアは別格だった。
透き通るような白い肌に、真っ直ぐな艶やかな銀髪。背が高く、細身であるのに、胸はふくよかで、腰回りは締まっている。男であれば誰もが劣情を覚えそうな、美しい女性だった。
そして、その彼女を見るクラウスの目は限りなく優しい。口調までも穏やかで、ディアンは、別人かと思った。あまりに強大な力を持つ神族であり、父親譲りの冷徹さと、母親譲りの気性の荒さを持つため、大抵の神族から畏怖される男である。
それが、彼女の前ではいっそ人畜無害な男に見える。幻想だと分かっていても、それ程までにクラウスはレティシアに甘い。その上、
『レティシアは俺の女だ、他所の雄が手を出せるとは思えないがな。』
とまで言い切ってくれた。
クラウスが独占欲を露にした瞬間、ディアンは顔が引き攣るのを懸命に堪えた。クラウスは勘が良い男である為、僅かな躊躇が命取りであると、彼はよく知っている。もしも、悟られたら、まだ何もしていなくても、絶対に殺される。
だから、計画通りクラウスが宮殿を出ていっても、ディアンはしばらく即行動に移せなかった。
主君の命もあるし、クラウスが主君を見つければ、手を煩わせたと間違いなく殴られるか蹴られているだろう。自己犠牲(?)をした主君を裏切る訳にもいかないが、どう考えても、レティシアは不味い気がしてならなかったのだ。
苦悩の末、ディアンは彼女を連れ去って来た。やはり大いなる間違いであったかと、彼は何だか達観していた。これを、諦めともいう。
兵士達は絶望的な顔をして、がくがくと震えた。
「あ、あ、あのクラウス様が寵愛されていたのですか!?」
「つまりクラウス様の軍旗はただの脅しでも何でもないんですね!?戦場に、あの御方がいるんですね!?」
「な、な、なんてことをしてくれたんですか!幾らなんでも、命知らずにもほどがあります!」
「僕らに消えろとおっしゃるのですか!」
悲鳴を上げる彼らに、ディアンは頷くしかない。
「気持ちはわかる。だが、もう遅い。一蓮托生だ。」
そして、ディアンは、ラウェルの部下であれば洩れなく同じ運命をたどるであろう彼らに、出来る限り、優しく告げた。
「さあ、皆で死のう。」
全員を絶望に叩き落すと、ディアンは踵を返し、室内に戻った。そして呻いた。レティシアの身体の至る場所に傷がつき、神力を封じられているために治りも遅い。なにもありませんでした、では済ませそうにない。たとえ何もなかったとしても、同じような気がする。
「なんだ、どうした?顔色が真っ青だぞ。」
ラウェルが手を止めて、怪訝そうに見返した。
「無駄だと思いますが、逃げますよ。」
「なに?」
「カイリ様と、マリア様と、ゼウス様が、軍勢を率いて、この宮殿を攻めています。」
「なにい!?」
驚愕の余り、ラウェルは鞭を落とした。ディアンは、小さくため息を付き、死刑宣告をした。
「それだけなら、まだ良いかもしれませんが。」
「良いわけあるか!死ぬわ!」
蒼白になっているラウェルに、忠臣は努めて冷静に言った。
「クラウス様の軍旗があります。」
ラウェルはしばらく絶句した。そして、冷や汗を伝わせながら、
「・・・・・う、嘘だろ・・・・・あいつが、軍に加わってるのか・・・?」
「先陣を切っていらしているようですよ。正門が崩落して、守護兵がクラウス様お一人に皆殺しにされたそうです。」
正門は、宮殿の顔である。そのため、一番強固に作られ、守護する兵も千を超えている。それにも関わらず、一瞬で屠られたのだと言う。
「・・・・勘弁しろよ・・・。」
「誰に捕まっても、八つ裂きにされると思います。せめてクラウス様に捕まらない内に死んだ方が良いかもしれません。いや・・・同じですね。」
他の三神達の苛烈な性格を思い起こし、ディアンは首を横に振ると、茫然としている主君を逃がすため、彼の腕を引いて外へと出た。
レティシアを降ろしてやらなければとも思うが、まずは主君を逃がすことを第一にせざるを得ない状況である。室外に出たラウェルは、既に半壊している宮殿を見て、言葉を喪った。
「・・・・ディアン・・・・。」
蒼白になった主君に、ディアンは渋い顔で、
「何ですか。」
「俺は・・・死ぬ。」
「何を分かり切った事を。消されないと良いですね。クラウス様は金輪際貴方と縁を切ると思いますよ。」
説教をしている暇はない。右往左往している部下達を呼び寄せて、ディアンはラウェルを連れて、逃げるしかなかった。
ディアンは苦労性です。好きでやっている訳ではありません。
ただし、ラウェルの性癖を見ても、平然としたうえで片棒を担いで来た時点で、良い性格はしています。