ラウェルに部下がいる奇跡。
昼過ぎになって、レティシアがクラウスと共に、居室でお茶の時間を過ごしていると、ソールが部下を引き連れて、慌てた様子で駆けてきて、クラウスの前に跪いた。
「クラウス様、ただいまラウェル様の事でお伺いしたいとディアン様がいらしていますが・・・。」
「あいつなら朝方帰ったぞ。」
「そうお伝えしたのですが、とにかくクラウス様にお目通りをと言って聞かないのです。随分焦っている様子でした。」
「どうせ帰る途中で、好みの女でも見つけて口説いているんだろう。」
クラウスは舌打ちし、立ち上がる。レティシアも、それを見送った一人であるので心配になった。
「わたしも行って良い?」
「別に構わないが、そう心配する事も無いぞ。奴が消息不明になるのは何時もの事だ。」
「でも、クラウスのお友達でしょう?心配だよ。」
「腐れ縁だがな。」
クラウスはレティシアの手を取ると、ディアンの待つ客室へとソール達と共に向かった。一緒に廊下を歩きながら、レティシアは問いかける。
「ディアン様というのは、ラウェル様の配下の方?」
「ああ、腹心だ。ラウェルの信頼も厚い。奴の留守中は大抵ディアンが護っている。自ら来るという事は余程なんだろうが・・・。」
一体何事だと首を傾げつつ、クラウスが扉を開ける。待っていたのは、ラウェルと同じく褐色の肌をした青年だった。すらりと線は細く、赤みがかった茶色の髪は後ろに丁寧に撫でつけられて三つ編みにされて腰ほどまであった。カイリのように中性的な顔立ちだが、一見して彼が男性と分かるのは、鋭い目つきだった。
「クラウス様、御足労頂き、ありがとうございます。」
「挨拶は要らん。手短に要件を言え。」
「は・・・。それが、我が主ラウェルが、お戻りになると仰ったきり、当然行方が分からなくなったのです。ソール殿より朝方発ったと伺いましたので、それから間もなくと思いますが・・・。」
「神気を辿れば良いだろう。奴の気配ならすぐわかる。どうせその辺で女を抱いているじゃないか?」
「我々もそう思って探しているのですが、全く察知できないのです。こんな事は初めてです。どうかお手伝い頂けませんか。」
「・・・・・分かった。この短い期間なら、こちらの領内に居るはずだ。お前達では探しにくいだろう。部隊を幾つか派遣する。ソール、見繕え。」
すると、ソールは顔を顰めた。
「必要ですか?前に探した時には、女とお楽しみ中でしたが。」
「俺も同感だが、父上の領内で四柱が消えたとなれば、要らん憶測を呼ぶ。父上も母上も不在だし、処理しないわけにいかないだろう。」
「分かりました。手配いたします。」
ソールが首を垂れて立ち去っていくと、ディアンは不意に声量を落として、
「もう一点、気にかかることが御座います。」
「なんだ。」
「ラウェル様が、我が宮殿内に鼠がいるのではないかと仰っていました。時々、見覚えのない妙な気配がしたそうなのです。探るまでもなく消えるほど微弱なものらしいのですが・・・。」
「奴の《眼》を搔い潜るのは至難の業だぞ。細かい奴だから、結界も常に盤石にしているはずだ。」
「左様で御座います。ですから、不気味なのです。ラウェル様が何者かに狙われていたという可能性も・・・」
傍らで聞いていたレティシアは、息を呑む。
心当たりが一つだけあった。先日、中庭であった、あの猫耳の獣人だ。黙っておいてくれと懇願されて頷いたが、もしもあの少年が、カイリの宮に密かに出入りしていたとして、何かを目論んでいたとしたら、大問題だ。ラウェルの宮にも同じように入り込んでいたのではないだろうか。
あの純粋無垢そうな獣人が、そのような企みをしているとは思いたくなかったが、ラウェルの臣下であるディアンは、実際彼の身を案じている。
臣下として当然だろう、とレティシアは胸を痛め、言うべきだろうかと悩んだ。
だが。
クラウスはそんな心配を鼻で笑った。
「それは、今に限った事じゃないだろう。女を寝取られて奴を殺したいと思う男は、行列を作ってるんだぞ。うちにも何人かいる。」
「そうでしたね。」
平然と言うクラウスに、ディアンもあっさり同意する。聞いていたレティシアは呻くしかない。あまり同情も出来ないようだ。ただ、もう一つ気にかかった事があった。
「クラウス、もしかして、眼晦ましの術が使われているんじゃない?」
「確かに、それならラウェルの目を潜りぬけられるかもしれないが、あれは人間にしか使えないものだぞ。仮にその術を使える人間が神界に居たとしても、四柱の宮殿に入り込んで何をしているんだ。ラウェルを殺そうとしても傷一つ付かないぞ。」
「確かに・・・・。」
思案するレティシアに、驚いた眼差しを向けたのはディアンだ。
「眼晦ましの術をご存知でしたか。神族でもごく一握りの者しか知らない、廃れた禁断の術ですが。」
「あ、はい。私の母は人間でしたし、神術の熱心な研究家でもあったので。」
「成る程・・・では貴女様が、ゼウス様の御息女レティシア様ですね。お噂は兼ねがね聞き及んでおります。話に違わず、とてもお美しい。」
丁寧に首を垂れる礼儀正しいディアンに、レティシアも慌てて一礼する。ラウェルに褒められても全く嬉しくなかったのだが、配下であるこの青年は、あまりそう言った邪気(?)も感じさせず、レティシアは恥ずかしくなった。
「そんな、大した者じゃありません。」
「いえいえ、神界中の男神が見惚れますよ。」
にっこりと微笑むディアンに、レティシアはとうとう頬を染めた。面白くないのはクラウスである。
「レティシアは俺の女だ、他所の雄が手を出せるとは思えないがな。」
ディアンは笑みを深め、頷いた。
「確かに。」
「お前の目的はラウェルを探す事だろう。仮に眼晦ましの術まで使われているんだったら、探り難い。」
「ご足労頂けますか。」
「仕方ないな。」
クラウスは舌打ちした。自領で起こった事であるし、あれでも一応、腐れ縁の友人である。何より彼自身がかの術を使っていた事もある。さっさと探し出して追い返したほうが話は早い。
「レティシア、少し出て来る。お前はここで好きに過ごしていろ。侍女には言っておく。」
「うん、わかった。クラウスも気を付けてね。早くラウェル様を見つけてあげて。」
「ああ、見つけ次第、蹴り殺してやる。」
「殺したら駄目でしょう。」
「間違えた。本音が出たな。蹴り飛ばしておく。」
どちらにしても、酷い目に遭わせるらしい。クラウスはレティシアの唇を軽く摘まむと、ディアンを促して部屋を後にした。程無くして、クラウスはディアンとソール、そして彼が見繕った数十人の兵士を引き連れて、宮殿を発った。
レティシアは宮殿に一人残ったとはいえ、出歩けば、付き添ってくれる侍女達や警護の兵が大勢いて、何かと世話を焼いてくれた。逆に申し訳なくなって、特にすることも思いつかないので、書庫室へとやって来た。ここならば、管理をしている女神一人だけだから、落ち着いて過ごせる。
「まあ、レティシア様。いらっしゃいませ。どうぞどうぞ。」
微笑みを浮かべたまま歓迎してくれた女神に礼を言って、レティシアは昨日見ていた書棚へと移動した。とうとう言えず仕舞いになってしまった、あの獣人の事を調べてみようと思ったのだ。続きから本を手に取り、捲り始める。相変わらず記載は見当たらなかったが、面白い本で、つい夢中になって読みふける。女神も邪魔をしないように、自分の仕事を始めた。
そうして時は過ぎ、夕刻に差し掛かりそうになった頃、レティシアは小さな悲鳴を聞いて顔を上げた。
「え・・・・っ?」
声を上げたのは書庫の管理をしている女神で、床に伏して倒れていた。
「どうしましたか!?」
慌てて駆け寄ろうとした時、急に目の前が真っ暗になった。
レティシアの意識があったのは、そこまでだった。
さあ、クラウスに喧嘩を売ったのは、誰でしょう。
・・・・明らかですが。