レティシア、とぼける。
クラウスの荷物など、本当に必要最低限だった。手荷物と言えば、袋一つと二本の剣だけだ。いっそ身軽である。平隊士は相部屋なのだが、たまたま空いていたため、一人部屋になった。
レティシアは一通り宿舎の説明をすると、
「ええと、他に何か聞きたいことはありますか」
クラウスは室内を一瞥しただけで特に興味も無さそうで、肩を竦めた。
「今の所、特にない。俺はここで寝泊まりすれば良いんだろう?」
「ええ。その内騎士隊に戻れるように取り計らってくれるようですから、気落ちしなくていいですよ」
「別に。俺は何処でも良い」
あっさりと言い切った彼の口調は何処をどう聞いても本音で、レティシアは頭痛を覚え、聞かずにはいられなかった。
「貴方はどうして騎士隊に入ったんですか?」
「あっちの試験の方が簡単だろ。取り合えず叩きのめせば合格だと聞いた」
どこかで誤解があったに違いない。そう思いたい。
「いえ⋯⋯衛士隊の方が入るのは楽ですよ。神術さえ使えれば良い。実戦向きかどうかは、その後判断されます」
「そっちも随分適当な選抜だな」
「神術が扱える者は、我が国でも希少ですからね。他国に奪われては厄介ですから、先手を打つんです」
「成る程ね」
まるで他人事である。騎士隊に執着しているわけでもなさそうだ。
「でも、それでは何のために国軍に?」
初めてクラウスは思案気な顔をして、徐に言った。
「頼まれて人を探している。武芸はそれなりで、神術も下手糞なりに使える、気が強い女らしい」
「まあ、それなら国軍にいる可能性はなくはないと思いますが、一体誰に頼まれたんです?」
「探しに行けと言ったのは俺の両親だ。友人の娘だとか言っていたが、親に反発して家出したそうだ」
「なるほど」
「連れ戻して、俺の嫁にしろだと。友人ともそう約束したらしい」
「随分強引ですね」
呆れ返ったレティシアに、クラウスは軽く首を傾げた。
「そうだな、俺も会った事は無いし、勝手に決めるなと思ったが、仕方がない」
「成る程⋯⋯その女性の身なりは分かりますか?心当たりがあるかもしれません」
レティシアは俄然やる気になった。何しろ、この男はその家出娘が見つかりさえすれば、ここに用は無いらしい。つまり、自分は指導役を外れて、晴れて研究に没頭できる。家出娘も何か事情があるのだろうし、罪悪感も湧くのだが、娘の行方を追って軍にまで入ってきてしまったとんでもない男である。いずれは突きとめるであろうし、そうなれば結局は解決しなければいけないことだ。
「年は二十」
「そうですか」
同い年だな、と考えつつ、先を促す。
「髪色は銀、目の色は⋯⋯そうだな、お前みたいな青みが掛かった紫眼だと聞いた」
「⋯⋯こんな目の色の女は幾らでもいますよ。その他には?」
「細身で、背は高い方だ。俺より頭一つ低いくらいだと」
クラウスは不意に視線を落とし、レティシアを見やった。
「その⋯⋯他には?」
「名前はレティシアだそうだ」
髪を染めて置いて本当に良かったと、レティシアは心から思った。勘違いされるところである。
あまりに目立ち過ぎる銀髪は、だが色素が薄い分よく染まる。流石に目の色を変える術はなかったから、そのままだが、名前はよくあるものだし、男の言った容姿は、王国でも珍しいものではない。
「心当たりはありませんね。他の者にも聞いてみ⋯⋯なにっ!?」
いきなり男の手が伸びて、前髪に触れたのでぎょっとするが、男の漆黒の瞳が獲物を捕られたように細められた気がした。
「お前、髪染めてるな」
「何を言って⋯⋯ぎゃあっ!?」
クラウスが一言二言何か呟くと、染めたばかりの赤茶色がみるみる内に落ちて、銀色の髪が露になる。後ろに雑に纏めていた紐が何故が解けてさらりと流れ、男の手が一房取ると、指先で撫でた。
「⋯⋯勿体ねえ。傷むだけだ、もう染めるなよ」
「お、お前⋯⋯何をしたんだ!戻せ、早くっ」
動揺の余り、口調が乱雑なものになっていることにも気付かず、レティシアは必死で訴える。
「元の色に戻しただろう?」
クラウスは怜悧に笑う。駄目だ、絶対に勘違いしているとレティシアは思った。
「これは悪目立ちして面倒だから、染めているんだ。別に隠すためじゃない。それに、銀髪で紫紺の瞳の女など王国には幾らでもいる」
「しばらく王都を歩いて回ってみたが、一人も見かけなかったぞ」
「お前の探し方が悪いんだ!」
レティシアはきっぱりと言って、
「大体、私は家出娘などではない。父親とは赤子の頃にとっくに離別しているし、母親は亡くなって、自立した人間だ。妙な事に巻き込まないで頂きたい。私は忙しい」
クラウスは苦笑して、肩を竦めた。
「そうだな。お前の名前はレアだとか言っていたしな」
「無論だ」
レアという名を多用しているせいで、本名がそれだと知っている者は殆どいないし、滅多に呼ばれない。迂闊にもこの男の前でそれを呼んだら締め上げてやろうと思った。
「もう一つ、その女を特定する事がある」
「何だ」
「その女は、神と人間の間に産まれた娘だ」
レティシアは背筋が寒くなった。クラウスの漆黒の瞳が一挙手一投足を見逃さないとばかりに見据えてきているから尚更だ。
「⋯⋯なにを、莫迦な。神と人間が交わって、子を成したというのは、ずっと古の時代だ。本当かどうかも分からない話だ」
「確かに滅多にないが、あり得ない話じゃない。人間たちが気付いていないだけで、神族は人界に降りてきている。実際、その女の父親であるゼウスは、二十年前に人間の女に娘を一人産ませた」
もう一度顔を合わせたらぶん殴ると心に決めていた父親を、殴るだけでは飽き足らないと、レティシアは真剣に思った。
いや、待て。あの好色な父親の事だ。同時に何人も孕ませて、子を産ませている可能性だってある。面倒だからと言って、同じ名前を付けまくっている適当さがあってもおかしくない。
そういう男なのだ。あの糞男は。幼い頃に母と自分を捨てて、挙句に母の死に際になって、突然父親顔をしてやって来たあの男が、レティシアは今も大嫌いだった。
断じて、あの男の娘だなどと認めるわけには行かない。あの男が決めた結婚話などというなら猶更だ。
絶対にすっとぼけてやろう。クラウスには些か気の毒だが、仕方ないと言うくらいだから大して乗り気ではない。その内諦めるに違いなかった。
「そう。じゃあ、頑張って探して」
「必要ない。見つけた」
踵を返して扉を開けかけたレティシアだが、後ろから延びた手がそのまま再び扉を閉ざしてしまう。
ばたんっと音を立てて閉じた扉を見つめ、レティシアは引き攣った顔を懸命に抑えなければならなかった。