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神嫌いなのに、神に懐かれ、人を辞める。  作者: 猫子猫
人界編 レティシア
25/67

神々の身勝手な言い分。

 伯爵と言えど、一臣下に過ぎないにも関わらず、ヴァーゼのあまりの暴言ぶりに侍従たちは顔の色を喪っていたし、それを見かねたのか進み出た男がいた。

 齢五十に差し掛かる、老臣である。

「まあまあお二人とも、落ち着いて下され。ヴァーゼ殿の申し出もごもっともかと思いますぞ。この娘は優れた神術遣い。殿下もご再考されても宜しいかと思います。」

 その提案に、皇太子は顔を顰めた。

「お前までそんな事をいうのか。神術遣いだから、レティシアを求めた訳ではないぞ。」

 辟易した顔をした皇太子は、ここぞとばかりにヴァーゼも更に畳みかけてくると思いきや、彼は眉を潜めて、老臣を見返している。

 人々の視線を集めた老臣は、にたりと薄気味悪い笑みを零した。

「では、神の娘であるからで御座いましょうか。」

「なに?」

 皺だらけの口がにいっと野卑に笑い、己の正体を暴露されて蒼白になっているレティシアを見据えた。

「何を驚いている。知られておらぬとでも思ったか?それとも・・・上手く逃げおおせたとでも、そのような愚かな事を考えたのではあるまいな。」

 レティシアは一瞬何をにを言われているか意味が分からなかった。だが、老臣と目が合った瞬間、全身が総毛だった。忘れたくても、忘れられない。自分の翼を奪った、あの神族の目だった。

「・・・・っお前は・・・・・!」

「我らの《眼》は常におまえを見ていたぞ。三年前の我らの問いに答えてもらおうか。お前の母親が産み出した、ゼウスを弑する術を教えよ!」

 怒号と共に、男から凄まじい熱波が放たれると同時に、火炎の塊がレティシアを襲った。咄嗟にレティシアは皇太子を背に庇った。皇太子の武芸は優れていたが、神術は不得手だ。神術に対抗するには神術でしかなく、レティシアは恐怖と戦いながら防御結界を張る。だが、強度を最強に高めたはずのそれが粉々になって砕けた。男のせせら笑う声が、脳裏に響き、あの時と重なる。

 直撃を覚悟したレティシアは、だが突如眼前に現れたヴァーゼが炎弾を悉く叩き落すさまを見た。

「下らぬ・・・実に下らぬ。」

 吐き捨てるように呟いた、ヴァーゼの声音は冷え切っていて、あまりの殺気に皇太子も蒼白になっているにも関わらず、レティシアは不思議と怖いと思わなかった。ヴァーゼの殺気のすべては、老臣へと向いていた。だが彼が見据えていた者は違った。

 床に昏倒した老臣を踏みつけるようにして現れた、悠然と立った若い男を見返した。纏う空気が、覇気が、すでにこの男が常人ならざる者であることを告げていた。体躯はヴァーゼの数倍はあろうかという程の巨躯であり、筋肉質の身体は人の身体を易々とへし折りそうな力を感じさせる。

 レティシアはこの男を知っていた。そして、ヴァーゼもまた同じだった。

「・・・ようやく尻尾を出したな、オゼ。そこの人間を《眼》にして、この娘を見張っていたのは貴様だな?」

「私こそ驚きですよ。クラウス様の目を盗むことにばかり執心して、失念しておりました。よもや貴方様が出てくるとは計算外です。人間の女は戯れでは無かったのですか?」

「黙れ。」

「おびき出す手間が省けましたよ・・・娘から術式を聞きだすまでも無い。まあ、下賤な人間の術など、使いたくもありませんでしたから、幸いと言うべきでしょうか。」

「黙れと言っている!」

 唸るように言ったヴァーゼの背を見上げ、レティシアは体の震えを抑えなければならなかった。嘘だと思いたかった。でも、ヴァーゼの声音が次第に、あの男と似通ってきている事に気付いてしまった。

 蒼白になり、ヴァーゼから一歩、また一歩と離れようとするのを、彼は見咎めた。

「・・・今は傍を離れるな。この男はかつての私の側近だ。上級神とは思えぬ卑劣さだがな。」

 レティシアは悲鳴を堪えなければならなかった。全身が恐怖で震え、だが、あの時と同じように救いを求められなかった。

 オゼという上級神は、自分を虐げた神だ。そして、眼前にいるヴァーゼは、自分が最も嫌悪する神だ。皇太子も、オゼが姿を見せただけでその覇気にあてられて失神している侍従も、神々の戦いに太刀打ちできるものではない。

 睨み合う神々を前にして、レティシアはただ只管恐怖に耐えるしかなかった。頭に過った青年に、助けを求めてはいけないと思った。

 彼は人間だ。自分が彼にそうであることを望み、結果彼の命を危険に晒している事実が、レティシアを懸命に自制させた。

 ただ、凄まじい轟音と共に、扉が蹴破られた時、レティシアの目から涙が溢れた。

「クラウス!」

 息を乱し、額から幾重にも汗を滴らせたクラウスは、だが傷だらけだった。剣で斬られたのか、服が裂け、彼方此方血が滲んでいた。扉を蹴破った彼の背越しに、廊下の至る場所に倒れている衛兵達の姿があった。だが、彼の剣は腰から下がったままで、抜いた形跡がない。クラウスはレティシアの無事を確かめた瞬間だけ目を和らげ、そして殺気立った目でヴァーゼとオゼを見据えた。

「・・・・妙な神気がしたから来てみれば・・・随分な歓迎をしてくれたな。」

 オゼは冷然と笑った。

「出迎えは気に入ってくれましたかな?この王城にいる全ての人間は今私の手駒ですが・・・・おやおや、全員打ち身で済ませるとは、貴君も随分寛大になられた。大人になりましたかな。」

「煩い、この老害が。その男を殺すなら好きにすればいいが、レティシアを巻き込むな!」

 凄まじい覇気が放たれ、オゼも流石に眉を潜めたが、あからさまに嘲笑を浮かべた。

「現に見るまで信じがたい事でしたが・・・やはりその身体は脆弱な人間ですか。貴方のような御方がそこまで堕ちるとは、御両親のお嘆きもさぞ深い事でしょうな。」

「・・・・消すぞ、貴様。」

「不可能なことなど、ご自分が良く分かっているでしょうに。」

 オゼの嘲笑に、漆黒の瞳が冷ややかに光った。じりと、彼が一歩踏み出す前に、クラウスの姿は消えた。それと同時に彼が居た場所に突如現れた五人の男神の刃が一斉に振り下ろされ、床を粉々に砕いた。飛びのいたクラウスを、すぐさま刃が追う。

 だが一振りが空を斬り、彼に間を与えたことが命取りであり、クラウスが短い詠唱を唱えると同時に五人の身体は壁に叩き付けられた。壁が崩れ、凄まじい衝撃が走る。人間であれば生きていないであろうそれに、だが五人の身体は何事も無かったかのように、再び刃が伸びる。

「ちっ・・・。」

 人間の身体で、身体的に圧倒的に優勢に立つ五人の神が一斉に襲い掛かられ、避け切れなかった刃がクラウスの身体を裂いた。

 ヴァーゼもまたオゼの放つ凄まじい火炎弾が飛び交い、それを防ぐに手一杯になった。レティシアも自身を襲うそれを防御結界で弾こうとしたが、一つがやっとで、その他は全てヴァーゼが叩き落していた。

 レティシアは訳が分からなかった。何故この男が自分を護ろうとするのか。ただ理由を考えるより先に、五人の神に追い立てられているクラウスの事が気がかりで仕方が無かった。

 彼は人間で、この男は至高神だと言う。それならば、たとえ嫌悪する相手でも縋るしかなかった。

「私の事は構わない、クラウスを助けて!」

「・・・っ無理だ。手が離せん!」

 ヴァーゼの額からも汗が滲んでいた。力を遥かに落としているらしい、と言うクラウスの言葉が頭を過る。

 クラウスとヴァーゼの力量を、オゼとその配下は明らかに超えていた。

 どうしたらいい。

 必死で頭を巡らせ、クラウスの方へと注意が向いていたレティシアは、彼の存在を失念していた。クラウスとヴァーゼでさえも、神々との戦いに集中し、その場で唯一立っていた人間に注意を払えなかった。

 だが、レティシアは凄まじい殺気に思わず振り返り、胡乱な目をした皇太子が己に刃を振り上げていることに、ようやく気付いた。

 オゼは、王城のすべての人間と言った。皇太子もまた例外では無かったのだ。

「レティシア!」

 クラウスの叫びが、すぐ傍で聞こえたと思った時、レティシアの眼前で鮮血が飛び散った。大量に噴き出した血は皇太子に跳ね返り、だが容赦ない蹴りが直撃して、彼の身体は遥か彼方に跳ね飛んだ。

 レティシアは、己の前に立った男の広い背を見上げた。

「・・・・クラ・・・ウス・・・・?」

「悪い・・・遅れた。」

 擦れた声で忌々し気に彼は呟き、そして血塗れの手で剣を引き抜くと、彼を追って即座に頭上に振り下ろされた五人の刃を一気に受け止めた。だが、その足がぐらりと揺らぎ、足元に出来た血だまりにずるりと滑る。

「チッ・・・・!」

 短い舌打ちを漏らすとともに、クラウスはだが踏みとどまり、刃を跳ね飛ばすとともに、五人全員の腕を斬り飛ばした。それと共に神術を発動させて、全員を遥か彼方に吹き飛ばす。

 だが、五人は瞬時に空中で身を翻して、軽々と降り立った。飛び散った腕が、それぞれの腕に戻り、何事も無かったかのように付いてしまう。

 不死身か。

 そうレティシアが思ってしまう程、神々の精強さは凄まじいものだった。そして、自分の頭をくしゃりと撫ぜた彼の手に、泣き出しそうになる自分を必死で堪えた。皇太子の一刀で、クラウスの上半身は斜めに深く抉られて、全身を赤く染めていた。あの怪物のような五人を相手にしながら、彼は自分を庇ってくれたのだ。

「大丈夫だ、この程度。直ぐに・・・終わりにしてやる。」

 激痛であろうし、顔の色も悪くなる一方だと言うのに、漆黒の目は優しい。

 だが、その二人の足元に、ヴァーゼの身体が跳ね飛んできた。避け切れなかった炎弾が、肩に直撃したらしく、流石に顔を顰めながら、起き上がる。だが、ヴァーゼの身体にも力がない。今の一撃で片方の腕が使い物にならなくなったことは確かだった。

「私が時間を稼ぐ。一先ず退け。」

「・・・冗談だろ。これから始末するところだ。てめえは引っ込んでろ。」

 吐き捨てるように言ったクラウスに、ヴァーゼは不意にくすりと笑った。

「一歩も退かないのは父親とそっくりだな。」

「黙れ、糞爺。」

「・・・・・・。口の悪さは、母親譲りか?」

 殺気立った目で睨まれて、ヴァーゼは喉を鳴らし、伝い落ちる汗を拭う。

「だが私も勝算が無くて言っている訳ではない。分かるか?」

 怪訝そうに見返したクラウスは、不意に表情を変えて呻いた。そして、レティシアを片腕で抱き寄せた。

「おまえは、見ないほうがいい。幻想が崩れるぞ。」

「な、なにが・・・・っ。」

 夥しい数の手傷を負った彼は、だがこんなときであると言うのに苦笑して見せた。

 彼の言わんとすることが、レティシアは次の瞬間初めて分かった。

 雷のような光が光ると同時に、オゼや五人の神々との間に、突如として現れた女神は、凄まじい怒りを露にしていた。

 腰ほどまでのはずの黄金の髪が、彼女の足元にまで伸びてうねりを上げ、男達を骨抜きにした麗しい顔は見る影もない。形の良い眉が吊り上がり、二重の美しい眼は見開き、般若の様相で見据えていた。

 オゼが初めて気色を変え、他の五人の神もまた彼女から距離を取るように飛びのいた。

「お前達・・・わたくしの・・・わたくしの可愛い未来の娘に、何をしてるのかしらね・・・。」

 女神マリアは激怒の籠った目で彼らを見据えた。これにはヴァーゼも呆れた顔をして、

「・・・・おい。お前の息子の方が重傷だが。」

「殺したって死なないわよ!死んだら死んだでその時だわッ!」

 これを聞いて、当のクラウスもげんなりとした顔をして、呆気に取られているレティシアに、

「な?だから言っただろ。こういう女なんだよ。」

「お黙り!この程度の屑に、何を愚図愚図しているの!」

 マリアの目には容赦が無い。距離を広げようとする彼らに、冷然と笑い、

「あら、逃げる気・・・?わたくしが、そんなことを許すと思って?」

と進み出ようとした瞬間、オゼが初めて対抗心を露にした。

「貴女様が来る前にと思いましたが・・・仕方がありません。」

 そう言うや否や、廊下から凄まじい地響きが響き渡り、扉の前に無数の人々が群がった。クラウスに吹き飛ばされたはずの皇太子の身体がゆらりと起き上がり、切っ先を向けてくる。

 マリアは、一瞥をくれただけで、冷然と笑った。

「人間を手駒にしてるの?相変わらずの卑怯さね。でも、そういうのは効果がある相手におやりなさいな。わたくしは、この国の人間が全員死んでも、痛くもかゆくも無いわ!」

「・・・・威張り腐って宣言する事かよ。」

 最早高笑いさえも聞こえそうな母親に対するクラウスのぼやきは、当然女神の耳には入らない。だが、オゼもこの苛烈な女神の性格を知らない訳ではない。

「では、レティシア。この王城にいる全員に、喉を突いて死んでもらいましょうか。」

「・・・・っ止めろ!」

 この強烈な脅しは、レティシアにだけは効果がある事を、オゼは見抜いていた。だからこそ、彼はそれを更に実行に移すべく、群がった人間たちの間から、一人の少年を呼び出した。レティシアとも面識の深い、皇太子の従僕だ。焦点の合わない目をした少年の手には、料理包丁が握られていた。

「まずは、一人。」

「止めて・・・・!」

 駆けだしそうになったレティシアの腕を掴み、クラウスは引き戻すと同時に、短い詠唱を持って少年が喉元に突き刺そうとした包丁を遥か彼方に跳ね飛ばした。すると、その場にいた他の面々が一斉に自身の命を絶とうと動く。騎士は刃を喉元に当て、刃を持たぬ女はお互いの首に手を伸ばす。

「本当に、下世話。」

 マリアは忌々し気に舌打ちを漏らすと、詠唱を始めた。オゼが気色を変えて、五人の配下に命を下すよりも早く、彼らの獲物と言うべき者達は忽然と姿を消していた。

 脅す相手が逃げてしまえば、いくら人間を殺した所で意味はない。オゼは怒りに任せて、瓦礫を蹴り飛ばし、怒号を上げた。

「神気を辿れ!至高神を屠る絶好の機会を逃すな!」


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