皇太子、失恋する。
宿営地には、従僕の少年と同行していた迎えが来ていて、レティシアは馬車に揺られて、王城へと向かった。王城に隣接している軍営地から行く際も、強固な壁が張り巡らされており、堅牢な守城として知られている。三つの大きな門をくぐらなければならず、その周囲には番兵が数多配置されており、有事に備えている。
そうして、レティシアが王城に辿り着くと、正門で待っていたのはヴァーゼ伯爵とその配下達だった。レティシアが皇太子の下に行くとき、決まってヴァーゼが出迎えてくれるので、慣れたものだが、今日は随分護衛の配下が多い気がした。
「お出迎えありがとうございます、ヴァーゼ閣下。」
「いや、良く来てくれたね。未来の妃殿下のお越しとなれば、皇太子殿下もお喜びになるだろう。」
レティシアを促して廊下を歩きながら、ヴァーゼは上機嫌だ。皇太子は直接そんな事を言って来た事はないし、求婚された覚えもない。初耳である。
「冗談はおやめ下さい。」
「何故かね。身元も知れぬような男よりも、ずっと良いと思うが。」
温和な笑みを崩さない彼の声音に、随分冷ややかなものを感じたレティシアはぴたりと足を止めた。ヴァーゼもまた笑みを浮かべたまま、脚を止めて振り返る。彼の周囲に従っていた部下達も彼に倣った。
「ご存知でしたか。」
「クラウスと言ったかね。無論だとも。皇太子殿下がご執心の君の事は、軍部から詳細が報告されてくる。」
そんな事をしていたのか、あの上層部の連中は。神族から監視されていたが、人間からも監視されていたようだ。
「・・・・・・・・・・・・。」
「あのような男のどこが良いのだ?奴は冷徹で、凶悪で、女遊びも大概過ぎるそうだぞ。神術も武芸も優れているというが、碌でもない性格の男だ。」
「実際会った事も無いと言うのに、随分な言われようですね。」
レティシアは相手の身分さえ忘れて怒鳴り返しそうになった。蒼白になって怒りに震えるレティシアに、だがヴァーゼは平然と言った。
「だが、事実だ。お前には、皇太子殿下のような御方こそ相応しいと思うが。」
「押し付けないで頂きたいですね。私はクラウスが好きですし、隊を去ることも辞しません。」
きっぱりと言い切ったレティシアを黙って見返していたヴァーゼは小さくため息を付き、再び歩き出した。周囲の部下達もそれに続いたので、レティシアだけが足を止める訳にもいかない。
重苦しい沈黙が続く中、皇太子の待つ広間へと通された。
レティシアが来ると聞いて、実に嬉しそうであった皇太子に、侍従たちは目を細めていたが、実際やって来た彼女を見て、皇太子は顔を引き攣らせた。
「レ、レティシア・・・何を怒ってるんだい?」
「怒らずには居られません。私は彼を侮辱されるためにここに来たわけではありません。」
「えええ・・・・。」
一体何のとばっちりだと皇太子は目を白黒させて、平然としているヴァーゼに、苦々し気な視線を向けた。
「ヴァーゼ、お前は一体何を言ったんだ。」
「この娘が夢中になっているクラウスと言う男は、下種だと言ったまでです。どうせ碌でもない男ですよ。」
「おまえ・・・なあ・・・。」
皇太子は頭痛を覚えて呻いたが、レティシアは更に殺気立った目でヴァーゼを睨みつけている。完全な貧乏くじを感じつつ、紛然としているレティシアを宥める方が先だと判断した。
「この男は君が私の妻になる事を切望していた者だから、つい口が悪くなるのだよ。許してやってくれ。」
「私は殿下の妃になれるような女でも無く、なるつもりもありません。」
「うん、うん。知ってる。散々振られたからねぇ・・・・。」
怒り心頭だったレティシアが、余りの事に目を剥いた。これには皇太子も苦笑するしかない。
「あれ、気付いていなかった?僕は君を妃にと何度も、求婚したと思ったんだけど。」
「初耳ですが・・・。」
「まあ、はっきりとは言わなかったからね。ヴァーゼが、君に受諾してもらうためには、君に良いところを見せないとって言うから、頑張っていたんだけど、君ってば優秀過ぎるから。」
事あるごとに皇太子が猛者と知るや鍛錬を求めたりしていたのは、どうやらその為だったらしい。全くの無駄に終わったが、その為に皇子も随分逞しくなったと言うのは、王臣たちも認める所だ。
「そうでしたか・・・・あの、ありがたいお話ですけど・・・。」
「ああ、良いよ良いよ。これ以上振られたくないし、あの男なら納得だから。」
皇太子は寂しそうではあったが、陰険な男ではない。笑って済ませてくれることが、レティシアにはありがたくて、表情を緩ませた。
「殿下も一度会った事がありましたね。」
「うん。いやあ、怖かったよ。僕、殺されるかと思った。」
「クラウスにですか?」
「君が僕らの間に割って入った時、君は防御結界を張ってくれたけど、僕は君の結界に当ててしまったからね。」
「構いません。その為の防御結界ですから。」
「でも、彼は止めたんだよ。僕と対峙しても、平然としていたくせに、初めて顔色が変わっていたから、多分必死だったと思うよ。あの時から、彼は君を傷つけたくなかったんだろうね。」
「・・・・・・・・・・・・・。」
「僕はあの時、こうなる気がしたよ。君は僕だけじゃなく、他の大勢の男にも見向きもしなかったから、時期尚早かなと思っていたけど、違ったんだね。」
「・・・・はい。」
「幸せにおなり、レティシア。僕は君が幸せなら、それだけで嬉しい。」
皇太子の目は優しい。本当に皇子が自分を大切に思っていてくれたからこそだと、レティシアも分かったから、顔を綻ばせて頷いた。
だが、ヴァーゼはその穏やかな雰囲気を平然と壊した。
「全く・・・気概の無い。王族ならば、もっと強引に出ても良いものを、これではどちらが王族か分かりませんね。」
「ヴァーゼ、それは僕への嫌味かい。」
「奪われたら奪い返すくらいの根性を持ったらどうですか。貴方はそれでも一国の皇子ですか。」
棘だらけのヴァーゼに、皇太子は睨みつけるにとどまっている。
実際、良く言われる事だけに、反論しがたいことらしい。