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神嫌いなのに、神に懐かれ、人を辞める。  作者: 猫子猫
人界編 レティシア
22/67

レティシアは、縁を切りたい。

 後生だから一晩待ってくれ、その間に上層部と話し合うと、上官に言われたレティシアは受諾した。と言うよりも、こちらの方が迷惑をかけている側なのだから、逆なのだが、鬼気迫る勢いの上官に何も言えなくなったという方が正しい。だが、いずれにしても、恋仲になった男女を同じ隊に置くなど無理を通させたくはないし、レティシアもそれを望んでいる訳ではない。ただ、肝心のクラウスが一歩も引かない様子を見ると、長くは隊に居られないだろうし、脱退になるかもしれないとは思った。一方クラウスは一晩待つのも不満そうだったが、《本》の事があったためか、

「待っても良いが、変わらないぞ。」

と上司を一層追い詰める通告をするに留めた。新入りのする事ではない。

 勤務が終わると、レティシアと一緒にクラウスは彼女の私室を訪れた。鍵も何もない机の引き出しをレティシアは引くと、そこに変わらず置かれていた一冊の本を手に取った。表装は無地で、題名も何もなく、相変わらず開くことも出来ない代物だ。

「あった、これだ。」

 レティシアから本を受け取ったクラウスは、少し驚いたように本に目を落とし、しばらくそれを眺めていたが、不意にレティシアに視線を向けた。

「・・・前に一度、室内を物色された事があると言っていたな。これはその時も同じ場所にあったか?」

「うん。他の机の中の物が動いていたから、多分何か探していたんだと思うけど、その本はそのままだった。それがどうかした?」

「・・・・・・・・。レティシア、人が神を越える事があることを知っているか?」

「え?」

 圧倒的な力を振るう神々に、人が対抗できる術があるとはレティシアも思わない。神と人の子であるからこそ、その歴然とした違いをよく知っていたからだ。

 だが、クラウスは微笑すら零して、更に言った。

「母上も言っていたが、神族と言うのは自分の力に驕る者が多くてな、怠惰に過ごす事が多い。長すぎる時間があるのも、この場合問題だな。だが、人は限られた時間を知っているからこそ、研鑽を欠かさない。だから、神術の研究の中で、神族を越えたと言われる術式が一つだけある。神術の応用なのだそうだが、人にしか使えないものだ。」

「それは、一体何なんだ・・・?」

 クラウスは本を軽く持ち上げて見せた。

「神の目から逃れる術式だ。」

「・・・・・・・?」

「神族は気配に敏い。神だろうと人だろうと、生命体には全て生気があるからな。それを容易く読み解く。ただ、人界に存在する生物は、脆弱で生気が弱いから、神族でも読み取るのはかなり至近距離でなければ難しい。神族はその逆だ。敏い神族なら同じ世界にいれば居場所を特定できる者もいる。俺がお前の傍に居た時に、お前を監視していた神族の気配があれば、俺は即座に気付いたはずだ。だが、その神の目から、逃れる術を人が見つけたと言う。」

「それは・・・人にとって幸いと言うべきか?」

「そうだろうな。神の圧倒的な力に対して、ささやかではあるが反抗できる術だ。最も、目を逃れるというだけで、そこから何が出来る訳でもない。術式に僅かな綻び一つ見せれば、終わりだ。あくまで完全に使えなければ、何ら意味は無い。神族は自分達に唯一不利だから、これを邪法と呼んではいたが、だからと言って使用者を粛清した事も無い。難解過ぎて伝播されず、発案者以外、誰も使える者は居ないだろうと言われていたからだ。」

「そんな術が・・・実在するのか。」

「ああ。そんなものを多用されてはたまらないから、存在が明らかになった時には大騒ぎになったが、すぐに終息した。発案者の跡を継げるような者がいなかったからだ。」

 レティシアは愕然としつつも、クラウスが何故そんな話をするのか分からず困惑した。だが、他の者なら察しが悪いと冷笑するクラウスであるが、相手が彼女となれば、極めて丁寧である。

「この本にはその術式が掛かっている。俺も初めて見たが、恐らく間違いないだろう。」

「えっ!?」

「言った通り、神族は気配に敏い。こんな神術がふんだんに使われたモノがあれば、神族だった時の俺は、直ぐに気づいたはずだ。だが、俺は人の身になってようやく、コレを認知した。お前の部屋を荒らした奴が、この《本》に興味を抱かなかった訳じゃない。気付けなかったんだろう。」

「つまり・・・母様は、その術を使えたという事か?」

「そうなるな。発案者は千年前にとうに死んだそうだし、それ以来になるんじゃないか?」

 恐らく神界が知れば再び大混乱だろうが、クラウスは別にどうでもいい。だらけてばかりいる神族の方が悪いとあっさり切り捨てている。それに彼女の母は既に故人であり、今更だ。

 クラウスは、今人の身であり、そして前身が神族であったからこそ、この難解な神術に気付いた。存在を認知できれば、後は彼にとって難しい話ではない。

 驚くレティシアの眼前で、彼は聞き慣れない詠唱を行い、そして決して開かなかったページを捲り始めた。

「お前の物だ。見るか?」

 そう言われてレティシアは覗き込んでみたが、全く意味不明な文字が躍っていて、首を横に振った。

「やっぱり意味が分からない。この国の文字じゃないな・・・。」

「神族が使う文字だ。知らない者には読めないだろうな。」

「ううん・・・母様は何を考えていたんだろう。人にしか見えない本で、でも中身は神族にしか読めない本か?」

「・・・・・そうなるな。」

 クラウスは不意に押し黙り、ぱらぱらとページを捲っていく。凄まじい速度で本を読み進めているのは、何となく分かったので、レティシアも黙って見護り、そして彼が本を閉じると、声を掛けた。

「お前は・・・読めたのか?」

「・・・ああ。だが、これは別に他の十九冊のように神術に関して書いたものでは無いぞ。お前の母親が、ゼウスに宛てたもののようだ。」

 クラウスは小さくため息を付き、本をレティシアに返した。レティシアは益々困惑するしかないし、嫌な名前が出てきて、流石に顔を顰めた。

「母様が、あの男に?」

「そうだ。だが大半がお前の事ばかりだったぞ。お前が幼い頃から、どういう風に育っていったかという内容だ。奴が知り得ない、お前の成長の記録だ。お前の母は、とても愛情深い女性だな。」

「・・・・・・・・・」

「お前がゼウスにこれの存在を教えてやらなければ、奴が気づくことは無い。だが、お前が奴にこれを譲れば、奴は中身が読める。だから、お前の母親はあえて神族の文字を使って書いたのだろうな。」

 レティシアは母の形見となった本をぎゅっと抱き締めた。ゼウスに捨てられた母は、それでも、ゼウスを愛していた。それは子供心にもレティシアが感じていた事だ。だから、彼との子であるレティシアの事を、自分の死後に伝えようとしたのかもしれない。だが、それはあくまでレティシアがゼウスを許した時に初めて分かる事だ。

 母は、人手に渡すなとだけ言った。でも、ゼウスに存在を明らかにしろとも言わなかった。全てをレティシアの想いに託してくれたのだ。

 自然、レティシアの瞳から涙が落ちた。クラウスは静かにその涙を拭って、優しく抱きしめた。

「・・・・お前の母親は、大切にお前を育てたんだな。」

「ああ・・・怒ると怖かったけれど、とても・・・とても優しい母だったんだ。」

 レティシアの涙はやがてすすり泣きに変わった。

 母が死んだ時、レティシアに涙を流している暇は無かった。母の亡骸はやって来たゼウスとその配下にあっという間に葬られ、レティシアは強引に神界に連れて行かれた。涙を流す暇も無かった。

 やっとの思いで人界に逃げ戻って来て、母の名残を求めて衛士隊に入ったが、母は歴戦の猛者であったこともあってか、隊員達から畏怖され、戦人としての母の事ばかり誉められた。優しくて、穏やかで、愛情深い母の事を、共感してくれる人は誰も居なくて、レティシアはここでもやっぱり何故か涙が出なかった。

 一人で生きて行かなければならないと戒めてもいたから、泣きたくなかったのかもしれない。

 ただ、クラウスの腕の中で、優しく労るような温もりの中で、レティシアはただ流し忘れていたはずの涙を零した。

 レティシアが泣き止むと、クラウスは瞼の上に軽くキスを落として、本に手を翳すと、何事か詠唱した。すると本は見る見るうちに形を変えて、銀色に輝く、美しい装飾が施されたペンダントへと変わり、レティシアの首に下がった。

「これなら持ち歩く必要も無いだろ。」

「うん・・・ありがとう、クラウス。」

「本に掛かっていた術式は戻しておいた。今まで通り、神族はそれに気づかないはずだ。」

「も、戻せたのか?」

「一度解ければ、大体の原理は分かるからな。元に戻す程度なら出来るが・・・やれと言われるとな。少し時間が欲しい。」

 人が考案した代物であるため、流石にクラウスも難しいらしく、顔を顰めつつも、

「お前の周囲を監視している神族からお前を護るのに最適な術だ。必ずモノにして見せる。」

と言って、レティシアの唇を軽く摘まんだ。途端に頬を染める彼女にくすりと笑い、首から下がっているペンダントの鎖に指を絡めた。

「ただ、この術式をお前の母親はかなり前に完成させていたはずだ。これに掛けられていた術は随分時間が立っていた。書き足す度に術を掛け直していたんだろう。だから、《神殺しの剣》と称していた研究は、またそれとは別だ。」

「じゃあ、振り出しだな。もう心当たり何て無いぞ。」

「・・・・いや。一番最後の項が、恐らくそれに当たる。記載内容が他と明らかに違った。字もここだけ乱れていたし、死に際に書き残したようだ。」

 息を呑むレティシアに、だがクラウスは厳しい表情を崩さない。

「ただ、これは流石に表沙汰にしない方が良いだろうな。喜びそうな連中が山のようにいる。面倒な事になるぞ。」

「どうして?」

「ゼウスの術がどうすれば潰せるか、懇切丁寧に書いてある。未完成らしくて、お前に託すそうだ。神殺しと言っていたのは、多分これだろう。」

「・・・・・・・・・・・・」

「お前の母親はゼウスを愛でていたのか、殺したかったのか、どちらだ?」

「ううん・・・・どっちもな気がする。」

 レティシアは頭痛を覚えた。母はもう既に亡いし、ゼウスに宛てて自分の成長記録を残しながら、ゼウスの術を破る方法の記載もするのだから、意味が分からない。

 クラウスは肩を竦めた。

「神殺しの剣はともかく、お前を神族から隠す術を残しておいてくれただけでも、俺にとっては十分有難い。・・・・・・どうした?」

 レティシアの表情が強張ったのに、クラウスは怪訝に思って問う。

「なあ、その眼晦ましの術と言うのは、ずっと続くものなのか?」

「いや、恐らく限界があるな。本来術者が死ねば、解けるのが神術だ。その形見の品は、あくまで無機質なものだから長く持っているだけだ。」

「生きているものには、持続はしない・・・?」

「ああ。それはどれだけ強固にしても無理だな。生命体は目に見えていないだけで常に変化している。それは人間でも神族でも同じ事だ。大きく変化があるものに対応できるような術式じゃない。それがどうした?」

「・・・・さっき、お前が言っていた詠唱の文言、聞いたことがあったんだ。多分・・・母様はわたしに掛けていた。」

「お前に?」

「うん。お祈りの時間だって言って、母様がよく唱えていたんだ。意味はよく分からなかったけれど・・・。」

「・・・・・・・・。神族からお前を隠していたか。」

 レティシアは困惑するしかない。

「だが、何のために?私は母様みたいな才も無いぞ。」

「言いたくはないが、お前はゼウスの娘だからな。」

「・・・・つまり何か。わたしはあの男への恨みを転嫁されている可能性があるという事か。」

 言っていて、間違っていない気がした。

 自分の翼を捥いだ連中は、殊更にゼウスの名を口にしていた。

 一体どこまで人に迷惑を掛ける男だろうか。レティシアは閉口したし、クラウスは真顔で、

「お前、あの男と今すぐ縁を切れ。奴の存在が邪魔だ。」

「とうに切っている!」

 レティシアはやけくそのように叫ぶしかなかった。


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