上官、泣く。
十日間の休暇を終え、レティシアはクラウスと共に衛士隊に戻った。レティシアの休暇を(強引に)取ったのもクラウスであったし、彼自身も上司に強硬に自分にも寄越せと、全く同じ日数を取ったため、当然ながら隊内にも知れ渡っているのは、レティシアも覚悟していた。
実際、皆既に挙動不審だった。男性隊員達は、何故か半泣きで自分を見返してきて、
「俺達は信じないからな」
と言われ、女性隊員達は、
「どうだった?」
と根掘り葉掘り、目を輝かせて、尋ねて来た。よもや十日間にしていたことを公言するわけにもいかず、レティシアは真っ赤になりながら、当たり障りのない事をいうしかなかった。
一方、クラウスは平然としていた。男性隊員達からの凄まじいまでの殺気を浴びたが鼻で笑った上、むしろ一瞥しただけで全員黙らせた。ただ、彼らは一致団結していた。何とか言ってくれと上官を、彼の眼前に押し出して、犠牲者にしたのである。
クラウスの背は高く、上官も背が低い方ではないが視線を上げるしかない。一切の感情の無い漆黒の瞳で見返されると、背筋が寒くなる。
「あー・・・クラウス。わたしは、私事に口を挟む事はしないようにしている。だが、流石に隊内で、そういう関係になるとだな、風紀が乱れると言うか、士気にも関わりかねん。」
「だから何だ?」
あっさりとクラウスはレティシアと深い仲になっている事を認める。上司は背中から恨みがましい、半泣きの部下達の視線が一層強くなった事を感じ、呻いた。
「だからな、通例として、どちらかを異動させる事になっている・・・悪く思うな。」
「・・・・・・・・。俺を騎士隊に戻すのか?」
「いや。先方から丁重にお断りされた。」
打診してはみた。だが先日クラウスに瞬殺された将軍たちはまだ再起不能であり、すっかり騎士隊は恐れおののき、その衝撃から立ち直れていないらしく、勘弁してくれと拒否された。
「俺もあんな所にもう用はねえよ。」
クラウスが騎士隊に入った理由は単純である。ただ試験が簡単そうで、家出娘を探しやすくためだけだ。今は全く騎士隊に戻る必要はない。
「お前の剣の腕は随分買われていたんだがな・・・我々衛士隊としても、お前の才覚は底知れないものだと思っている。」
自分への賞賛に、クラウスは眉一つ動かさない。さっさと先を言えと冷ややかに見返され、どっちが上司だろうかと、上官はやさぐれつつ、
「我が部隊は戦では最前線に立つことになる戦闘部隊だ。お前のような力ある若者が必要だ。」
「つまりレティシアを異動させるという事か?」
上司の声が、レティシアにも聞こえたらしく、彼女は質問攻めにしていた女性達から逃れて、二人の元にやって来た。
レティシア自身は、覚悟していた事だ。まだ新米であるクラウスと違い、レティシアは隊に入って三年になる。上層部が規律を求めるであろうことも、理解していた。
レティシアを見返して、上司は気まずそうな顔をした。
「すまんな。お前は衛士隊でも随一の神術士だが、恐らくこの男の腕は、お前よりも上だ。上層部の総意だ。」
「いいえ。こちらこそ、お騒がせして申し訳ありません。」
「無論、お前の才も我々は惜しんでいる。なに、別の隊に異動するだけで大きく立場も変わらないように配慮するつもりだ。」
上層部は苦肉の策であろうし、最大限の譲歩をしてくれているのが分かるから、レティシアも納得して頷こうとした。だが、隣の男はそうではなかった。
「レティシア、脱隊するにはどうするんだ。」
「うん?脱隊届を書いて、受理されれば・・・・な、なに?」
「どうせ、ここには荷物を取りに来ただけだ。俺はお前を見つけたから、別にこれ以上、国軍に居る必要性を全く感じていない。むしろ、お前が戦なんぞに巻き込まれる場所に居ることだけでも、不快だ。辞めろ。」
「ま、待て・・・お前、最初から・・・?」
十日の休暇を終えて、道理で素直に隊に戻ってきたわけだ。衛士隊には、レティシアの荷物と共に、例の『本』がある。確かに、この男の立場からしたら、衛士隊での立場など惜しむはずも無い。
「俺をお前から引き離そうとしている時点で、あり得ねえな。その届とやらを今すぐ書け、レティシア。行くぞ。」
呆気に取られるレティシアの手を掴んだクラウスに、レティシアは慌てた。
「だから、待てと言うに!いきなり仕事を辞めたら、困るだろう!」
「誰が?」
「いや、だから私も衛士隊で与えられた役割と言うものがあるし、いきなり辞めれば迷惑がかかる。」
「この連中は、お前を異動させても良いと言って来たんだぞ。」
「それは当然の事だと思うんだが・・・。」
ただ、クラウスが多才とは言え、三年も居た自分が放逐されるとなれば、隊に必ずしもいなくてはならない存在では無かったという事だ。目を伏せるレティシアに、暗に彼女を見下されたことへの怒りを隠そうともしなかったクラウスの目が和らいだ。
「責任感が強いのは良い事だが、人に与えられた職務なんてものはな、代わりが利かないなんて事はまず無い。」
「・・・・・・・・・」
「俺にはお前の方が遥かに大事だ。俺にとって、お前の代わりなんていない。」
慰めるように、頬を撫でる手が優しい。
クラウスと、仕事と、どちらを取るかと問われれば、レティシアの答えは決まっていた。それ程までに、自分は彼に魅せられている事を自覚する。
それに、確かに自分を放逐すると言う程だから、隊を離れても大きく迷惑は掛けないだろうと言う彼の指摘も、責任感の強いレティシアには安心材料だ。
ただ、レティシアは現実的である。脱退すれば目に見えて生活に窮する事になる。何時までもマリアの好意に甘える訳にもいかない。自分の食い扶持くらいは自分で稼がなければいけない。母を喪い、レティシアは自分の身を立てる時に、そう誓ったのだ。
「でも・・・先々で色々困ると思うんだが。」
「全く困らん。」
平然と言い放ったクラウスに、レティシアは無理も無いと思う。彼は元は神族で、人としての生活に慣れてはいない。最低、衣食住は必要であるし、それにはお金がいる。
「いや、困るだろう。私も多少なりとも蓄えがはあるが、それだって底を尽く。働かないと、人間は生きていかれないんだぞ。」
そういうと、クラウスは軽く首を傾げて、少し思案した後、
「要するに、俺が自分の手でお前を養えば良いのか。国一つくらい、攻め落として獲れば足りるか?」
「は・・・・・?」
恐ろしい事を聞いた気がした。いや、絶対無理だろう。この男は今、一新兵に過ぎないし、神族ならいざ知らず、人間の身体である。だが、誰も笑い飛ばさなかった。むしろ蒼い顔をして、レティシアと同じことを思った。
何故だろう。この男ならやりかねない。
世界の危機と感じたのか、自国が攻め滅ぼされると思ったのか、賢明なる上官が慌てて口を挟んだ。
「ま、待て待て待て!お前がそれを言うと、何だか洒落にならん気がするから、待て!もう一度、上層部に掛け合ってやるから!」
「必要ない。その届出とやらを二人分さっさと出せよ、俺がレティシアを可愛がるのを邪魔すんじゃない。」
これではどちらが上司かさえ分からない。今にも泣きだしそうな顔をした上官が、先日よりずっと老け込んだ気もしていて、レティシアは何だかとても申し訳なくなった。
自分達の事で迷惑を掛けているというのに、これ以上悩ませるのは本意ではない。だからと言って、クラウスも一切退く様子も無い。やはり、これは自分が折れるしかないのだろうか。
「隊長、少し考えさせて頂いても良いですか。」
「レ、レア・・・?」
「隊にこれ以上ご迷惑をお掛けする訳にも参りませんから・・・身の振り方を考えてみようかと思います。」
上司の顔から一気に血の気が引いたのを見て、レティシアは倒れないかと心配になる。上司はいよいよ窮した顔をして、誰か止めてくれと、後ろを振り返った。
隊内の男たちは既に半べそを掻いていた。この短期間で、不落とさえ思われた自分達の女神が、あっという間に心奪われた現実を直視せざるを得なかったからだ。幸せになれよと本気で泣いているものさえいる。
では女性陣はと言えば、レティシアに対する愛情と独占欲を隠そうともしないクラウスに惚けきっていて、うっとりと浸っている者ばかりだ。類まれな美貌の持ち主であるクラウスは、普段は冷然としている。多くの女達の誘惑に対しても、あっさりとあしらうような男である。その彼に、ここまで熱烈に求められて、応じない女など居ないだろうと、強く頷いている。
誰一人として、上司の味方になって一緒に止めてくれる者が居ない状況に、上官は呻いた。
「決まりだな」
留めのように、クラウスは淡々と言い切った。
上官は本気で泣きたくなった。
この男を衛士隊で引き取るのではなかった。
一体どこで間違ったのだろうか。




