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神嫌いなのに、神に懐かれ、人を辞める。  作者: 猫子猫
人界編 レティシア
2/67

レティシア、間違える。

 上官から任を押し付けられたレティシアは、騎士隊の駐屯地に向かった。入り口で歩哨に立っていた二人の兵に用向きを伝えると、二人は何故か少し苦渋の表情を浮かべながら、男の居場所を丁寧に教えてくれた。男の所属している部隊なら、今の時間は練兵場に居るだろうと言う。

「ありがとう」

 礼を言って颯爽と立ち去っていくレティシアの背を見ながら、名残惜しそうに見ていた兵士は二人同時に重いため息を付いた。

「あー⋯⋯とうとう⋯⋯。俺達の女神は、神術研究一辺倒だと思ってたのに⋯⋯」

 レティシアは騎士隊で密かに女神と崇められている。優れた神術遣いであるだけではなく、美しい肢体に長くて真っすぐな綺麗な髪を持ち、大粒で円らな紫紺の瞳は妙に色香がある。小顔で大きな瞳である分、実年齢より若く見えるが、男にしてみれば素晴らしい美貌の持ち主なのだ。

「馬鹿、希望を捨てるな。上官命令と言っていたじゃないか。それにどんな美貌の男も悉く袖にしてきた人だぞ、あの男だって同じ目に遭うに決まっている」

 むしろ、王都中の女を虜にしているのではないかと思われる程、今や女性達から絶大な人気を誇る男を、思いっきり振ってほしいと彼らは思った。

 一方、レティシアは練兵場に辿り着いたが、やや呆気に取られた。

「⋯⋯来る場所を間違えたかな」

 男女問わず隊員が居る衛士隊とは違い、騎士隊は武力重視の為、必然的に男所帯だ。だが、練兵場には何故か若い女性達で埋め尽くされ、侍女、女官のみならず、大勢の供を連れた貴族令嬢までいる。流石に軍基地であるため、信用のある者しか入れない事もあって街娘の姿はないが、それにしたって凄い数だ。他の騎士達は大興奮のうら若き女性達が、鍛錬場に雪崩れ込まないか見張りに張り付いている始末である。

 レティシアは練兵場に視線を向け、更に目を見張った。女性達の視線を釘付けにしているのは、中央で戦っている二人の若者だった。

「な⋯⋯っ」

 一人は、知らない男だった。聞いていた風貌とよく似ているから、上官命令が下ったのは、多分こちらの男だろう。訓練用の先を丸めた槍を扱っていたが、その動作一つ一つに無駄がなく、僅かに見ただけでも優れた武人であることは分かる。

 ただ、レティシアの関心を引いたのは、もう一人の男だった。

 こちらは顔見知りどころではない。女性達は呑気に彼にも熱い視線を送り、惚けたように見ているし、騎士達は絶望的な顔をして遠巻きにしているが、そんな顔をしているならば誰か止めろと心から思った。

 レティシアは群衆をかき分けて抜けると、二人の元へと駆け寄った。新入り男の容赦ない槍が、彼の頭上へ振り下ろされる寸前、レティシアは二人の間に割って入った。

 勢いづいた槍は突然の乱入者に止まるまいと、レティシアは勿論防御術を発動させたが、意外な事に術式が弾いたのは、背に庇った彼の槍だった。男の槍は凄まじい速度で振り下ろされたにも関わらず、ぴたりと止まったのだ。

「危ないじゃないかっ」

 後ろから聞こえた苦情に、レティシアは即座に振り返り、きっと軽く睨んだ。

「それはこちらの台詞です。貴方様は、このような所で一体何をなさっているのですかっ」

 一喝された青年は、肩を窄めつつ、ふにゃりと笑った。年は二十五と、レティシアよりも年上なのだが、如何せん童顔であり、端正であるが優し気な面立ちは、穏やかな気性を感じさせる。ただ、外見とは異なり、かなりの武術愛好家であり、手練れと見るや、勝負を持ち掛ける困った人である。

「いやあ、これだけ噂になっていると、気になるじゃないか。いや、驚いたよ。僕の攻撃、かすりもしなくてさ」

「⋯⋯まさか、手傷を負わされたのでは?」

 レティシアは心配して表情を曇らせたが、見たところ青年に傷一つ無く、彼も苦笑して、

「無いよ。全部寸前で止められた。止めてくれなきゃ、何本か入ってただろうけどね」

「⋯⋯。貴方様はもう皇太子になられたのです。入っていたら困ります!」

「ああ、分かったよ。相変わらずだなぁ」

 嬉しそうにまたふにゃりと顔を崩した自国の皇太子を、レティシアは本当に分かっているのかと怪訝に思いながら、振り返った。

 正確には、見上げた。自分は女として長身の方だが、この男も、かなり背が高い。自分より頭一つは大きい。突然乱入したレティシアを、黙って見降ろしていた瞳は、闇の色のような濃い漆黒で、髪の色もまた同色だった。長身痩躯であり、無駄な贅など一切ないであろう事は、あの俊敏な動きを見れば一目瞭然である。

 圧倒的な美貌の主を前に、レティシアは一瞬言葉を喪い、そして自制した。

「貴方が、騎士隊の新兵さんですか?」

「まあ、そうなるな」

「では、貴方が今槍を向けているこの御方が、我が国の皇太子殿下という事はご存知ですか」

「知っている。取り巻き連中が蒼くなって止めろと騒いでいたしな」

 そうでしょうとも。新入りで、圧倒的な武力を持ち、何者だと噂されている男と立ち会うなど、危険極まりない。皇太子の身も案じたが、受けてしまったこの男も男だ。

「だったら、もう少し慎重になるべきです。貴方の本意ではなくても、仮に皇太子殿下に深手を負わせたとなれば、断罪は避けられませんよ」

「俺はそんな下手はしない」

「腕に自信があるようで結構ですが、万に一つという事もあります。貴方の為になりませんよ」

 そう言って、レティシアは再び皇太子に振り返り、彼に向けた目以上に厳しい眼差しを向けた。

「殿下も殿下です。ご自身の身分をお考え下さい。貴方様は鍛錬のおつもりでも、周りが仕方が無いと納得するとは限りません。この人は新入隊員で、一番立場の弱い方なのですから、断れるものでもありませんよ」

「うん、うん。ところでさ」

「なんでしょうか」

「君、上官の説教癖、移って来ていないかい?」

「殿下ッ」

 憤慨するレティシアに、皇子は笑って、安堵したように駆け寄って来た護衛に訓練用の槍を手渡すと、相手を務めていた男を見返した。

「ここまでにしよう。付き合ってくれて礼を言う」

「⋯⋯いえ」

 大して興味なさそうに返答する男に笑って見せて、皇太子は今一度レティシアに視線を向けた。

「ところで、どうしてここに?もしかして、僕に会いに来てくれたのかな?」

 にっこりと笑う好青年に、レティシアの表情はぴくりとも揺るがない。

「いいえ、まさか。私のような者が、殿下に注進に行くような事態になったら、それこそ大問題です」

「⋯⋯うん。まずその軍人脳から離れようか⋯⋯」

「何をおっしゃいます。私は、衛士隊ですから、軍人です」

「⋯⋯うん、うん。非常に勿体無い」

 公然と嘆く皇太子に、レティシアは一体何がだと柳眉を潜めつつ、

「上司から、新兵と話をして来いと言われたんです」

「何だって!それはずるい。僕が何度お茶に誘っても、君は来てくれないじゃないか!」

「そんな上司命令、ある訳ありませんよ」

 レティシアは嘆息し、皇太子の周囲の者に眼をやると、

「ご公務があるでしょうから、これ以上の長居は不要で御座います」

と促した。戦々恐々としていた護衛達も異論がなく、皇太子の左右前後をがっしりと硬め、

「さ、王城に戻りましょう!」

と有無を言わさぬ勢いである。

「いや、待て。折角久しぶりに会ったから⋯⋯っ」

 皇太子の苦情も何のその。あっという間に護衛達は彼を連れて立ち去って行った。そうして、レティシアはやれやれとため息を付くと、改めて男を見返し、ぎょっとした。振り返った瞬間、男とすぐに目があったからだ。この喧騒の中でも、男はずっと自分を見ていたらしい。

「えー⋯⋯名乗り遅れました。私は衛士隊のレアと言う者です」

 レティシアと言う名はあまり使わない。可愛らしい女の子の名前で、あまりに不釣り合いな気がしたからだ。軍内ではレアで通っていたし、そのまま名乗る事が多い。

「⋯⋯クラウスだ。俺に用件だと言っていたが?」

「大したことではありません。先日、衛士隊の私の上官が、新兵を集めて神学の講義をしたそうですが、貴方は全く興味を示さなかったそうなので、理由を聞いてこいと言われたのです」

「⋯⋯⋯⋯。そんな事で部下を寄越したのか?暇な部署だな」

「私は忙しいんです!」

 こんなところで油を売っている暇はない。だから、早急に答えが欲しい。

 クラウスは肩を竦め、

「興味も何も⋯⋯聞いても聞かなくても特に困らん話を、わざわざ身を乗り出して聞くか?」

「あー⋯⋯そうですよね」

 やっぱり自分と同じだ。本音も何も、この男は真顔で淡々と言っている口ぶりからして、まぎれもなく本気だ。くどくどと聞く必要はない。自分とこの男の双方にとって時間の無駄である。上官にもそう報告すればいい。

「ありがとう、納得しました」

「⋯⋯早いな」

「貴方が嘘を言っているようには見えませんし、私も急いでいますので。では、これで」

 くるりと踵を返そうとしたレティシアだが、クラウスが呼び止めた。

「そんなに何を急いでる?」

「神術の術式が、意味が分からな過ぎてどうしても解けなくて。もう一月も掛けているから、いい加減成果が欲しいんです」

 騎士隊所属とはいえ、ファルスの民ならば神術もよく知られている事だ。実際、男もその説明だけで納得したように頷いた。

「ああ、そう言う事か。だが、そんなに難解な術式などあるのか?」

 これには失笑するしかない。別に彼を侮った訳ではなく、難解な術式がある事は、神術を極めんとする者が必ず当たる壁であり、一般の人々からすれば神術を扱うだけで十分特別視されて、軽々扱っているように見えるからだ。

「それがあるんです。衛士隊の誰も未だかつて解けたものが居ない代物ですよ」

「解いてやろうか?」

「⋯⋯⋯⋯⋯⋯は?」

「出回っている術式などたかが知れている。見せて見ろ、俺が解いてやる」

 これはなんだ、衛士隊への挑戦か。からかっているのか。一月悩みに悩み抜いている難題であり、更に言うなら衛士隊でも誰一人として解けず仕舞の術式の一つだ。

 簡単に解けるものでは無い。

「⋯⋯冗談は好きではありません」

 何しろ冗談の塊ではないかと思う程の突拍子もない父親がいるせいで、レティシアは大層堅物に育った。

「俺もだ。それが解ければ、お前は暇になるんだろ?」

「まあ⋯⋯手は空きますが」

「じゃあ、良いだろ。どこだ」

「ちょ⋯⋯っ勝手に決めないで下さい。大体、貴方は訓練中じゃ⋯⋯!?」

「俺が居ると、訓練にならないそうだ」

「えええ⋯⋯」

 見回せば、先程とはまた違って妙に異様な空気を放っている。騎士隊の隊員たちは、クラウスの言葉に同意するかのように頷き、実際すでに半泣きになって彼を睨んでいる。この男はまだ新人であるし、反感を受けるとしたら、武芸があまりに優秀過ぎるための妬みだろう。そして、先程まで黄色い声を上げていた女性陣達からは自分が睨まれている気がする。皇太子と注目の新人との一戦を目当てに来ていたとしたら、確かに邪魔をした自分が恨まれても致し方ない。

 あまりこの場に長居はしない方が良さそうだ。

 仕方なく、レティシアはクラウスを連れて、衛士隊の宿舎へと戻ることにした。

 

 大いなる間違いの始まりである。


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