クラウスの述懐。※クラウスの視点です。
皇太子が立ち合いを求めてきても、クラウスは何とも思わなかった。周りで騒いでいる女達の視線も煩いとしか思えなかった。そもそも、人界に降りて来たのは家出娘を探せと言う親の命令であり、彼にしてみれば不本意だった。
その挙句、どうしても孫が抱きたいマリアは、とうとう焦れたのか、そのまま嫁にしろだのと言う始末である。冗談ではない、と思った。どうして自分が好きでも何でもない女を妻にしなければならないのか。
遊びで女達を抱いたことはあっても、クラウスは常に醒めていた。神族は数多の恋人を抱えることが、常識ではあったが、伴侶はおろか、恋人を作った事も無かった。美しい女は嫌いではないし、それなりに快楽を覚える。どの女も互いに戯れであることは承知で、後腐れない仲だ。楽だという事もあるが、のめり込むほど愛せたためしはない。器量の良い女は、それなりに褒めたが、愛しいとも、可愛いとも、思わなかった。
そんな自分の醒めた性格を知っていたから、幾らマリアに伴侶を作れと言われても無視してきたのだ。
だが、自分の与り知らぬ所で、母親は勝手に縁談を決めて来た。仕方ない。少し付き合ってやるのも、親孝行だ。見つけたら適当に口説いて抱いて、ほとぼりの醒めた頃に別れるかと思いつつ、妻になど絶対に据えるつもりはなかった。
眼前に飛び込んで来た彼女は、人界に降りて来た彼の目論見を一蹴した。
軽やかな身のこなし、触れれば柔らかそうな美しい髪、凛とした紫紺の瞳。きりと閉じた、柔らかそうな唇。長身の身体は細くて華奢で、それでいてしなやかで。
自分と皇太子の間に飛び込んで来た瞬間、目が合った時、クラウスは心臓を鷲掴みにされたような感覚がした。あまりに彼女は美しく、可愛らしかった。
自分を見据える瞳に、心配と怒りが混じっているのは気づいたが、それすら美しいと思った。
見惚れるあまり、寸前で止めるはずの皇太子への攻撃の手を止める事さえ忘れて、だが、彼女を傷つけると理解した瞬間、必死で手を止めた。人間相手だからと、かなり手加減していた事も幸いしたが、反応が遅れたのは、大失態だったと今でも思う。
ただ、彼女は冷静で、戦いの間に割って入る危険性は承知しており、防御結界を張っていた。
けして無謀ではない。彼女は賢かった。
寸前で止めたクラウスとは異なり、皇太子が剣を止めきれず、彼女の防御結界がそれを弾いたが、クラウスはそれを見て、
(ぶっ殺すぞ)
と皇太子に殺気を放った事を覚えている。皇太子も自分の殺気に気付いたのか、目を白黒させたが、彼女に話しかけられて、ふにゃりと情けなく緩んだのを見て、クラウスは一層殺意を覚えた。
彼女は軍服を着ていたから、軍人であろう事は推察が付く。だとしたら皇太子は主君であり、第一に身を案じるのが当然だろう。それでも、自分以外の誰かを彼女が気遣うのは、もう既に面白くなかった。
ただ、彼女は皇太子に媚びていた訳でも無かった。
危険性を説き、そして、部外者に過ぎない自分の立場も慮ってくれていた。
凛とした、それでいて何時までも聞いていたい美しい声に、クラウスは聞き惚れて、彼女が話しかけてくれるまで、後姿でさえも何時までも見惚れていた。
レアと名乗った彼女の名を、クラウスは脳裏で反復する間も無く即刻覚えた。
彼女は上官命令で、自分の不信心の理由を尋ねに来たと言う。理由も何もない。自分は神族である。自分の一族について、人間から刻々と説明される筋合いも無ければ、必要性も感じないから、聞かないだけだ。
彼女も信仰心が厚い方ではないらしく、一蹴した自分に特に怒る様子も無く、あっさり納得してしまった。
要件は済んだとばかりに、さっさと立ち去ろうとする彼女に、クラウスは焦った。
「わたしは、忙しい。」
そう言い切った彼女に、歯ぎしりしたい気分だった。
待て。行くな。行かないでくれ。
だが、適当に遊んでいた女達に対しては、平然と出た口説き文句の一つも出て来ない自分の余裕の無さが、もっと歯痒い。レティシアが多忙の理由を教えてくれたのは、幸いだった。
「難解な神術を解いている。」
それは彼にとって僥倖だった。人間たちの使っている神術は、神族にしてみればどれも初歩的なもので、子供でも使うものだ。自分に解けないはずはない。
それを解いてしまえば、彼女は《手が空く》。自分が彼女を十分に口説ける時間が出来るはずだ。更に言うなら、そのまま抱いてしまいたかった。家出娘は軍に入ったと聞いたから、入隊が楽そうな騎士隊を選んだが、それすらもうどうでも良かった。
ただ、レティシアはクラウスの思った以上に頑なで、簡単に心を許してくれなかった。騎士隊に入った理由を問われたから、心の底からどうでも良くなっていた理由を言ったら、気さくだった彼女の気配が一層頑なになった事に気付いた。
怪訝に思ったが、彼女に見惚れる余り、気付くのに遅れた違和感を覚えた。
髪色が、おかしい。
家出娘の容貌を言ったら、見る見るうちに引き攣っていった彼女の表情が、彼を確信させる。レティシア、と名を告げると、紫紺の瞳が泣き出しそうな目をして、クラウスを酷く欲情させた。
この娘だ。
彼女を見初めてから、どうでも良い存在になっていた家出娘の存在意義が、彼の中に戻ってくる。今にも逃げ出しそうになっている彼女を、まずは自分の元に留める理由になる。
母親に言われるまでも無い。
レティシアは、自分の妻にする。
自分だけのものでなければ、気が済まなかった。
ただ、レティシアは一層頑なになった。自分が神族だと知ったからだ。
それが、彼女と自分を妨げる理由になるのなら、翼など要らないと思った。
その思いは、今でも変わらない。
皇太子は即座に恋敵認定されました。