クラウスの我が儘。
お前が欲しい。
クラウスの言葉は直球で、そして、彼に流されつつある自覚を持つレティシアは、その甘美な誘いに、必死で抗った。
「ここでは・・・嫌、だ!」
咄嗟に叫び、だが同時にレティシアは頭を抱えた。これでは返事をしたも同然である。
だが、まだ希望はあった。
場所を変えるにしても、その間に時間がある。それまでにこの迂闊な発言を撤回できればと目論んでいたレティシアであるが、クラウスには通じなかった。長身痩躯の彼の身体でさえ、数人分は余裕で収まりそうな寝台を見やり、納得したのだ。
「ああ、狭いか?」
「は・・・・・?」
レティシアは軽々と抱き上げられ、次いでクラウスが何事か呟いた瞬間、景色はまた一気に変わった。
そうして眼前に広がったのは、やはり同じくらい豪奢な寝室で、置かれている調度品もまた上質なものではあったが、こちらはどちらかと言えば落ち着いた色合いをしたものが多い。そのまま押し倒された寝台からは、僅かに彼の香りがした。
「ここは、人界で動く時に俺の居としている館だ。あの女も知らないはずだから、邪魔も入らない。」
大変ご機嫌な彼に、レティシアは呻いた。
「・・・・今のは、転移術だろうか。」
「そうだが?」
平然と答える彼に、レティシアは本当に彼は人間になったのだろうかと疑いたくなる。場所を瞬時に移動する転移術は、神術の中でも最高難易度を誇り、衛士隊でも数十年に一度、僅かな距離が移動できる程度、使える者が出るかどうかである。窓を見れば、広い庭園が見えて、明らかに景色が変わっている。離れた場所であることは明らかで、色々おかしい。
だが、クラウスは笑みを深め、
「ここなら、良いだろ。」
と誘って来る。窮地に立たされたレティシアは、顔を真っ赤にして、
「良くない!良くないぞ!」
と彼に背を向けて、何とか離れようと這い出そうとしたが、すぐに捕まった。
「逃げるな。全部・・・俺のモノにしないと・・・不安で仕方がない。」
首の後ろに強くキスを落とされる。だが、彼の手が背中に触れた時、レティシアはびくりと身を強張らせた。その怯えに、クラウスはすぐに気づき、優しく労るように撫ぜた。
「大丈夫だ。もうしないと言っただろう?」
封印を解こうとした時の事を言っているのはすぐに分かったが、レティシアの怯えはそれだけではなかった。
「・・・マリア様が・・・・。」
意を決して口にしたら、ぞくりと背中が寒くなった。振り返ってみれば、クラウスが顔を顰めている。
「お前があのクソ女に泣かされたのは、お前の翼の事か。何を言われた。事と次第によっては叩き斬ってやる。」
またしても物騒な空気を醸し出し始めたクラウスに、レティシアは窮する。
ただ、彼にこれ以上誤解されるのも嫌だった。
「私の翼は、私自身が封印したものだ。だから、あまり上手くは無い。」
「・・・・それでか。随分壊れやすそうだと思ったが」
「不完全、なんだろう?」
「・・・・・・・。ああ、お前はまだ完全な人間じゃない。いずれは神として生きるか、人間として生きるか、選択しなければ危ういだろうな。」
それはレティシアも母から言い含められていることだった。どちらで生きるにしても、貴女には変わりないのよと母は笑ってくれた。
「だったら・・・お前が封印に《鍵》をしてくれ」
「・・・・・・・。そうだな、お前は神嫌いだからな。」
当然の事だとクラウスは納得したが、レティシアは違った。
「・・・分からない。」
「うん?」
「お前も、マリア様も・・・神族だ。でも、怖くなかった。」
あまりの迫力に畏怖は覚えたが、自分を虐げ苛んだ神族達と同じではなかった。レティシアはぽつぽつと漏らす。
「神族だからと一括りにするのは・・・間違いなのだと思う。でも、やっぱり・・・神族がどういうものか私には良く分からないから、手に余る。私の封印が中途半端だと言うのなら、猶更だ。お前が・・・わたしに、その、これから触れたいのなら・・・・お前に何かあったら、嫌だから。」
だから、封印しておいてくれと、耳まで真っ赤になったレティシアに、クラウスは息を呑み、そして溜まらないとばかりに後ろから抱き締めて来た。
「俺の忍耐を試すな・・・。」
「い、いや。そんなつもりじゃないぞ・・・・っ?」
翼の封印の場所が分かるのか、その上をクラウスの指が撫ぜると、どうしても身体が震える。だが、かつて手酷い傷を負った場所に触れるものは、酷く優しく、怖がるなと慈しむように撫でてくれるのが、レティシアの恐怖を拭った。
短い言霊と共に、クラウスは封印の上に口づけて、《鍵》をした。身体の隅々まで染み渡るような、心地よいそれに、レティシアは自身の身体が今まで不均衡に悩んでいた事に気付いた。
ただ、封印が完全なものになったことで、身体も相応に負荷がかかる。《鍵》をしても、変わらず手を止めないクラウスに、レティシアは悩みつつも言った。
「あの・・・少し、待つとか・・・?」
「待たない。諦めて、俺のモノになれ。」
優しいかと思えば、時々傲慢になるこの男に、レティシアはもう苦笑するしか無かった。