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神嫌いなのに、神に懐かれ、人を辞める。  作者: 猫子猫
人界編 レティシア
12/67

ささやかな喧嘩。

 必死で逃げた。

 だが、神としての力は彼らの方が遥かに上で、捕らえられた上に雨で泥だらけの地面に押し付けられ、口に苦い泥が入り込む。酷く殴られた頭からは血が滴り落ちて、レティシアの眼前を赤く濡らした。

 そうして、彼らは抵抗する力すら失ったレティシアの背の翼を無造作に掴むと、へし折り、無造作に引き抜いた。

 激痛が走り、レティシアは悲鳴交じりの絶叫を上げたが、誰一人として手を緩めはしなかった。

 ただ溢れ出る涙が止まらなくて、でもその涙は雨と共にかき消された。

 嘲笑う彼らが吐き捨てるように言った。

 呆気ないものだ。これでゼウスの娘か。

 

 真っ暗になった視界が、不意に明るくなった。レティシアの目から溢れ出ていた涙は、優しい手が拭ってくれていた。細いしなやかな手はとても温かくて、救いの無かった過去との違いが、レティシアの意識をより覚醒させる。

 そうして顔を上げた時、レティシアの眼前に居たのはあの恐ろしい冷徹な女神ではなかった。労るように、慈しむように、それでいてどこか哀しく微笑む慈母のような優しい女神だった。

「ごめんなさい。酷い事をしたわ。」

 マリアは悲痛な表情を隠そうともせず、心の底から謝ってくれた。戸惑うレティシアに、彼女は更に続けた。

「貴女が、神族を嫌う筈だわ・・・惨い目に遭ったのね。」

「・・・・・どうして、それを?」

「貴女の背中の封印を壊そうとしたら、見えたのよ。貴女の封印は自分でしたものね?」

 レティシアはこくりと頷いた。

 あまりの激痛に耐え切れず、逃れるように必死だったのだ。

「強い思いは、時に術にも刻まれるのよ。貴女の記憶の・・・多分一部ではあるけれど、わたくしには見えたわ。貴女は、神族に翼を無理矢理引きちぎられたのね?」

「・・・・・・・。私は、神の娘だからと言って、突然神界に連れて行かれました。でも、どうしても嫌で、逃げ出したんです。そうしたら、突然囲まれて・・・翼を奪われたんです。」

「・・・・・・・・・・」

「私は・・・神族として生きようと思ったことはありません。ずっと人間だと思って生きて来たのですから、あの時翼を喪った所で、別に構わない事でした。でも、あの痛みは耐え切れなくて。」

 必死で神術を使い、背中の翼を痛みごと封印した。そのお陰で痛みは治まったけれど、半年というもの高熱を発して碌に動けなかったのは非常に困った覚えがある。

 そんな不自由をレティシアは知っている。だから、クラウスが眼前でした事は驚愕だった。

「クラウスは・・・私が神族が嫌いだと言ったら、自分で翼を引きちぎって燃やしてしまいました。」

 これにはマリアが目を丸くして驚愕の表情を浮かべた。

 父親に良く似て、神界一冷徹で、優しさの欠片も無いと評判の、あのクラウスが。信じられない事態である。

 戯れに女を抱くことはあっても、自分の領域に一歩でも踏み込まれたり、詮索されることが嫌いで、絶対に女に尽くすような男ではない。誰だそれは。ありえない。

「あ、あの子が・・・?」

「はい。貴女がお怒りになられるのも当然です。わたしが・・・迂闊な事を言ってしまったから。翼を奪われる痛みは、わたしが一番よく知っていたのに・・・同じ目に遭わせてしまいました。クラウスは翼はまた生えるからと言って、何か術を掛けて腕輪を作っていましたが、私はそれにキスをしろと言われたので・・・《鍵》というのはそれでしょうか。」

 レティシアは慈愛深き女神が、硬直し、呆気に取られ、そして一通りの衝撃が抜けると、溜まらないと言わんばかりに口元を緩めた一部始終に目を瞬く。

「貴女が謝ることは無いわ。クラウスが自分で封印をしたのなら、それはあの子の意思なのだから。だからこそ、貴女を《鍵》にしたのでしょうね。」

「・・・・・・・?」

「さあ、もう泣かないで。大丈夫、もう貴女には何もしないわ。あの元凶の糞爺は、わたくしが嬲って踏みつぶして殺してあげますからね。」

 蕩けるような優しい笑顔でさらりと言われて、レティシアは一瞬聞き間違いかと思った。

「え・・・え?」

 だが、女神は恍惚とした様子で、レティシアの銀色の髪を撫ぜた。

「触り心地の良い髪ね。瞳の色もとっても綺麗。あの子ったら、一目惚れしたわね。」

「あ・・・あの、そんな事はないと思います。」

 クラウスが少なからず好意を寄せてくれている事は、レティシアでも分かる。どうして自分などにと思う反面、それが実は嬉しかったのだという事は、マリアという存在を知ってから実感した。

 ただ、レティシアが嫉妬できる時間は短かった。目の前の麗しい女神は、あまりに美しく、圧倒的で、クラウスが彼女の腕を解けないのも分かる気がするのだ。残ったのは、自覚する間も無く散った初恋の痛みで、だが気を遣わせたくも無い。せめてもの矜持だったが、マリアは不思議そうな顔をした。

「あら、どうして?」

「ク、クラウスは・・・素敵な方がいますから。」

「あの子に?」

 マリアは思い切り怪訝そうな顔をした。レティシアはマリアの事を言ったつもりだが、彼女は彼に他の女がいるという、あらぬ誤解をしたのかもしれない。クラウスの女性関係は一切知らないので、余計な事を言ってしまったようだ。

 だが、マリアは怒るどころか、しれと言った。

「居たとしても、関係ないわよ。」

「え・・・・?」

「神族はね、恋多き種族なの。永い年月を生きるから、同時期に恋人が何人も居るなんて、別に珍しい事ではないの。繁殖力は弱いから、子を成すことも滅多にないわ。だから、貴女も他の女なんて気にしないで良いの。わたくしだって一々気にしていられないわ、全部本気じゃ無いんですもの。」

「・・・・そう・・・ですか。」

 神族が性に奔放なのは、自分の父親という悪い見本がいるので、多少は知っていた。人界においても、ファルス神王国は一夫多妻制であるし、実際、妻を大勢養えるだけの甲斐性がある王侯貴族は何人も愛人を抱えていたりもする。勿論、妻一筋という貴族もいるし、平民などは経済的にも難しいので、基本的に伴侶は一人だ。

 レティシアの常識としては人に近い方であり、クラウスやマリアのような神族の価値観には戸惑いもあったが、マリアは他の恋敵がいると言われても、全く気にしていないようだった。

 それどころか、レティシアを惚れ惚れと抱き締めて、

「ああ、可愛いわ・・・わたくし、こんな可愛い子が欲しかったの。レティシアなんて、名前まで可愛い。嬉しいわぁ・・・。」

 圧倒的な美女に可愛いを連発されると何だか気恥ずかしくなる。

「ええと・・・私の名前をご存知でしたか。何時もはレアって名乗っているんですが」

「銀髪に紫紺の瞳を持った、神と人の娘なんて、そうはいないわよ。聞いていた通りだわ。でも、どうしてレイなんて男っぽい名前を名乗っているの?レティシアの方がずっと可愛いくて、似合ってるのに。」

「可愛らしい名前だから・・・こんな背ばかり高い女には合わない気がして、気恥ずかしいんです。」

「あら、うちのクラウスなんて、馬鹿みたいに大きいじゃない。」

 レティシアは目を見張った。マリアはクラウスを溺愛しているのは確かだが、そうかと思えば馬鹿呼ばわりである。一体どういう夫婦関係をしているんだろうか。

 そう思った矢先、唸るような低い声が響いた。

「・・・誰が馬鹿だ、この糞婆!」

 慈母のような笑顔を浮かべていた女神が、またしても豹変するさまをレティシアは見た。扉を蹴破って入って来たクラウスを、ゆっくりと見返した顔は、凄みを放っている。

「昨日から三回目よ・・・覚悟は出来ているんでしょうね?」

「こっちの台詞だ。勝手にレティシアを連れて行きやがって・・・しかも、泣かせたな?」

 マリアの威圧に、クラウスは一切怯まない。それどころか、人の身体だと言うのに、凄まじい殺気と覇気を放ち、一切負けていない。むしろ、彼の激怒の方が凄まじかった。

 レティシアはもう泣いてはいなかったが、目尻や頬に涙の跡があるのを、クラウスは素早く見咎めていた。

 そして、レティシアの涙は、些かマリアにとって分が悪い。思わず怯んだがために、今回はクラウスが彼女を凌駕した。

「死にたいらしいな。」

 バキバキと拳を鳴らすクラウスに、慌てて遮ったのはレティシアだ。相手は女性であり、しかもクラウスの妻ではないか。

「ま、待て。こんな綺麗な人に何するつもりだ!」

「こんな腹黒女のどこが綺麗だ。待ってろ、今片づける。」

 殺気立つクラウスに対し、マリアはと言えば今度は何故か感動している。嬉し涙でも流しそうな勢いだ。

「驚いた。貴方、本気なのねえ。」

「何の話だ。話を逸らすな!」

 怒号を浴びてもマリアは平然としたもので、むしろ嬉しそうにレティシアをぎゅうと抱き締めた。豊満な胸に顔を押し付けられて、同性だというのにレティシアは真っ赤になってしまう。

「ちょっと苛めちゃったのよ。でも、ちゃんと謝ったら許してくれたわ。優しい子ねえ、本当に可愛い。好き!」

「止めろ!レティシアが可愛い事なんて、おまえに言われなくても十分知ってる。離せ!」

「嫌よ。うちの子ですもの、わたくしにも可愛がる権利はあってよ。」

 クラウスの額に青筋が浮かび上がる。わなわなと拳が震えている。限界突破しそうな勢いのクラウスに、マリアはくすりと笑うと、ようやくレティシアを手離して、立ち上がった。

 そして、真っ赤になっているレティシアに微笑んで見せた。

「驚いた?大丈夫よ、こんな小さな喧嘩は、いつもの事だから。」

「小さい・・・ですか?」

「ええ。突然連れて来たお詫びに、ここは貴女の自由に使って。わたくしが避暑に使っている場所だけど、結界が張ってあるから誰も来ないし、見えないから。」

 何かしらの神術が施されているらしいが、自由に使ってと言われても困ってしまう。

「ありがたいですけれど・・・わたし、仕事があるので・・・・。」

 すると、間髪入れずにクラウスが口を開く。

「休暇届なら俺が出しておいた。行方不明になったと連中が騒ぐのも面倒だからな。お前を探しに部屋にいった時に見つけた。」

 クラウスがまだ不機嫌そうにしながら、答える。

「いきなりでよく受理されたな・・・。」

「断らなかったぞ。俺にも寄越せと言ったら、すぐに頷いた。」

「・・・・・・・・・・・・・」

 何故か急に上司が哀れに思えたのは何故だろうか。そもそも、彼は新入りで、まだ隊に入って日が浅いと言うのに、休暇を求めるなど、無神経である。幾らなんでも上司が指導するだろうに、何故頷く。

 レティシアは首を傾げつつ、颯爽と立ち去っていくマリアに気付き、声を掛けた。

「あ、あの・・・・っ!」

 不安気なレティシアの表情に、マリアはまた優しい笑みを零した。

「大丈夫よ、誰にも言わないわ。」

「・・・・はい。ありがとうございます。」

 マリアは微笑んで頷いたが、クラウスは怪訝そうに軽く眉を潜め、マリアを睨んだ。

「何の事だ?」

「女同士の秘密よ。無粋ねえ。」

「ふざけるな。」

「何を苛ついてるのよ。ああ、焦ってるの?」

「・・・・・・・・っ」

「そうよねえ、あの時の貴方、最低だもの。」

 誰の所為だ誰の。全身がそう物語るクラウスに、マリアは喉を鳴らし、だが不意に笑みを消した。

「クラウス。あの子を傷つけるものを、絶対に許しては駄目よ。」

「当たり前だ。」

「それならいいわ。ここはあげるから、好きに使いなさいな。」

 マリアは優美な笑みを浮かべ、今度こそ立ち去って行った。

マリアとクラウスの喧嘩は、口論で済んでいる時点で、ささやかなものです。

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