表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神嫌いなのに、神に懐かれ、人を辞める。  作者: 猫子猫
人界編 レティシア
1/67

上官、間違える。

「うーん、本当に意味がわからない。だから神なんて嫌いなんだ」

 机の上で古い書物に眼を落として、頭を抱えたレティシアは、肩に流れた長い髪を鬱陶しそうに払った。腰ほどまである艶やかな髪は、他が羨むほどのものでありながら、今は完全に邪魔扱いである。

 赤茶色の髪は色は濁っていたが髪質は良く、紫紺の大きな瞳は宝石にも例えられるほどで、真っすぐに通った鼻筋に、赤い唇はくすみ一つない白い素肌によく映える。

 年は二十を数えるが、実年齢よりも些か若く見られるのが常であるのは、レティシアの密かな悩みである。国軍の一隊員でありながら侮られる一方であるからだ。ただ、同年代の年頃の女性達に比べて背が頭一つ程高く、背に比例して長細い手足は、リーチが長くなるので軍人として有難い身体だ。

 もっとも、レティシアは戦闘では剣技が主体となる騎士ではない。同じ軍ではあっても、所属しているのは国軍神術衛士部隊、通称『衛士隊』だ。

 神々の術と呼ばれる『神術』を使う、特殊部隊である。

 ファルス神王国は、その名の通り信仰厚く、神々の住まう神界と古の時代から濃厚な関係を築いてきたことで知られている。四方を大国に囲まれているが、厳しい自然の要塞と、国軍の精強さが、国を護ってきた。中でも男女問わず、才覚さえあれば入隊が許された衛士隊は、騎士隊と連動して攻め来る敵軍を散々に翻弄した。

 衛士隊は、まずは神術が使えさえすれば入れると言う大変に広き門だが、戦いに不向きと判断されれば、即座に除隊の憂き目を見る狭き門だ。

 ゆえに隊員は研鑽を欠かさなかったし、レティシアもその一人だった。

 ただ、彼女の場合、神の術を使うと言うのに、神が大嫌いだと言う、非常に矛盾した人物でもある。

「またそんな事を言っているのか、恐れ多い」

 たまたま通りかかった上官に睨まれて、レティシアは肩を竦めた。

「何故こんなに難読なのでしょうか。使わせる気がないようにしか思えません」

 レティシアは悩みぬいていた書物を一時諦めて閉じた。神術を使うには、大きく分けて二つのやり方がある。術を発動させるために詠唱するか、紋様を描くかだ。どちらも僅かでも違えれば発動しない上、ただ読んだり書いたりすれば良い訳ではない。使う術の構造を完璧に理解した上で、寸分も狂いなく目的と目標が合致するよう集中し、尚且つ自身の神術の源と言われる神力を引き出さなければ、不発で終わる。これが非常に難しく、才能の有無を試される所だ。感覚的なものであり、誰も彼も違う為に、誰の経験も当てにならない。

 だから、習得するにはまず懸命に覚え、繰り返しイメージし、己の力を引き出さなければならない。

 何とも手間のかかることで、レティシアの悩みは尽きないのだが、上司は自身の言葉に酔ったように、神学の講義を始めてくれた。

「当たり前だ。我々は神々の御力を一時お借りしているに過ぎないのだ。良いか、古来よりファルス神王国はだな⋯⋯」

 くどくどと始まった説教に、レティシアは閉口する。騎士隊も先日選抜試験が行われ、新入隊員が入ったため、昨今、上司は新入り達に衛士隊の役割を講義に行っている。説明癖が酷くなっているらしい。

 黙って聞いていると間違いなく日が暮れるので、レティシアは早々に口を挟んだ。

「ご高説、痛み入ります。新米兵士達も、熱心に聞いた事でしょう」

 絶対に居眠りをしていた者がいるに違いないと思いながらも、話を振ると、上司は顔を顰めた。

「無論、信仰厚い若者ばかりだった⋯⋯一人を除いてな」

「ああ、またあの人ですか」

 レティシアも名前くらいしか知らないし、会ったことも無い。ただ、その男の噂は絶えたことが無いから、否応にも耳に入る。

 衛士隊の入隊試験は素質の有無だけだから比較的入るだけなら容易なのだが、騎士隊は違う。大国に囲まれているという現況の厳しさから即戦力が求められ、入隊試験は他国に比べても遥かに厳しいと評判だった。

 最も適性を見られるのは、当然ながら武芸である。一次選考で受験者は百人ずつ広場に集められ、木刀を渡されて、少なくとも五人は倒すように課される。その場が一気に乱打戦になるのだ。最終的に立っていられた者達を、更にまた百人集めて同様の事を求める。これが二次選考である。そうして最終的に、試験官である隊員と立ち合い、能力を見定められるのだ。

 合格する為にあえて敗れる受験者を用意しようにも、組み合わせは当日抽選で決定されるため、夥しい数の若者が受験する中、買収するにも限度がある。毎年懸命に試験を受ける若者たちも多く、隊員になれた時の喜びも一入なのだ。

 だが、今年の騎士試験の合格者はたった一人だった。

 たった一人の男が、五人と言わず百人倒してしまったのだ。一度目も二度目の選抜も、男は木刀すら使わずに放り投げ、脚で無造作に蹴り飛ばすだけで、相手を一撃で失神させてしまった。五人で良いのだから、誰か止めれば良いものを、あまりの光景に誰もが絶句してしまった上に、我に返った時にはもう終わっていたのだと言う。

 これには最終試験官も息を呑み、気合を入れて、男に挑んだ。

 大惨事だったと言う。

「化け物だ」

「涼しい顔して、何て恐ろしい奴だ」

 未だに試験官となった軍人たちから言われる言葉である。

 最終試験は、試験官一人との立ち合いで終わるはずだったが、その試験官が秒殺された挙句、男がこれで終わりじゃないだろうと言わんばかりに、怪訝そうに他の試験官たちを見やり、

「次は誰だ」

と聞くものだから、退くにひけなかったそうだ。合格だと言って止めておけばよいものを、なまじ武芸に誇りのある者達ばかりだったから、最悪の結末を迎える。

 彼らを率いる将軍の一人であるアロックが現場に駆け付けた時、男の他に誰も立っている者が居なかった。その上、男は将軍を見やり、

「ところで誰が合否を決めるんだ?」

と不思議そうに聞いてきたのだと言う。アロック将軍が即断で合格の太鼓判を押したことは至極当然の流れであった。というよりも、慌てて合格としなければ、男は自分にも容赦ない蹴りを出しそうだったと言う方が正しい。

 凄まじい強さを誇るこの男の事は軍人達の間であっという間に広まっている。当然ながら、軍属であるレティシアの耳にも入ってきているが、今の彼女にとっての難題はこの新たな術式であり、噂を聞く程度であるのだが、如何せん、この男は話題に欠かない。

 ファルス神王国は信心深い民が多く、その自国を護る部隊という事で騎士隊は極めて忠誠心に厚く、信仰心が高い事で知られているのだが、男は大して神事に興味が無いらしく、入隊する騎士が揃って受ける神殿での洗礼も嫌がって断ったのだと言う。

 普通であれば不心得者と眉を潜められる所であるが、有無を言わさぬ覇気が男達の口を封じ、優れた体躯と秀逸な美貌が女達を違う意味でも黙らせていた。

 一気に上官たちの悩みの種になったであろう男だが、レティシアもあまり人の事は言えない。神嫌いを公言し、直属の上官を悩ませているからだ。上官は苦悩の表情を浮かべ、

「我が衛士隊と騎士隊は相互補助があってこそ成り立っているものだ。神の御力を使わせて頂いている我々にとって、騎士隊の不信があってはならぬ。⋯⋯レティシア、お前、あの新米の所に行って、理由を問いただしてこい」

「待ってください、何故私が!この術式が解けなくて悩んでいる所です!」

 忙しいのだと主張する部下に、上司は顔を顰め、

「その術式を解けたものなど未だに誰もいないだろう。そちらを解くより、その新米を問いただした方が早い」

「ですが⋯⋯っ」

「上官命令、だ!」

 窮するといつもこうだと、レティシアは顔を顰めつつ、仕方なく立ち上がった。

「分かりました。行きますけれど、期待しないで下さいね」

「何をだ」

「理由は聞いてみますけど、信仰心を持てと説得はしませんよ」

 信仰は強制されるものでもないし、第一自分など説得力がない。上官は平然と返した。

「そんなものは我が隊の問題児であるお前になど、最初から期待しておらん」

「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」

「むしろ意気投合して、本音が聴ければ十分だ」

 レティシアの不信心が、この時ばかりは有難いと言わんばかりであった。

 およそ適任者とは思えないレティシアであるが、上官命令と言われれば致し方ない。


 神嫌いなのに、神事を嫌う理由を聞きに、他人を尋ねる。

 妙な事になったものだ。

 大いなる間違いではないだろうか。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ