41話『エピローグ②:今の生き方』
謁見の間から出ると、ルシラが心配そうな顔つきでこちらに近づいてきた。
「ど、どうじゃった……? 怪我とかは、しておらんか……?」
「怪我? 話し合いで怪我なんてしないだろ」
「それは、そうじゃが……ネットはきっと、父上に恨みがあるし……最悪、殴り合いになるかと思ったのじゃ」
随分と飛躍した発想だ。
思わず苦笑する。
「生憎、俺は喧嘩が弱いから、そういうことは滅多にしない」
自分の弱点は嫌というほど理解している。
憂さ晴らしのためだけに、身体を張る気はない。
「それに……ルシラの父親は、いい王様だと思うぞ」
そう告げると、ルシラは目を丸くした後、嬉しそうな顔をした。
「と――当然じゃっ! なにせ、妾の父上じゃからのう!!」
ルシラは得意気に胸を張って言う。
あの王様は、一国の長としての責務と、父親としての感情を貫いていた。その優先順位に間違いはないと思う。俺にとっては不都合だったが、代わりに連絡先が手に入ったので、ただでさえ少なかった複雑な気持ちも今や皆無となっていた。
毒魔龍の討伐を巡って色々なことがあったが……ルシラも本心では、父親のことを尊敬していたのだろう。明るい表情を浮かべるルシラを見て、俺は改めてここ数日のゴタゴタが無事に片付いたことを実感した。
「ネット、ここにいたか」
ふと、背後から声を掛けられる。
見れば廊下の向こうから、メイルが早足でこちらに向かってきていた。
途中で俺の隣にルシラがいると気づいた彼女は、俺たちの前で立ち止まりお辞儀する。
「ルシラ殿下、おはようございます」
「うむ。おはようなのじゃ」
簡単な挨拶が済んだ後、俺はメイルが何か冊子のようなものを持っていることに気づいた。
「メイル、その手に持っているのは何だ?」
「今朝の新聞だ。お前に見せようと思って持ってきた」
「俺に?」
「ああ。興味深い記事が三つ載っている」
三つ? と首を傾げながら、俺は新聞を受け取った。
一番目立つ見出しの記事から順に読み進める。
――毒魔龍討伐! ルシラ殿下に宿る龍の力!
まあこれは、記事になるだろうと思っていた。
なにせ毒魔龍は、近隣諸国にとって共通の脅威である。そのため毒魔龍の討伐はあらゆる国にとって喜ばしい事実だ。……表向きには。
「これで……毒魔龍が政治利用されることもなくなったな」
小さな声で呟くと、ルシラとメイルは無言で頷いた。
恐らく今回のインテール王国のように、諸外国の中には、毒魔龍の政治利用を目論んでいる輩もいただろう。だが毒魔龍を討伐したことで、それらを未然に防ぐことができた。
エーヌビディア王国は、毒魔龍という国際的な弱点を克服することができたのだ。これは快挙と言っても過言ではない。
続いて、俺たちは二つ目の記事を読む。
――人類最強ランキング、監修は大賢者と叡智王。
その記事には、百人の人物名がズラリと並んでいた。
俺とルシラにとっては、見覚えのあるものだ。
「やっぱり、載ったか」
「妾の名前も書いてあるのじゃ」
記事には、大賢者と叡智王の歴史的な共同作業と書かれていた。但しこのランキングが作成された経緯や、ランキングの意図に関しては一切不明とされている。勿論、俺に関する情報も記されていない。多くの人々にとって、この記事は興味深いものであると同時に、不思議なものでもあるだろう。
「しかし……一つ目の記事もそうだが、こんな記事を載せると、殿下が目立ち過ぎてしまうのではないか? これでは、殿下の戦力を借りたいと言う者が続出してしまう気が……」
メイルが懸念を口にする。
戦いを恐れるルシラにとって、戦いへの参加の要請は負担が大きい。ルシラも今になってその事実に気づいたのか、先程までの明るい表情から神妙な面持ちとなった。しかし――。
「それはないと思うぞ。……ここ、よく読んでみろ」
俺は一つ目の記事を指さして言った。
記事の最後。締め括りとなる部分を、メイルが声に出して読み上げる。
「……『白龍騎士団』の団長レーゼ=フォン=アルディアラによると、毒魔龍を倒したルシラ殿下は人の姿に戻った後、盛大に泣きじゃくったようだ。戦いが怖いと泣き叫ぶその姿は、まるで年端もいかない子供のようで――」
「な、な、なななな、なんてことを書いておるんじゃっ!?」
ルシラは顔を真っ赤にして叫んだ。
「ここまで書かれているなら、誰もルシラを戦いに参加させようとは思わないだろう」
「ぐぬぬ……そ、そうかもしれぬが、これでは妾が弱虫みたいではないか!!」
「実際そうだろ」
「むぬぅ……!!」
ルシラは非常に複雑そうな表情を浮かべた。
この記事によって、ルシラが戦いを泣くほど苦手としていることが公になった。これで世論もある程度は味方してくれる筈だ。万一、誰かがルシラを戦いに招こうとすると、「殿下が可哀想だろう!」という声が上がるだろう。
ちなみに、この文面――――考えたのは俺である。
あらかじめレーゼに、記者から取材を受けたらそのように答えてくれと頼んでおいたのだ。メイルやルシラたちには知られても問題ないが……この分だと内緒にしておいた方がよさそうだ。
「ネット。三つ目の記事を見てくれ」
メイルに言われ、俺は三つ目の大きな見出しを読んだ。
そこに書かれている内容は、俺に大きな影響を与えるものだ。
――インテール王国、勇者パーティ解散。
記事によると、昨日のうちにインテール王国の国王がそう宣言したらしい。それが今朝、他国であるエーヌビディア王国の新聞に載っているというのだから、かなり迅速に進められたことなのだろう。
「……そうか」
どうやら『星屑の灯火団』が前身となった勇者パーティは解散されるらしい。
俺はどうするべきか。また彼らと連絡を取り合って、合流した方がいいだろうか。
いや……そんなこと、しなくてもいいか。
あいつらのことだから、旅に出た以上、当分は戻って来ないだろう。「折角だからこのまま魔王城まで行ってくる!」とか平然と言いそうだ。
「妾が知る限り、勇者パーティがこんなに早く解散したのは初めてじゃな」
隣で新聞を覗き見るルシラが言った。
記事の内容も、インテール王国に対する批判が多い。
「そう言えば、エーヌビディア王国はまだ、勇者パーティを派遣していなかったよな?」
「うむ。我が国にとっては、魔王よりも毒魔龍の方が脅威じゃったからのう」
ルシラが答える。
「毒魔龍が脅威だった、ということは……」
「うむ! エーヌビディア王国も、これから勇者パーティの募集を始めるのじゃ!」
ルシラはどこか楽しそうに言った。
「というわけで、ネット。お主に頼みたいことがある」
「頼みたいこと?」
唐突な提案に、俺は目を丸くした。
ルシラは不敵な笑みを浮かべ、告げる。
「お主には――勇者パーティ選抜試験の審査員をやって欲しいのじゃ!!」
選抜試験の審査員。
不意に転がり込んで来たその話に、俺は思わず苦笑してしまった。
もし俺がこの提案を受け入れたら……一時期とはいえ勇者を目指していた俺が、今度は勇者を選ぶ側に回るわけだ。
実に皮肉な人生である。
しかし……不思議と悪い気はしない。
それはきっと、俺が今の生き方に満足しているからだろう。
――なんだ。
未練は思ったよりもなかった。辛いとも悲しいとも感じない。
その理由のひとつは、目の前にいる少女だろう。
俺は勇者にはなれない。世界を救う英雄にはなれない。
けれど、困っている少女に手を差し伸べることくらいなら、できるらしい。
それで十分だ。
目の前でルシラが笑ってくれるだけで、俺は報われた気持ちになる。
世界なんて背負わなくても、人は誇りを抱けるのだ。
「……また、色んな人と出会えそうだな」
首を縦に振ると、ルシラの目がキラキラと輝いた。




